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はい!どうもアバタローです。
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本日は、ビクトール・フランクルの[夜と霧]
こちらをご紹介いたします。
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どんな作品かと言いますと
自分の未来に対して希望が持てず
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生きる意味を見失ってしまった人を
救い出してくれる世界的名著になります。
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フランクルは、著名な精神科のドクターであり
また、心理学の専門家です。
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皆さま、よくご存じの[アドラー]
そして、[フロイト][ユング]
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彼らは[世界三大心理学者]と呼ばれていますが
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フランクルは、それに次ぐ
[第四の巨頭]とも言われる人物になります。
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そんな彼が、第二次世界大戦中
ナチスによって捕らえられ
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強制収容所に入れられた時の
体験について書かれたもの。
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それが[夜と霧]という作品です。
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因みに、このタイトルの
[夜と霧]というのは
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ヒトラーによって発せられた
作戦名のことです。
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自分たちに敵対する者を捕まえる時。
まるで、夜の霧の中に消えるように
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ひっそりと跡形もなく連行されることから
そのように呼ばれていました。
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ただ、「ナチス」とか
「強制収容所」と聞きますと
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あれ?今日の話って凄く怖い話なんじゃないの?
暗い話なんじゃないの?と
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ご心配された方もいるかもしれません。
...ですが、ご安心ください。
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この作品は、収容所の恐ろしさや
戦争の悲惨さを訴えることを
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目的として書かれたものでは
ございません。
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絶望の極致に置かれた人間たちの
メンタルに焦点が宛てられた作品なんです。
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収容所という受け入れがたい
理不尽な環境の中で、人々の心は
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どのような変化をしていき
どのようなことに苦しんでいたのか。
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また、何を心の支えとし、どんな考えをもって
未来に希望を見出そうとしたのか。
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[夜と霧]には、こういった、今正に
知っておきたい生き方のヒントが多く含まれており
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重たいテーマではありますが、読む人の心を
軽くしてくれる不思議な力があるのです。
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この動画をご視聴いただくにあたって
予備知識は一切いりませんので
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是非、安心して最後まで
お付き合いいただければと思います。
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それでは、参りましょう。
ビクトール・フランクル[夜と霧]
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まず、この動画の全体像からお示し致します。
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初めにこの作品を読む前に
知っておくべき前提知識として
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著者のフランクルとは、一体どんな人物で
どういった経緯で
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強制収容所に入ることになってしまったのか
についてお話をします。
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それを踏まえた上で
[夜と霧]の中身に入っていき
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最後は、フランクル思想を知る上で欠かせない
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[ブーヘンヴァルトの歌]について触れて
終わりたいと思います。
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では早速、フランクルについて
見て行きましょう。
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ビクトール・フランクル
彼は1905年。
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オーストリアの首都
ウィーンに生まれたユダヤ人です。
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幼少期から非常に
好奇心旺盛であったフランクルは
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人間の「生きる意味」という
壮大なテーマに興味を持ち
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更に、アドラーやフロイトなどの
影響を受けることで精神科医になったといいます。
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また、医師として
彼の最大の功績の1つは
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[ロゴセラピー]と呼ばれる
心理療法を開発したことです。
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[ロゴセラピー]とは
自分の生きる意味を実感できず
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毎日、「虚しい」「苦しい」といった
感情を持った人に対して
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生きる意味を見つけ出すサポートをする
そういった『心理療法』のことを指します。
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そして、彼は自ら開発した
[ロゴセラピー]を実践し
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人生に絶望した人の心の救済に
全生涯を捧げ
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1997年の92歳のときに
天寿を全うしました。
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あのマザー・テレサから『ノーベル平和賞』の
推薦を受けたこともあるほど
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世の為、人の為に尽くし続けた偉人。
それが、ビクトール・フランクルです。
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ただ、そんな彼が
強制収容所に入れられてしまうというのは
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なかなか信じがたい事実です。
...なので、今から
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彼が強制収容所に入るまでの経緯について
お話をいたします。
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時は、今から遡ること約90年前。
1933年のドイツでのことです。
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ここで、ある大きな
政治的変化が起こりました。
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なんと、長らく政権野党であった
「国家社会主義ドイツ労働者党」
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通称『ナチス』が
その年の1月30日。
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遂に、与党となったのです。
もちろん、政権のトップは
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皆様ご存じの
『アドルフ・ヒトラー』です。
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そして彼は、ユダヤ人を排除するための政策を
次々と打っていきました。
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何故、ヒトラーは
そんなことをしたのでしょうか?
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まっ凄く簡単に言いますと
共通の敵を作ることで
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当時、バラバラだった
ドイツ国民の心を一つにし
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国をまとめ上げようとしたのです。
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具体的には、自分たちは
”アーリア人” と呼ばれる優性民族であり
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劣等民族であるユダヤ人を迫害し
国外に追い出し
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「我々でヨーロッパを統一しませんか?」と
言い出したわけです。
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ナチスが政権与党となって初期の頃は
ユダヤ人が経営するお店を妨害するとか
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レストランに入れないとか
そういうレベルの嫌がらせが多かったのですが
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徐々に、これがエスカレートしていきます。
1935年には
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『ニュルンベルク法』と呼ばれる
ユダヤ人の公民権を奪う人種差別法が制定されます。
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これによって、ユダヤ人とドイツ人の結婚が禁じられ
更に、ユダヤ人は公共的な場所。
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例えば、定演・劇場・プールなどへの出入りが
禁止されてしまいます。
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そして、1938年11月。
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フランスの首都
パリにあるドイツ大使館で書記官が
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ユダヤ人青年によって ”射殺される”
という事件が起こりました。
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因みにその青年は
自分の家族をナチスによって迫害され
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その恨みから
書記官を襲ったと言います。
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こうなりますと当然、ドイツに居る国民たちは
「けしからん!」と、大激怒です。
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そして、国内にあったユダヤ教会や商店街が
次々と襲撃されるという大暴動が起こり
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90人以上のユダヤ人の方が
亡くなってしまったと言います。
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破壊された家や商店街の窓ガラスが
ドイツ中の道路を埋め尽くし
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それが、月明かりによって照らされ
まるで「水晶」のように光っていたことから
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その事件は[水晶の夜]
”クリスタル・ナハト” と名付けられました。
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これによって、ドイツ国内における
ユダヤ人追放の動きは
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更に、加速していくこととなったのです。
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そして、その流れのまま翌年1939年。
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ドイツ軍がポーランドに侵攻したことを契機に
「第二次世界大戦」 が勃発します。
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ナチスも自分たちが占領した地域のユダヤ人を
初めは追放したり、隔離したりしていたのですが
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戦線が膠着するにつれて方針を一変させます。
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なんと!「殺処分する」という...
えげつない方向に舵を切り始めたのです。
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これが、ナチスによる『大量虐殺』
所謂、[ホロコースト]の始まりです。
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因みに[ホロコースト]とは、元々ギリシャ語で
”焼かれた生贄” という意味になります。
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水面下で行われてきたユダヤ人狩りが
遂に、ここから本格化していくことになる訳です。
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そして1941年、当時36歳であった
ビクトール・フランクルの元にも
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ナチス当局から軍司令部への
出頭命令が下ります。
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そして1942年。
遂に、連れて行かれてしまう訳です。
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因みに当時のフランクルは
数年前に自分の病院を立ち上げたばかりで
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更に、結婚もしたばかりという状況でございます。
そんなタイミングで彼は...
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これ以上ない絶望の世界に
呑み込まれて行くことになるのです。
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続きまして...彼が捕まってから解放に至るまでの
大まかな流れをスライドにお示しします。
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ちょっと、カタカナが多いですが
これらの名前は
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全く覚えておかないで大丈夫ですので
そこは、ご安心ください。
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1つ目が
[1.テレージエンシュタット]
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ここは、今もチェコにあります。
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1942年の9月から
自分の両親と奥さんと一緒に
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フランクルは2年程
ここに収容されることになります。
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実は、フランクルのお父さんは当時
80歳を超すほどのご高齢であったんですが
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非常に栄養状態の悪い生活を強いられたことによって
ここで、餓死をさせられてしまうのです。
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そして、2つ目がポーランドにある
[2.アウシュヴィッツ]です。
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絶滅収容所として
非常に”悪名” 高い所ですね。
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ここで、フランクルは自分のお母さんと
お兄さんを失ってしまいます。
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滞在期間は、4日ほどです。
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その後、ドイツ南部バイエルン地方にある
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[3.ダッハウ]と呼ばれる強制収容所の
[カウフェリング第3支所]という所に送られ
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最後は、病人収容所である
[カウフェリング第6支所]に行き
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1945年の4月に
ようやく「解放」という流れになります。
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ここで、抑えておいていただきたいのは
[夜と霧]の舞台がアウシュビッツ以降
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特にダッハウ強制収容所の
支所であるという点です。
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もっとハッキリ言いますと...
この作品のメインステージは
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アウシュヴィッツではありません。
支所です!
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ここは、よく誤解されますので
ご注意いただければと思います。
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ここまで、よろしいでしょうか?
以上の流れを踏まえた上で
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早速、作品の中身に入っていきたいと思います。
では、行きましょう。
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私は、一心理学者として
強制収容所で体験したことを述べたいと思う。
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ただ...何も私は、身の毛のよだつ
恐ろしい話をしたいのではない。
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そこにいた囚人たちが、収容所の中で
どのような苦労を抱えて過ごしてきたのか。
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そういった「心の問題」を取り扱いたいのだ。
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[119104]忘れもしない。
これは、私の囚人番号だ。
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強制収容所において、私は「心理学者」でも
ましてや「医者」でもなかった。
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ただ、番号が振られただけの
一人の囚人でしかなかったのだ。
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ではまず、私がアウシュヴィッツに送られた時の
様子から話しをしていこう。
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1つの貨物車両に
80人程の人間たちと
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その荷物が息苦しいほどに
隙間なく入れられ
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私たちは、ある場所へと輸送させられた。
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辛うじて窓の一番上から薄暗い空を
眺めることができたのを覚えている。
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一体、我々は何処に連れていかれるのか?
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軍需工場で強制労働でもさせられるのか?
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そうやって、狭い空間の中で
言葉を交わし合った。
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しばらくすると...列車は
開けた平地に止まろうとしていた。
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何処だ!
ここは一体、何処なんだ。
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そんな、言い知れぬ空気が列車内を覆う中
群衆の中から、突然一つの叫び声があがった。
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「ここに、立札があるぞ!」
[AUSCHWITZ]
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「アウシュヴィッツだ!」
この瞬間、どれほど心臓が止まると思ったか。
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「アウシュヴィッツ」は1つの概念だった。
何かよく分からないけれども
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しかし、それだけに「恐怖」しかなかった。
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停車場に着くと
エレガントな紳士のような将校が現れた。
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そして、我々を指さしながら
何やら指示を出し始めたのだ。
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私はこの時、知る由もなかった。
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あの男の指の動き一つ一つが
「命」の選別であったということを...
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この時、輸送された
約90パーセントの人が
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数時間も経たないうちに
「ガス室」に送られ命を奪われた。
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一方、私を含む残りの人間たちは
風呂場に連れていかれ全身の毛を剃られた。
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そして文字通り
「裸」の存在となったのだ。
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はい!ここで止めましょう。
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非常に恐ろしい世界です。
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列車から降りますと
最初にあったのは「命の選別」でした。
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ここでフランクルは
偶然にも生き残ることが出来たわけですが
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それは一体、なぜでしょうか?
結論から言いますと
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労働者として「使える!」と
判断されたからです。
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逆に、労働者として「使えない!」と
思われた人のことごとくは
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最初の段階で "ふるい" に
掛けられてしまったという訳です。
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この時、囚人たちは「収容ショック」といって
とてつもない恐怖体験をすることになります。
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囚人によっては、収容所を取り囲んでいる
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高電圧が流れている鉄条網に走って
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自害を試みることもあったようです。
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...ですが、しばらくしますと
死の恐怖がなくなっていき
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自分で命を絶つことすら
考えなくなっていく、と言います。
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フランクルは「自分の命だけは諦めない」と
気持ちを強く保っているのですが
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いつ、心が崩壊してもおかしくない状態で
収容所生活を送っていました。
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そんな中、先輩囚人が
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こっそりと、フランクル達が
寝泊まりしている所にやってきます。
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そして、生きる為のアドバイスを
授けてくれるのです。
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では、そのシーンから
続きを見て行きましょう。
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「いいか...僕は、君たちに
1つのことを忠告する。
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それは「ヒゲを剃れ!」ということだ。
出来れば毎日。
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剃るものは、何だっていい。
-
僕は、その辺に落ちている
ガラス片でやっている。
-
後、病気になるな。
病気であっても、それを悟られるな。
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命を奪われたくなければ
-
とにかく、労働が「可能である」という
印象を相手に与えろ。
-
「コイツは、動けない」と判断されたら
もう、俺たちはお終いなんだ。
-
いいか!もう一度言うぞ。
ヒゲを剃れ!
-
そして、いつも
真っすぐ立って歩け。
-
はい!ここで止めましょう。
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どれだけ理不尽で
残酷な環境の中でフランクル達が
-
生きていたかが、よく分かります。
収容された当初は
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「苦しい」とか、「怖い」とか。
様々な感情の浮き沈みを体験するそうです。
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しかし、それが長引いてきますと
今度は、逆に何も感じなくなるという
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新たな状態に移っていきます。
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つまり、自分が生きている世界に対して
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無感動、無関心、
無感覚になっていくというのです。
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こうなりますと、自分の家族や
仲間が殴られていても
-
一切、目を反らさなくなるといいます。
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黙って、ただ眺める。
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そこには、「嫌悪感」も「恐怖」も
「同情」もない。
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何にも感じることができないのです。
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更に、収容所の世界において
「苦しんでいる人」「病んでいる人」
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「死につつある人」
そして、「死んでいる人」というのは
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全く、珍しくなく
むしろ、当たり前すぎる光景であるため
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人としての心が、徐々に
動かなくなってくるのです。
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フランクルは、この
「感情」が動かなくなる状態のことを
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「心を包む、最も必要な『鎧』であった」
と、表現しています。
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つまり、自分の肉体が
-
「生命を維持する」という、ただその目的だけに
集中するという「モード」に入るんです。
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その結果、生命維持に直接関係のない
「心の機能」が
-
シャットダウンしてしまう、という訳です。
一旦、その「モード」に入りますと
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人は、「食べる」とか
「寝る」とか、そういった
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原始的な「欲求」だけに
支配されることになった、と言います。
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ただ、当時の囚人たちは
一日に水のようなスープと
-
パンのかけらくらいしか食事を
与えられていなかった為
-
原始的な「欲求」のほとんどは
「食欲」が占めていたと言います。
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当然、地獄のような
飢餓状態におかれますから
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一人残らず屍のように
痩せこけていきます。
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更に、その状態で蹴られたり
殴られたりしながら
-
朝から晩まで
強制労働をさせられ
-
「使えない」と判断されれば
処理されてしまう。
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それが、収容された者たちの世界だったんです。
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そんな極限状態の中
フランクルは、不思議な体験をします。
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なんと、自分の目の前に
「奥さん」の面影が現れ
-
そして、言葉を
交わし合ったというのです。
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この場面は、[夜と霧]という作品の中でも
特に、胸が締め付けられるところになります。
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では、そこから続きを見て行きましょう。
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私は妻と語った。
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そして、彼女が答えるのを聞き
彼女が笑うのを見た。
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例え、その場に居なくても
彼女の眼差しは
-
今、正に昇ろうとしている「太陽」よりも
私を照らしてくれた。
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その時、私は気付いたのだ。
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『愛』こそが、人間にとって
最高のものだということを。
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例え、この世に何一つ残っていなくても
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人間は、愛する人の面影を
心に宿すだけで、救われるのだ。
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この時、私は...自分の妻が
生きているかどうかも、知らなかったし
-
知る必要もなかった。
-
私は、深い愛情をもって
彼女の面影を見つめ続けた。
-
彼女は、まだ生きているのか。
-
それとも、もうこの世にいないのか。
-
そんな事実は、もはや問題ではなかった。
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例え、愛する妻が
亡くなっていたと分かっていても
-
それでも私は...
-
彼女の面影を
見つめ続けていただろう。
-
何時間も凍った地面を掘り続けても
-
監視兵に怒鳴られても
私は、彼女と言葉を交わした。
-
そして、その度に妻の存在を強く感じた。
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彼女を抱きしめることが出来るのではないか。
-
手を伸ばせば触れることが
出来るのではないか。
-
そんな感情が強く私を襲うたび
思うのだった。
-
彼女はきっと、そこにいる。
-
...そこにいるのだ。
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はい!ここで止めましょう。
-
つまり、フランクルは
いつ精神が崩壊してもおかしくない極限状態の中で
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「愛」によって、生かされたのです。
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そして、どれほど人間にとって「愛」が
大切なものであるか、ということを
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頭ではなく
心から痛感したというのです。
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ただ、非常に申し上げにくいのですが
実はこの時、フランクルの奥さんは
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別の収容所に移送され
そこで、処刑されてしまっているのです。
-
それを知らない状態で、彼は
ただ、愛する奥さんの面影を心に宿し
-
見つめ続けていたという訳です。
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因みに、以前紹介した
古代ローマの哲学者[セネカ]は
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「過去は唯一、運命に支配されない。
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誰からも奪われない、神聖な時間だ!」
と言っていました。
-
彼の言葉の重さが
ここに来てズシン!と、響いてきます。
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つまり、フランクルは
身ぐるみを全て剥がされ
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財産も、家族も、尊厳も
何もかも奪われたのですが
-
唯一、「過去」だけは
侵害されなかったのです。
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そして彼は、極限状態の中で
自分にとって最も大切な「過去」
-
つまり、愛する奥さんという存在を
自分の記憶から引っ張ってきました。
-
そして、会話ができてしまうくらい
彼女の存在を自分の心のスクリーンに
-
強く投影させ
それによって、自らを支えていた訳です。
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ただ、気を強く保っているフランクルですが
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それでも、心が折れそうになる瞬間は
何度かあったようです。
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その中でも、特に
「これは、キツイ!」と思われる要素を
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彼は本書で、1つ挙げています。
-
それは、フランクルだけではなく
他の囚人たちも
-
「確かに、その通りである」と
意見が一致したと言います。
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皆さんは、何が囚人たちのメンタルを
最も苦しめたと思いますか?
-
答えを言いますと
[「期日」が無かったこと]です。
-
私らは、「いつまで」この収容所にいて
「いつ」解放されるんですか?
-
一体、いつになったら...
今まで通りの生活に戻れるんですか?
-
こうやって、終わりの日が見えないこと。
出口が見えないことが
-
何よりも辛かったと、彼らは口を揃えて
そう言っているのです。
-
更に、収容所という
極端に活動が制限された環境の中で
-
無限の時間を感じるのは、並大抵ではない
精神的ストレスであったと言います。
-
そんな中...
「もうすぐ戦争が終わるらしいよ」
-
「後...6週間で、出られるらしいよ」と
-
終息の見込みに関する色んな噂が収容所内に流れては
また、引き延ばされる。
-
これの繰り返しです。
-
こういった、「期待」と「幻滅」の
無限ループに置かれると
-
「人はいずれ、心が壊れてしまう」
フランクルは、そう言っているのです。
-
そして、彼はまた次のように
語り始めます。
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1944年のクリスマス。
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そして、1945年の新年。
-
この間に、未だかつてない
大量の死亡者が出た。
-
強制収容所にいた医者によると
それは、過酷な労働条件や
-
悪化した「栄養状態」、或いは「伝染病」などで
説明がつくものではなかったそうだ。
-
むしろ、その原因とは
囚人たちが、Xmasや新年には
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きっと、状況も良くなって
「家に帰れるだろう」と
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素朴な希望に
身を寄せたからなのだ。
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もう直ぐ、クリスマスだというのに
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収容所から流れて来るニュースと言えば
何時も暗い話ばかりで
-
明るい記事など一切なかった。
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そうやって、囚人たちは
どんどん失望し、落胆し
-
そして、「抵抗力」を落として行ったのだ。
-
凄まじい、収容所生活において
自分の内側にある「抵抗力」を落とすことは
-
そのまま、「命」を落とすことに繋がる。
-
だから、自分たちの
「抵抗力」が落ちないよう
-
どうにか、気持ちだけは維持しなければならない。
その為には...
-
「自分は、何としてでも
生き延びなければならない」 という
-
[人生の目的意識]が必要だったのだ。
-
はい!ここで止めましょう。
-
どんな人であれ
苦しい時、辛い時はありますが
-
それを乗り越えるためには
その「苦しさ」や
-
「辛さ」に見合うだけの意義が必要だ、と
フランクルは言っているのです。
-
耐え抜く意味、頑張り通す意義。
それが無ければ
-
「苦しさ」や「辛さ」に耐えられず
心が折れてしまうわけです。
-
好きな仕事だから
辛い時でも、頑張れた。
-
応援してくれる仲間がいたから
苦しかったけど、頑張れた。
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皆さんにも、そんなご経験が
あるのではないでしょうか?
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ただ、心が崩壊してしまった囚人たちは
-
どれだけ励ましても...
-
どれだけ慰めても...
-
何も言葉を受け取らなくなってしまった
と言います。
-
そして、こんな未来に期待のできない人生を
「なぜ、生きなきゃいけないんだ」
-
「生きていたって、意味なんかないじゃないか」と
口にするように、なっていったそうです。
-
では、こういった状態に陥ってしまったら
-
一体、どうすればよいのでしょうか?
-
この問いに対しフランクルは、本書で
見事な回答を提示してくれています。
-
では、その続きから見て行きましょう。
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これからの未来に
一体、何が期待できるんだろう?
-
自分の生きている意味って、何だろう?
-
そうやって、自分の人生に
問いを投げるのは
-
実は、正しい態度ではない。
むしろ、私たちが人生から
-
「君は、これからどうするんだ?」と
期待され、問われているんだ。
-
人生は、私たちに毎日
様々な問いを投げかけて来る。
-
そして、その度に私たちは
その問いに対して
-
口先ではなく、行動によって
答えなければならない。
-
「生きる」ということは
自分に課せられた使命に対し
-
責任をもって、全うする事なのだ。
-
人生から要求されることは
人によって異なるし
-
その瞬間によって「変化」もする。
-
だから...人生にどんな意味がるだろう、と
どれほど考えようが
-
答えなど見つかりはしない。
-
人生からの問いかけ。
すなわち、『運命』とは...
-
決して、漠然としたものではなく
-
常に、具体的な状況となって
私たちの目の前に現れる。
-
そして、その度に
「さぁ、君はどう行動する?」と
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問いかけられているのだ。
従って、今まさに
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「苦しみ」という課題が与えられているのならば
そこに対して人間は
-
『運命』を見出さなければならない。
-
私たちは、自分以外の誰かの苦しみを
-
代わりに背負うことはできない。
-
その『運命』を授かった本人が
その苦しみを背負い
-
担わなければならない。
しかし、その苦しみの中にこそ
-
本人だけしか達成できない
「唯一無二」の業績があるのだ。
-
こんなことを聞くと
「なんて、現実離れした考え方だ」と
-
思うかもしれない。
しかし、この考え方は
-
地獄のような強制収容所生活において
我々を絶望させない
-
唯一の「思想」だったのだ。
-
はい!ここで止めましょう。
-
なかなか、ガツン!と響くものが
あったのではないでしょうか。
-
...と言いますのも、今紹介したパートは
フランクル思想の
-
正に、中心的な部分なのです。
もう一度、整理しますと...
-
自分の人生に意義を見出せずに「苦しい」
そういう時は、その考えを
-
クルリと、反転させて
人間の方が、逆に人生から
-
問われている存在である、と
思考を切り替えてくださいね、と言っている訳です。
-
また、苦しみにも
『運命』を見出せという
-
力強い言葉もありましたが
彼が人生というものに対して
-
「絶対に肯定する」という
揺るぎないスタンスを取っているのが
-
伺えます。
そして、フランクルは
-
人生における重要な考え方を
もう1つ、本書で示してくれています。
-
それは、この先の未来に...
-
[自分のことを待ってくれている存在を意識する]
ということです。
-
この「待ってくれる存在」というのは
-
人でも、物でも何でもいいのです。
-
ある人は、いずれ巡り合う
「運命のパートナー」や
-
自分の「子供」や「孫」かもしれませんし
-
また、ある人は一生涯
誇りをもって打ち込める「仕事」
-
或いは、「趣味」かもしれません。
つまり、「未来に待っている存在」というのは
-
人それぞれ、違うのです。
そして、未来の世界は
-
自分がやって来るのを
期待しながら待ってくれている。
-
そうやって自分を待つ
何かの「存在」に意識を向け
-
未来に責任を感じていれば
人は、絶対に自分の「命」を
-
自ら諦めたりはしない。
だから、今...
-
この瞬間を乗り越えてください。
-
「我々は、人生に試されているんです」と
フランクルは解いたのです。
-
ここで[夜と霧]については、お終いです。
では、最後に...
-
フランクル思想を理解する上で
非常に重要な
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[ブーヘンヴァルトの歌]について
紹介して、終わりたいと思います。
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「ブーヘンヴァルト」というのは
ドイツの強制収容所の名前です。
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場所は、フランクルがいた
「ダッハウ強制収容所」から
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400キロメートルほど離れた所にあります。
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そして、そこにいた囚人たちが
歌った「行進曲」
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それが[ブーヘンヴァルトの歌]です。
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その、歌詞の一部を読み上げますので
ちょっと、聞いてみてください。
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[ブーヘンヴァルトよ]
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[私は、お前を忘れることが出来ない]
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[お前は、私の運命だったのだ]
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[お前から去った者だけが分かる]
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[自由がどれほど素晴らしいか]
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[ブーヘンヴァルトよ]
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[私は嘆いたり、悲しんだりはしない]
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[私達の運命がいかなるものであろうとも]
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[私達はそれでも]
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[人生にイエスと言おう]
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[なぜならその日は]
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[いつか来るから]
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[私達が自由になる日が]
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[私達はそれでも人生にイエスと言おう]
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[なぜならその日は]
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[いつか来るから]
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はい、こんな感じの歌でございます。
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先程、フランクルは「苦しみ」という課題を
『運命』として捉えましょう。
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そこに、自分だけの「業績」を見出しましょう。
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「なぜなら、この考え方こそが
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強制収容所のような環境でも
人間を唯一
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絶望させない「思想」だったんですよ」
と言っていました。
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そんな中、ブーヘンヴァルトの囚人たちは
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どうしようもない状況下であっても
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”私達はそれでも人生にイエスと言おう” と歌い
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自分たちの運命を受け入れ、肯定し
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「自由になれる日が、我々を待っているのだ」と
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叫び続けたのです。
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つまり、どんなに苦しい人生であっても
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どんなに辛い人生あっても
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全て、「人生からの問いかけである」と
説くフランクルの思想を
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[ブーヘンヴァルトの歌]は
見事に表現していると言えます。
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そして、フランクルは1945年4月。
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遂に、収容所から解放され
9月に終戦を迎えます。
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その後、彼はわずか9日間で
[夜と霧]を書き終え
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世界に衝撃を与えました。
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更に、自身の収容所体験について
世界中で講演活動を行い
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人生の意味を見出せずに嘆いている人に
勇気を与え続けた、といいます。
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その講演録は、後に書籍となり
[夜と霧]に次ぐ、彼の代表作として
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世界中で読み継がれることとなるのです。
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フランクルは、その本のタイトルを
[ブーヘンヴァルトの歌]から取り
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[それでも人生にイエスと言う]と
名付けました。
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もし、この動画で[夜と霧]に
ご興味を持っていただいた方は
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是非、こちらの作品も併せて
ご一読いただければと思います。
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心が苦しくて、耐えられない時。
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きっと、フランクルの言葉が
あなたのことを守ってくれるはずです。
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はい!というわけで
[夜と霧]以上でございます。
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いかがでしたでしょうか?
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重たいテーマでしたけれども、意外に後味は
悪くなかったのではないでしょうか。
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また、以前紹介したニーチェの思想と
今回の話との関連性に気づいた方。
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恐らく、いらっしゃると思います。
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フランクル思想の中心にある
[それでも人生にイエスと言う]という、この言葉は
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ニーチェ哲学のテーマである
[生の肯定]そのものなんです。
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ニーチェは、人生の意義を
見出せなくなってしまう状態のことを
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「ニヒリズム」と呼びました。
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そして、それを克服するために「超人思想」や
「永遠回帰」といった概念を持ち出したわけですが
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正にフランクルは、極限状態で
それを体現した人と言えます。
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[夜と霧]の中には、何度かニーチェの言葉を
引用するシーンがありますので
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恐らく、思想的影響を
受けているものと思われます。
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そういったところにも
ご注目いただきながら読んでいただくと
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より作品を楽しんで
いただけるのではないかなと思います。
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面白かった、参考になったという方は
高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。
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また、チャンネル登録も
よろしくお願い致します。
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ではまた、次の動画でお会いしましょう。
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ありがとうございました。