米国先住民という捕虜
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0:01 - 0:04今日は私が撮ったラコタ族の写真を
お見せします -
0:04 - 0:07皆さんの多くは
ラコタ族か あるいは -
0:07 - 0:09スー族と呼ばれる
より大きな部族について -
0:09 - 0:10聞いたことがあるでしょう
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0:11 - 0:14ラコタ族は自分たちの土地から
捕虜収容所へと追いやられた -
0:14 - 0:15多くの部族の1つです
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0:15 - 0:17収容所は現在
居留地と呼ばれます -
0:17 - 0:20パインリッジ居留地
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0:20 - 0:22これが本日の主題です
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0:22 - 0:26サウスダコタ州ブラックヒルズの南東
約120キロの所にあります -
0:26 - 0:31捕虜収容所 第334分所とも呼ばれ
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0:31 - 0:33それが現在ラコタ族の住む場所です
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0:33 - 0:35AIM (American Indian Movement)
と呼ばれるー -
0:35 - 0:37アメリカインディアン運動や
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0:37 - 0:39ラッセル・ミーンズや
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0:39 - 0:41レナード・ペルティエ
あるいは -
0:42 - 0:44オグララでの対立を
耳にしたことがあれば -
0:44 - 0:48パインリッジが米国先住民問題の
中心地だとご存じでしょう -
0:49 - 0:51今日 私が話してほしいと
頼まれたのは -
0:51 - 0:54ラコタ族と私の関係についてですが
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0:54 - 0:56それは私にはとても難しいことです
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0:56 - 0:58念のため言いますが
肌の色からして -
0:58 - 1:00私は白人です
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1:00 - 1:03先住民の居留地で
これは巨大な障壁です -
1:04 - 1:07今日 私の写真を通じて
紹介する大勢の人々と -
1:07 - 1:10私はとても親しくしています
彼らは私を家族のように迎え -
1:10 - 1:12「兄弟」や「おじさん」と呼び
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1:12 - 1:145年以上にわたり
何度も招き入れてくれています -
1:14 - 1:15しかしパインリッジでは
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1:15 - 1:18私は常に「ワシチュ」という立場です
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1:18 - 1:22「ワシチュ」はラコタ族の言葉で
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1:22 - 1:24「インディアンでない人」
という意味ですが -
1:24 - 1:26もう1つ別の意味は
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1:26 - 1:29「肉の最上の部分を持っていく人」です
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1:29 - 1:31そこが私の話のポイントです
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1:31 - 1:33「肉の最上の部分を持っていく人」とは
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1:34 - 1:35つまり欲深い人です
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1:36 - 1:38周囲を見まわしてください
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1:39 - 1:42私たちはアメリカ西部の私立校にいて
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1:42 - 1:44赤いビロードの椅子に腰かけ
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1:44 - 1:46ポケットにはお金もあります
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1:47 - 1:48我々の生活を見てみると
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1:48 - 1:51我々は実際
肉の最上の部分を手に入れています -
1:52 - 1:55そこで今日は
一連の写真をお見せします -
1:55 - 1:57我々の利益のために
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1:57 - 1:59犠牲になった人々の写真です
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1:59 - 2:02そして彼らの顔を見たら
こう理解してください -
2:02 - 2:05それはラコタ族の姿というだけでなく
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2:05 - 2:07すべての先住民の象徴です
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2:10 - 2:12この紙に書かれているのは
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2:12 - 2:16私がラコタ族の友人や家族から
学んだとおりの歴史です -
2:18 - 2:22では 結ばれた条約、破られた条約
そして戦闘という名のもとに行われた -
2:22 - 2:24虐殺を時系列で見ていきます
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2:25 - 2:261824年から始めましょう
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2:27 - 2:29インディアン管理局として知られる組織が
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2:29 - 2:31旧陸軍省の中に作られました
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2:31 - 2:33この時点で
先住民との関わり方に -
2:33 - 2:35侵略的な気配が感じられます
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2:35 - 2:361851年
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2:36 - 2:38第 1 次フォート・ララミー条約が結ばれ
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2:38 - 2:41ラコタ国の明確な境界線が引かれました
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2:42 - 2:45条約によると
この地は独立国家です -
2:45 - 2:47もしこの条約の定めた境界線が
守られていたら -
2:48 - 2:50そのための法的根拠があったなら
-
2:50 - 2:53アメリカは現在
こうなっていたでしょう -
2:56 - 2:5710年後
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2:57 - 3:00リンカーン大統領が署名した
ホームステッド法により -
3:00 - 3:03大勢の白人が先住民の領土に
流れ込みました -
3:03 - 3:051863年
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3:05 - 3:08ミネソタ州でサンティ・スー族が
蜂起し -
3:08 - 3:10スー族の38人が絞首刑にされます
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3:11 - 3:14これは米国史上 最大の処刑です
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3:14 - 3:16処刑を命じたのは
リンカーン大統領で -
3:16 - 3:21奴隷解放宣言の署名から
たった2日後のことでした -
3:23 - 3:261866年
大陸横断鉄道という -
3:26 - 3:27新しい時代が始まる頃
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3:28 - 3:30我々は近道のため
ラコタ国の中心部に -
3:30 - 3:32街道や鉄道を通すことを決めました
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3:32 - 3:34条約は蚊帳の外です
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3:34 - 3:38これに対し ラコタの酋長
レッド・クラウド率いる3つの部族は -
3:38 - 3:39何度もアメリカ軍を攻撃しては
-
3:39 - 3:41勝利を重ねました
-
3:41 - 3:42もう一度 言っておきます
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3:42 - 3:44ラコタ国は
アメリカ軍を破っているのです -
3:46 - 3:501868年
第2次フォート・ララミー条約により -
3:50 - 3:52ラコタ族が
偉大なるスーの国の主権と -
3:52 - 3:54聖なる地ブラックヒルズを所有することが
明確に保証されます -
3:55 - 3:57さらに政府は周辺の州における
土地および狩猟の権利も -
3:57 - 3:59約束しています
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3:59 - 4:01これ以降 私たちは
白人がパウダーリバー郡に -
4:01 - 4:03手出ししないことを約束したのです
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4:04 - 4:06この条約により
レッド・クラウドとスー族は -
4:06 - 4:07完全に勝利したと思われました
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4:07 - 4:10事実 これは米国史上
唯一 -
4:11 - 4:13政府が相手の要求を全部のむことによって
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4:13 - 4:16和平交渉をおこなった戦争です
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4:19 - 4:221869年
大陸横断鉄道が完成しました -
4:23 - 4:26物資の輸送が始まりましたが
大勢の猟師も移動して来ました -
4:26 - 4:28猟師はバッファローを大量に殺し
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4:28 - 4:32スー族の衣食住の源を奪いました
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4:32 - 4:331871年
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4:34 - 4:35インディアン収用法の下で
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4:35 - 4:38すべてのインディアン居住区が
政府管轄下に置かれました -
4:38 - 4:40さらに 軍は命令を出し
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4:40 - 4:43西部のインディアンが
居留地を離れることを禁じました -
4:44 - 4:48こうして 西部のインディアンは全員
捕虜となったのです -
4:49 - 4:50同じく1871年
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4:50 - 4:52私たちは条約締結を打ち切りました
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4:52 - 4:56主権国家として部族の存在を認めるという
条約の問題点が -
4:56 - 4:57私たちには邪魔でした
-
4:57 - 4:58計画があったからです
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5:00 - 5:011874年
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5:01 - 5:04ジョージ・カスター将軍が
ラコタ領内で金が発見されたと発表し -
5:04 - 5:06ブラックヒルズを名指ししました
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5:06 - 5:09そのニュースによって
大量の白人開拓者が -
5:09 - 5:10ラコタ国に流入します
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5:11 - 5:13カスター将軍は連邦議会に
出来るだけ早く -
5:13 - 5:16ラコタ国との条約を破棄する方法を
探すよう要求しました -
5:16 - 5:191875年
ラコタ戦争が始まります -
5:19 - 5:22フォート・ララミー条約の違反を
めぐってのことです -
5:23 - 5:241876年
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5:24 - 5:266月26日
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5:26 - 5:28ラコタ国のある村の攻撃に向かう途中
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5:28 - 5:30カスター将軍の第7騎兵隊が
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5:30 - 5:32リトル・ビッグホーンの戦いで
全滅しました -
5:33 - 5:341877年
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5:35 - 5:38偉大なるラコタ国の戦士で酋長の
クレイジー・ホースが -
5:38 - 5:39ロビンソン砦で降伏しました
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5:40 - 5:42彼は拘留中に殺されました
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5:46 - 5:511877年は私たちがフォート・ララミー条約を
回避する方法を見つけた年でもあります -
5:51 - 5:54スー族の酋長と有力者たちに
新しい協定が提示されましたが -
5:54 - 5:56それは「売るか、飢えるか」で知られる
運動によるもので -
5:56 - 5:59署名か 部族への食料供給停止かを
迫りました -
5:59 - 6:02成人男性のうち 署名したのは
たった10%でした -
6:03 - 6:06フォート・ララミー条約は土地譲渡に
少なくとも部族の 4 分の 3 の -
6:06 - 6:07署名が必要としています
-
6:08 - 6:10この条項が無視されたのは
明らかです -
6:11 - 6:131887年
ドーズ法が成立 -
6:14 - 6:16居留地を部族が共同所有することは
できなくなりました -
6:16 - 6:19居留地は160エーカーの区画に
分割されて -
6:20 - 6:21インディアン個人個人に割り当てられ
-
6:22 - 6:23余剰地は処分となりました
-
6:23 - 6:25部族は広大な領土を失いました
-
6:26 - 6:29土地の個人所有という
アメリカンドリームは -
6:29 - 6:31居留地を残らず分割するために
-
6:31 - 6:34非常に賢明な方法として
機能したわけです -
6:34 - 6:36これにより居留地は破壊されました
-
6:36 - 6:39世代が変わるたびに
土地をさらに再分割し -
6:39 - 6:41売ることが容易になったからです
-
6:41 - 6:43居留地内のほとんどの余剰地や
-
6:43 - 6:46狭い区画の多くは
-
6:46 - 6:48白人の牧場経営者のものとなりました
-
6:48 - 6:51土地の「最上の部分」が
ワシチュの手に渡ったのです -
6:52 - 6:571890年 私が このスライドショーの中で
最も重要だと思う― -
6:57 - 7:00ウンデット・ニーの虐殺が
起きた年です -
7:00 - 7:0212月29日
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7:02 - 7:05米軍隊はウンデット・ニー・クリーク河畔で
野営をしていたスー族を包囲し -
7:05 - 7:09ホッチキス機関銃と呼ばれる
新しい速射砲を使い -
7:09 - 7:12ビッグ・フット酋長と
300人の捕虜を -
7:12 - 7:14虐殺しました
-
7:15 - 7:16これは「戦い」の扱いになり
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7:16 - 7:19武勇を称える20個の議会名誉勲章が
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7:19 - 7:21第七騎兵隊に与えられました
-
7:22 - 7:24これは今日に至るまで
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7:25 - 7:29一度の戦闘で与えられた名誉勲章として
最多です -
7:30 - 7:32大勢の女性や子供を
-
7:32 - 7:34無差別に殺害した人々に
授与された勲章の数が -
7:34 - 7:37第一次世界大戦
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7:37 - 7:38第二次世界大戦
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7:38 - 7:41韓国、ベトナム、
イラク、アフガニスタンなど -
7:41 - 7:43どんな戦いより多いのです
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7:45 - 7:48ウンデット・ニーの虐殺は
インディアン戦争の終わりと見なされています -
7:50 - 7:53私はウンデット・ニーの
共同墓地を訪れると いつも -
7:53 - 7:58これはラコタ族やスー族だけの墓ではなく
-
7:58 - 8:00全ての先住民族の墓なのだと感じます
-
8:03 - 8:06呪術師ブラック・エルクは言いました
-
8:06 - 8:08「私には どの程度 終わったのか
わからなかった -
8:10 - 8:13今こうして 老いという丘の高みから
振り返ると -
8:13 - 8:16虐殺された女性や子供たちが
重なり合い -
8:16 - 8:20あの曲がりくねった渓谷のあちこちに
散らばっていたのが -
8:24 - 8:26ありありと目に浮かび
-
8:26 - 8:27若い私が見た時のままなのです
-
8:31 - 8:34そして 血だらけの泥の中で死に
猛吹雪に埋もれたのは -
8:36 - 8:38彼らだけではなかったと
わかります -
8:39 - 8:41人々の夢があの地で死にました
-
8:43 - 8:44それは美しい夢でした」
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8:47 - 8:49この一件で
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8:49 - 8:52先住民の歴史上
新たな時代が始まりました -
8:52 - 8:57全てのことがウンデット・ニーの前後で
比較できます -
8:57 - 8:59なぜなら あの瞬間―
-
8:59 - 9:02ホッチキス銃の引き金に指をかけた
まさにその時 -
9:03 - 9:06米国政府は先住民の権利に対する
態度を明らかにしたからです -
9:07 - 9:08政府は条約に うんざりでした
-
9:09 - 9:11先住民の聖地にも
-
9:11 - 9:13ゴースト・ダンス運動にも
-
9:14 - 9:17スー族との様々な揉め事にも
うんざりしていました -
9:17 - 9:19だから 彼らは銃を向け
-
9:21 - 9:23「インディアンで居たいんだろう?」
と言って -
9:23 - 9:24引き金に指をかけたのです
-
9:31 - 9:321900年
-
9:33 - 9:36国内のインディアンの人口は
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9:36 - 9:3925万人未満にまで減りました
-
9:39 - 9:421492年には推定800万人だったのにです
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9:44 - 9:46時代は進んで
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9:46 - 9:481980年
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9:48 - 9:51米国史上 もっとも長い裁判である―
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9:51 - 9:54スー国とアメリカ政府の裁判について
-
9:54 - 9:56合衆国最高裁判所が判決を下しました
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9:57 - 10:01最高裁は スー族が
区画整理した居留地に押し込められ -
10:01 - 10:04彼らの土地700万エーカーが
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10:04 - 10:06試掘者と入植者に開放されたことは
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10:06 - 10:09第2次フォート・ララミー条約に
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10:09 - 10:10違反すると判断しました
-
10:11 - 10:14裁判所はブラックヒルズの土地収用は
違法であり -
10:14 - 10:17当初の価格に利子を加えた額が
スー国に -
10:17 - 10:19支払われるべきとの見解を示しました
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10:19 - 10:21ブラックヒルズの土地代金として
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10:21 - 10:25法廷の命じたスー国への支払額は
わずか1億600万ドルでした -
10:25 - 10:28スー族は次のようなスローガンのもと
受け取りを拒否しました -
10:28 - 10:30「ブラックヒルズは売り物ではない」
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10:32 - 10:332010年
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10:33 - 10:36ウンデット・ニーの虐殺から
1世紀以上が過ぎた今 -
10:36 - 10:39先住民の人口統計が
明らかにするのは -
10:39 - 10:42入植による負の遺産
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10:42 - 10:43強制移住
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10:43 - 10:45条約違反です
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10:46 - 10:48パインリッジ居留地内の失業率は
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10:48 - 10:5185~90%あたりで推移しています
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10:52 - 10:55住宅局は新しい建物を
建てることができず -
10:55 - 10:57既存の建物は崩壊が進んでいます
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10:57 - 10:58多くの人はホームレスで
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10:58 - 11:01家のある人も朽ちかけた建物に
最大5世帯が -
11:01 - 11:02一緒くたに暮らしています
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11:03 - 11:05パインリッジにある家の39%は
-
11:05 - 11:06電気がありません
-
11:07 - 11:09少なくとも60%の家は
-
11:09 - 11:11黒カビだらけです
-
11:12 - 11:16人口の90%以上の暮らしは
国の定める貧困水準以下です -
11:17 - 11:19パインリッジで
結核に感染する確率は -
11:19 - 11:22全国平均の およそ8倍
-
11:23 - 11:26幼児死亡率は
北アメリカ大陸で最も高く -
11:26 - 11:29全国平均の約3倍
-
11:29 - 11:32子宮頸がんは全国平均の
-
11:32 - 11:335倍です
-
11:33 - 11:36学校の中退率は最大70%にも上り
-
11:37 - 11:41教師の離職率は
全国平均の8倍です -
11:41 - 11:45祖父母が孫を育てる場合が多いのですが
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11:45 - 11:47それは親がアルコール依存症や
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11:47 - 11:50家庭内暴力、全般的無気力により
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11:50 - 11:51子育てができないためです
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11:52 - 11:5540歳以上の人の50%が
-
11:55 - 11:57糖尿病を患い
-
11:58 - 12:04男性の平均余命は46~48歳で
-
12:04 - 12:08アフガニスタンやソマリアと
ほぼ同じです -
12:10 - 12:14大虐殺が成功すると
その最終局面で -
12:14 - 12:16張本人の迫害者というのは
-
12:16 - 12:18手を引いて こんなことを言うのです
-
12:18 - 12:22「信じられない
あの人たちは自ら何をしているんだ? -
12:22 - 12:23お互いを殺したり
-
12:23 - 12:25自ら命を絶ったり
-
12:25 - 12:27みるみるうちに死んでいく」
-
12:28 - 12:31こうして私たちは現在の合衆国を
所有するに至りました -
12:32 - 12:33これが「自明の運命」の
-
12:33 - 12:35遺産です
-
12:35 - 12:40看守がいなくなって久しい今もなお
-
12:40 - 12:42捕虜は収容所で生まれ続けています
-
12:44 - 12:49これが最上の肉を持ち去られた後に残った
骨の状況です -
12:52 - 12:53はるか昔
-
12:53 - 12:55私と同じワシチュの人々が
-
12:55 - 12:59この丘の土地と水と金を奪おうとして
-
12:59 - 13:02一連の出来事が始まりました
-
13:03 - 13:06その出来事はドミノ効果を引き起こし
今も続いています -
13:07 - 13:11私たち優位な側の社会にとっては
1890年の虐殺も -
13:12 - 13:15150年前に次々と条約が破られたことも
-
13:15 - 13:18遠く忘れ去られたものかもしれませんが
-
13:19 - 13:21私は皆さんにお聞きせずには
いられないのです -
13:22 - 13:25こんにちの統計について
どう感じますか? -
13:26 - 13:29これらの画像に写る苦難と
先ほど私が読み上げた歴史は -
13:29 - 13:31どう繋がっているのでしょうか?
-
13:32 - 13:35この歴史をどこまで自分たちのものと
認める必要があるでしょう? -
13:35 - 13:38現在の皆さんの
責任になる部分はあるでしょうか? -
13:39 - 13:42我々の側には 出来ることが必ずあると
言われてきました -
13:42 - 13:44行動を起こす呼びかけが
なくてはならないのです -
13:46 - 13:49長い間
私は傍観するばかりで -
13:49 - 13:51目撃者に甘んじて
-
13:51 - 13:53ただ写真を撮るだけでした
-
13:54 - 13:56なぜなら解決策は過去の
ずっと遠くにあるように感じられ -
13:56 - 14:00タイムマシンでもなければ
手が届かないと思っていたのです -
14:01 - 14:06先住民族の人々の苦難は
簡単に解決できるものではありません -
14:07 - 14:09誰でも支援できるハイチの援助や
-
14:09 - 14:11エイズ撲滅
飢饉との戦いなどと -
14:11 - 14:13同じようには行かないのです
-
14:14 - 14:16いわゆる解決というものを
-
14:16 - 14:18優位な側の社会が実行するということは
-
14:18 - 14:21たとえば 50ドルの小切手を
寄付することや -
14:21 - 14:24教会から落書きだらけの家々を
塗り直しに行くこと -
14:24 - 14:26もしくは郊外の家庭が
-
14:26 - 14:29いらなくなった服を寄付することより
ずっと難しいかもしれません -
14:29 - 14:31じゃあ どうしましょうか?
-
14:31 - 14:33闇の中で肩をすくめるだけですか?
-
14:35 - 14:40アメリカ合衆国はラコタ国と結んだ
1851年と1868年の -
14:40 - 14:44フォート・ララミー条約の条項に
今も日々 違反し続けています -
14:45 - 14:47今日 私が提案する
行動のための呼びかけ― -
14:48 - 14:50つまり私のTEDウィッシュは
-
14:51 - 14:53条約を守り
-
14:53 - 14:55ブラックヒルズを返還することです
-
14:55 - 14:58そこで先住民たちが何をしようと
関与しないことです -
15:00 - 15:07(拍手)
- Title:
- 米国先住民という捕虜
- Speaker:
- アーロン・ヒューイ
- Description:
-
アメリカの貧困を写真に収める取り組みをきっかけに、アーロン・ヒューイはパインリッジ・インディアン居留地に導かれました。そこにあったのは凄惨で、なおざりにされた先住民族ラコタの人々の苦悩。ヒューイは認識を改めることを余儀なくされました。5年間の活動を経て、人々の記憶に強く残る彼の写真が、衝撃的な歴史上の教訓と絡み合い、このTEDxDUでの勇敢な講演の中で紹介されます。
- Video Language:
- English
- Team:
closed TED
- Project:
- TEDTalks
- Duration:
- 15:07
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Emi Kamiya edited Japanese subtitles for America's native prisoners of war | |
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Emi Kamiya edited Japanese subtitles for America's native prisoners of war | |
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Jinwoo Nam added a translation |