WEBVTT 00:00:00.509 --> 00:00:04.736 人々は絶えず宗教について語ります 00:00:04.736 --> 00:00:06.710 (笑) 00:00:06.710 --> 00:00:08.960 今は亡き 偉大なるC・ヒッチンスの著書 00:00:08.960 --> 00:00:10.381 『神は偉大ではない』の副題は 00:00:10.381 --> 00:00:13.913 「宗教がすべてを毒す」です 00:00:13.913 --> 00:00:15.286 (笑) 00:00:15.286 --> 00:00:19.380 しかし 先月のタイム誌で 「アメリカのラビ」と呼ばれているという 00:00:19.380 --> 00:00:23.393 デビッド・ウォルピ師が その否定的なイメージと 00:00:23.393 --> 00:00:28.031 バランスをとるために こう述べています 00:00:28.031 --> 00:00:30.655 「組織化された宗教以外に 00:00:30.655 --> 00:00:34.995 社会的に大きな変革は成し得ない」 NOTE Paragraph 00:00:34.995 --> 00:00:36.973 こういった善し悪しに関する説明は 00:00:36.973 --> 00:00:40.010 かなり昔からあります 00:00:40.010 --> 00:00:42.451 ここに1つ持ってきました 00:00:42.451 --> 00:00:48.366 紀元前1世紀 『物の本質について』の著者 00:00:48.366 --> 00:00:51.229 ルクレティウスは こう言いました 00:00:51.229 --> 00:00:55.512 "Tantum religio potuit suadere malorum ..." (ラテン語) 00:00:55.512 --> 00:00:58.134 暗記できていないのですが 00:00:58.134 --> 00:01:00.822 要は 宗教が人々を促して 00:01:00.822 --> 00:01:03.332 どれほど邪悪なことをさせるかを説明し 00:01:03.332 --> 00:01:05.119 その例として 00:01:05.119 --> 00:01:08.164 アガメムノンが 自軍の進軍を続けられるように 00:01:08.164 --> 00:01:10.075 娘のイーピゲネイアを 00:01:10.075 --> 00:01:13.575 生贄の祭壇に捧げようと 決意したことをあげました 00:01:13.575 --> 00:01:16.471 つまり 宗教に対する議論は 00:01:16.471 --> 00:01:18.360 数世紀 あるいは 00:01:18.360 --> 00:01:19.946 千年紀をまたいで続いています 00:01:19.946 --> 00:01:21.799 人々は たびたび宗教について― 00:01:21.799 --> 00:01:23.597 「良い」「悪い」 あるいは 00:01:23.597 --> 00:01:27.106 「どうでもよい」といった事を話します NOTE Paragraph 00:01:27.106 --> 00:01:28.841 私が今日 主張したいことは 00:01:28.841 --> 00:01:30.444 とても単純な事で 00:01:30.444 --> 00:01:32.681 この様な議論は ある意味で 00:01:32.681 --> 00:01:35.174 不合理なものです 00:01:35.174 --> 00:01:39.345 なぜなら そもそも そんな主張の対象である 00:01:39.345 --> 00:01:41.080 宗教など存在しないのです 00:01:41.080 --> 00:01:42.468 宗教がなければ 00:01:42.468 --> 00:01:45.519 良いも悪いもありません 00:01:45.519 --> 00:01:47.680 「無関心」になる事すらできません 00:01:47.680 --> 00:01:50.139 「物事が存在しない」ということを 00:01:50.139 --> 00:01:54.127 主張しようとする場合 00:01:54.127 --> 00:01:56.319 存在するとされる物事が 存在しないことを 00:01:56.319 --> 00:01:58.771 立証する明確な方法とは 00:01:58.771 --> 00:02:01.229 そのものの定義を示し 00:02:01.229 --> 00:02:03.990 その定義を満たすものがあるか 調べることです 00:02:03.990 --> 00:02:07.202 まず この方法から 00:02:07.202 --> 00:02:08.411 始めようと思います NOTE Paragraph 00:02:08.411 --> 00:02:10.988 辞書を引いたり 00:02:10.988 --> 00:02:12.138 自分で考えたりした場合 00:02:12.138 --> 00:02:14.507 宗教の自然な定義とは 00:02:14.507 --> 00:02:19.674 神や神聖なものへの信仰に関するものです 00:02:19.674 --> 00:02:21.830 この定義は多くの辞書に載っていますが 00:02:21.830 --> 00:02:24.581 オックスフォード初の人類学教授で 00:02:24.581 --> 00:02:26.208 現代の人類学者の草分けである 00:02:26.208 --> 00:02:28.435 エドワード・タイラー卿の 00:02:28.435 --> 00:02:30.431 著書にも書いてあります 00:02:30.431 --> 00:02:32.665 原始文化に関する本の中で 00:02:32.665 --> 00:02:35.685 彼は宗教の核心とは 「アニミズム」 すなわち 00:02:35.685 --> 00:02:37.403 霊的な力や 00:02:37.403 --> 00:02:39.780 霊的存在に対する信仰だと言うのです 00:02:39.780 --> 00:02:41.788 この定義の1つ目の問題は 00:02:41.788 --> 00:02:44.528 ポール・ビーティの 最近の小説『タフ』に見られます 00:02:44.528 --> 00:02:45.934 ある男がラビと話しています 00:02:45.934 --> 00:02:48.330 そのラビは 神を信じないと言います 00:02:48.330 --> 00:02:50.760 男は言います 「神を信じないラビなんているのか?」 00:02:50.760 --> 00:02:54.151 ラビが答えます 「そこが ユダヤ人のすごいところなんだ 00:02:54.151 --> 00:02:56.114 神自体を信じる必要はなく 00:02:56.114 --> 00:02:58.570 ただユダヤ人であることを信じればいい」 (笑) 00:02:58.570 --> 00:03:01.598 さて もしこの男がラビ しかもユダヤ人ラビであり 00:03:01.598 --> 00:03:04.790 もし敬虔であるには 神を信じなければならないとしたら 00:03:04.790 --> 00:03:08.073 常識的には理解しにくい結論に達します 00:03:08.073 --> 00:03:10.265 すなわち 神を信じなくても 00:03:10.265 --> 00:03:12.154 ユダヤ教のラビになれるのなら 00:03:12.154 --> 00:03:14.504 ユダヤ教は宗教でないということです 00:03:14.504 --> 00:03:17.970 これは直感に反する考え方だと思います NOTE Paragraph 00:03:17.970 --> 00:03:21.231 この見方に反対する議論が もう1つあります 00:03:21.231 --> 00:03:23.403 私のインド人の友達が 00:03:23.403 --> 00:03:25.586 まだ幼い子どもの頃 00:03:25.586 --> 00:03:26.721 祖父に言いました 00:03:26.721 --> 00:03:28.840 「宗教のことを話したいんだよ」 00:03:28.840 --> 00:03:30.085 すると祖父は「まだ幼すぎる 00:03:30.085 --> 00:03:31.616 10代になったら またおいで」と言いました 00:03:31.616 --> 00:03:33.459 そこで 10代になると 00:03:33.459 --> 00:03:35.155 祖父のところへ行って言いました 00:03:35.155 --> 00:03:36.481 「もう手遅れかもしれないよ 00:03:36.481 --> 00:03:40.221 ぼくは神を信じていないって わかったんだ」 00:03:40.221 --> 00:03:42.248 すると賢明な彼の祖父はこう言いました 00:03:42.248 --> 00:03:44.432 「じゃあ お前はヒンドゥーの中でも 00:03:44.432 --> 00:03:47.618 無神論派だな」(笑) NOTE Paragraph 00:03:47.618 --> 00:03:51.320 最後にもう一人 00:03:51.320 --> 00:03:53.776 神を信じないことで有名な人がいます 00:03:53.776 --> 00:03:55.594 彼の名前はダライ・ラマです 00:03:55.594 --> 00:03:58.442 彼はよく冗談で 自分は世界で トップクラスの無神論者だと言いますが 00:03:58.442 --> 00:04:01.186 それは本当です 彼の宗教には 00:04:01.186 --> 00:04:03.966 神への信仰を含まないからです NOTE Paragraph 00:04:03.966 --> 00:04:05.579 さて皆さんは こう考えるかもしれません 00:04:05.579 --> 00:04:08.599 私が単に誤った定義をしているだけなので 00:04:08.599 --> 00:04:10.718 別の定義を考えて 00:04:10.718 --> 00:04:12.416 これらの例に当てはめて検証し 00:04:12.416 --> 00:04:14.987 無神論的なユダヤ教や ヒンドゥー教や 仏教を 00:04:14.987 --> 00:04:17.913 宗教の形態として 00:04:17.913 --> 00:04:21.176 説明できるようにすべきではないかと 00:04:21.176 --> 00:04:22.970 ただ これはだめな考え方だと思います 00:04:22.970 --> 00:04:25.299 なぜ だめかというと 00:04:25.299 --> 00:04:26.934 宗教の概念は そんな風に 00:04:26.934 --> 00:04:28.565 成り立っているとは思えないからです 00:04:28.565 --> 00:04:30.165 宗教の概念が成立するということは 00:04:30.165 --> 00:04:33.203 私たちが典型的な宗教と 00:04:33.203 --> 00:04:35.129 その分派のリストを 00:04:35.129 --> 00:04:38.368 持っているということです 00:04:38.368 --> 00:04:40.922 そして 何か宗教のような 00:04:40.922 --> 00:04:42.428 新しいものに遭遇したら 00:04:42.428 --> 00:04:44.892 リストの中で どれかに似ているかを考えます 00:04:44.892 --> 00:04:47.144 そうでしょう? 00:04:47.144 --> 00:04:49.719 でも私たちの宗教に対する考えは これだけではないと思います 00:04:49.719 --> 00:04:51.019 それはいわば 00:04:51.019 --> 00:04:52.810 私たちの視点からすれば 00:04:52.810 --> 00:04:54.893 そのリストにあるものは宗教であるべきなんです 00:04:54.893 --> 00:04:56.661 だから 仏教やユダヤ教を除いて 00:04:56.661 --> 00:04:58.516 宗教を説明したとしても 00:04:58.516 --> 00:05:01.216 有効な手がかりになるとは思えません 00:05:01.216 --> 00:05:03.920 仏教もユダヤ教も リストに載っているのですから 00:05:03.920 --> 00:05:05.900 でもなぜ こんなリストがあるのでしょう? 00:05:05.900 --> 00:05:07.730 いったいどうなっているのでしょう? 00:05:07.730 --> 00:05:09.917 なぜ このリストを 持つことになったのでしょう? NOTE Paragraph 00:05:09.917 --> 00:05:12.832 その答えはとても単純で 00:05:12.832 --> 00:05:15.960 だからこそ大雑把で異議を呼ぶと思います 00:05:15.960 --> 00:05:17.349 賛成しない人も多いでしょうが 00:05:17.349 --> 00:05:18.943 私の考えは こうです 00:05:18.943 --> 00:05:21.314 正しいかどうかは別として 00:05:21.314 --> 00:05:23.742 リストが現れるまでの 00:05:23.742 --> 00:05:25.431 雰囲気がわかるので 00:05:25.431 --> 00:05:26.740 リストが どう役に立つのか 00:05:26.740 --> 00:05:28.184 考える手がかりになるでしょう 00:05:28.184 --> 00:05:31.472 その答えは ヨーロッパの探検家たちが 00:05:31.472 --> 00:05:33.305 コロンブスの時代あたりから 00:05:33.305 --> 00:05:34.930 世界中を航海し始めたことにあります 00:05:34.930 --> 00:05:37.210 彼らはキリスト教文化出身なので 00:05:37.210 --> 00:05:39.020 新たな土地に着いた時 00:05:39.020 --> 00:05:41.905 キリスト教の信仰を持たない人々が いることに気づいて 00:05:41.905 --> 00:05:43.950 こんな疑問を持ちました 00:05:43.950 --> 00:05:47.140 彼らはキリスト教の代わりに 何を持っているのだろう? 00:05:47.140 --> 00:05:50.503 それで あのリストを作り出したのです 00:05:50.503 --> 00:05:52.779 リストには非西欧人がキリスト教の代わりに 00:05:52.779 --> 00:05:55.370 持っていたものが載っているのです NOTE Paragraph 00:05:55.370 --> 00:05:58.738 ただ この方法に従い続けるのは 問題があります 00:05:58.738 --> 00:06:01.178 リストの中でも キリスト教は 00:06:01.178 --> 00:06:05.590 極端に独特な伝統だからです 00:06:05.590 --> 00:06:07.151 キリスト教の特殊性は 00:06:07.151 --> 00:06:09.277 ありとあらゆる面に渡っていて 00:06:09.277 --> 00:06:11.573 それは キリスト教の歴史に 00:06:11.573 --> 00:06:14.260 特有なものの結果です 00:06:14.260 --> 00:06:15.857 そして その中心にあるもの 00:06:15.857 --> 00:06:18.660 キリスト教を理解する時 中心にあって 00:06:18.660 --> 00:06:20.990 キリスト教 特有の歴史の 結果であるものとは 00:06:20.990 --> 00:06:24.133 この宗教が極めて 信条主義的だということです 00:06:24.133 --> 00:06:26.813 つまり 人が正しいことを信じているかを 00:06:26.813 --> 00:06:29.552 とても気にする宗教なのです 00:06:29.552 --> 00:06:31.808 キリスト教内部の歴史とは 00:06:31.808 --> 00:06:33.684 主に殺し合いの歴史ですが その理由は 00:06:33.684 --> 00:06:35.800 彼らが間違ったことを信じたからです 00:06:35.800 --> 00:06:37.879 それは他宗教との争いにも 00:06:37.879 --> 00:06:39.631 関係します 00:06:39.631 --> 00:06:43.230 争いが始まったのは 言うまでもなく中世からですが 00:06:43.230 --> 00:06:44.620 イスラムとの争いでも 00:06:44.620 --> 00:06:47.740 不信心 つまりイスラム教徒が 00:06:47.740 --> 00:06:49.770 正しいことを信じていないという点が 00:06:49.770 --> 00:06:53.150 キリスト教世界にとって 不快だったようです 00:06:53.150 --> 00:06:55.788 これはキリスト教の 00:06:55.788 --> 00:06:58.153 独特で特殊な歴史です 00:06:58.153 --> 00:07:01.371 それに これまで このようなリストに載ったものが全部 00:07:01.371 --> 00:07:05.365 どこにでも あるわけではありません 00:07:05.365 --> 00:07:06.772 さらに 別の問題があると思います 00:07:06.772 --> 00:07:08.110 非常に特殊なことが起こったのです 00:07:08.110 --> 00:07:09.562 以前には回避されていましたが 00:07:09.562 --> 00:07:11.103 主に現在 アメリカの 00:07:11.103 --> 00:07:13.292 私たちの身近にある 00:07:13.292 --> 00:07:14.813 キリスト教の歴史の中で 00:07:14.813 --> 00:07:16.997 とても特別なことが起こったのです 00:07:16.997 --> 00:07:20.100 19世紀後半のことです 00:07:20.100 --> 00:07:21.509 そして この時に起こった 00:07:21.509 --> 00:07:22.518 特別なこととは 00:07:22.518 --> 00:07:25.473 知的権威を組織する 科学という新たな方法と 00:07:25.473 --> 00:07:27.983 宗教との間の 00:07:27.983 --> 00:07:33.676 ある種の取決めのようなものでした 00:07:33.676 --> 00:07:34.873 ある種の取決めのようなものでした 00:07:34.873 --> 00:07:36.764 たとえば18世紀について考えてみましょう 00:07:36.764 --> 00:07:38.234 19世紀後半より前の 00:07:38.234 --> 00:07:40.590 知的生活について考えてみると 00:07:40.590 --> 00:07:43.760 人の振る舞いも考えることも 00:07:43.760 --> 00:07:46.490 それが物理的な世界だろうと 00:07:46.490 --> 00:07:48.021 人間世界だろうと 00:07:48.021 --> 00:07:50.251 人間を除いた自然界のことだろうと 00:07:50.251 --> 00:07:52.218 道徳のことだろうと あらゆることが 00:07:52.218 --> 00:07:53.894 宗教的 あるいは 00:07:53.894 --> 00:07:56.357 キリスト教的な一連の前提に 00:07:56.357 --> 00:07:57.560 沿ったものであったでしょう 00:07:57.560 --> 00:07:59.226 たとえば自然界について 00:07:59.226 --> 00:08:00.822 説明しようとするなら 00:08:00.822 --> 00:08:03.744 キリスト教 ユダヤ教 イスラム教の 伝統における創世神話 ― 00:08:03.744 --> 00:08:05.552 すなわち モーセ五書の創世記の 00:08:05.552 --> 00:08:07.092 内容との関係を 00:08:07.092 --> 00:08:10.296 説明する必要がありました 00:08:10.296 --> 00:08:13.613 すべては このように 形作られていました NOTE Paragraph 00:08:13.613 --> 00:08:16.045 ところが19世紀後半の この変化により 00:08:16.045 --> 00:08:18.370 人は初めて ダーウィンのように 00:08:18.370 --> 00:08:20.749 博物学者という知的職業の道に 00:08:20.749 --> 00:08:22.943 本格的に進めるようになったのです 00:08:22.943 --> 00:08:24.928 ダーウィンは自分の主張と 00:08:24.928 --> 00:08:27.481 宗教における真理との関係を 気にかけてはいましたが 00:08:27.481 --> 00:08:29.406 宗教が主張することとの 00:08:29.406 --> 00:08:31.190 関係について述べることなく 00:08:31.190 --> 00:08:33.886 自分のテーマについて 研究を続け 本を書くことが 00:08:33.886 --> 00:08:35.358 可能になったのです 00:08:35.358 --> 00:08:37.740 また地質学者も次第に 議論ができるようになりました 00:08:37.740 --> 00:08:39.542 19世紀前半の地質学者が 00:08:39.542 --> 00:08:41.465 地球の歴史について説を唱える場合 00:08:41.465 --> 00:08:43.107 創世記の記述に示された歴史と 00:08:43.107 --> 00:08:44.537 一致しているか あるいは 00:08:44.537 --> 00:08:45.909 一致する点と矛盾する点を 00:08:45.909 --> 00:08:47.462 説明する必要がありました 00:08:47.462 --> 00:08:48.647 19世紀末には 00:08:48.647 --> 00:08:50.160 単に地球の歴史を論じる 00:08:50.160 --> 00:08:52.519 地質学の本を書くことができました 00:08:52.519 --> 00:08:54.610 つまり大きな変化が起こり 00:08:54.610 --> 00:08:57.545 私が述べるような 知的な分業が生じたのでしょう 00:08:57.545 --> 00:09:00.370 それが ある意味で確立していって 00:09:00.370 --> 00:09:03.528 ヨーロッパでは19世紀末には 00:09:03.528 --> 00:09:05.519 本格的な知的分業が存在し 00:09:05.519 --> 00:09:07.519 さまざまな研究が本格的に 00:09:07.519 --> 00:09:11.421 哲学さえ巻き込みながら 可能になっていきました 00:09:11.421 --> 00:09:14.279 そして このような研究は 00:09:14.279 --> 00:09:16.560 「宗教的伝統が示す深遠な真理と 00:09:16.560 --> 00:09:19.239 一致する主張をすべき」という 00:09:19.239 --> 00:09:21.749 考えに縛られなくなったのです NOTE Paragraph 00:09:21.749 --> 00:09:23.913 想像してみてください 00:09:23.913 --> 00:09:27.730 19世紀後半の世界の住人が 00:09:27.730 --> 00:09:31.482 20世紀末 私の故郷ガーナの 00:09:31.482 --> 00:09:33.742 アサンテの社会に 00:09:33.742 --> 00:09:35.148 姿を現したとしましょう 00:09:35.148 --> 00:09:37.164 その人は 例のリストを生んだ 00:09:37.164 --> 00:09:39.187 疑問を持っています 00:09:39.187 --> 00:09:42.950 「そこにはキリスト教の代わりに 何があるのか?」という疑問です NOTE Paragraph 00:09:42.950 --> 00:09:45.807 その人は あることに気づくでしょう 00:09:45.807 --> 00:09:48.151 実際に 気づいた人がいました 00:09:48.151 --> 00:09:49.450 名前はキャプテン・ラトレイ 00:09:49.450 --> 00:09:51.502 イギリス政府が派遣した人類学者で 00:09:51.502 --> 00:09:53.495 アサンテの宗教について書きました NOTE Paragraph 00:09:53.495 --> 00:09:56.035 これはソウルディスクです 00:09:56.035 --> 00:09:58.308 大英博物館には これがたくさんあります 00:09:58.308 --> 00:09:59.578 私の社会にあったものが 00:09:59.578 --> 00:10:01.743 大英博物館に大量にある理由について 00:10:01.743 --> 00:10:05.134 面白い歴史の話も 本当はできたのですが 00:10:05.134 --> 00:10:06.945 その時間はありませんね 00:10:06.945 --> 00:10:08.437 とにかく これがソウルディスクです 00:10:08.437 --> 00:10:09.575 ソウルディスクとは何か? 00:10:09.575 --> 00:10:11.404 アサンテの王の魂を洗う人が 00:10:11.404 --> 00:10:13.974 これを首につけます 00:10:13.974 --> 00:10:17.529 彼らの仕事はなんでしょう? 王の魂を洗うことです 00:10:17.529 --> 00:10:19.434 いったいどうやったら 00:10:19.434 --> 00:10:21.661 魂が洗えるかを説明するには 00:10:21.661 --> 00:10:22.961 時間がかかるでしょうが 00:10:22.961 --> 00:10:25.740 ラトレイには これが宗教だとわかりました 00:10:25.740 --> 00:10:29.243 魂が関係していたからです NOTE Paragraph 00:10:29.243 --> 00:10:30.989 さらに似たようなことや 00:10:30.989 --> 00:10:33.196 似たような慣習が たくさんあります 00:10:33.196 --> 00:10:35.559 たとえば 多かれ少なかれ 酒を飲むたびに 00:10:35.559 --> 00:10:37.581 誰もが「献酒」として 00:10:37.581 --> 00:10:39.310 酒を地面に注ぎ 00:10:39.310 --> 00:10:40.999 先祖への分け前にしました 00:10:40.999 --> 00:10:43.348 父はやっていました ウイスキーを開けるたび ― 00:10:43.348 --> 00:10:44.869 これが よく開けていたんですが 00:10:44.869 --> 00:10:48.748 いつも蓋を取って少し地面にかけていました 00:10:48.748 --> 00:10:50.099 そして父は 00:10:50.099 --> 00:10:53.639 家の家系の始祖であるアクロマ=アンピムや 00:10:53.639 --> 00:10:55.235 大叔父のヤオ・アントニーに 00:10:55.235 --> 00:10:57.130 話しかけながら 00:10:57.130 --> 00:10:59.353 酒を捧げていたものです NOTE Paragraph 00:10:59.353 --> 00:11:02.238 そして最後に 大規模な公の儀式があります 00:11:02.238 --> 00:11:03.654 これは19世紀初頭のスケッチで 00:11:03.654 --> 00:11:04.927 あるイギリスの陸軍士官が 00:11:04.927 --> 00:11:06.977 そんな儀式を描いたものです 00:11:06.977 --> 00:11:09.105 儀式には王が参加しました 00:11:09.105 --> 00:11:10.511 王の仕事の中でも 00:11:10.511 --> 00:11:11.700 とりわけ重要なことは 00:11:11.700 --> 00:11:14.651 戦争を率いる類のことを除けば 00:11:14.651 --> 00:11:17.997 先祖の墓を守ることでした 00:11:17.997 --> 00:11:19.994 そして王が死んだら 00:11:19.994 --> 00:11:21.508 彼の座っていた腰掛けは黒くされ 00:11:21.508 --> 00:11:24.392 王家代々の寺院に入れられます 00:11:24.392 --> 00:11:26.521 そして40日ごとに 00:11:26.521 --> 00:11:28.376 アサンテ族の王はそこに行って 先祖のために 00:11:28.376 --> 00:11:29.738 儀式をしなければなりません 00:11:29.738 --> 00:11:31.240 これは大切な仕事で 00:11:31.240 --> 00:11:33.113 民衆は 王がこの仕事を怠れば 00:11:33.113 --> 00:11:34.844 すべてが崩壊すると信じています 00:11:34.844 --> 00:11:37.210 つまり 王は政治的存在であるだけでなく 00:11:37.210 --> 00:11:38.535 ラトレイ風に言えば 00:11:38.535 --> 00:11:41.160 宗教的存在であったのです NOTE Paragraph 00:11:41.160 --> 00:11:45.844 ラトレイにとって これらはすべて 宗教に見えたでしょう 00:11:45.844 --> 00:11:47.783 ただ私が強調したいのは 00:11:47.783 --> 00:11:49.165 彼らの生活を調べてみると 00:11:49.165 --> 00:11:51.910 何をする時にも 常に 00:11:51.910 --> 00:11:53.944 先祖を意識しているということです 00:11:53.944 --> 00:11:55.977 毎朝 朝食を食べる時 00:11:55.977 --> 00:11:57.803 家の前に出て 00:11:57.803 --> 00:12:00.899 外にあるニヤミデュア すなわち神の木に捧げ物をします 00:12:00.899 --> 00:12:02.083 外にあるニヤミデュア すなわち神の木に捧げ物をします 00:12:02.083 --> 00:12:03.400 そして天の神々や地の神々や 00:12:03.400 --> 00:12:04.426 そして天の神々や地の神々や 00:12:04.426 --> 00:12:06.084 先祖などにも話しかけます 00:12:06.084 --> 00:12:07.620 このような世界では 00:12:07.620 --> 00:12:10.527 宗教と科学が 00:12:10.527 --> 00:12:12.101 まだ分離していません 00:12:12.101 --> 00:12:13.644 宗教は 生活の他の領域から 00:12:13.644 --> 00:12:14.920 切り離されていません 00:12:14.920 --> 00:12:16.917 そして特に この世界を理解するために 00:12:16.917 --> 00:12:18.612 不可欠なことがあります 00:12:18.612 --> 00:12:20.150 私たちの社会で 科学が果たしている役割を 00:12:20.150 --> 00:12:21.288 ラトレイなら 00:12:21.288 --> 00:12:24.432 宗教と呼ぶであろうものが 果たしているという点です 00:12:24.432 --> 00:12:26.372 彼らが何かについて説明が必要な時 00:12:26.372 --> 00:12:28.200 作物の出来が悪い理由や 00:12:28.200 --> 00:12:29.486 雨が降る理由や 00:12:29.486 --> 00:12:31.904 降らない理由が知りたい時 また 雨が必要な時 00:12:31.904 --> 00:12:34.428 自分の祖父が死んだ理由を 00:12:34.428 --> 00:12:36.287 知りたいと思った時 00:12:36.287 --> 00:12:39.195 そんな時 彼らは いつも同じ存在 同じ言葉を使って 00:12:39.195 --> 00:12:40.637 そんな時 彼らは いつも同じ存在 同じ言葉を使って 00:12:40.637 --> 00:12:43.253 いつも同じ神々に話しかけるのです 00:12:43.253 --> 00:12:45.342 大きな分離 すなわち宗教と科学の分離は 00:12:45.342 --> 00:12:47.273 まだ起こっていないのです NOTE Paragraph 00:12:47.273 --> 00:12:51.598 これは歴史的に 珍しい例なのかもしれません 00:12:51.598 --> 00:12:55.050 ただ 世界中のほとんどの場所では 00:12:55.050 --> 00:12:57.794 今でも これが真実なのです 00:12:57.794 --> 00:12:59.802 私は先日 ナミビア北部 00:12:59.802 --> 00:13:01.567 アンゴラとの国境から30キロほど離れた 00:13:01.567 --> 00:13:04.412 住民200人の村の結婚式に 00:13:04.412 --> 00:13:06.145 行く機会がありました 00:13:06.145 --> 00:13:07.313 みんな現代人です 00:13:07.313 --> 00:13:09.204 ウーナ・チャップリンも一緒でした 00:13:09.204 --> 00:13:10.613 ご存知の方もいるでしょう 00:13:10.613 --> 00:13:12.692 村人が彼女のところに来て言いました 00:13:12.692 --> 00:13:15.423 「『ゲーム・オブ・スローンズ』で あなたを見たよ」 00:13:15.423 --> 00:13:19.251 彼らは 私たちの世界から 隔離された人々ではありません 00:13:19.251 --> 00:13:20.780 ただそれでも 彼らにとって 00:13:20.780 --> 00:13:23.333 神と霊は今でも重要です 00:13:23.333 --> 00:13:25.159 私たちが 儀式の間じゅう 00:13:25.159 --> 00:13:26.821 バスで行ったり来たりしている時に 00:13:26.821 --> 00:13:29.398 みんな ただの一般的な祈り方ではなく 00:13:29.398 --> 00:13:30.859 本気で旅の安全を 00:13:30.859 --> 00:13:31.770 祈るのです 00:13:31.770 --> 00:13:34.932 また 花婿の祖母に当たる 私の母が その場所にいると 00:13:34.932 --> 00:13:36.623 みんな言うのですが 00:13:36.623 --> 00:13:39.185 それは たとえ話などでは ありませんでした 00:13:39.185 --> 00:13:41.940 母が亡くなっているとしても 00:13:41.940 --> 00:13:44.518 近くにいると 本気で考えていました 00:13:44.518 --> 00:13:47.067 このように 現在の世界でも 多くの場所で 00:13:47.067 --> 00:13:49.229 科学と宗教の分離は 00:13:49.229 --> 00:13:50.910 起こっていないのです 00:13:50.910 --> 00:13:54.638 そして 私が言う通り・・・ 00:13:54.638 --> 00:13:59.440 この男性はチェースと 世界銀行で働いていました 00:13:59.440 --> 00:14:02.147 彼らは皆さんと 同じ世界の住人ですが 00:14:02.147 --> 00:14:03.956 彼らの住む所では 宗教が 00:14:03.956 --> 00:14:05.867 まったく違う役割を果たしています NOTE Paragraph 00:14:05.867 --> 00:14:07.993 ですから 宗教を 一括りにする人がいたら 00:14:07.993 --> 00:14:10.473 こう考えてください 00:14:10.473 --> 00:14:13.214 宗教は1種類ではないかもしれない 00:14:13.214 --> 00:14:15.845 宗教など存在しないかもしれない 00:14:15.845 --> 00:14:17.501 だから そんな人たちが言うことは 00:14:17.501 --> 00:14:20.314 正しいはずがないのだ と NOTE Paragraph 00:14:20.314 --> 00:14:23.526 (拍手)