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『フォースの覚醒』は我々のスターウォーズに対する
考え方を変えるようなことをした
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それはむしろ
基本的に我々の考えを変えるべきものであった
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不思議なことに、映画製作者たちは
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この深い意味が映画界に起こす新しい影響について
まだ気づいていない
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実際、エピソード7の主要な展開の中で
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何気なく「ストームトルーパーのパラドクス」
というものを教えてくれる
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これはどういうことかというと
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『フォースの覚醒』でスターウォーズの
ミュトス(神話)の変化について
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暗示している序盤の二つのシーンに注目したい
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始めに、トルーパーの出血である
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銀河をまたにかけた戦争映画にしては
血の描写は非常に少なく
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あったとしても、それは物語上重要な意味をなす
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この場合、血の手跡のついた、このいち兵士は
重要であるといえる
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次に、少し後にその同じストームトルーパーが
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ヘルメットを取り、先の出来事で複雑な表情をした
人間の顔があらわになる
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マスクを取るという行為は、真の人間性を見せるという
スターウォーズではたびたび使われているモチーフである
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過去に我々は沢山のストームトルーパーを見てきたが
一度たりともその素顔を見ることはなかった
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この二つのシーンで、彼らの鎧の下では
トルーパーは人間であり
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人間だから痛みを身体的にも感情的にも
感じているということを言っている
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結果的に『フォースの覚醒』では、この長く続くシリーズの中で
誰もやってこなかったことをやっているのだ
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ストームトルーパーに人間性を与えている
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これがなぜ重要で、スターウォーズ神話にどのような
影響を与えるかを理解するためには
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少し歴史の勉強が必要だ
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スターウォーズシリーズの中では
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ストームトルーパーは銀河帝国の兵士であり、
銀河的兵力であり
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宇宙帝国主義と抑制の象徴である
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彼らは残忍で緻密な軍事訓練を経て
忠実な兵士に育てられた
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銀河権威主義の兵士としての
役割であるのにも関わらず
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ストームトルーパーは地球上で最も知名度のある
ポップカルチャーの代表となった
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ストームトルーパーの名前の由来は
第一次世界大戦中のドイツ軍特別部隊から来ていて
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ドイツ語の直訳で「ストーム・メン」と呼ばれ、
彼らは重度の武装勢力だった
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集団で「ストームトルーパー」
として知られるようになる
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「ストームマン」は後のヒトラー率いるナチスドイツにおいて
準軍事階級として扱われる
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酷評されたジョージ・ルーカスの新三部作では
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ストームトルーパーの前身として
共和国にクローン兵が導入された
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クローン兵は同じ遺伝子、同じ顔を持った
オーダーメイドの戦闘兵器である
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旧三部作の時代になると
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クローン兵は廃止され、徴兵や志願により
新帝国にストームトルーパーが導入された
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エピソード7ではファーストオーダーは
同じくストームトルーパーを使い
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忠実な兵士になるために、多くの者は幼少期に
拉致と洗脳をされている
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本質的には彼らは少年兵士であり
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我々が初めて目にするストームトルーパーの顔は
若い黒人の男性のものであるというのは
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特に注目すべき点なのではないか
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他のストームトルーパーには
顔も、名前も、個性も無く
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完全に人間性が失われている
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彼らは8つの長編作品の中で
使い捨て品として扱われているが
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FN-2187、またの名をフィンと
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エピソード7から呼ばれるようになる
彼は唯一の例外なのだ
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フィンは反乱軍に加勢する帝国の亡命者であり
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ひょうきんで、感情的で、
個性豊かである
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幼少期に拉致され、洗脳された人間の
キャラクターかと言われたら疑問であるが
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フィンは百万といるストームトルーパーの
中で唯一意識を持っている者である
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彼だけがファーストオーダーの洗脳から
反発することができると考えるべきなのだろうか?
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否
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他の兵士にだってこのようなことが起こりうることは
想定されており、再教育プログラムが用意されている
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しかし、フィンは構わず反逆するのである
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フィンの存在は他のストームトルーパーとは対照的で
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一方では好感の持てる人間味溢れる
元ストームトルーパーであるが
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もう一方で他のストームトルーパーは容赦なく
反乱軍によって殺されるのである
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だからこそこの作品では混乱した
不協和的な展開が発生している
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これは設定について疑問を抱かざるを得なくなる
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なぜならば、フィンは洗脳や再教育を経ても
人間で居続けられるのであるのならば
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他のストームトルーパーについても
同じことが言えるのではないかと
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しかし、この映画の脚本家たちは
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この複雑なモラル的疑問に関心を持たず
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むしろ、アクションシーンとしてもっと
光線銃をぶっ放すことしか考えていない
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実際、ストームトルーパーを撃つことは
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面白半分にでもしない限りかなり
平凡なものとなってしまった
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ストームトルーパーは殺すのが簡単とされてしまい
たくさん殺されている
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2時間15分ある『フォースの覚醒』の上映時間中
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合計で68体のストームトルーパーが
打たれ、刺され、爆破されている姿を確認することができる
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彼らは少年兵だ
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少なくとも、彼らの悲劇的状況を
劇中に含めるべきであるが
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そのような描写はない
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含めることで容易に
ストーリーは感情的で複雑にさせることができ
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もしかしたら、反旗を翻したストームトルーパーが
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内部からファーストオーダーを破壊していくような
ストーリーだってあり得たのではないか
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フィンの「覚醒」のきっかけは
村人の虐殺ではなく 同僚の死であった
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この出来事が彼に大きな跡を残すのである
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しかし、劇中ではこの大きな心境の変化を差し置いて
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数分後には声を荒げながら
彼の同僚をどんどん攻撃させている
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フィンと他の反乱軍のメンバーは自己防衛の為に
戦っているという意見もある
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もちろん、スターウォーズは反乱軍のストーリーであり
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警察や軍によって弾圧を受けている場合
時には暴力も自由のためには致し方ない
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誰かを救うために誰かを傷つけるのは
どの世界でも悲劇的なトレード・オフだ
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それが必要であるとわかっていても
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フォースの覚醒の中でフィンの贖罪の物語を通し
映画が伝えたかったメッセージは
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「人は変われる」ということなのではないか
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もしそれを認めてしまうと
他のストームトルーパーにも同様のことが言えてしまう
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たとえフィンの「覚醒」が
たまたまだとしても
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このアイディアは旧三部作の
中心ともいえるのではないか?
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あのベイダー卿でさえ良心が残っていた
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もし今回も同じようなことなのであれば
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ストームトルーパーが死ぬ度に
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贖罪の可能性を潰すという意味になり
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新たなフィンの登場を潰すこととなる