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はい!どうもアバタローです。
本日は、ドイツの哲学者。
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ニーチェの[ツァラトゥストラ]
こちらをご紹介いたします。
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どんな作品かと言いますと...
人生を前向きに
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肯定的に生きぬく力を与えてくれる
世界的名著でございます。
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まず、どういった方にお役に立ちそうな
内容なのかをお伝えいたします。
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[自分の人生に意義を見出せない]
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[気の弱い自分を吹き飛ばしたい]
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[もう一回人生をやり直したい]
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[自己肯定感の低さをどうにかしたい]
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これに1個でも当て嵌まれば
ニーチェについて、全くご存じない方でも
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今回の動画は見ていただく価値は
あると思います。
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ここ数年、自己肯定感について悩んでいる方が多く
巷には、そういったジャンルの本が
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溢れていますよね。
ただ、色んなテクニックや知識を仕入れても
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あまり効果が見られなかったのであれば
ニーチェという「劇薬」に頼るのも
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1つの解決策です。
...と言いますのも、ニーチェ哲学のテーマは
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[生の肯定]であり、徹底的に自分の人生を
肯定することを説いているんです。
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そして、本日ご紹介をさせていただく
[ツァラトゥストラ]は
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ニーチェ哲学の集大成であり
人生のネガティブループを強制終了させる
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「最強の劇薬である」という訳です。
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ニーチェは本書について
次のように述べています。
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私は、[ツァラトゥストラ]を書くことにより
これまで人類に贈られた
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[最大の贈物]をした。
何千年先にも届く、声を持ったこの本は
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およそ、ありうる限り最高の書物である。
ここで彼が、何故こういった独特な表現を使い
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自信に満ち溢れた発言をしているかについては
動画の後半に行くにつれて見えてくると思います。
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因みに、”難しい話かもしれない” とご心配の方。
大丈夫です。
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哲学に関する知識は一切要りません。
手ぶらでオーケーでございます。
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お茶でも飲みながらリラックスして
ぜひ最後まで、楽しんで行ってください。
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それでは参りましょう。
ニーチェ[ツァラトゥストラ]
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まず、どういった流れでお話をさせていただくか
整理をしておきたいと思います。
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大きく3つです。
[1. ニーチェの生涯]
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[2. ツァラトゥストラについて]
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[3. 運命愛]
以上、3つのテーマに沿って進めてまいります。
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...というわけで、早速
1つ目から見て行きましょう。
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フリードリヒ・ニーチェ。
彼は1844年。
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ドイツの前身である
プロイセンの東部にある
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レッケンという小さな村で
牧師の息子として生まれました。
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ただ彼は、見た目は子供。
頭脳は大人という、所謂「天才少年」でして...
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勉強はできる。
作曲もできる。
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詩も書ける。
しかもセンスは抜群。
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...と言うように、始めから
普通の子供ではなかったと言います。
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そして、20代の半ばという若さで
スイスにあるバーゼル大学の教授に就任します。
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しかも、当時の彼は「教員資格」も
「博士号」もなく
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ただの学生という立場で
教授に推薦されたそうです。
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如何にニーチェが並外れた存在であったかが
よく分かります。
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ただ、常に「右肩上がり」といかないのが
人生でございます。
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ニーチェの快進撃は
30歳手前ぐらいでピタッと止まり
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そこから、数々の試練が
怒涛の如く彼を襲います。
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苦労して書き上げた書籍は
ことごとく売れない。
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授業をやっても学生は来ない。
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教授に推薦してくれた恩師。
そして、友人からも見放され
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更に、慢性的な頭痛に加え
胃の痛み、吐き気も治まらない。
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その上、女性関係も上手く行かない。
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もう、絶不調が止まりません。
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そして、そんな呪いがかかったような状態の中。
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彼は渾身の力を込めて1冊の本を生み落とします。
それが、[ツァラトゥストラ]
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ただこの本...タイトルがちょっと怪しすぎて
余り手に取る気が起きません。
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しかも内容も正直言って、理解しにくいです。
...ですので、本人の期待とは裏腹に
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当時、全く売れなかったんです。
しかも、よりによって
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4部構成にして、4冊に分けて
気合を入れて出版したんです。
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その結果、爆死です!
特に最後の第4部は、余りに売れなさ過ぎて
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自分で知り合いに「これを貰ってやってくれないか」
と、配り歩いていたそうです。
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そんな状況の中、流石のニーチェも
”もう本なんか書くか!” と
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腐ってしまうのかと思いきや
なんと彼は、そのまま筆を握り続け
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次々と、著作を生み出していきます。
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しかも、それらの作品のほとんどが
あの滑りに滑った[ツァラトゥストラ]を補足し
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解説する、という書籍なんです。
凄い執念です。
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どれだけ、彼が本作に
魂を込めていたかが伺えます。
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しかし、そんな力強い精神を持ったニーチェも
遂に、限界を迎えます。
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1889年、彼が45歳を迎える年の頃です。
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滞在していたイタリア、トリノの広場で
事件は起こりました。
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一説によると鞭でバンバン叩かれている馬に駆け寄り
その馬の首を泣いて抱きしめながら発狂し
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そして、意識を失ってしまったと言われています。
幸い意識は戻ったのですが
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彼の心は完全にこの時、壊れてしまい
二度と元のニーチェに戻ることはありませんでした。
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ただ、運命とは皮肉なもので
実は、このタイミングになって
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ようやくニーチェの著作に対する評価が
高まって来るんです。
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「ニーチェ文庫」という出版社まで出来て
本もバンバン売れていきます。
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しかし、ニーチェにどれだけ今の状況を
言い聞かせても何も認識することが出来ないのです。
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そして、精神に異常がで始めてから約10年後。
55歳という若さで
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ニーチェは天に
旅立って行ったという訳です。
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ニーチェの人生について超高速で見てきましたが
ここまで、よろしいでしょうか?
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以上のストーリーを踏まえた上で
彼が渾身の力を込めて生み落とした最高傑作。
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[ツァラトゥストラ]について
見て行きたいと思います。
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まず簡単に、どういったお話かといいますと
ツァラトゥストラというオジサンが
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10年間山籠もりをし、孤独の中で知恵を蓄え
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それを他の人間たちにも
「分けてやりたい」と言って下山をする。
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そして、その中で様々な人と出会い...
語り合いながら自分の知恵を
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分け与えて行くといったお話です。
因みに、この[ツァラトゥストラ]というのは
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ゾロアスター教の開祖であるゾロアスターを
ドイツ語読みしたものです。
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ただ、ニーチェ哲学とゾロアスター教は
全然関係がありませんので
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ここはスルーしていただいて大丈夫です。
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大事なのは、ツァラトゥストラというオジサンが
ニーチェの分身であるということです。
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...ですから、山から下りて来た
ツァラトゥストラが人々に語っていることは全て
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ニーチェの言葉として
捉えていただく必要があるわけです。
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では早速、見て行きましょう。
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まず、山から下りて来たツァラトゥストラは
森の麓で、一人の老人と出会います。
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そして、あなたは森で
「何をしているのか?」と尋ねるのです。
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すると、その老人は
「歌を歌ったりして神様を讃えたりしているんですよ」
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と答えるのですが、これに対しツァラトゥストラは
とんでもない衝撃を受けます。
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そして、心の中で
次のように呟きました。
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「あり得ない!この老人は...まだあのことを
誰からも聞いていないのか?
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[神は死んだ]ということを...」
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はい!ここでストップします。
早速、有名なセリフが出てきました。
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「神は死んだ」
ニーチェを知らない方も
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このパワーワードは聞いたことが
あるんじゃないでしょうか?
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では、この「神は死んだ」というこの言葉。
これは一体、どういう意味なんでしょうか?
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簡単に言ってしまいますと...
もうこの世の中には
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絶対的な「真理」や「価値」なんてものは
”ない” と言っているんです。
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自然科学が発達する前の人類は
自分たちの頭で理解できない事柄については
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「神のなせる業」「神の意図である」と
解釈をし納得をしてきました。
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ところが、その深遠なる「神の意図」を解明しようと
人類は、科学技術を発達させ
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神の存在を前提とする世界観を
自らの手によって破壊してしまった訳です。
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例えば「天動説」
地球は宇宙の中心であり
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その他の天体は、この地球の周りを
グルグル回っているだけだというこの説は
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中世のキリスト教世界においては
正に絶対的真理でした。
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反対意見を言おうものなら
もう、大変なことになってしまいます。
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しかし、「地動説」という科学に基づいた
新たな解釈が生まれたことによって
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ジワリジワリと、神を前提とする世界観が
崩れていったわけです。
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人間の存在も同様です。
神が天地を創造し
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自分を模って
男と女を作り上げたという「創造論」
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これも旧約聖書をベースとしたストーリーですが
「進化論」という
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新たな学説によって、揺らいでしまいました。
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つまりニーチェは、人間は自分たちの手で
「絶対的真理はない」と証明してしまった。
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もっと乱暴に言えば、自分たちの手で
「神を殺してしまったのだ」という主張をし
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西洋世界のこれまでの常識を
丸々ひっくり返しに行ったわけです。
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...となりますと
その影響は「哲学」にも及んできます。
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ニーチェ以前の哲学は、「神の存在」
「絶対的真理」の存在を
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前提として成り立っていました。
例えば、哲学の父[ソクラテス]
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彼は、街の人に話しかけては
「善とは何か」
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「徳とは何か」とその答えを求めて
問い続けていました。
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そして、弟子のプラトンはその問いの答えに対し
「イデア」という概念を用いて、説明を試みました。
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要するに、ニーチェ以前の哲学者は
それぞれの説明、解釈の仕方は違えど
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「普遍的な ”徳” もあるね」
「普遍的な ”善” ってあるよね」というように
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絶対的な「真理の存在」を前提に
物事を考えていたんです。
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ところが、ニーチェは
「ない!」「そんなものは、ない!」
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絶対的な「価値」
絶対的な「基準」
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絶対的な「真理」
そんなものは、あるわけない!と主張しました。
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それ故、彼は...これまでの哲学を
”破壊した人物” とされているわけです。
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ここで、話を元に戻しましょう。
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では、この世界に絶対的な「価値」
絶対的「真理」がない状態だと
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何がいけないんでしょうか?
どんな問題が生じるんでしょうか?
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別に私は、何の宗教も信じてはいないし
哲学のこととか、絶対的ナンチャラとか
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そんな難しいことを考えて
生きているわけじゃないし、関係ないね!
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もしかしたら...そう思われる方も
いるかもしれませんが、実はこの問題。
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人間が人間として生きている以上
誰にでも関係してきてしまう大事なお話なのです。
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絶対的なものが存在しない、ということは
言ってしまえば
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”何も信じるものがない” ということです。
例えば、想像してみてください。
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高度経済成長期の日本。
バブル絶頂だった時の日本。
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この時代は、『21世紀の資本』でもやりましたが
頑張ったら頑張った分だけ、報われる時代でした。
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たくさん勉強をして、名門大学に入って
一流企業に入ってしまえば、一生安泰。
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人をたくさん雇い、物をたくさん作れば
売り上げも上がる。
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働けば働くほど、給料も上がる。
そんな時代です。
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つまり、頑張れば人生どうにかなる
という道筋が、間違いなくあったわけです。
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だから、自分の夢や希望。
そして、家族の為に。
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出世の為に...辛いことも
苦しいことも耐えられたし
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歯を食いしばって、努力が出来ました。
ところが、今はどうでしょうか?
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企業を神の如く、絶対的な存在とみなし
定年まで面倒をみて貰おうという
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終身雇用神話は、最早
過去のものとなりました。
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いつ職を失うか...
いつ食いっぱぐれるか分からない。
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そして、将来何を目指し
何に希望を持ち頑張ればいいのか分からない。
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そういった漠然とした不安だけが
日に日に大きくなっている。
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それが、今の状態です。
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このように、人が絶対的に信じるものを失い
何のために生きるのか。
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その「意義」を見出せなくなる状態のことを
[ニヒリズム]と言います。
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そして、この[ニヒリズム]が蔓延していきますと
[末人]と呼ばれる人間が
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大量発生すると
ニーチェは警鐘を鳴らしたのです。
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[末人]というのは
”最後の人間” とも訳されるのですが
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簡単に言ってしまえば
将来に対して、何の憧れも希望もなく
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ただ、楽に無難に惰性的に生きることを
よし!とする人のことを指します。
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これは勿論、本人だけに
原因がある訳ではないと思います。
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ただ、この末人にだけは、絶対になっちゃダメ!
これが、ニーチェの揺るぎないスタンスなんです。
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イヤイヤ、私だって好きで
希望を失ってるわけじゃないんです。
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[末人]になるな!って言うんだったら
私等一体、何人になればいいんですか?
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そう突っ込みたくなりますが...結論
「超人になってください!」
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これが、ニーチェの回答でございます。
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えっ!?超人ですか?
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はい!超人です。
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そして、今から紹介しますニーチェの[超人思想]
これが[ツァラトゥストラ]の前半。
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第1部、第2部の
メインテーマとなるわけです。
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ここは、非常に重要で面白いテーマなので
是非、抑えていただきたいところでございます。
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では、早速作品の中で[超人]について
語られるシーンについて、見て行きましょう。
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先程、ツァラトゥストラは
老人と会話をしていましたが
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それが終わると、森を抜けて街に向かいます。
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すると、街の市場の方で
なんか、ザワザワしているんですね。
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なんだろう?と思って近づいてみますと
町内イベントで、綱渡りのショーが行われるらしく
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それで町中の人が
集まって来ていた、という訳です。
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「楽しみだなぁ」「まだかなぁ?」
そんな声が聞こえる中...
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山籠もりで蓄えた知恵を
吐き出したくてしょうがない「ツァラトゥストラ」が
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フラフラしながら
その群衆の中に近づいて行きます。
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誰か適当な人を捕まえて説教でも始めちゃうのかな?
と思いきや、そうではないんです。
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何と彼は、その民衆全員に向けて
叫んでしまうんです。
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「皆さん、よく聞きなさい!
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私は、今から皆さんに
[超人]について教えます。
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皆さんは、かつて猿でした。
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しかし、今の人間は
猿以上に猿なのであります!」
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なるほど...これは怪しいおじさんが
意味不明なことを叫んでるようにしか聞こえません。
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当然、そこにいた人々は、そんな彼を
全く相手にしませんでした。
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しかし、ツァラトゥストラは
気にせず、奇妙な演説を続けます。
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そして、[超人]について話を終えたところで
群衆の中の一人が大声で叫びました。
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「よし!これで綱渡り芸の前口上は、バッチリだ!
それじゃあ、早速...超人に登場して貰って
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その超人技とやらを披露して貰おう」
すると、この人のボケが、ドカン!とウケてしまい
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ツァラトゥストラは、皆から馬鹿にされ
大笑いされてしまうのです。
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そんな中、綱渡り芸が始まりました。
人々もその様子を固唾を呑んで見守っています。
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ここで、ツァラトゥストラ...
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馬鹿にされたショックで、黙り込むのかと思いきや
なんと!まだ喋り続けています。
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そして、ここで
非常に重要なセリフを口にするのです。
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「人間という生き物は...
動物と超人との間に張り渡された、1本の綱である。
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渡って彼方に進むのも危うく
途上にあるのも危うく。
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後ろを振り返るのも危うく
おののいて、立ちすくむのも危うい」
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はい!ここで一旦止めましょう。
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彼が何を言わんとしているのか
考えてみたいと思います。
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まず、超人って何?
というところからお話をしていきます。
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結論から言うと...
不屈の精神力。
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そして、力強い意志を持ち
自らの人生を肯定しながら
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より高みへ向かおうとする存在。
それが、超人のイメージです。
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なぜ、「イメージ」 と申し上げたかと言いますと
実は、[ツァラトゥストラ]では
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具体的に、「超人とはこういうものです」 と
定義付けをしていないんですね。
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もし、定義づけをしてしまえば、ニーチェは自ら
絶対的な存在を認めたことになってしまいますから
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ここは敢えて、読者の想像に
委ねられているのかもしれません。
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そして、人間というのは
その[超人]という存在に向かって
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綱渡りのような危険を
乗り越えていく。
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そういう存在なんですよ、と
言っているわけです。
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では、どうやったら超人の域に
到達できるのでしょうか?
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ツァラトゥストラが言うには
人間の精神には「3段階」あって
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どんどん、そのレベルを上げていくことで
超人に近づくことが出来るそうです。
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その段階には、名前がついており
第一段階が[ラクダ]
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第二段階が[獅子」
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第三段階が[幼子]です。
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順番に見て行きます。
まず、初めの[ラクダ]の段階というのは
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重い荷物を背負って
我慢するステージです。
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自分の身に積極的に負荷をかけ
そこで自分の強みを獲得するわけです。
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「学校での勉強」「会社での仕事」
「体を鍛えること」
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人それぞれに[ラクダ]のステージがあります。
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そして、忍耐力や自分の強みが磨かれたのなら
次の段階は[獅子]です。
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このステージは、窮屈な状態から解放され
自由を求める者が進む段階です。
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「既存の価値観」「常識」「権威」に対して
ハッキリと自分の言葉で「No」と言える。
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そんな、独立の精神を持った段階。
それが、この[獅子]のステージです。
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そして最後、第三段階になると
獅子は[幼子]に変身をします。
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自らの想像力に身を委ね
勝手に自由気ままに遊ぶ。
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まるで、幼い子供のような無邪気な精神。
それこそが、最終段階なのだという訳です。
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どれだけ大人が世の中の理不尽さを嘆いていても
将来を悲観しても、幼い子供には関係がありません。
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彼ら、彼女らにとって
世界は無条件に肯定されるものであり
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心のままに戯れ、無心に遊び
自由に、創造的に今
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この瞬間、瞬間を生きています。
つまり[超人]たる者は、この3つのプロセスを経て
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最終的には「幼子」のような精神を
その身に宿すものなのだという訳です。
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さぁ!1部・2部のメインテーマである
[超人]に関するお話は、ここでお終いですが
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この内容が、第3部・第4部
後半の内容へと繋がっていきます。
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この、後半パートのテーマは[永遠回帰]と呼ばれる
[ツァラトゥストラ]の中心思想でございます。
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つまり、今からお話しするところが
この動画の最も重要な箇所であり
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ニーチェ哲学を学ぶ上で、絶対に
外せないテーマというわけです。
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では早速、見て行きましょう。
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まず、[永遠回帰]とは
一体、何なんでしょうか?
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結論から言いますと...
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同じことが無限に繰り返されるという
仮説のことを指します。
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もうちょっと、具体的に言うと...
あなたは、今の人生を永遠に繰り返している。
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前世も、来世も...
ずっと、同じ人生を繰り返している。
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無限ループの中をグルグル、グルグルと
生き続けているんですよ、という「仮説」です。
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繰り返しになりますが
これは、「仮設」であり
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事実か、事実でないかは
あまり重要ではありません。
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仏教の世界にも ”輪廻思想” という
教えがありますが
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「永遠回帰」とは
全く異なる概念になります。
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生命は、色んなものに無限に生まれ変わり続ける。
これが、輪廻思想です。
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例えば、私の来世は
「大資産家」かもしれないし
-
「小さなクラゲ」 かもしれない。
そういうお話です。
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一方「永遠回帰」の場合は、同じ人が同じ人生を
グルグル永遠にループし続けるというものです。
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さて、ここで質問です。
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皆さまは、この「永遠回帰」の思想を
受け入れることが出来ますか?
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それとも、同じ人生をループし続けるなんて
「勘弁してくれ!」と、拒絶されますか?
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勿論、正解はありませんし
人それぞれです。
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因みにニーチェは、別の著作で
この「永遠回帰」の思想を
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人間にとっての「最大の重しである」と
表現しています。
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要するに、人間というのは
余程、幸せで恵まれた人でない限り
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忘れ去りたい過去の「トラウマ」
「失敗」「過ち」が1つや2つあるでしょう、と。
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それを無限に経験し続けるのは、過去の記憶が
消去されているとは言え「誰だって嫌でしょう」と。
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そう言っているんですね。
ただ、この思想というのは
-
その人の捉え方次第で
人生を大きく変えるくらいの
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強力な「武器」にもなるんです。
仮に、本当にループし続けると
-
真剣に想像してみてください。
どうでしょうか?
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永遠にネガティブで
否定的で「不幸」な人生か。
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永遠にポジティブで
肯定的で「幸福」な人生か。
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極端な2つの選択肢が
目の前に浮かび上がってくるはずです。
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さぁ、選びたいのはどっちですか?
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そう聞かれれば
どう考えても後者しかありません。
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そして、もし後者を選べば、永遠に繰り返しても
良いと思えるような人生にしようと
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前を向いて生きていくしかなくなるんです。
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つまり、「永遠回帰」というのは
神が死んだ後の世界。
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絶対的に信じるものが失われた世界で
[末人]に陥ることなく
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人生を肯定的に、力強く前向きに歩んでいくための
「思考法」と言えるわけです。
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では、一体どうすれば「永遠回帰」の思想を
受け入れることが出来るようになるのでしょうか?
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頭で理屈は分かっても
なかなか、自分のものにするのは難しそうです。
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そこでニーチェは
「永遠回帰」を自分のものとする条件として
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「ニヒリズム」を克服する必要がある
と説きました。
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イメージし辛いと思いますので
今から実際に「ニヒリズム」を克服し
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「永遠回帰」を受け入れた人間を描いている
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[ツァラトゥストラ]の重要なワンシーンを
紹介いたします。
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どんな場面かというと...
1人の若い牧人が倒れているところを
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ツァラトゥストラが
発見するというシーンです。
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牧人というのは、馬とか牛とか
羊などのお世話をする人です。
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その主人が倒れている横で
犬がギャンギャンと、鳴いています。
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そして、その声にツァラトゥストラが気付き
「何事だ?」と言って近づいて行くんです。
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そこで彼は、とんでもない光景を
目の当たりにします。
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なんと、倒れ込んでいる牧人の口から
黒い蛇の尻尾がニョロッと出ていたんです。
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牧人は、余りの苦しさに
のたうち、喘ぎ、痙攣をおこしています。
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そこで、ツァラトゥストラは、その牧人を
助けなければと、うわぁぁっ!と近づいて行き
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蛇の尻尾をギュッと掴み
力いっぱい引っ張って、口から出そうとします。
-
ところが、全く蛇を引きずり出すことができません。
何度やっても同じでした。
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そこで、ツァラトゥストラは絶叫します。
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「蛇の頭ごと、噛みちぎってしまえ!」
-
「さぁ!噛むんだ!噛んでしまえ!」
-
すると牧人は、言われるがままに
蛇をガブッと噛みちぎり
-
その頭を吐き捨て、それと同時に
パッ!と立ち上がります。
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そして、この様子を見たツァラトゥストラは
次のように語ります。
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「私の目の前にいた男は...最早
牧人ではなかった。
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イヤ、人間でもなかった。
一人の変容した者。
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光りに包まれた者だった。
そして、彼は高らかに笑った。
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今まで、地上のどんな人間も
笑ったことがないほど高らかに...」
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さぁ、いかがでしょうか。
このシーン。
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非常に重要な場面なんですが
言わんとしている事、分かりましたでしょうか?
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要するに、この七転八倒している牧人というのは
「ニヒリズム」に捕らわれた
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人間のことを描いているんです。
もうちょっと、分かりやすく言いますと
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こんな希望もない世界に
生きている意味なんか、ないじゃないか。
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頑張ったってどうせ...
報われないじゃないか。
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どうせ、私なんか...
どうせ、私なんか!!
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こういった「ニヒリズム」に陥ってしまいますと
私たちは、あの牧人のように
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息苦しい人生を送ることになってしまいますよ、と
言っている訳ですね。
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しかし、牧人は自分を苦しめる蛇を噛みちぎり
窮地を脱しましたよね。
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すなわち、これこそが
「ニヒリズム」の克服なんです。
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もっと、具体的に言えば
「不安」「恐怖」「嫉妬」「失望」「自己不信」
-
といった、色んなことに捕らわれ
人生を悲観的に捉えることしかできなかった
-
弱い自分を
自ら噛み殺したんです。
-
そして新たな、力強い自分に
生まれ変わる覚悟を決め
-
自分の人生を否定的なものから
肯定的に捉えなおすことに成功し
-
高らかに笑った。
これこそが「永遠回帰」の思想を受け入れ、実践し
-
自らの全生涯を肯定した者の
姿であるという訳です。
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また、ニーチェは
「永遠回帰」の実践的態度として
-
最も重要なのは
苦しい人生を目の前にし
-
死にたくなるほど絶望したとしても
”これこそが人生なのか。
-
だったら、もう一度掛かってこい!” と
勇気を持って立ち向かうことである、と説きます。
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今、生きているこの瞬間を
「これこそ、私の人生なのだ!」と
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自信を持って肯定できる人は
これまで歩んできた過去を振り返っても
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「これで良かったんだ」と
肯定することが出来ます。
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そして、未来に対しても臆することなく
前向きに、肯定的に歩んで行くことが出来ます。
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更に、これが永遠にループするとなれば
「自分が生きる世界」
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「自分の命」「自分の人生」その全てが...
永遠に肯定され続けることを意味するわけです。
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つまり今、この瞬間を肯定さえしてしまえば
永遠の肯定ループが、生まれるというお話です。
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それ故、ニーチェは
「永遠回帰」の思想を
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[およそ到達しうる限りの最高の肯定の定式]
と名付けました。
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そして、この思想を受け入れた者が
辿り着く思考の領域。
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それが[超人]なんです。
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勿論、そこに至る道は
決して楽ではありません。
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1本の綱を渡るように
大きな危険を伴います。
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しかし、「絶対に安全な道がある」と
頑なに信じ、何もせず
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時が経つのを
ただ、待っているだけでは
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あの牧人のように
苦しむしかないんです。
-
...であれば
自分の弱さを思い切って断ち切って
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勇気をもって前進しましょう。
そして、やれるだけのことを全部やって
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自分の何もかもを「肯定してしまえ」と
言っている訳です。
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さぁ、いかがでしたでしょうか。
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端折りに、端折って進めてきましたが
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ツァラトゥストラに関しては
ここでお終いです。
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作品の肝となっている[超人思想]
そして、[永遠回帰]
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ざっくり、イメージ
いただけたでしょうか?
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最後にニーチェが提唱した[運命愛]について
簡単に触れて終わりたいと思います。
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[運命愛]というのは、一言で言ってしまえば
自分の運命を全て受け入れ
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肯定し、愛する
「心の態度」のことを意味しています。
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ニーチェの思想に基づくならば、この世界に絶対的な
「善」も「悪」も存在しないということになります。
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...であれば、自分の人生で起こる
様々な出来事一つ一つに
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これは、楽しかったから「〇」(まる)
これは、キツかったから「×」(バツ)
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...と、部分的に受け入れるのではなく
その全てを愛することの大切さを説いた訳です。
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ただ、そうやって綺麗サッパリ
気持ちの整理がつけばいいんですが
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それが出来なくて悩むのが
我々、人間でございます。
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自分の存在、自分の人生に
価値を見出せず
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できることなら、もう一回
過去に戻ってやり直したい。
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そんな気持ちが、夜な夜な
出てきてしまうことだってある訳です。
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しかし、ニーチェは次のように言います。
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[たった1度でいい]
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[本当に魂が震えるほどの悦びを味わったのなら]
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[その人生は生きるに値する]
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つまり、生きている間に言葉では言い表せないような
歓びを手に入れさえすれば
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全ての苦しみ
全ての悲しみを引き連れてでも
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あなたは、自分の人生をもう一度
生きることを望むはずだ!
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だから、どんな運命だろうと愛し
自分の人生を前向きに、肯定的に生きればいいのだ
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と、言っている訳です。
ニーチェ哲学のテーマは[生の肯定]ですが
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この[運命愛]は正に
その象徴的な概念と言えます。
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しかし、そんな非常に前向きでパワフルな
思想の持主であるニーチェですが
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彼自身の人生と言えば
実に「苦悩」と「悲哀」に満ちたものでした。
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才能があっても仕事は評価されず
発狂するほど苦しみ
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精神を病んで
この世を去るんです。
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これが、永遠に回帰するのかと考えますと
正直、ゾッとしてしまいます。
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ただ、彼は
晩年に書いた『自叙伝』において
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自身の人生を
次のように振り返っています。
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[どうして私は]
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[私の全生涯を感謝せずにおれようか?]
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[そして、だからこそ私は私自身に]
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[私の生涯を、語り聞かせようとしているのである]
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ニーチェの精神が崩壊するのは
この言葉を残した
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わずか数ヶ月後と、言われています。
つまり、彼は
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最後の最後まで
苦悩に満ちた自分自身の運命を愛し
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「生の肯定」という
自分の哲学を貫き通し
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その人生を全うしたのです。
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そして、ニーチェは
自分の死後...
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何百年か先に、きっと「ニヒリズム」が
世界を覆い尽くし
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人々から希望を奪い、生きる意味を
失わせてしまうだろう、と予見していました。
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だからこそ、彼は...
自分の魂と声を宿した人格。
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[ツァラトゥストラ]を作り上げ
絶望の前に立ち尽くす
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未来の人類への
「贈り物」としたのです。
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どこまでも、生を肯定し
運命を愛した天才哲学者。
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フリードリヒ・ニーチェ。
彼の贈り物が開かれるべき時は
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正に、今なのかもしれません。
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...というわけで
ニーチェの[ツァラトゥストラ]
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以上でございます。
いかがでしたでしょうか?
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ニーチェ哲学は、やはりパワーが凄いですね。
圧倒されてしまいます。
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もし、この後お時間があるようでしたら
概要欄に貼ってあるリンクから
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岡本太郎さんの[自分の中に毒を持て]
こちらをチェックしていただきますと
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また、新たな発見があると思います。
...と言いますのも
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岡本太郎さんの思想に最も影響を与えたのは
フランスの哲学者。
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「バタイユ」という人物なんですが
このバタイユに影響を与えたのがニーチェなんです。
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...ですから、岡本太郎さんの力強い言葉には
何処か、ニーチェっぽさがあります。
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そういったところに注目して観ていただきますと
今日の内容の解釈の幅が広がって
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更に、気持ちを高めていただけるのではないかな、と
思います。
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面白かった、参考になったという方は
高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。
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また、チャンネル登録も
よろしくお願い致します。
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ではまた、次の動画でお会いいたしましょう。
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ありがとうございました。