マリ・キュリーの非凡さ — ショヒーニ・ゴーシュ
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0:07 - 0:10マリ・キュリーの
手稿を見たければ -
0:10 - 0:13免責同意書にサインした上で
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0:13 - 0:17放射能汚染から身を守る防護服を
身に付ける必要があります -
0:17 - 0:21キュリー夫人の遺体も同様で
収められている棺は鉛で裏打ちされていて -
0:21 - 0:23彼女の研究の中心であり
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0:23 - 0:28彼女の死因ともなった放射線を
閉じ込めています -
0:28 - 0:32帝政ロシア支配下にあったポーランドの
ワルシャワで育ったマリは -
0:32 - 0:35元々の名をマリア・
スクウォドフスカといい -
0:35 - 0:39優れた学生でしたが
大きな障害に直面しました -
0:39 - 0:42女性だったために
高等教育を受けられず -
0:42 - 0:45これに抵抗して
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0:45 - 0:47「さまよえる大学」に参加しました
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0:47 - 0:53ポーランドの若者に密かに
教育を行っていた秘密の組織です -
0:53 - 0:56家庭教師として働いてお金を貯め
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0:56 - 1:01やがてパリに移り住むことができました
有名なソルボンヌ大学で学ぶためです -
1:01 - 1:04そこでマリは物理学と
数学の学位を取りました -
1:04 - 1:06ほとんどパンと紅茶だけで
暮らしていて -
1:06 - 1:09時々 飢えのために
気を失うことがありました -
1:09 - 1:12パリでマリは物理学者の
ピエール・キュリーに出会い -
1:12 - 1:15彼は実験室と真心を
彼女に捧げました -
1:15 - 1:18それでもマリはポーランドに
帰ることを切望していました -
1:18 - 1:19しかしワルシャワに帰ってみると
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1:19 - 1:21女性が大学の職を得るのは
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1:21 - 1:23相変わらず困難であることが
分かりました -
1:23 - 1:25道がなくなった
わけではありません -
1:25 - 1:28パリに戻ると 恋い焦がれる
ピエールが待っていました -
1:28 - 1:312人は間もなく結婚し
ものすごい研究チームができあがりました -
1:31 - 1:35ある物理学者の研究が
マリ・キュリーの興味を掻き立てました -
1:35 - 1:431896年に アンリ・ベクレルが
ウランはX線のような謎の放射線を発していて -
1:43 - 1:47それが写真乾板を露光させることを
発見したのです -
1:47 - 1:52キュリーはすぐに別の元素トリウムもまた
同様の放射線を発することを見つけました -
1:52 - 1:54特に重要だったのは
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1:54 - 1:57この放射線の強さは
元素の量だけに依存し -
1:57 - 2:01物理的・化学的な変化には
影響されないということでした -
2:01 - 2:03このことから彼女は
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2:03 - 2:07放射線は原子内部の何か根源的な
ところから来ていると結論付けました -
2:07 - 2:09この考えは革新的なもので
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2:09 - 2:14原子は分割不能だとする
長く信じられてきたモデルを覆しました -
2:14 - 2:19続いて放射性がとても強い鉱石である
瀝青ウラン鉱に注目したキュリー夫妻は -
2:19 - 2:23その放射線がウランだけでは
説明できないことに気付きました -
2:23 - 2:28原因となる放射性元素が
他にもあるのか? -
2:28 - 2:321898年に夫妻は2つの
新元素を発表しました -
2:32 - 2:35マリの故国ポーランドに
ちなんで名付けられたポロニウムと -
2:35 - 2:38ラテン語で「光」を意味する
ラジウムです -
2:38 - 2:42彼らはまた「放射能」という
言葉も作りました -
2:42 - 2:491902年にキュリー夫妻は 0.1 グラムの
純粋な塩化ラジウムの抽出に成功しました -
2:49 - 2:51数トンの瀝青ウラン鉱から
取り出したもので -
2:51 - 2:53当時においては
ものすごい偉業でした -
2:53 - 2:56その年 ピエール・キュリーと
アンリ・ベクレルが -
2:56 - 2:59ノーベル物理学賞に
ノミネートされましたが -
2:59 - 3:01マリは入っていませんでした
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3:01 - 3:05ピエールが立ち上がり
妻の貢献が認められるよう尽力しました -
3:05 - 3:11そしてキュリー夫妻とベクレルが揃って
1903年のノーベル物理学賞を受賞し -
3:11 - 3:16マリ・キュリーは史上初の
女性ノーベル賞受賞者となりました -
3:16 - 3:20十分な資金と尊敬を勝ち得て
キュリー夫妻は順風満帆でした -
3:20 - 3:22しかし1906年に悲劇が訪れます
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3:22 - 3:27ピエールが交通の激しい交差点で
馬車に轢かれ亡くなったのです -
3:27 - 3:30打ちのめされたマリは
研究に没頭し -
3:30 - 3:33ピエールが教えていた
ソルボンヌの教職を引き継いで -
3:33 - 3:36ソルボンヌ初の
女性教授になりました -
3:36 - 3:39彼女が単独で行った研究もまた
実り多いものでした -
3:39 - 3:421911年に再びノーベル賞を
今度は化学で受賞しました -
3:42 - 3:45ラジウムとポロニウムの発見と
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3:45 - 3:49純粋なラジウムやその化合物の
抽出と分析をした功績のためです -
3:49 - 3:52これにより彼女は初の
そして今日においても唯一の -
3:52 - 3:562つの異なる科学分野で
ノーベル賞を受賞した人物となりました -
3:56 - 3:59キュリー教授は
自分の発見を応用し -
3:59 - 4:02医学研究と医療の様相を変えました
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4:02 - 4:06第一次世界大戦中には
放射線診断のための移動部隊を組織し -
4:06 - 4:09また放射線の腫瘍への
影響を調べました -
4:09 - 4:13しかしこの人類への貢献のために
彼女は個人的に高いツケを払うことになりました -
4:13 - 4:16キュリー夫人は1934年に
骨髄疾患で亡くなりましたが -
4:16 - 4:20これは放射線に曝されたことが
原因と考えられています -
4:20 - 4:23マリ・キュリーの画期的な研究は
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4:23 - 4:26物理学と化学の理解の基礎を築き
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4:26 - 4:30腫瘍学 科学技術 医学
原子核物理学をはじめとする -
4:30 - 4:33様々な領域に
輝かしい軌跡を残しました -
4:33 - 4:37良くも悪くも 放射線についての
彼女の発見は新時代を開き -
4:37 - 4:41科学の大いなる秘密を
解明することになったのです
- Title:
- マリ・キュリーの非凡さ — ショヒーニ・ゴーシュ
- Speaker:
- Shohini Ghose
- Description:
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マリ・スクウォドフスカ=キュリーの画期的な研究は、物理学と化学の理解の基礎を築き、腫瘍学、科学技術、医学、原子核物理学をはじめとする様々な領域に輝かしい軌跡を残しました。でも彼女が実際にしたことは何だったのでしょう? ショヒーニ・ゴーシュがマリ・キュリーの最も画期的な発見について解説します。
講師:ショヒーニ・ゴーシュ
アニメーション:アンナ・ノヴァコフスカ*このビデオの教材 http://ed.ted.com/lessons/the-genius-of-marie-curie-shohini-ghose
- Video Language:
- English
- Team:
- closed TED
- Project:
- TED-Ed
- Duration:
- 05:04
Yasushi Aoki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Yasushi Aoki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Yasushi Aoki approved Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Yasushi Aoki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Tomoyuki Suzuki accepted Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Tomoyuki Suzuki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Yasushi Aoki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie | ||
Yasushi Aoki edited Japanese subtitles for The genius of Marie Curie |