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はい!どうもアバタローです
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本日はドイツの哲学者
ニーチェの[ツァラトゥストラ]
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こちらをご紹介いたします
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どんな作品かと言いますと
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人生を前向きに
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肯定的に生きぬく力を与えてくれる
世界的名著でございます
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まず、どういった方にお役に立ちそうな
内容なのかをお伝え致します
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[自分の人生に意義を見出せない]
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[気の弱い自分を吹き飛ばしたい]
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[もう一回人生をやり直したい]
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[自己肯定感の低さをどうにかしたい]
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これに1個でも当て嵌まれば
ニーチェについて全くご存じない方でも
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今回の動画は
見ていただく価値はあると思います。
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ここ数年
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自己肯定感について悩んでいる方が多く
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巷には、そういったジャンルの本が
溢れていますよね
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ただ、色んなテクニックや知識を仕入れても
あまり効果が見られなかったのであれば
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「ニーチェ」という劇薬に頼るのも
ひとつの解決策です
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と言いますのも、ニーチェ哲学のテーマは
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[生の肯定]であり
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徹底的に自分の人生を
肯定することを説いているんです
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そして本日ご紹介をさせていただく
[ツァラトゥストラ]は
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ニーチェ哲学の集大成であり
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人生のネガティブループを強制終了させる
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最強の「劇薬」である、というわけです
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ニーチェは、本書について
次のように述べています。
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私は、「ツァラトゥストラ」を書くことにより
これまで人類に贈られた
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[最大の贈物]をした
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何千年先にも届く、声を持ったこの本は
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およそ、ありうる限り
最高の書物である!
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ここで、彼がなぜ
こういった独特な表現を使い
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自信に満ち溢れた発言をしているかについては
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動画の後半にいくにつれて
見えてくると思います
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因みに、難しい話かもしれないとご心配の方
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大丈夫です!
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哲学に関する知識は一切要りません
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手ぶらでオーケーでございます
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お茶でも飲みながらリラックスして、
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ぜひ最後まで
楽しんで行ってください
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それでは参りましょう
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ニーチェ[ツァラトゥストラ]
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まず、どういった流れで
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お話をさせていただくか
整理をしておきたいと思います
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大きく3つです
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[-本日の内容-
1. ニーチェの生涯]
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[2. ツァラトゥストラについて]
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[3. 運命愛]
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以上、3つのテーマに沿って
進めてまいります
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というわけで、早速
ひとつ目から見て行きましょう
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フリードリヒ・ニーチェ
[ニーチェの生涯]
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彼は1844年
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ドイツの前身である
プロイセンの東部にある
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レッケンという小さな村で
牧師の息子として生まれました
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ただ、彼は見た目は子供
頭脳は大人という
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いわゆる天才少年でして
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[ニーチェは規格外の天才]
勉強はできる
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作曲もできる
詩も書ける
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しかもセンスは抜群
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と言うように、始めから普通の子供では
なかったと言います
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そして、20代の半ばという若さで
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スイスにあるバーゼル大学の
教授に就任します
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[20代半ばでバーゼル大学教授]
しかも当時の彼は、教員資格も、
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博士号もなく、ただの学生という立場で
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教授に推薦されたそうです
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如何にニーチェが
並外れた存在であったかがよく分かります
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ただ常に、右肩上がりといかないのが
人生でございます
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ニーチェの快進撃は
30歳手前ぐらいでピタッ!と止まり
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そこから数々の試練が
怒涛の如く彼を襲います
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[天才哲学者の苦悩]
苦労して書き上げた書籍は、ことごとく売れない
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授業をやっても学生は来ない
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教授に推薦してくれた恩師
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そして、友人からも見放され
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更に慢性的な頭痛に加え
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胃の痛み・吐き気も治まらない
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そのうえ、女性関係も上手く行かない
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もう絶不調が止まりません
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そして、そんな呪いがかかったような状態の中
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彼は渾身の力を込めて
1冊の本を生み落とします
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それが[ツァラトゥストラ]
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[ツァラトゥストラ・・・売れず]
ただこの本
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タイトルがちょっと怪しすぎて
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あまり手に取る気が起きません
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しかも内容も正直いって
理解しにくいです
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ですので、本人の期待とは裏腹に
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当時、まったく売れなかったんです
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しかもよりによって、4部構成にして
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4冊に分けて、気合を入れて
出版したんです
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その結果、爆死です!
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特に、最後の第4部は
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あまりに売れなさ過ぎて、自分で知り合いに
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「これを貰ってやってくれないか」と
配り歩いていたそうです
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そんな状況の中
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流石のニーチェも
”もう本なんか書くか” と
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腐ってしまうのかと思いきや
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[ニーチェの執念]
なんと彼はそのまま、筆を握り続け
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次々と著作を生み出していきます
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しかも、それらの作品のほとんどが
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あの滑りに滑った[ツァラトゥストラ]を補足し
解説するという書籍なんです
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凄い執念です!
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どれだけ彼が本作に
魂を込めていたかが伺えます
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しかし、そんな
力強い精神を持ったニーチェも
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[ニーチェの限界]
遂に、限界を迎えます
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1889年、彼が
45歳を迎える年の頃です
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滞在していたイタリア
トリノの広場で事件は起こりました
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一説によると
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鞭でバンバン叩かれている
馬に駆け寄り
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その馬の首を
泣いて抱きしめながら発狂し
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[ニーチェの精神崩壊]
そして意識を失ってしまった、と言われています
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幸い意識は戻ったのですが
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彼の心は完全にこのとき壊れてしまい
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二度と元のニーチェに戻ることは
ありませんでした
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ただ、運命とは皮肉なもので
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[酷評が一転、再評価へ]
実は、このタイミングになって
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ようやくニーチェの著作に対する
評価が高まって来るんです
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「ニーチェ文庫」という出版社までできて
本もバンバン売れていきます
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しかし、ニーチェにどれだけ
いまの状況を言い聞かせても
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何も認識することが出来ない
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そして精神に
異常がで始めてから約10年後
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55歳という若さで
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ニーチェは天に旅立って行った
というわけです
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[ニーチェの生涯については以上です]
ニーチェの人生について
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超高速で見てきましたが
ここまでよろしいでしょうか
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以上のストーリーを踏まえたうえで、
彼が渾身の力を込めて
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生み落とした最高傑作
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[ツァラトゥストラ]について
見て行きたいと思います。
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[ツァラトゥストラとは?]
まず簡単に、どういったお話かといいますと、
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「ツァラトゥストラ」というおじさんが
10年間山籠もりをし、
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孤独の中で知恵を蓄え
それを他の人間たちにも
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分けてやりたいと言って下山をする。
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そして、その中で様々な人と出会い
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語り合いながら自分の知恵を
分け与えていくといったお話です。
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因みに、このツァラトゥストというのは
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ゾロアスター教の開祖である
ゾロアスターを
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ドイツ語読みしたものです
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ただニーチェ哲学と、ゾロアスター教は
全然関係がありませんので、
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ここは、スルーしていただいて大丈夫です
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大事なのは、ツァラトゥストラ
というおじさんが
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ニーチェの分身である、ということです
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ですから、山から下りて来たツァラトゥストラが
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人々に語っていることは、すべて
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ニーチェの言葉として
捉えてえていただく必要があるわけです
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では早速、見て行きましょう。
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[ツァラトゥストラ、降臨]
まず、山から下りて来たツァラトゥストラは
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森の麓で、ひとりの老人と出会います
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そして、あなたは森で
「何をしているのか」と
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尋ねるのです
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すると、その老人は
「歌を歌ったりして
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神様を讃えたりしているんですよ」と
答えるのですが、
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これに対し、ツァラトゥストラは
とんでもない衝撃を受けます。
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そして心の中で
次のように呟きました。
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[老人の言葉に驚愕!]
「あり得ない!」
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「この老人は、まだあのことを
誰からも聞いていないのか」
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「神は死んだということ」を
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[神は死んだとは?]
はい!ここでストップします
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さっそく有名なセリフが出てきました
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神は死んだ!
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ニーチェを知らない方も、このパワーワードは
聞いたことがあるんじゃないでしょうか
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では、この「神は死んだ」という言葉。
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これは一体
どういう意味なんでしょうか。
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簡単に言ってしまいますと
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もう、この世の中には
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絶対的な真理や、価値なんてものは
"ない" と言っているんです
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自然科学が発達する前の人類は
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自分たちの頭で
理解できない事柄については
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「神のなせる業」
「神の意図」であると解釈をし
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納得をして来ました
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ところがその神の
深淵なる意図を解明しようと
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人類は科学技術を発達させ
神の存在を前提とする世界観を
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自らの手によって
破壊してしまったわけです
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例えば、天動説
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地球は、宇宙の中心であり
その他の天体は
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[天動説は絶対的な真理]
この地球の周りを
グルグル回っているだけだというこの説は
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中世のキリスト教世界においては
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まさに絶対的真理でした
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反対意見を言おうものなら、もう
大変なことになってしまいます
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しかし、地動説という
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科学に基づいた
新たな解釈が生まれたことによって
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[神を前提とする世界観が崩れていった]
ジワリジワリと、神を前提とする世界観が
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崩れて行ったわけです
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人間の存在も同様です。
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神が天地を創造し
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自分を模って男と女を
作り上げたという「創造論」
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これも旧約聖書をベースとしたストーリーですが、
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「進化論」という新たな学説によって
揺らいでしまいました。
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[西洋世界の常識を疑い そして破壊した]
つまりニーチェは
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人間は、自分たちの手で
絶対的真理はないと
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証明してしまった。
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もっと乱暴に言えば、自分たちの手で
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神を殺してしまったのだという、主張をし
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西洋世界のこれまでの常識を
丸々ひっくり返しにいったわけです。
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となりますと、その影響は、
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[ニーチェ以前の哲学を破壊]
哲学にも及んできます。
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ニーチェ以前の哲学は、神の存在
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絶対的真理の存在を
前提として成り立っていました。
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[哲学の父ソクラテス]
例えば、哲学の父「ソクラテス」
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彼は街の人に話しかけては
「善とは何か」
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「徳とは何か」と、その答えを求めて
問い続けていました。
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[ソクラテスの弟子プラトン]
そして、弟子のプラトンは
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その問いの答えに対し
「イデア」という概念を用いて
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説明を試みました。
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[絶対的真理の存在を前提としている]
要するに、ニーチェ以前の哲学者は、
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それぞれの説明、解釈の仕方は違えど
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「普遍的な善ってあるよね」
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「普遍的な徳もあるね」
というように
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絶対的な真理の存在を
前提に物事を考えていたんです。
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[これまでの哲学を破壊した人物]
ところがニーチェは「ない!」
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「そんなものはない!」
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「絶対的な価値」「絶対的な基準」「絶対的な真理」
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そんなものは「あるわけない!」
と主張しました。
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それ故彼は、
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これまでの哲学を
破壊した人物とされているわけです。
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[絶対的なものがないと何がいけない?]
ここで話を元に戻しましょう。
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では、この世界に「絶対的な価値」
「絶対的真理」がない状態だと
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何がいけないんでしょうか。
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どんな問題が生じるんでしょうか。
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別に私は、何の宗教も信じてはいないし
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哲学のこととか
絶対的ナンチャラとか
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そんな難しいことを考えて
生きているわけじゃないし
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関係ないね!
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もしかしたら、そう思われる方も
いるかもしれませんが
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実はこの問題
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人間が人間として生きている以上
誰にでも関係してきてしまう
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大事なお話なのです。
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絶対的なものが存在しないということは
言ってしまえば
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[信じられるものがなくなる]
何も信じるものが ”ない” 、ということです。
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例えば
想像してみてください。
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高度経済成長期の日本。
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バブル絶頂だったときの日本。
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[信じられる物語があった時代を私たちは経験]
この時代は「21世紀の資本」でもやりましたが
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頑張ったら頑張った分だけ
報われる時代でした。
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たくさん勉強をして、名門大学に入って
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一流企業に入ってしまえば「一生安泰」
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人をたくさん雇い
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物をたくさん作れば
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売り上げも上がる。
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働けば働くほど、給料も上がる。
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そんな時代です。
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つまり、頑張れば
人生どうにかなるという道筋が
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間違いなくあったわけです。
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だから、自分の夢や希望。
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そして、家族の為に
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出世の為に、辛いことも
苦しいことも耐えられたし
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歯を食いしばって努力が出来ました。
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ところが今は、どうでしょうか。
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[信じられる物語を奪われると人はどうなるのか?]
企業を神の如く、絶対的な存在とみなし
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定年まで面倒をみて貰おうという
終身雇用神話は
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もはや過去のものとなりました。
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いつ職を失うか
いつ食いっぱぐれるか、分からない。
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そして将来、何を目指し
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何に希望を持ち
頑張ればいいのか分からない。
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そういった漠然とした不安だけが
日に日に大きくなっている。
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それが今の状態です。
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このように人が
絶対的に信じるものを失い
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何のために生きるのか
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その意義を見出せなくなる状態のことを
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[ニヒリズム]と言います。
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そしてこの「ニヒリズム」が
蔓延していきますと
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[末人]と呼ばれる人間が大量発生すると
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ニーチェは、警鐘を鳴らしたのです。
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[最後の人間「末人」とは?]
末人というのは、最後の人間とも訳されるのですが、
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簡単に言ってしまえば
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将来に対して
何の憧れも希望もなく
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ただ、楽に無難に惰性的に生きることを
よし!とする人のことを指します。
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これは勿論、本人だけに
原因があるわけではないと思います。
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ただ、この「末人」にだけは
絶対になっちゃダメ!
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これがニーチェの
揺るぎないスタンスなんです。
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イヤイヤ、私だって
好きで希望を失ってるわけじゃないんです。
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「末人になるな」って言うんだったら
私等、一体なに人になればいいんですか。
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そう、突っ込みたくなりますが
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結論、「超人になってください!」
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これがニーチェの回答でございます。
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「えっ!?超人ですか?」
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「はい!超人です」
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[ツァラトゥストラの前半のテーマ「超人思想」]
そして、今から紹介しますニーチェの超人思想。
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これが「ツァラトゥストラ」の前半。
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「第1部」「第2部」の
メインテーマとなるわけです。
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ここは非常に重要で、面白いテーマなので
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是非、抑えていただきたいところでございます。
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では早速、作品の中で超人について語られる
シーンについて見て行きましょう。
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[街に向かうツァラトゥストラ]
先程、ツァラトゥストラは
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老人と会話をしていましたが
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それが終わると森を抜けて
街に向かいます。
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すると、街の市場の方で、
なんかザワザワしているんですね。
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"なんだろう?" と思って近づいてみますと
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[綱渡りのショーが始まるらしい]
町内イベントで綱渡りのショーが行われるらしく
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それで、町中の人が集まって来ていた
というわけです。
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「楽しみだなぁ」「まだかなぁ」
そんな声が聞こえる中
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山籠もりで蓄えた知恵を
吐き出したくてしょうがないツァラトゥストラが
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[近づいていくツァラトゥストラ まさか...]
フラフラしながらその群衆の中に近づいて行きます。
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誰か適当な人を捕まえて
説教でも始めちゃうのかな?
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と思いきや、そうではないんです。
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[ツァラさんのトークショー:お題は超人思想]
なんと彼はその、民衆全員に向けて
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叫んでしまうんです。
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ツァラトゥストラ:皆さん、よく聞きなさい!
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私は今から、皆さんに「超人」について教えます。
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皆さんはかつて、猿でした。
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しかし、今の人間は猿以上に
猿なのであります。
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なるほど、これは怪しいおじさんが
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意味不明なことを
叫んでるようにしか聞こえません。
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当然そこにいた人々は、そんな彼を
まったく相手にしませんでした。
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しかし、ツァラトゥストラは気にせず
奇妙な演説を続けます。
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そして超人について、話を終えたところで
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群衆の中の一人が、大声で叫びました。
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[綱渡り芸の前口上と馬鹿にされる]
群衆:よし!これで綱渡り芸の
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前口上はバッチリだ!」
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それじゃ早速、超人に登場して貰って
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その超人技とやらを披露して貰おう!」
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すると、この人のボケがドカン!とウケてしまい
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ツァラトゥストラは、皆から馬鹿にされ
大笑いされてしまうのです。
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[綱渡り芸のスタート]
そんな中、綱渡り芸が始まりました。
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人々もその様子を
固唾を呑んで見守っています。
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[綱渡り芸のスタート]
ここで、ツァラトゥストラ。
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[10年間山籠もりした男のトークは止まらない!]
馬鹿にされたショックで、黙り込むのかと思いきや
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なんと、まだ喋り続けています
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そしてここで、非常に重要な
セリフを口にするのです
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[人間は動物と超人との間に張り渡された1本の綱]
人間という生き物は
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動物と超人との間に張り渡された
1本の綱である。
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渡って彼方に進むのも危うく
途上にあるのも危うく
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後ろを振り返るのも危うく
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おののいて立ちすくむのも危うい。
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[言っている意味が分かりません!]
はい!ここで一旦止めましょう。
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彼が何を言わんとしているのか
考えてみたいと思います。
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まず、「超人って何?」という
ところからお話をしていきます。
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結論から言うと
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「不屈の精神力」
そして、「力強い意志」をもち
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自らの人生を肯定しながら
より高みへ向かおうとする存在。
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それが「超人」のイメージです。
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[超人=絶対コレ!という定義はない]
なぜ、イメージ と申しあげたかと言いますと
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実は「ツァラトゥストラ」では
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具体的に、超人とはこういうものですと
定義付けをしていないんですね。
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もし、定義付けをしてしまえば
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ニーチェは、自ら絶対的な存在を
認めたことになってしまいますから
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ここは、敢えて読者の想像に
委ねられているのかもしれません。
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そして、人間というのは
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その超人という存在に向かって
綱渡りのような危険を乗り越えていく
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[人間は危険を冒しながら超人に向かう存在だ]
そういう存在なんですよと、言っているわけです。
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では、どうやったら
「超人」の域に到達できるのでしょうか。
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[超人になるための3ステップ]
ツァラトゥストラが言うには
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人間の精神には「3段階」あって
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どんどんそのレベルを上げていくことで
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超人に近づくことが出来るそうです。
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その段階には名前が付いており、
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第一段階が[ラクダ]
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第二段階が[獅子」
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第三段階が[幼子]です。
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[第1ステージ:ラクダ]
順番に見て行きます。
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まず、初めの「ラクダの段階」というのは
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重い荷物を背負って
我慢するステージです。
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自分の身に積極的に負荷をかけ
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そこで、自分の強みを獲得するわけです。
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学校での勉強。
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会社での仕事。
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体を鍛える事。
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人それぞれに
ラクダのステージがあります。
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そして忍耐力や
自分の強みが磨かれたのなら
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[第2ステージ:獅子]
次の段階は[獅子]です。
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このステージは
窮屈な状態から解放され
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自由を求める者が進む段階です。
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既存の「価値観」「常識」「権威」に対して
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ハッキリと自分の言葉で「No」と言える。
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そんな独立の精神を持った段階。
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それがこの、獅子のステージです。
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[第3ステージ:幼子]
そして最後、第三段階になると
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獅子は、幼子に変身をします。
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自らの想像力に身を委ね
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勝手に自由気ままに遊ぶ。
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まるで幼い子供のような
無邪気な精神。
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それこそが最終段階なのだ
というわけです。
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どれだけ大人が
世の中の理不尽さを嘆いていても
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将来を悲観しても
幼い子供には関係がありません。
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彼ら彼女らにとって
世界は無条件に肯定されるものであり
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心のままに戯れ
-
無心に遊び
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自由に創造的に今
-
この瞬間、瞬間を生きています。
-
つまり、超人たる者は
この3つのプロセスを経て
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最終的には、幼子のような精神を
-
その身に宿すものなのだ
というわけです。
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[ツァラトゥストラの前半はこれにて終了]
さぁ、1部、2部のメインテーマである
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[超人]に関するお話は、ここでお終いですが
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この内容が、第3部、第4部
後半の内容へと繋がって行きます。
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この後半パートのテーマは、
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[永遠回帰]と呼ばれる
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「ツァラトゥストラ」の中心思想でございます。
-
[一番重要なパートです]
つまり、今からお話しするところが
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この動画の最も重要な箇所であり、
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「ニーチェ哲学」を学ぶ上で
絶対に外せないテーマというわけです。
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では早速、見て行きましょう。
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[永遠回帰とは?]
まず、「永遠回帰」とは、一体何なんでしょうか。
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結論から言いますと
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同じことが
無限に繰り返されるという
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仮説のことを指します。
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[人生の無限ループ]
もうちょっと具体的に言うと
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あなたは今の人生を
永遠に繰り返している。
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前世も、来世も
-
ずっと同じ人生を繰り返している。
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無限ループの中をグルグル、グルグルと
生き続けているんですよという「仮説」です。
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繰り返しになりますが
これは仮設であり
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事実か、事実でないかは
あまり重要ではありません。
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仏教の世界にも「輪廻思想」という
教えがありますが
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「永遠回帰」とは
全く異なる概念になります。
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生命は、色んなものに
無限に生まれ変わり続ける。
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これが「輪廻思想」です。
-
例えば、私の来世は
大資産家かもしれないし
-
小さなクラゲ かもしれない。
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そういうお話です。
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[あなたはずっとあなたのまま、それが永遠回帰]
一方、「永遠回帰」の場合は
-
同じ人が、同じ人生をグルグル永遠に
ループし続けるというものです。
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さて、ここで質問です。
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皆さまはこの、「永遠回帰」の思想を
受け入れることが出来ますか。
-
それとも、同じ人生をループし続けるなんて
-
「勘弁してくれ!」と、拒絶されますか。
-
[最大の重し]
もちろん正解はありませんし、人それぞれです。
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因みに、ニーチェは別の著作で、
この「永遠回帰」の思想を
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人間にとっての最大の
重石であると表現しています。
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要するに、人間というのは、
余ほど幸せで恵まれた人でない限り
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忘れ去りたい過去のトラウマ、失敗・過ちが
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1つや2つあるでしょうと。
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それを無限に経験し続けるのは、
過去の記憶が消去されているとはいえ
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誰だって嫌でしょうと
そう言ってるんですね。
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[「最大の重し」だが、「最強の武器」でもある]
ただ、この思想というのは、その人の捉え方次第で
-
人生を大きく変えるくらいの
強力な「武器」にもなるんです。
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仮に本当にループし続けると
真剣に想像してみてください。
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どうでしょうか。
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永遠にネガティブで、否定的で
不幸な人生か。
-
永遠にポジティブで、肯定的で
幸福な人生か。
-
極端な2つの選択肢が
-
目の前に浮かび上がってくるはずです。
-
さぁ、選びたいのはどっちですか。
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[永遠回帰は、人生を好転させる思考法]
そう聞かれれば、どう考えても後者しかありません。
-
そして、もし後者を選べば
永遠に繰り返しても ”良い” と
-
思えるような人生にしようと
前を向いて生きていくしかなくなるんです。
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つまり、「永遠回帰」というのは
-
神が死んだ後の世界。
-
絶対的に信じるものが失われた世界で
末人に陥ることなく
-
人生を肯定的に、力強く
前向きに歩んでいく為の
-
「思考法」と言えるわけです。
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では、一体どうすれば
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「永遠回帰」の思想を受け入れることが
出来るようになるのでしょうか。
-
[理屈は分かるけど...難しそうだ]
頭で理屈は分かっても
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なかなか、自分のものにするのは難しそうです。
-
そこでニーチェは、「永遠回帰」を
自分のものとする条件として
-
[ニヒリズムの克服が前提となる]
ニヒリズムを克服する必要がある、と説きました。
-
イメージしづらいと思いますので
今から実際にニヒリズムを克服し
-
[永遠回帰を受け入れた者の物語]
永遠回帰を受け入れた人間を描いている
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「ツァラトゥストラ」の重要な
ワンシーンを紹介いたします。
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どんな場面かというと
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1人の若い牧人が倒れているところを
-
ツァラトゥストラが
発見するというシーンです。
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牧人というのは
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馬とか、牛とか
羊などのお世話をする人です。
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[ツァラトゥストラと牧人]
その主人が倒れている横で
-
犬がギャンギャンと鳴いています。
-
そして、その声に
ツァラトゥストラが気付き
-
「何事だ」と言って近づいて行くんです。
-
そこで彼は、とんでもない光景を
目の当たりにします。
-
[蛇に窒息させられそうな牧人]
なんと!倒れ込んでいる牧人の口から
-
黒い蛇の尻尾が
ニョロッと出ていたんです。
-
牧人は、余りの苦しさにのたうち喘ぎ、
痙攣を起しています。
-
そこで、ツァラトゥストラは、
その牧人を助けなければと
-
うわぁっ!と近づいて行き
蛇の尻尾をギュッと掴み
-
力いっぱい引っ張って
口から出そうとします。
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ところが、まったく
蛇を引きずり出すことができません。
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何度やっても同じでした。
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そこで、ツァラトゥストラは絶叫します。
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[牧人よ、蛇を噛め!]
ツァラトゥストラ:蛇の頭ごと噛みちぎってしまえ!
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さぁ!噛むんだ!
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噛んでしまえ!」
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すると牧人は、言われるがままに
蛇をガブッと噛みちぎり
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その頭を吐き捨て
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それと同時に
パッと立ち上がります。
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[あれ?ぼ・・・牧人さん]
そして、この様子を見たツァラトゥストラは
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次のように語ります。
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[もはや、牧人ではない]
ツァラトゥストラ:私の目の前にいた男は
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もはや牧人ではなかった。
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イヤ、人間でもなかった。[もはや、牧人ではない]
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一人の変容した者。
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光りに包まれた者だった。
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そして、彼は高らかに笑った。
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今まで地上のどんな人間も
笑ったことがないほど高らかに。
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[意味が分かりません!]
いかがでしょうか、このシーン。
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非常に重要な場面なんですが
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言わんとしていること
分かりましたでしょうか。
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要するに、この七転八倒している
牧人というのは
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[牧人は、ニヒリズムに囚われ苦しむ人間]
ニヒリズムに囚われた
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人間のことを描いているんです。
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もうちょっと、分かりやすく言いますと
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こんな、希望もない世界に
生きている意味なんかないじゃないか!
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頑張ったってどうせ、報われないじゃないか!
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「どうせ私なんか!」
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「どうせ私なんか!!」
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こういったニヒリズムに
陥ってしまいますと
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私たちは、あの牧人のように
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息苦しい人生を送ることに
なってしまいますよと、言っているわけですね。
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[牧人は、弱い己を殺しニヒリズムを克服した]
しかし牧人は、自分を苦しめる蛇を噛みちぎり
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窮地を脱しましたよね。
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すなわち、これこそが
ニヒリズムの克服なんです。
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もっと具体的に言えば
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「不安」「恐怖」「嫉妬」
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「失望」「自己不信」といった
色んなことに囚われ
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人生を悲観的に捉えることしか
できなかった弱い自分を
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自ら噛み殺したんです。
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[新たな力強い自分に生まれ変わる覚悟を決めよ]
そして、新たな力強い自分に生まれ変わる覚悟を決め
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自分の人生を
否定的なものから
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肯定的に捉え直すことに成功し
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高らかに笑った。
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これこそが「永遠回帰」の思想を
受け入れ実践し
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自らの全生涯を肯定した者の
姿であるというわけです。
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[永遠回帰の実践的態度]
また、ニーチェは「永遠回帰」の
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実践的態度として、最も重要なのは
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苦しい人生を目の前にし
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死にたくなるほど絶望したとしても
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”これこそが、人生なのか!
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だったらもう一度、掛かってこい!と
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勇気を持って立ち向かうことである
と説きます。
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今、生きているこの瞬間を
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「これこそ、私の人生なのだ!」と
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自信を持って肯定できる人は、
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これまで、歩んできた過去を振り返っても
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「これで良かったんだ」と
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肯定することが出来ます。
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そして未来に対しても
臆することなく
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前向きに、肯定的に
歩んで行くことが出来ます。
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更にこれが
永遠にループするとなれば
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「自分が生きる世界」
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「自分の命」
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「自分の人生」そのすべてが
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永遠に肯定され続けることを
意味するわけです。
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つまり、今!
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この瞬間を肯定さえしてしまえば
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永遠の肯定ループが生まれる
というお話です。
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それ故ニーチェは
「永遠回帰」の思想を
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[およそ到達しうる限りの
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最高の肯定の定式]と、名付けました。
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そして、この思想を
受け入れた者が辿り着く「思考の領域」
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それが[超人]なんです。
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勿論、そこに至る道は
決して楽ではありません。
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1本の綱を渡るように
大きな危険を伴います。
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しかし、絶対に安全な道があると
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頑なに信じ何もせず
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時が経つのを
ただ、待っているだけでは
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あの牧人のように
苦しむしかないんです。
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であれば、自分の弱さを
思い切って断ち切って
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勇気をもって前進しましょう。
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そして、やれるだけのことを全部やって
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自分の何もかもを
肯定してしまえ!と言っているわけです。
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[ツァラトゥストラはここでお終い]
さぁ、いかがでしたでしょうか。
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端折りに端折って、進めてきましたが
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「ツァラトゥストラ」に関しては
ここでお終いです。
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作品の肝となっている「超人思想」
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そして、「永遠回帰」
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ざっくりイメージいただけたでしょうか。
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最後に、ニーチェが提唱した
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[運命愛]について簡単に触れて
終わりたいと思います。
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[運命愛]というのは
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一言で言ってしまえば
自分の運命を全て受け入れ肯定し
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愛する心の態度のことを意味しています。
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[部分的に受け入れず全て受入れ肯定せよ]
ニーチェの思想に基づくならば
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この世界に、絶対的な「善」も「悪」も
存在しないということになります。
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であれば、自分の人生で起こる
様々な出来事ひとつひとつに
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これは楽しかったから「〇(まる)」
[部分的に受け入れず全て受入れ肯定せよ]
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これはキツかったから「×(バツ)」
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と、部分的に受け入れるのではなく
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その全てを愛することの大切さを説いたわけです。
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[そうは言っても辛いものは辛い]
ただそうやって綺麗サッパリ
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気持ちの整理がつけばいいんですが
[そうは言っても辛いものは辛い]
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それが出来なくて悩むのが
我々人間でございます。
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自分の存在。
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自分の人生に価値を見出せず
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できることなら、もう一回
過去に戻ってやり直したい。
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そんな気持ちが夜な夜な
出てきてしまうことだってあるわけです。
-
しかしニーチェは、次のように言います。
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[たった1度でいい]
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[本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら
-
その人生は生きるに値する]
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つまり、生きている間に
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言葉では言い表せないような歓びを
手に入れさえすれば
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全ての苦しみ、全ての悲しみを引き連れてでも
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あなたは自分の人生を
もう一度生きることを望むはずだ!
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だから、どんな運命だろうと愛し、
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自分の人生を前向きに、肯定的に
生きれば良いのだと言っているわけです。
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ニーチェ哲学のテーマは「生の肯定」ですが、
-
この「運命愛」は正に
その象徴的な概念と言えます。
-
しかし、そんな非常に前向きでパワフルな
思想の持主であるニーチェですが
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彼自身の人生と言えば
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実に、苦悩と悲哀に満ちたものでした。
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才能があっても仕事は評価されず、
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発狂するほど苦しみ精神を病んで
この世を去るんです。
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これが永遠に回帰するのかと考えますと
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正直ゾッとしてしまいます。
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ただ彼は、
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晩年に書いた自叙伝において、
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自身の人生を
次のように振り返っています。
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[どうして私は]
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[私の全生涯を感謝せずにおれようか?]
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[そして、だからこそ私は私自身に]
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[私の生涯を、語り聞かせようとしているのである]
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ニーチェの精神が崩壊するのは
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この言葉を残した
わずか数ヶ月後と言われています。
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つまり彼は、最後の最後まで
苦悩に満ちた自分自身の運命を愛し、
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「生の肯定」という自分の哲学を貫き通し
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その人生を全うしたのです。
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そしてニーチェは、自分の死後
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何百年か先に、きっと
ニヒリズムが世界を覆い尽くし、
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人々から希望を奪い、生きる意味を
失わせてしまうだろうと予見していました。
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だからこそ彼は、
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自分の魂と声を宿した人格。
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[ツァラトゥストラ]を作り上げ
絶望の前に立ち尽くす
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未来の人類への贈り物としたのです。
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どこまでも生を肯定し、
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運命を愛した天才哲学者。
フリードリヒ・ニーチェ。
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彼の贈り物が開かれるべき時は
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まさに今なのかもしれません。
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というわけで、ニーチェの
[ツァラトゥストラ]
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以上でございます。
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いかがでしたでしょうか。
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ニーチェ哲学はやはり、パワーが凄いですね。
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圧倒されてしまいます。
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もしこの後、お時間があるようでしたら
概要欄に貼ってあるリンクから
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岡本太郎さんの
[自分の中に毒を持て]
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こちらをチェックしていただきますと
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また、新たな発見があると思います。
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と言いますのも、
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岡本太郎さんの思想にもっとも影響を与えたのは
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フランスの哲学者「バタイユ」
という人物なんですが、
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このバタイユに影響を与えたのが
ニーチェなんです。
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すから、岡本太郎さんの力強い言葉には、
-
何処かニーチェっぽさがあります。
-
そういったところに
注目して観ていただきますと、
-
今日の内容の解釈の幅が広がって
更に気持ちを
-
高めていただけるのではないかなと、思います。
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面白かった、参考になったという方は
高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。
-
また、チャンネル登録も
よろしくお願い致します。
-
ではまた、次の動画でお会いいたしましょう。
-
ありがとうございました。