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フレデリック(差し戻しセンターに拘留)
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私は2020年9月3日から差し戻しセンターに収監されています。
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私はひどく不安になり、ストレスを感じてそこに来ました。
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私たちはいつも自分自身に問いかけます。「なぜ私たちはここにいるのですか?
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「そして何よりも、私たちは質問します。「なぜ神は私たちをここに来させたのですか? 」
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壊れた鎖
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Virginie Toulouse と Laurent Burguière は、
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フランス北西部のカーンにある差し戻しセンターで牧師として呼ばれました。
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5年間、彼らと一緒にミッションを祈り、共有し、
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準備する牧師チームとしての地位を確立してきました。
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ヴァージニートゥールーズ : 牧師の使命は、
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拘禁されている人の精神的なケア、
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精神的な援助を提供し、
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礼拝を提供することです。
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フランスのすべての刑務所には、
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すべての宗教を代表する牧師チームまたは牧師がいて、
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キリスト教徒には正教会、
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プロテスタント、カトリックの神父がいます。
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私たちは週に数回同時に個人
訪問に介入します。
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個人の部屋がいくつかあるので、
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あまり細かいことにはかかわれません。
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礼拝に出席する人々とのかなり友好的な関係です。
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個別の面接で彼らに会うこともできるので、
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はるかに精神的でより内面的です。
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そして、私たちは週に一度グループで、
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日曜日にミサ中で彼らに会います。
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私たちが5年前に始めたとき、
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私たちは聖書グループとして始めましたが、
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聖書の文化も宗教の文化もなかったので、
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実際には深いかかわりはできませんでした。
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刑務所での牧会を活気づける方法はどのように?
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神の臨在を渇望する人々の心ににどのように触れるのでしょうか?
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ローランとバージニーはアルファチームに、
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彼らの信仰で囚人に同行する方法を見つけるよう呼びかけます。
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彼らはアルファ刑務所の旅を始めます。
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それは人生の意味についての質問に取り組み、
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キリスト教の信仰が彼らを日常生活の中でどのように
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解放することができるかを発見する機会を与えます。
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当初、
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アルファコースは小教区教会や、学生や、
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高校の牧師館でさらに発展し、
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その後、多くの囚人がいるところで実存的な質問をするため、
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比較的肥沃で通常の土壌の刑務所でそれを行うというアイデアが生まれました。
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刑務所の牧師は、ます、
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キリスト教の信仰を初めて発見させ、
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つづいて、コミュニティを形成することを可能にする、
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安定したやり方をくりかえします。アルファコースのすばらしいやり方です。
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毎週、散歩のように少しづつ進みます。
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そして仲間のよう気持ちができます。
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最後は家族のような気持ちでつながるのです。
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カーンの一時戻れるセンターは、
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アルファコースを設置したフランスで最初の刑務所の1つです。
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アルファは、あなたが神の愛を発見し、
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イエスに会い、
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聖霊の力を体験することを可能にします。
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話すことでひとは解放されます。
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彼らは最初に観客であり、
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次に参加者であり、その後俳優です
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それは私たちが礼拝堂内で
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アルファコースを行うことによって受けた美しい喜びの1つでした。
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言葉は自身を解放し、同時にそれは非常に控えめです。
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なぜなら、内面から来る言葉は、
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刑務所では、なかなか出てこないので、
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面接で彼の言ったことを繰り返し聞きたいのです。
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グウェナエル・コーミエ(32歳)は労働者階級の家族の出身です。
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彼はカーンから1時間のところにある小さな町オルベックで育ちました。
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13歳で両親は離婚し、
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父親と再会した後、
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里親に預けられました。
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一年後、彼は独立した宿泊施設に住むことを選択しました。
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家に帰ることができた夜は、
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私にとってとてもうまく終わった夜でした。
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しかし、喧嘩になった場合に
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警察に連れ去られる可能性のあるパーティーもありました...
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はい、それだけです、
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争いがありました、そしてあなたが争ったとき、逮捕され終りです。
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私たちは警察に拘留され、裁判所から召喚状が出されました。
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私は行かなかったので、判決が罪が重なりました。
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私の最初の投獄は私が20歳の時でした。
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当時、私は警察に8ヶ月間指名手配されていましたが、
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まったく知りませんでした。
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それは非常に迅速に起こりました、
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私はこのようなことが私に起こるとは思っていませんでしたが
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実際それは私の行動の結果でした。
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非常に早く自分自身に届来ましたが
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私は別に大きな研究をしません
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数ヶ月の拘留の後、グウェナエルは裁判官によって釈放されます。
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彼は自分の限界を知り、一人でいることに気付きます。
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彼は犯罪を再び始め、
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彼の釈放は最長2ヶ月から8ヶ月しか続きませんでした。
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再び彼は自分自身が数回投獄されていることに気付きます。
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10年間、彼は刑務所を行ったり来たりします。
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彼は愚かな言動をし始めました。
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彼が止まらないので私は彼を追い出さなければなりませんでした。
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彼は初めて投獄され、私たちはかかわりを切られました。
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私にとっては何かを見落としていました。
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それは起こってはならないことでした。
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私は彼に会いに行ったことがありません。
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私はいつも彼に会いに行くことはないと言いました。
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最初、私は彼に手紙を書きませんでした。
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ある人が彼に手紙を書くように私にと電話をしてきました。
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書く気はなかったのですが頼まれたので彼に手紙を書きました。
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少しコミュニケーションをとったのは3回目でしたが、
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私にとってはどうしても無理でした。
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グウェナエルが拘置所を何度か往復したという事実は、
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私にさまざまな感情を生み出しました。
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最初は悲しくて疑念に満ちていて、
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どうやってそこにたどり着くことができるのかわからなかったのですが、
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彼が定期的に戻ってくるのを見て、少し諦め、
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彼は変わらないと思っていたのは事実です。
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私が何よりもまず変わることを決心したのは、
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おそらく成熟してきたこと、
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いわば刑務所で得られるものがわかってきたからかもしれません。
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そして、前の刑期中に、
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私は独房のテレビの後ろに転がっていた聖書を読み始めたのを覚えています。
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私はそれを読み始めましたが、
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最初は本当に歴史的な冒険、出エジプト記、
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その他諸々の探求で、私はそれをただの本のように読みました。
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それ以外の探究はありませんでした。
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そして突然、この最後の文章で、冒険を続けるために
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聖書を手に入れようと私は施設付き司祭達に、手紙を書きました。
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週に一度、
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グウェナエルは訪問室でヴィルジニに会い、
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彼が内的に経験したことと彼が神の言葉の中で発見していることを分かち合います。
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私にとって重要と思われる質問への回答を見つける必要がもうなくなりました。
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ここで何をしているのでしょうか。なぜ私はここにいるか?
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なぜこの人を知っていて、私はここにいないのか?
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なぜ私の幼なじみがこれを持っているか?
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そしてなぜ私はこれを持っているのか?
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疑問は消え、私は前進するためにこの答えを必要としなくなりました。
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静寂の中のやわらかな雪
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踊る寒さのやわらかな火、
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小さな家 ,白く燃える。
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それから夜が明けると
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枝がお辞儀をする...
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つま先で
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彼女はめぐみの入り口に
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たった
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私が抱えていた孤独感は、まるで誰か本当に...
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私のそばに存在しているかのように完全に消え去り、
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私は一人ではなく、孤独でもなかったのです。
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私はアルファの行程を始めましたが、
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実際にはこれらすべてが、私の中で成長していたこの信仰を育て続けました。
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当時は、囚人が私を悪く見ているとわかると、
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私は見に行って止めさせなければなりませんでした。
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ここでは、実際に、考えが、私の考えが違っていて、
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もちろん気にはなり続けていましたが、
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その人の表情に、
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もうライバル意識は感じられず、べつの何かを感じました。
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彼は私を見ています。
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私は、イエスがそこにいたこと、
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私がイエスを連れてきたのではなく、イエスが本当にそこにいたこと、
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そして人々が彼らの中にあるこの宝を発見できるように
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ベールを取り除くのを手伝わなければならなかったことを発見したと信じています。
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それは本当に私たちの目標です。
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実際、彼らは彼らに対する神のこのすべての愛を感じ、
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「あなたの中に私はすべての私の愛を置いた」という言葉を聞くことです。
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数年後、裁判官はグウェナエルを釈放しましたが、
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釈放されるたびに、彼には家も仕事もありません。
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彼はホームレスの人たちのためのセンターに参加する予定です。
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しかし、施設付きの司祭達は、
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「聖テレジアの宣教師兄弟」の共同体につながることを勧めました。
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グウェナエルは、
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このコミュニティの責任者であるジャンピエール修道士と面談しました。
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彼はこの大家族に迎えられ、祈り、仕事、
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友愛の毎日のリズムを持つ宗教的環境をみを見つけました。
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このグウェナエルの発見は、静かに行われたと思います。
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少なくとも私の場合は、彼はすぐに打ち明けてくれる人で、
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彼が生きられることに真実味を感じました。
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難しかったのは、グウェナエル自身がかつての鎖を断ち切らなければならないことを
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必ずしも常に意識していたわけではない、ということかもしれません。
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基本的には、彼が生きてきた自由へのプロセスの一部であり、
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浮き沈みはあるが、進歩はしていました。
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そして、私が彼を高く評価したのは、
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彼が人生において神の言葉によく耳を傾けていたことです。
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その都度、彼が表現したものは、深く正しいと思われ、
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決して空気のようではなく、彼の歴史と今日に根ざしたものでした。
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そして、これらの小さなシェアを通して、
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彼の精神的な生活が進歩していることを実感しました。
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それはまた、最初は自分が何をしているのかを確信していたという意味で、
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より謙虚な道へと導いたと私は信じています。
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彼の精神的な旅が進むにつれ、私はある種の謙虚さを感じ、
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外見や服や靴の多さで物事を表現する必要がなくなっていくのを感じました…
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主のすべての愛があっても、身近な人がいても、新しい人がいても、
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一朝一夕には変われない、無理な話でした。
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この旅は徐々に行わなければならず、ダメージを抑える必要があります。
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教皇フランシスコは回勅『兄弟の皆さん』(69)の中で、
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「私たちは毎日、善良なサマリア人になるか、
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通り過ぎる無関心な旅行者になるかという選択に直面しています。」と述べています。
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シュマン・ヌフ共同体の友愛活動は、
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グウェナエルが他の若者たちと一緒に信仰を深めていく場所のひとつです。
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彼らは毎月集まり、人生について分かち合い、祈り、時には一緒にリラックスします。
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Virginieは次のように言いながら私達に強く呼びかけました:
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レッテルを張られることなく、自分の意見を持つ、全く自由な、
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他の兄弟たちの仲間のような人にならなければなりません。
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同時に私達にこの友愛の中で気を配り思いやり深いことを求められています、そして又私達に
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兄弟愛のある人間的な約束も求められています。
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なぜなら、人は手を差し伸べた時からその手を引っ込めることはあまり許されないからです
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人はそれに身を投じたならば完全に全うし、最後までやり遂げます。
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初めのうちはむしろ控えめで、話すことが苦手であったことは本当です。
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彼は適切な場所におらず、自分自身を位置づけることに苦労している:
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そう思いながら私は自分自身に問いかけました。
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隣人愛を生きるとはどのようであるのか、お互いにどのように兄弟であるのか、
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他の人達のためにどのように兄弟になれるのか?それは私にとって本当に実践する機会であり
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それを自覚する機会であったと言えましょう。
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柔軟であること、人々に開放的であることについて、
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彼は私に沢山考えさせました。
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私が学生であった時に、
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限界まで行くべきだと言われたフランシスコ教皇の言葉により、
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私はかなり意欲をかきたてられました。
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少しの期間金物製作業者として、
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Gwenaelはこの分野で仕事を再び始めました。
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しかし長続きしませんでしたなぜなら彼はそこで意欲も目標も見つけられなかったのです。
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やる気がなく、有能でないので、その度毎に解雇されました。
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彼は教区内の数人の友達に別の分野での仕事を見つけるのを手伝ってくれるよう頼みました。
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一週間後彼はハンディキャップ状態の一人の人の世話をするために雇われました。
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こんばんはManu、お元気ですか?
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午前中大丈夫でしたか?
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お昼ご飯をちゃんと食べましたか?
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外は少し寒いけれど、
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ちょっと一回りしてくることを勧めたいけれど。
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どう思う?競馬場で少し散歩は? OK
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神様が私に慈愛のめぐみを下さったのだと本当に思います。
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私は必要としている人々を援助するのが大好きです。
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こんにちは、私の名前はEmmanuel、36歳です。
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Gwenaëlと3人の他のスタッフが私が毎日最もベイシックに
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必要とすることを手伝ってくれます
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同じく私の行政的な仕事や私のレジャーの中でも手伝ってくれます。
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彼らは日々貴重な援助を私にもたらしてくれます。
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大分たって、私はGwenaëlの過去を知りました、
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しかし私の彼に対する毎日の態度は変わりませんでした。
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採用の時私はGwenaëlを紹介してくれた
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Xavier と Virginieを信用していました。
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もし彼の過去を私が知っていたなら、私の周りの人々を多分心配させたでしょう。
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監獄を出て数カ月たった後に私はAminataに出会いました、
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その頃私はもろく、まだ軽犯罪を犯していました。
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彼女は私にとって本当に偉大な支援者でした。
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私は彼が牢獄にいたことは知りませんでした、
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彼はすぐに私にそのことを告げませんでしたが、
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私達の関係の中で割と早く知らせてくれました。
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こうして、私は彼の全体の中で、ありのままの彼を受け入れました...
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彼はとても早く私に、彼が共同生活をしていたこと、
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そして彼は兄弟達と共に一つの共同体の中に住んでいて、
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ミサに行くことについても沢山話していましたし、
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若いpro達と一緒にfratにいたことを話してくれました。
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そして彼の周りのこの環境、彼がまたこのような取り巻きの中にいたことを知ることにより、
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私はとても安心させられました、彼の道のりを知って、とても私はに安心しました。
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そうです、彼は牢獄で過ごしました、
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今、彼は彼の人生で別のものに移ろうとしています、
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彼はそれをとても明瞭に言葉にしました。
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彼はそれをすぐにきちんと具体化しませんでした、なぜなら彼はまだ昔の生活に、
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昔の習慣に惹かれていたからです、
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つまり彼は二つの世界からひっぱられ悩んでいるように感じられました:
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彼が常に良く知っていた世界、
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そして彼が発見した世界、それは親切で、
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無条件に彼を受け入れてくれる小さな繭のようなものでした、
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つまり、彼は少し”大きな隔たりに居たのでした。
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彼女にとって常に簡単ではありませんでした
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なぜなら私は彼女と一緒に居ながらも違法行為を続けていました。
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私の犯罪、或いは騒動を起こすことが好きな人の行為と言えるでしょう。
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私は結局Virginieに会うことが出来ました、
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又Jean-Pierre 修道士とも交信できました:
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“ しかしGwenaëlはおかしい、彼はめちゃくちゃなことをしている、
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あなたもご承知でしょう?”
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”“そうです、皆知っています、彼はめちゃくちゃなことをしている、良くないです.…”
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Gwenaëlが体験して来た違反行為に関して、
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一方で私はそれについてあまり驚いてはいませんでした(笑い)
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なぜなら一晩で物事は変わらないことを私は良く知っていたからです。
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他方、私はこのようなことをあまり躊躇なく言えました:
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“ちょっとそこでお待ちなさい、何かおかしいです、今貴方がしていることを自覚しなさい、
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貴方がしていることは、
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貴方は多分自分を破壊するようなシステムの中に再び身を置こうとしています、
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貴方を立て直すものではありません”。
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おかしいですが、私は彼について決して失望していませんでした。
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どうしてだか分かりません。
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多分、なぜなら彼の中には正直さ、真実さがあり、
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彼がこのような態度の時、真実の精神が彼の道を作り、存続させているのです。
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ある晩、むしろある夜、彼は朝1時半にこう言いながら私を呼びました:
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“僕は今悪い形勢にいるのです、助けが必要なのです、私を迎えに来てくれませんか?”
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少し複雑な乱れた関係から抜け出す必要がありました。
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その結果その関係の中でさらに真実であることを汲み取ることを迫られ、
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再び裁判に付されず、他の受け入れの中にただ身を置くことを迫られたのです。
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そのことは、また、私にGwenaël の人生の中で、その難しさ、
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その時彼が必要としていた事を私に気づかせました、
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牢獄でキリストに出会えたが故に、
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自由になって出獄し、
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全て勝ち得て、全て容易になり、
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もはや闘争などない、
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いいえ
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闘争はまだあるのです。
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そうです、私達は失望させられることもあるのです。
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それは私が感じたい気持ちではありませんし、
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私はこの失望の感情と少し戦っていますなぜなら失望させられるために
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私は誰なのでしょうか?
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そして又同時に私が分かっていることは、
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Bonhoeffer曰く:失望させられなければならない、
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私たちが本当に他人に愛情を感じるために、
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そして彼らを本当に愛するからこそ彼らから失望させられるのです。
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感謝!
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何千もの溶けた花、白い輝き、
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心に何千もの愛の感触
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ようやくヴェールを破ってあなたのお顔が見える!
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感謝!
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そこに隠れている一人の王のおかげで
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腕を差し伸べるあなたのおかげで、
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おお、あなたのお顔が見える!
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そして、徐々に、Aminataなるこの人について考えました。
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だけど彼女はここにずっといるのだろうか?わたしは車を壊し続け、
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免許なしに運転し、相変わらず、、、
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実際、彼女に何ももたらしていない。
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彼女はわたしと何をしているのか?
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彼女には子供が二人いるが、どうしているのか?
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わたしにそのことが強く訴えかけられました。
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それで、わたしはわたしをいつも堕落させた夜の世界には
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もう行かない決心をしました。
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わたしは、
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他人の不潔さは我々の中にもあるという
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Etty Hillesumの言葉にたいへん関心をもっています。
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そしていつも付け加えます:だけど、「美しさもある」と。
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他人の美しさは私の中にもあります。
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Gwenaelは非常に信仰心が厚く、彼の内心に彼の信心が常に宿り、
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事実彼はしっかり掟を守っています。
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その結果、彼に内面的に宿っているものがあり、かれは毎日それを実践しています。
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私は信仰の実践に無理に参加しませんでしたが、
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信仰をもち、この様に幸せで、
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人生が意味あるものとなるための希望を見つける人たちがいる事は素晴らしいことです。
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彼は、私のために祈るために何回か彼に紙切れを
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渡すことができると説明しましたので、
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特別のたのみがある時には、それを彼の祈りの場所に置きます。
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私は、それは余計な仕事だと思います。
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実際には常に心を開いているための口実か義務なのです。
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自宅に居て、
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窓を開け、小鳥や草や木を眺め、
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行ったり来たりして、
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自らに完全に束縛され、
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閉じ込められていることがあります。
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また、格子の後ろでも完全に自由でいることができます。
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愛する自由、許す自由、証言する自由です。
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そして、これらの人たちが内面の自由に達するのを見るのはおどろきです。
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宗教は
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おそらく以前なかった絆や関係を築き私たちを孤独でなくするものと思います。
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以前彼が変わらなかったのはそのためだと思います。
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皆が苦労し、
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特に良い取り巻きに囲まれていると
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変われることがわかりました。
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彼は幸せです!
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自分の子供たちに望むのはそれだけなので、
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今彼が幸せだとわかります。
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彼にいいませんが、私は彼のことがとても誇りです。
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鎖は落ちて、関係は再び織り直され、
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Gwenaelの家族はそのことが分かりました。
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お互いに何を話したら良いのかがよくわからなくて長くかかることもあります。
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でも一緒にいて、次に続く言葉を明るみに出すのに十分です。
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私たちの主 イエスーキリストといると、
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この拘留に耐える内面の自由があることです。
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そして個人的に、わたしにそれがあるのは幸運だといつも思っています。
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私を導き、私を毎日、常に構築するのは彼キリストなのです。
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若者とのかかわりについての私の希望は、もしかれらの存在、
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彼らの困難、最も悪いことを含めて彼らが生きていくことに耳を傾けて、
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彼らが親切で期待している眼差しに出会い、
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彼らについて沢山のことに関心をもつことです。
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彼らが一番必要としているのはそのことで、ただ彼らを愛し、
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あるがままの彼らを愛し彼らに期待をかける人たちに出会える必要があると確信します。
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私たちが出会う人たちに主がされるのは、そのことだと思います。
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私には一つの希望、多少のヴィジオンあるいは夢があります。
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それは、以前拘留されていた人が(カトリックの)教会で、
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プロテスタントの)礼拝式で、ミサの中でマイクをとり、
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彼らが同様な経験をしたかを見ることです!
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そして神が監獄でなしうることに小教区の信者たちがびっくりし、
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これらの以前拘留されていた人たちの勇気と、そして神を、
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イエスをそしていままで人生でしてきたことを証言する勇気を見ることを夢みています。
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私の夢は、これらの変化・解放を見た家族が教会の椅子にすわって、
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以前牢獄に居ていまでは自由になっている家族に同伴することです。
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ガラテアの信徒への手紙 5、13~14章
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“兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
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ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、
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愛によって互いに仕えなさい。
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法律全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。“
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主がすべての我々の内面の牢獄と
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完全に自由に生きるために妨げているものを見にこられるために祈りましょう。
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主が深く彼の自由化の仕事をされますように。
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私たちは今、
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この外出がしにくいすべての人を託すことができます。
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皆が教会で彼らを迎えいれて、
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彼らが人生の道を共にする兄弟姉妹を見つけることができますように。