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パイオニアスクールの最初のティーチングにようこそ!
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今日は教会の歴史を見ていただきます。
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これからお話しすることは 今日私達のやっていることの多くは、神の御言葉に基づいているのでなく
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昔 カトリック教会が築いた土台から
成り立っているということです
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私達は今もなお その土台の上に建っています
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どの教会も似たり寄ったりで
イエスが命じられた弟子作りをやっていません
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私達がそのことに目を向け 考え方を変えると
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はるかに効果的な弟子作りができるようになります
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伝統を破ると 普通のクリスチャン生活が送れるようになります
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普通のクリスチャン生活とは
「使徒の働き」に書かれていることです
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聖書にキリスト教のリバイバルがあります
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今 後ろにあるのは 普通のクリスチャン生活ではありません
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聖書の「使徒の働き」こそが 普通のクリスチャン生活です
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このレッスンを通して 神があなたに用意された生活への
第一歩を踏み出せるようにしたいと思います
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それは「使徒の働き」にある生活です
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では 第一回目のレッスンを始めましょう
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最後の改革
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使徒の働き
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あなたを変える20のレッスン
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新しい始まり
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あなたの生活に
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パイオニアスクールにようこそ
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パイオニアスクールにようこそ
私はデンマークのトーベン・ソンダーガードです
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あなたをお迎えできて嬉しいです
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この教えが あなたの人生を変えることを信じます
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多くの方は YouTubeや 私のウェブサイト
thelastreformation.comをご覧になったと思います
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また 神についての証を聞いたことが
あるかもしれません
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このティーチングで このような生活を
体験するようになると信じます
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それは私達が待ち焦がれた生活で
「使徒の働き」にある生活のことです
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今 神は素晴らしいことをなさっています
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人々から毎日のように 証を聞きます
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この教えを通して生活が変わったと言います
彼らの生活は変わりました
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それは弟子作りをすることで変わったのです
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最初にことわっておきますが
私の願いは人々を訓練し 整えることです
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やり方 教え方 福音方法
そして弟子作りの方法を変えるなら
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驚くべきことが起こると信じています
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そして それには時間はかかりません
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つい数日前のことですが 私の動画を見たオランダ人が
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デンマークに休暇にやって来ました
私と会って一緒に通りに出るためです
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四人の子供がいる夫婦でした。私達は少し話をしてから
私の住んでいる町に繰り出しました
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彼らは、病人の癒し方を学んで それを経験したかったのです
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今まで 通りに出て行って誰かのために
祈って、その人たちが癒されたことはありませんでした
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私がしたことはとても単純なことです
それは御言葉にあります
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「私について来なさい」とイエスは言われました
そして 人々はイエスについて行きました
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そしてイエスは人々に教えました
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聖書学校を作ったのではありません
日常生活の中で教えました
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私も同じことをしました
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「私について来て」と私は言い、私達は町に出て行きました
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最初に奥さんが祈りました。20分して、初めて祈った人が癒されました。
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20分後に ご主人が初めて祈ると その人は癒されました
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その後 素晴らしいことが起こりました
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祈られた人のうち何人かはアイスランド人でした
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彼らはフットボールチームのメンバーで
試合をするためにデンマークに来ていました
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そして癒されたのです
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後でチームの全員40人を連れて来ました
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皆が祈ってもらおうと 私達の周りに来たので
オランダの新人に言いました
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「さあ 祈って」
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20分~40分ほど彼らがそのグループのために祈ると
多くの人が癒されました
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その時間に30人が癒されたと思います
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最後の二人の内一人は 二年間の片頭痛から癒されました
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もう一人は4年前の自動車事故で
内部の骨が突き出ていました
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四年間背中に問題がありました
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背中にあるその骨を押すと
違う位置にあるのを感じていました
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オランダから来たその女性に
「祈って」といつものように言いました
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彼女は手を置いて祈りました
するとその骨は中に引っ込んだのです
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背中の異様な感じはなくなり 痛みも完全に消えました
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これは一時間以内でに起きたことです
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40分でこの夫婦は病人を癒す方法を学びました
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オランダに帰った彼らは 今同じことをやっています
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私ではなく 私達の内におられる聖霊がしていることです
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これは人々を連れて行って 弟子作りをする簡単な例です
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聖書学校に行ったり 教会の中で学ぶのとは違います
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確かに ここもインターネットの聖書学校ですが
後でわかるように学び方は違います
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多くの神学を頭に入れるのではありません
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私が教えるのは実際的なものです
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例えばオランダの夫婦は 40分教えただけで
人生が変わり 新しい生活が始まりました
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10年 15年 20年教会にいる人の中で何人が
このような生活にあこがれているでしょう
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でも彼らはやったことがありません
ただ座って考えているだけです
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座って 聞いて 考えます
「いつか それが起こるだろう」
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はっきり言って いつもと同じことをしているなら
それは起こりません
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私達は立ち止まり 自分のしていることを
自ら問う勇気を持たねばなりません
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「これは神の御言葉だろうか」
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「実際に弟子作りをしているだろうか」
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今私達の目の前にあるリバイバルは
最後の改革だと思います
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それは弟子作りに関する改革です
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もし私達が神の下さったツールを再び用いて
イエスが命じられた弟子作りをするなら
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彼の命じられたようにするなら
多くの事が起こるのを見ることができます
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教会の椅子に座るだけで一生を過ごす人々を見て来ました
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20年 40年たっても 一人もキリストに導いたことのない人々
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病人を癒したことも 悪霊を追い出したこともない人
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超自然や「使徒の働き」にあるようなしるしを
一度も経験したことのない人
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でも そのような人と1~2時間 または1日一緒に働くだけで
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彼らの生活は変わり
彼らはそれ以後 新しい生活を生きるようになるのです
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それまでの生活は 「使徒の働き」にあるものとは違いました
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しかしたった数時間で 彼らの生活は
「使徒の働き」と同じようになるのです
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このバイブルスクールで
多くの証をするつもりです
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もし あなたが神に用いられたいと願っているなら
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もし 神があなたをどのように用いられるかを
経験したいと願うなら
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ここはあなたにぴったりの場所です
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もし あなたが神学だけを学び
それについて議論したいだけなら
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ここはあなたのバイブルスクールではありません
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そのうちわかると思いますが
正しい神学だけではだめなのです
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問題は イエスがなさったように
物事を単純に実行するということです
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私達の目を開き 宗教的眼鏡をはずして
最初からやり直すことです
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さてこのレッスン1では
教会の歴史を通して見てみたいと思います
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教会の歴史の多くは退屈なものですが
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なぜ世界の教会が現在のようになったか
わかると 興味深く感じるでしょう
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古い伝統を打ち破り 「使徒の働き」にある生活を
体験するようになります
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私が最初に言いたいのは この聖書についてです
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クリスチャンの生き方 普通のクリスチャン生活が
どんなものか見たいと思うなら
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どこを探せばいいですか?
旧約聖書ですか?
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いいえ 旧約聖書にはイエスの弟子である
あなたや私のことは書いていません
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なぜなら 旧約聖書はイエスの十字架の
前の話であり 古い契約のことです
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そこに書かれていることは
現在のこととはまったく違っているからです
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しかし 多くの教会やクリスチャン達は
今も尚 旧約時代の考え方で生きています
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旧約聖書の中で 弟子とは何かを見つけることはできません
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では どこで見つかるでしょう?
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四つの福音書でしょうか?
いいえ 四つの福音書にはありません
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もちろん イエスの言われたことは 福音書にあります
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私達への召命が何か どのようにして
弟子達を送り出されたか
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イエスがどのように働かれ 十字架で死んだ後
よみがえられたことが書かれています
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でも福音書の中では あなたや私のような
弟子達を見ることはできません
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なぜなら 福音書には 現在私達が受ける
イエス・キリストのバプテスマを誰も受けていないからです
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今日の私達のように
誰もまだ聖霊を受けていなかったからです
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四つの福音書の中では
まだ聖霊は下っていなかったのです
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イエスは死んでよみがえっていませんでした
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四つの福音書は古い契約のままでした
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現在 多くのクリスチャンは
今もなお四つの福音書の中に生きていて
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そこではなく その次の書 「使徒の働き」の中で
生きるべきだということを理解していません
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「使徒の働き」で 聖霊がどのように下り
その後 人々の生活がどう変わったかがわかります
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「使徒の働き」を読んで何がわかるでしょうか
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神を愛し イエスを愛した人々
十字架を背負って彼に従い 殉教した人々のことです
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また 聖霊が彼らにどう働かれたかを
読み取ることができます
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聖霊が人々を導き 彼らは教会を建て上げました
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「使徒の働き」全体を通して
聖霊が働きを見ることができます
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聖霊が夢を通して彼らを導き
聖霊が彼らに話しかけます
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そして彼らは病人を癒し 悪霊を追い出します
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それが「使徒の働き」に書かれていることです
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「使徒の働き」が普通のクリスチャン生活です
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もし あなたが教会に行っているのなら
あなたの周囲に座っている人達を見て下さい
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彼らの生活が「使徒の働き」と違うなら
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あなたの周囲にいる人は
普通のクリスチャン生活をしていないと言えます
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あるべき姿ではありません
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「使徒の働き」のようでないといけないからです
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もしあなたがある教派の教会で座っているなら
周囲の人が普通のクリスチャンとして描かれます
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「ああ これが普通のクリスチャンなんだ!」と思います
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でも別の教派の教会に行ったらどうでしょう
また違うクリスチャン像を描くでしょう
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しかし私達は御言葉だけに目を止めるべきです
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特に「使徒の働き」は弟子とは何か
私達はどう生きるべきかについて書かれています
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これは現在にもあてはまることです
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「イエスは昨日も今日もいつまでも同じです」を誰もが信じています
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彼は変わりません
救いに関しても同じだと私達は信じます
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他のことについても同じだと信じています
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いのちについてはどうでしょう?
聖霊については?奇跡については?
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彼が変わらないのなら
「使徒の働き」にあることも変わっていません
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彼が変わることがないのなら
聖霊も変わることがありません
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「使徒の働き」は 使徒のことだけ
書かれているのではありません
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後でわかるように 「使徒の働き」は
聖霊と初代弟子達の生活について書かれたものです
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彼(イエス)は変わっていません。聖霊は変わっていません
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だから 現在の私達の生活も
「使徒の働き」と同じであるべきです
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それを念頭において
これから このバイブルスクールで話したいのは
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私自身も 当時の普通の生活を打ち破り
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一歩 一歩前に進むうちに 突然
「使徒の働き」の生活が始まったのです
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多くの素晴らしい証があります
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神が夢を通して導かれたことがあります
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聖霊が私に話しかけて 導く時もあります
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多くの人が救われて
聖霊に満たされるのを見て来ました
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彼らのために祈ると
突然 聖霊が彼らの上に臨み
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異言で話し始めて 悪霊から解放されました
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私にとって 普通の生活が始まりました
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皆さんもこの生活について 聞いたことがあるでしょう
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でもそれは中国やアフリカや
その他の国で起こっていると聞いています
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西側諸国ではどうでしょう?
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私の住むデンマークは西側諸国に属します
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「使徒の働き」を読めばわかるように
イエスもここ西側におられました
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でも中国で起きているなら ここで見ることはできます
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なぜならイエスは 変わることがないからです
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ここでの教えを受け取って下さい
あなたを刺激するかもしれません
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でも最初にことわっておきますが
神は私に 皆を刺激する賜物を与えて下さいました
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それを言った上で その賜物を使いたいと思います
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これからあなたを刺激しますよ
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あなたが今まで聞いたこともないことを話すつもりです
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それを聞いて、新しいことなら 止まって
心の中でじっくりと考えて下さい
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そして 私の言うことが真実かどうか
御言葉(聖書)を見て調べて下さい
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あなたが今日までやって来たことが 聖書にはないことを
知って驚くかもしれません
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それは伝統から来たものです
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これから教会の歴史を見てみましょう
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私達がどんな土台の上に建っているか明らかにします
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この土台を崩すのは あなたにとって益となるはずです
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このバイブルスクールではそれについて
何度も繰り返して教えます
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この学びはイエスが言われたことを
受け取るのに役立つでしょう
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用意はいいですか
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ここに書いた「使徒の働き」は
聖書に書かれたキリスト教のリバイバルそのものです
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「使徒の働き」は普通のクリスチャン生活です
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人々の上に注がれた聖霊と
初代弟子達の生き方から話が始まります
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このバイブルスクールは「使徒の働き」を学びます
多くのことを発見するでしょう
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「使徒の働き」は世界を変えた幾人かの人々の話です
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聖霊が現れ 全世界がその影響を受けました
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キリスト教のリバイバルから始まりますが
同時に多くの殉教者がありました
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信仰ゆえに多くの人が命を奪われました
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その後あることが起こりました
AD300年頃コンスタンティヌス皇帝が現れて
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キリスト教にあった多くの内容を変えたのです
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それまでキリスト教は迫害され
多くの人が殺されました。しかし、キリスト教が
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広がったために、皇帝コンスタンティヌスは
キリスト教を取り入れ国教としたのです
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多くのクリスチャンは コンスタンティヌスは
教会にとって良いことをしたと思っていますが
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しかし実際のところ
彼は教会を永久に混乱させたのです
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彼の時代に 様々な変化を加え
それが今の教会の土台なっています
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コンスタンティヌスからカトリック教会が始まりました
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それには高い代価が伴いました
多くのことが変えられたからです
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もし「カトリック教会と聞いて 何を連想しますか」と尋ねたら
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とても立派な大きな教会を思うでしょう
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教皇や司祭 そして日曜日に人々が集まる
ミサを思い浮かべるでしょう
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カトリック教会にある壮大な装飾物を
思い浮かべるかもしれません
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でも「使徒の働き」に これらのものはありましたか
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どこに教皇がいましたか
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現在のような司祭はどこにいますか
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教会の集まりはどこに書いてありますか
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教会の建物はありますか?
日曜日に集会をしていましたか?
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「使徒の働き」にはありません
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イエスは宮を壊し 生きた石で
新しい宮を建てると言われました
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その宮とは聖霊が住まわれる私達のことです
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またイエスは「誰をも父と呼んではいけない
天におられる神だけが父である」と言われました
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イエスは多くのことを携えて来られましたが
カトリック教会はそれらを変えてしまいました
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神聖な場所として宮(神殿)があり pope(教皇)がいます
popeという言葉は元々は「父」から来たものです
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そして今日多くの人々は
「ああ pope(教皇)よ! 私達の父よ」と呼びかけます
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それはイエスが携えて来られたものではありません
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私が言いたいのは
多くのことが変えられたということです
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いつから変わったかを見てみましょう
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「使徒の働き」を見ると
当時のユダヤ人の聖日は土曜日でした
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イエスが来られた時 ある日だけが
他の日より聖いということはありませんでした
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安息日について述べられていますが
それについては後で学ぶことにします
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イエスは新しいものを携えて来られました
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その後 カトリック教会がやって来て
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イエスが持って来られたものを使って
大きな宗教を築きました
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イエスが始められたことの多くを変えてしまいました
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彼らは新しい聖日を作りました
それは日曜日です
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なぜでしょう?
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日曜日は太陽の日 つまり太陽神の日だったからです
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コンスタンティヌスは太陽神を祀るカルトの祭司で
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死ぬまでずっとその祭司でした
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彼のしていたことの多くは太陽神を拝むことで
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それを土台に持ち込んだのです
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それで日曜日が突然 聖日になったのです
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なぜなら コンスタンティヌスが太陽神を拝んでいたからです
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また彼は神殿を建てました
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その神殿が東を向くように建てました
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祭司が座ると 頭の上に太陽の光が来るためです
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太陽神も同時に礼拝できるようにしました
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カトリック教会は多くのことを変えました
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「使徒の働き」とは違います
そして それは大きな代価を伴いました
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「使徒の働き」の中で ぺテロとヨハネの証があります
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二人が祈りに行く途中に 足なえの男が施しを求めました
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彼らはその足なえの男を見て言いました
「金銀は私にはない」
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「しかし 私にあるものを上げよう
イエスの名によって 歩きなさい」
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手を取って立たせると 彼は癒されました
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すべて「使徒の働き」に出ていることです
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しかし 時が経つと それは変わりました
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今日のカトリック教会で
「金銀は私にはない」と言う司祭はいるでしょうか
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いいえ いません
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なぜなら 彼らは多くの金や銀を持っているからです
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教会は大きな組織になっています
大きな機構 大きな会社です
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だから「金銀は私にはない」とは言いません
「イエスの名によって歩きなさい」とも言いません
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なぜ?
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なぜなら 聖霊のなさることはすべて無料です
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神は伝統を祝福していませんし
重んじてもいません
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神は御言葉を祝福し大事にされます
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私達が多くのことを変え 宗教を作り上げて
神を箱の中に入れるとどうなりますか
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聖霊はそこから去って行きます
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力が去って行きます
いのちが去って行きます
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なぜなら 神の言葉でないものを 土台にしているからです
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でも もし私達がこの組織から出て それを変えると
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「使徒の働き]と同じものを見るようになります
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カトリック教会の時代 多くのことが変えられました
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そして暗黒の時代がありました
何も起こりませんでした
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もちろん小さなリバイバルが起こった所もありますが
しかしカトリック教会は 死んだ状態でした
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その期間 多くのことが変わりました
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そして1500年になって
ドイツにマルティン・ルターが現れました
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1517年10月31日に彼は「95ヶ条の論題」を作り
それを教会の戸口に張り付けました
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これが 私達が改革と呼んでいるものの始まりです
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そこからルーテル派教会が誕生しました
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カトリック教会は1517年まで続き
マルティン・ルターによる改革が始まりました
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「宗教改革」は真理を土台にしています
信仰による義を唱えました
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マルティン・ルターは信仰による義を唱えました
それはカトリック教会が失っていたものです
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ルターは素晴らしい改革を行いました
神は彼を用いられました
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「改革」と言うと 素晴らしい言葉に聞こえます
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しかし カトリック教会を改革して
「使徒の働き」に戻すことはしませんでした
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今日のルーテル教会は多くの点で
カトリック教会と似ています
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組織全体としては同じです
集会は日曜日で 聖職者がすべてを決定します
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教会は大きな建物で
パンとぶどう酒の聖餐式があります
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「使徒の働き」では皆が集まる時は
まるで宴会で お腹いっぱい食べました
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しかしカトリック教会はそれらを
何か宗教的なものに変えました
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ルーテル教会でも それはほとんど同じでした
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マルティン・ルターは信仰による義を唱えましたが
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でも組織全部を改革して
「使徒の働き」に戻したわけではありません
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教会を「使徒の働き」に変えたわけではありません
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もう一つ言いたいのは
これは後で詳しく見ていきますが
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イエスの祭司制度は 誰もが祭司で
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誰もがバプテスマを授け 聖餐に加わり
誰もが参加できました
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なぜなら私達は皆祭司で
大祭司はイエスお一人だからです
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しかしカトリック教会がそれを変え
組織を作りました
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まず教皇 次に司祭 そして尼僧や僧侶というように
すべてを組織化しました
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そしてその下に平信徒がいます
それはイエスが嫌ったことです
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なぜなら私達皆が祭司なのですから
これについては次のレッスンで学びます
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とにかくカトリック教会によって変えられましたが
改革がありました
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ところでルターはルーテル教会で何を行ったのでしょう
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彼は教皇を放り出しました
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だから私達の教会に教皇はいません
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しかし信じる者すべてが祭司という所までは戻っていません
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エペソ4:11には5役者のことが述べられていますが
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彼らは聖徒を整えるためのものです
彼(ルター)は元に変えることはしないで
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教皇を追い出すだけで 祭司制度や長老制度
その他の制度をそのままにしておきました
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確かに改革はありましたが
完全な改革ではありませんでした
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始まりに過ぎません
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それはカトリック教会と同じように
大きな組織となったので
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神は教会を元に戻すために
もっと違うものを送らなければなりませんでした
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そして次のリバイバルが起こりました
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それは1600年初期に始まったバプテスト派のリバイバルです
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バプテスマの信仰を持った多くの人達が 迫害を受けました
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彼らはカトリック教会からだけでなく
ルーテル派教会からも迫害を受けました
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またカルバン派からも受けました
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迫害を受けた彼らはオランダに逃げました
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1609年に初めてのバプテスト教会が
オランダでできました(現存しています)
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バプテスト派教会です
聖書に基づくバプテストの信者です
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ここに張っておきます
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バプテスマの解釈で同じようなことが起こりました
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「使徒の働き」では誰もが自らの信仰によって
その日の内にバプテスマを受けました
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ギリシャ語によると バプテスマとは水中に浸かることです
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水の中に埋もれることで それはとても重要でした
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とても重要だったので
バプテスマのない信仰はありえません
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「使徒の働き」を見ればよくわかります
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しかし それについても カトリック教会は変えていました
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なぜなら国教である以上は
全国民向けでなければならなかったからです
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それはもはや信仰に関係なく
子供を含め 誰にもバプテスマを授けたのです
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彼らには選択の余地はありませんでした
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そこから幼児洗礼が始まりました
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そして宗教改革がありました
マルティン・ルターのルーテル派教会は
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マルティン・ルターは聖書通りのバプテスマに
戻したでしょうか
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いいえ 彼はそれまでのバプテスマを続け
幼児洗礼を変えませんでした
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改革は完全ではなかったのがわかります
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相変わらず間違った土台に立っていました
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そしてバプテスマのリバイバルがあり
聖書に基づくバプテスマに変わりました
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しかし ここで終わったのではありません
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その後 良いことが起こりました
良いことはいつも教会の外側から始まります
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リバイバル運動がそうです
いつも驚くべきことがあります
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リバイバルのある所には信仰があり、火があります
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しかし だんだんすたれて組織になります
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現在のルーテル派教会も
ルターのやり方とは違っています
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ルターは今のルーテル派教会より もっと急進的でした
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バプテスト派教会も 初期のバプテスト派とは違います
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どのリバイバルも始まった時は素晴らしいものでした
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教会の外では自由があり いのちがあります
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教会内部で起こる時は 打ち破りが必要です
神のなさることを箱の中に閉じ込めることはできません
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新しい宗教が生まれると
その新しい信仰の社会ができます
-
新しい信仰のネットワーク や組織ができます
-
そして やがてすたれます
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メソジスト派にしても同じことが言えます
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ジョンとチャールズ・ウェスリーは
信仰による聖化を唱えました
-
ルターには理解できなかったでしょう
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ルターは 私達は罪の中にいて
どうしようもできないと信じていたからです
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しかしチャールズと兄のジョン・ウェスリーは
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神は私達を聖くされ イエスは私達の罪を赦すだけでなく
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罪から解放するために 来られたと考えました
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彼らはある重要な真理を理解していました
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それは神が聖いように 私達も聖いということです
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ここでおもしろいことをお見せしましょう
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これを見ると 神とイエスは数百年の間に
教会を回復しておられるのがわかります
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神は 長い期間失われていた多くの真理を
聖書の御言葉通りにされようとしています
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へブル書6章を読めば
私達クリスチャンの基本がわかります
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その基本とは
悔い改め・神に対する信仰・バプテスマです
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それら三つが基本です
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悔い改め 神への信仰 バプテスマのことが
へブル書6章に書かれています
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もし私達がこれら三つの
悔い改め 信仰 バプテスマを持てば
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それは「使徒の働き」に書かれたことで
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カトリック教会が失っていたものですが
神が再現されようとしていることです
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第一に来るのが信仰です
私達は行いではなく 信仰によって義とされます
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教会に来ることや良い行いをすることではなく
イエス・キリストへの信仰です
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次に水のバプテスマ
そして悔い改めによって聖くされます
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「使徒の働き」にあった基本が 時と共に変化しましたが
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神はそれを回復し 今もそれが続いています
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「使徒の働き」にはその次に
永遠のいのちのことが書かれています
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そして手を置くことや 聖霊について書かれています
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その次に神が送られたのが アドベンティスト・チャーチです
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キリスト再臨の希望
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キリスト再臨の希望 アドベンティスト教会
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ここに張りましょう
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その次に来たのはこれです
ここに書きました
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フィニー&ムーディの
聖霊によるバプテスマです
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それは聖徒に力を備えるためのものです
聖霊は賜物ではなく 証となる力です
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彼らはそれを携え
神は彼らやその他の人々を用いられました
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ここで また新しいことが起こりました
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聖霊が来られて いのちの力が現れ始めたからです
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これまでの教会の歴史を見ると
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信仰による義
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信仰によって聖とされること
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信じる人がバプテスマを受けること
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イエスの再臨への希望
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聖霊によるバプテスマと力
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でも「使徒の働き」に見られる賜物はどうでしょう
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異言を話すこと 預言すること
悪霊を追い出し 病人を癒すことは
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カトリック教会時代に失われましたが
これらの教会はそれらを築き上げていません
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なぜ? なぜなら これらの教会の土台ではないからです
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正直言って これらの教会は伝統を土台にしていて
聖書が土台ではないからです
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こんなことを言うと ムカッとするかもしれませんが
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でも見たらわかると思います
私もまだその中にいるし
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私達の誰もがこの歴史の中の一部なのです
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私達は誤った土台の上に立っていました
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今日はたくさんの教会を見てきました
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これらの教会の中で いのち、賜物、
正しい教理を見ることはできません
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そこで 神は新しいものを送りました
ペンテコステ 聖霊の賜物です
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1906年 ロサンゼルスのアズサストリートの
W・シーモアが中心でした
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一緒になって祈る一つのグループがいました
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聖霊が彼らの上に下り
新しい賜物が与えられました
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また新しい教会が生まれました
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ここに張っておきます
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時を同じくして ウェールズで
エヴァン・ロバーツのリバイバルがありました
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素晴らしいリバイバルで 最初の数ヶ月で
10万人の人が救われました
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皆が本当に悔い改めました
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激変的なリバイバルで
刑務所やパブは閉鎖されました
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盗んだり 悪態をついたりする人はいなくなりました
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ウェールズのリバイバルでは
多くのことが起こりました
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そこから真理が現れました
それはそれまで失われていたものです
-
それが5役者の働きです
-
「使徒の働き」に似たものがありますが
実際にはそうではありません
-
なぜならそれらの教会は
箱の中から出ていないからです
-
祭司(牧師)がいてその次に5役者がいるのは
「使徒の働き」にはありません
-
それについては後でまた戻ります
-
さて使徒的教会についてですが
デンマークにも使徒的教会のネットワークがあります
-
それはウェールズのリバイバルから来たものです
-
これが教会の歴史です
今そのことを学びました
-
教会の歴史から多くのことを学びたいと思います
-
私達が今やっていることの起源は何か
-
当たり前と思っている環境や 周囲の生活を見直し
教会という建物に目をやると
-
使徒の時代には 現在のような教会の建物は
ありませんでした
-
現在のような 日曜集会もありませんでした
-
日曜礼拝の形式があったわけではありません
-
箱に入れたように
すべてが同じではありませんでした
-
形式はなかったのです
-
カトリック教会を通して 多くのことが変えられました
-
建物 祭司 日曜集会
-
現在あるような日曜礼拝の形式
-
それらは変えられたものです
カトリック教会とルーテル教会はどこか似ています
-
その他の教会もルーテル教会と似ています
-
(集会は土曜のこともありますが)
日曜集会があります
-
日曜集会 日曜集会 日曜集会
そして教会の建物
-
すべてがどういうわけか同じです
-
世界のどこに行っても 教会はほとんど同じです
-
どこにも牧師がいて 聖書を持って立っています
-
「私達の教会は聖書を基にし 聖書のみによっています」
-
そう言っていますが
何を土台にしているかわかっていません
-
その建物にしても 階級制にしても
教会の集会にしても
-
それは聖書にはありません
300年前のカトリック教会を引き継いだものです
-
だから 人々の中からいのちが去って行くのです
-
私達は神に仕えるように召されています
-
それについては次のレッスンで話すつもりです
-
私達は皆 神に仕えるように召されています
-
あなたが教会に来て話を聞くだけで
何もしないのなら
-
ゆっくりと死んでいきます
これが今日見る姿です
-
この教会のやり方では 弟子を作ることはできません
-
私自身の人生の証をしたいと思います
-
私はこのような箱の中で救われました
教会に行って自分の周囲を見ました
-
「これが教会なんだ、 これが普通のクリスチャン生活だ」
と思いました
-
そして多くの人と同じように
神に仕えたいという願望がありました
-
「どうすれば神に仕えることができるだろうか」
そして考えました
-
「僕は歌えないから 礼拝の奉仕はできないな」
-
「だって音感が良くないもの」
-
「そうだ! 説教がしたいな」
-
「でも 他に説教する人がいるからできないな」
-
それで案内係をし 実際的な手伝いをしました
-
でも何年かたつと もっと何かがしたくなりました
説教がしたくなりました
-
私が教会でできるのはそれしかないと思いました
-
それで友達に聞きました
「どうしたら説教ができる?」
-
すると彼は言いました
「積み重ねだよ まず日曜学校から始めるといいよ」
-
「何年かやると ユース・リーダーになれるよ」
-
「ユース・リーダーを何年かすると
年に一度は日曜日に説教ができるかもしれない」
-
手の指を見ながら数えました
その仕組みに従って行くとすると
-
年に一度説教するには 5年かかるのがわかりました
-
そこで目が覚めた気がしました
周囲を見渡して愕然としました
-
聖書学校に行って 神のことを学んだ人が
わんさといたからです
-
でもなぜいのちがないんだろう
教会に来て座っているだけで何もしていない
-
何も起こっていない
何か間違っているのがわかりました
-
それで私は妻と別の町に行きました
-
そこで教会を建てる手伝いをしました
-
当時私達は若くて燃えていました
私達の上には誰もいませんでした
-
だから私達の思い通りにすることが出来ました
-
「自分達の自由にできるんだ」と思ったのを覚えています
-
そして初めての日曜日の集会が来ました
「何をしよう?これから説教をするんだ」
-
「素晴らしい!僕がこの集会をリードするんだ!」
-
「でも献金の時を持たないと・・・」
-
「そうだけど 献金と説教だけというのもなあ・・・」
-
「歓迎の言葉の後に 歌を歌うのはどうかなあ・・・」
-
「お知らせをしてから 献金ってのはどうかな・・・」
-
「それから何曲か歌を歌って 説教をしようか」
「そうだ ! そうしよう!」
-
嬉しくなってそのメモを見ました
「何だ 変わらないじゃないか!」
-
「以前やってたのと 全く同じじゃないか!」
-
それで私は悟ったのです
-
弟子作りをしたくて教会を出ました
-
私は変えたいと思っていましたが
古いものから離れるということと
-
古いものを自分の内からとりだすということは異なります
-
モーセにとってイスラエル民をエジプトから出すのは
難しくありませんでした
-
しかし、彼らの中からエジプトを取り出すのは
難しかったのです。彼らはいつも振り返っていました
-
私は救われて教会に来ました
そしてそこを出てしばらくたって
-
私は何か新しいものを作ろうと思いました
弟子作りをしたかったのに 何が起こったのか?
-
また前の古いことをしようとしていました
-
前と同じ日曜集会 皆を迎え 歌を歌い
-
お知らせ 献金 歌 説教 そして聖餐式
-
私が前にやったのと全く同じことでした
-
聖書にある初代教会とは全く違うものでした
-
彼らに順序はありませんでした
-
でも今のデンマークで、私には その順序がありました
なぜでしょう?
-
私の背景のせいです。カトリック教会が背景にあるからです
-
どういうわけかそれらは引き継がれ
私達もその伝統の一部になっています
-
私の場合 あちこちの場所に行き
教会作りをしました
-
その度に少しづつ学んで行きました
-
しかし箱(伝統)を壊すのは簡単ではありませんでした
-
しかし最後に神は私に夢を見せて
私を自由にしました
-
自由になると
いろいろなことが変わって行きました
-
私達は別の町に引っ越し
そこであることが起こりました
-
神は私達を荒野に連れて行かれ
私達は家とお金を失くしました
-
妻はその時病気になって寝込み
私は死にたいと思いました
-
四年ほど前のことです
-
私は死を覚悟して聞きました
「神様 あなたはどこにいるんですか?」
-
その頃 私達はすべてを失っていました
でもすべてを失った時に イエスを見出しました
-
一年半から二年程の間 教会から離れていました
-
その時すべてのことを外から見ることが出来ました
-
外側からすべてが見えると
-
新しい見方で物事が見えるようになったのです
-
眼鏡を外したようなものです
新しい見方で物事が見えるようになります
-
私にとって新しい人生が始まりました
一つの証があります
-
その時期 私は40日断食をしていました
-
ある日神は私に「トーベン」と話しかけられました
「何でしょうか」と私が答えると
-
「ネストヴェズに行きなさい」
それはデンマークの端にある都市です
-
それは神からの声だとわかりました
家に帰り「ネストヴェズに行くんだ」と叫びました
-
それはとても強い思いだったので
私達はネストヴェズに行きました
-
そこに行ってから言いました
「神様 ここに来て何をすればいいのですか」
-
何日かそこで祈りながら神を待ちました
-
ある日曜日そこのバプテスト教会に行き
牧師に話しかけました
-
その牧師は私の友達でした
-
一人の男性が私の所に来たので
その人のために祈りました
-
彼は膝に問題があって
一週間後に手術をする予定でした
-
彼のために祈ると 神が癒されました
-
問題なく階段を上り下りすることができました
-
集会が終わると彼は私の所に来て言いました
「トーベン 話があるんだ」
-
「いつ 神は君にネストヴェズに行くように言った?」
-
私は彼を見つめました
-
「今月一日の午後三時 野原で祈っていた時だよ
でも なぜ聞くの?」
-
すると彼は言いました「トーベン これはすごいことだよ!
だって 月曜日に初めて君のウェブサイトを見て
-
月曜日 火曜日 水曜日までずっと神に祈っていたんだ」
-
『神様 私が癒されるように
トーベンをネストヴェズに送って下さい』
-
「何だって!」と言ってから考えました
-
「わぁー!今デンマークの端まで来て祈ってるのは
神様が話しかけられたからなんだ」
-
「そこに行けと言われて来たけれど
この人がずっと祈っていて癒されたんだ」
-
帰り道 私は妻に言いました
-
「これを待っていたんだ
聖霊に導かれる生活をしたかったんだ」
-
これに似た証は何百とあります
-
聖霊が毎日の生活で私達を導きます
-
伝統という箱をから飛び出すと
自分が何者であるかわかるようになりました
-
私は祭司で 聖霊に満たされた神の宮です
-
神は毎日私を用いられます!
そして「使徒の働き」の生活に戻ることができました
-
それ以来 私と共に働き この教えの訓練を受けた人は
同じような経験をしています
-
それらの伝統や古い考えを打ち破ると
-
突然「使徒の働き」にある生活を経験し始めます
-
これが私の教えです
私の教えの多くは 荒野にいる時に新しいことを見て
-
伝統を打ち破ることです
-
始めに言っておきますが
-
私は教会を愛しています
教会に反対しているのではありません
-
私は改革を見たいのです
-
ルターを見て下さい
-
ルターがカトリック教会を改革した時
-
皆は 彼は教会を破壊するために
サタンから送られたと言いました
-
でもルターは教会に反対したのではないことを
現在の私達は知っています
-
彼はただ 改革をしたかったのです
-
同様に私も教会に反対しているのではありません
教会を改革したいのです
-
私の教会の見方は
他の人の教会の見方と大きく違っています
-
今まで多くの教会でメッセージをしてきました
-
ペンテコステ派 バプテスト派
その他さまざまな背景を持つ教会です
-
メッセージをする時は 彼らを尊重します
-
しかし 効果的な弟子作りをするためには
-
前に戻って基礎を見直すことです
基礎から変えなければなりません
-
その教会がたくさんお金持っているからと言って
健全だとは限りません
-
教会員が多いから 日曜日に多くの人が集まるから
良い教会だとは言えません
-
活発に活動しているから良い教会だとも言えません
-
日曜日にやっていることを見て判断することもできません
-
日曜日には皆がにこやかにして
何もかも良く見えるものです
-
健全で良い教会かどうかは実を見てわかります
-
彼らは弟子を作っていますか?
-
彼らはイエスを愛し 彼に従い
御言葉に従ってそれを実行していますか?
-
御言葉に従うということはイエスと共に歩む生活のことです
-
日曜日だけでなく 月曜日、火曜日、水曜日
その他の曜日もそうですか?
-
もしその教会が良い教会かどうか知りたいなら
-
金曜日 特に若者達は
金曜日の晩に何をしているか見て下さい
-
年配者は水曜日の午後何をしていますか?
-
皆が集まるとどんなことをしていますか?
-
彼らの口から出るのはイエスや御言葉ですか
それとも悪い冗談ですか?
-
私がこんなにも大胆に語るのは
実を見ているからです
-
人々はイエスの弟子になっています
彼らは成長しています
-
私は改革を見たいのです
-
聖職にある人達もその改革を見たいと
思っていると信じています
-
今の組織の中で死にかけている聖職者を多く見て来ました
-
弟子作りをしようと思ったものの
日曜集会 水曜集会 日曜集会と集会に追われて
-
ただ人生が過ぎて行き
彼らは成長しなくなって 殺されたも同然です
-
私もかつては伝統的流れの中にいる聖職者でした
私から生気が消えていきました
-
苦しい時期でした
しかし やり方を変えると多くのことが起こりました
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「The Last Reformation」という本があります
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私のウェブサイトで見ることができます
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もっと詳しく知りたい方は
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今ここで説明したことが書かれています
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私達が今何をしているか
なぜやっているかがよくわかります
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このことは教会の問題だけにとどまりません
-
問題は神学に及びます
-
カトリック教会の神学は多くのことを失くしました
-
信仰による義 、バプテスマ、 聖化
-
聖霊によるバプテスマ等々
-
しかし神がこれらの真理を明かされたのは
-
箱の中にただ座っている人に
真理を持たせるためではありません
-
今日多くの人は
特にデンマークのようなルーテル派の人々は
-
「いや 私達には聖霊は必要ないよ」
-
「だってルーテル派の私達には
すべてが既にあるんだから」
-
でもそうではありません
すべてが一つの真理です
-
最後のものが最高だとは言えません
-
ペンテコステ派はメソジスト派から学ぶものがあります
-
例えば信仰による聖化や聖さに関して
-
だからこれが最高だとは言えないのです
-
これからはすべての真理が一つになると思います
-
これらの多くの教派が一つになることではありません
-
それはありえないことです
-
現在 偽りのリバイバルが起こっています
-
多くの教会がカトリック教会を中心に集まっています
-
ペンテコステ派の聖職者がカトリック教会に
傾いて行くことにショックを覚えます
-
彼らはカトリックを「教会の父達」と呼んでいます
-
彼らの伝統に戻ってはいけません
聖書に戻って下さい
-
伝統でなく「使徒の働き」にです
-
でも彼らはカトリック教会に傾いています
-
今 私達が見ているものは偽りのリバイバルです
-
見ていて下さい
こういうことは近い将来もっともっと起こります
-
しかし真のリバイバルは人々がそこから出て行くことです
-
そして箱は崩れ去ります
-
私達は一つの民となって結びつきます
-
私達が通りや家で人々と会う時
-
彼らの額には「ペンテコステ派」「バプテスト派」
とは書かれていません
-
「イエスの弟子」とだけ書かれているでしょう
これこそ神が望まれていることです
-
私達が一つの民として結ばれ
私達は正しいことを学んで行うのです
-
私達は真理を持っています
-
一つだけの真理を持っていて、他の真理を持っていなければ、あなたは間違っています
-
確かにあなたは信仰によって義とされています
-
でも イエスは人々を義人にしなさいと言っていません
-
出て行って 私に従う弟子を作りなさいと言われました
-
彼に従うためには古い生活を埋めて
聖い生活をする必要があります
-
永遠のいのちに焦点を当てる必要があります
-
イエスの弟子になって、彼に従っていくためには、
聖霊が必要です。賜物が必要です。
-
神学の悪い所を例を挙げて説明しましょう
-
もし10歳の子供10人に聖書を渡すとしましょう
-
その10人の子供達に
福音書と「使徒の働き」を読ませます
-
読んだ後で バプテスマはいつ受けるのがいいかと尋ねます
-
信じたすぐ後の日曜日?
何か月もたってから?
-
教会で教えを受けた時ならいつでもいい?
-
何年もたって心の準備ができたと感じた時?
-
「使徒の働き」を読んだ子供達は
私を見てこう言うでしょう
-
「いいえ 信じたその日です」
なぜでしょう
-
これは10歳の子供にもわかるほど明らかです
-
「使徒の働き」によると
誰もが 信じたその日にバプテスマを受けました
-
例外はありませんでした
-
悔い改めをし バプテスマを受け
聖霊を受けました
-
これはとても明らかなことで
10歳の子供にもわかることです
-
しかし もし5つの違った教派から
それぞれ頭の良い人を選んだなら
-
もちろんギリシャ語やヘブライ語ができて
何年も神学を学んできた人達です
-
「いつバプテスマを受けるべきでしょうか」
と同じ質問をするなら
-
それぞれ5通りの答えが返って来るでしょう
それは 彼らが学んだ教派によって決まります
-
そしてそのどれもが真実ではありません
-
なぜなら これらのうちのどの教派が
その日のうちにバプテスマを授けていますか?
-
どの教派もしません
なぜなら それは彼らの箱に合わないからです
-
私達は宗教や伝統のために
神の言葉を力ないものにしてしまいます
-
現在の教会の教派の箱の中では
-
その日のうちにバプテスマを受けることは
彼らの神学に合っていないからです
-
それは管理された集会の中で
起こってほしいからです
-
だから 私達には力といのちがないのです
-
しかし神は伝統を正しいとしません
彼は御言葉を正しいとします
-
私はその日のうちに
人々にバプテスマを授けました
-
聖霊がその場に下り
突然異言を話し始めました
-
誰も彼らのために祈っていません
なぜでしょう
-
異言は神の言葉なので 神が好まれるのです
-
私達が神に従い 彼に用いられると
神は喜んで異言を与えられます
-
それは 私達の伝統とは関係ありません
-
ギリシャ語やヘブライ語を知っている頭の良い人達は
聖書の言葉を理解していないのがわかるでしょう
-
でも10人の子供達でもわかることです
-
私達の信じていることは
伝統や知識や教えに他なりません
-
現在の教会の人々は 神に仕える仕事をしたいと思った時
「聖書学校に行かなければ!」と考えます
-
違います!はっきり言って違います!
-
「使徒の働き」の人々は聖書学校へ行きましたか?
いいえ!
-
イエスを知っていましたか?
はい!
-
彼らに十分な知識はありましたか?
はい!
-
でも それはイエスと共にいたからで
聖書学校で学んだからではありません
-
聖書学校が必ずしも悪いと 言っているのではありません
-
ただ問題なのは 聖書学校を卒業すると
聖書を違った眼鏡をかけて読むということです
-
例えば もし神学を学んだ人を見れば
話す前にその人が何を信じているかわかります
-
どこで学んだかを聞くだけでわかります
-
ルーテル教会で学んだなら
「ああ 君はこれとこれを信じてるね」
-
メソジスト教会なら
「君はこれとこれを信じてるんだろう」
-
バプテスト教会なら
「君はこれとこれを信じてるね」という具合です
-
つまり 私達が救われて育った所は
教会という教派の中なので
-
自分が育った教会や行った教会だけが唯一の
真理だと信じているのです
-
私達は自分が見ているものこそが
真実に思えます
-
また 自分より聖書を良く知っている
賢い人達が周囲にいます
-
だからそれは真実に違いないと思います
-
しかし聖書をよく知っている人達はどこにもいます
-
そして誰もが自分達のやっていることが
真実だと信じています
-
でも 実際はわかっていません
なぜなら 色眼鏡を通して見ているからです
-
ルーテル派で聖職にある友達がいます
何かにつけて とても頭の良い人ですが
-
バプテスマについてはわかっていません
-
彼らの言っていることを読んでみて・・・
もし私が先生でそれが宿題だったなら
-
最低点を付けるでしょう
なぜって
-
あまりに お粗末だからです
それ(バプテスマ)についての神学です
-
他の面ではしっかりしていますが
それ(バプテスマ)に関してはひどいものです
-
色眼鏡のせいで見えないのです
それとも 見るのが怖いのかもしれません
-
突然見えるようになって
バプテスマの見方を変えるなら
-
彼らは仕事 友達 お金
すべてを失うことになるからです
-
もはや その箱の中にいられなくなるからです
-
これが問題で 彼らは私達が正しい神学や
神について知るのを妨害します
-
「私達の箱の方が大事なんだ!」
-
もしこれが箱の問題でないなら
聖書を読んだ司祭が「私はバプテスト派になった」とか
-
聖霊について読んだバプテスト派が
「私は ペンテコステ派になった」と言うでしょうか
-
そういうことはめったに起こりません
-
ほとんどの場合 救われた教会の中にいます
-
育った教会の中で人生を過ごします
-
そして自分の属する教派だけが
真理を教えていると満足します
-
一人だけが真理ということはありません
-
全部の真理を得るためには
それぞれの真理を受け取らなければなりません
-
だから言いたいのですが
それは神学だけにとどまりません
-
色眼鏡を外すことです
-
神学について議論したくありません
今までそれをしたことがあります
-
議論に多くの時間を費やしたくありません
-
私は人々を訓練し このことを教えることに
時間を使いたいのです
-
そして色眼鏡を外し 聖霊に教えられながら
自分で聖書を読んでほしいのです
-
そうすると突然「ワーッ!」と
以前見えなかった物事が見えるようになります
-
なぜ私のウェブサイトが「The Last Reformation
(最後の改革)」か、おわかりになったでしょう
-
カトリックの組織は崩れなければなりません
-
イエスが再び来られる前に 神は私達を呼び戻されます
-
「The Last Reformation」は私の本とウェブサイトの名前です
-
今あなたが聞いたことが私の教えです
-
私達は今 最後の改革を目前にしていると思います
-
私達の前におられる神は
今までずっと彼の教会を建て上げようとされました
-
神は私達に眼鏡を外してほしいのです
-
神は私達に間違った土台を壊して
-
「使徒の働き」に見られるような
単純かつ力強い生活を取り戻してほしいのです
-
病人の癒しを学びたくてやって来たオランダ人に
多くのことを教えたわけではありません
-
一緒にコーヒーを飲み イエスについていろいろ話をし
-
皆にしているように 彼らも通りに連れて行きました
-
20分で 彼らは病人のために祈り
人々は癒されました
-
多くの教えは必要ありませんでした
-
イエスがされたように
生活の中で訓練するだけで効果があるのです
-
このバイブルスクールで私がしたいのはそのことです
-
次の19のレッスンで一歩ずつ「使徒の働き」の生活に
あなたを連れ戻すつもりです
-
今後多くの質問が 出て来ると思います
「これはどう?」「あれはどう?」
-
それに対しては「楽にして、一歩ずつ行きましょう
それは後でわかります」と言いたいです
-
次のレッスンの前に やってほしいことがあります
-
聖書を取って「使徒の働き」を読み始めて下さい
始めからです
-
「使徒の働き」を読めば 当時の教会がよくわかります
-
そして自分自身にこう言って下さい
「これが普通のクリスチャン生活だ」と
-
「これが普通のクリスチャン生活だ」
そう言って「使徒の働き」を読んで下さい
-
「これが普通のクリスチャン生活だ」と自分自身に
言い聞かせて下さい
-
あなたの今ある環境を忘れて下さい
周囲のことを忘れて下さい
-
それが普通だと思わないで下さい
-
聖書にある 「使徒の働き」が 普通のクリスチャン生活です
-
だから「使徒の働き」を読み通して下さい
そしてもっと知りたいと思ったら
-
私の本「The Last Reformation」を注文して下さい
-
その本を読みながら
このバイブルスクールで学ぶとよいと思います
-
それはあなたにとって祝福になると思います
では次回またお会いしましょう
-
楽しみにしています
次回はもう少し組織について
-
また祭司制度について話すつもりです
私達は皆祭司です
-
あなたが成長する人生の土台を作り上げる
お手伝いをしたいと思います
-
現在の西洋社会では
知識だけのキリスト教を築いてきました
-
知識だけではいけません
知って行動することです
-
私達は「もっと神学を学ぼう 聖書学校に行って
もっと勉強しよう」と考えがちです
-
でも長年 神学を勉強した人を見て下さい
-
勉強した人ほど 神の御国では役に立たないものです
-
悪霊追い出し、 癒し、 神の声を聞いたり
聖霊に導かれて成長するには神学の勉強はいりません
-
神に従って実際に動くことと 神学は関係ないからです
-
オランダ人夫婦に私がしたことは
-
彼らの生活を劇的に変えるものでした
しかもたった20分の間にです
-
彼らにこう言いました
「素晴らしい!でも目新しいことではないよ」
-
イエスがルカ10:9で言われたこと「出て行って病人を癒し
福音を伝えなさい」をやっただけなんだから
-
「さあ、やってみよう」
-
でも私達は実際にやらないで
神学を作り上げることがよくあります
-
でも、あなたもわたしも行動するには、
プラットフォームが必要です
-
イエスが私達の毎日の生活の一部となることを
願っておられることを理解する必要があります
-
それを次回お話しするつもりです
-
神の祝福を
では また次回お会いしましょう