はい!どうもアバタローです。 本日は、ビクトール・フランクルの[夜と霧] こちらをご紹介いたします。 どんな作品かと言いますと 自分の未来に対して希望が持てず 生きる意味を見失ってしまった人を 救い出してくれる世界的名著になります。 フランクルは、著名な精神科のドクターであり また、心理学の専門家です。 皆さま、よくご存じの[アドラー] そして、[フロイト][ユング] 彼らは[世界三大心理学者]と呼ばれていますが フランクルは、それに次ぐ [第四の巨頭]とも言われる人物になります。 そんな彼が、第二次世界大戦中 ナチスによって捕らえられ 強制収容所に入れられた時の 体験について書かれたもの。 それが[夜と霧]という作品です。 因みに、このタイトルの [夜と霧]というのは ヒトラーによって発せられた 作戦名のことです。 自分たちに敵対する者を捕まえる時。 まるで、夜の霧の中に消えるように ひっそりと跡形もなく連行されることから そのように呼ばれていました。 ただ、「ナチス」とか 「強制収容所」と聞きますと あれ?今日の話って凄く怖い話なんじゃないの? 暗い話なんじゃないの?と ご心配された方もいるかもしれません。 ...ですが、ご安心ください。 この作品は、収容所の恐ろしさや 戦争の悲惨さを訴えることを 目的として書かれたものでは ございません。 絶望の極致に置かれた人間たちの メンタルに焦点が宛てられた作品なんです。 収容所という受け入れがたい 理不尽な環境の中で、人々の心は どのような変化をしていき どのようなことに苦しんでいたのか。 また、何を心の支えとし、どんな考えをもって 未来に希望を見出そうとしたのか。 [夜と霧]には、こういった、今正に 知っておきたい生き方のヒントが多く含まれており 重たいテーマではありますが、読む人の心を 軽くしてくれる不思議な力があるのです。 この動画をご視聴いただくにあたって 予備知識は一切いりませんので 是非、安心して最後まで お付き合いいただければと思います。 それでは、参りましょう。 ビクトール・フランクル[夜と霧] まず、この動画の全体像からお示し致します。 初めにこの作品を読む前に 知っておくべき前提知識として 著者のフランクルとは、一体どんな人物で どういった経緯で 強制収容所に入ることになってしまったのか についてお話をします。 それを踏まえた上で [夜と霧]の中身に入っていき 最後は、フランクル思想を知る上で欠かせない [ブーヘンヴァルトの歌]について触れて 終わりたいと思います。 では早速、フランクルについて 見て行きましょう。 ビクトール・フランクル 彼は1905年。 オーストリアの首都 ウィーンに生まれたユダヤ人です。 幼少期から非常に 好奇心旺盛であったフランクルは 人間の「生きる意味」という 壮大なテーマに興味を持ち 更に、アドラーやフロイトなどの 影響を受けることで精神科医になったといいます。 また、医師として 彼の最大の功績の1つは [ロゴセラピー]と呼ばれる 心理療法を開発したことです。 [ロゴセラピー]とは 自分の生きる意味を実感できず 毎日、「虚しい」「苦しい」といった 感情を持った人に対して 生きる意味を見つけ出すサポートをする そういった『心理療法』のことを指します。 そして、彼は自ら開発した [ロゴセラピー]を実践し 人生に絶望した人の心の救済に 全生涯を捧げ 1997年の92歳のときに 天寿を全うしました。 あのマザー・テレサから『ノーベル平和賞』の 推薦を受けたこともあるほど 世の為、人の為に尽くし続けた偉人。 それが、ビクトール・フランクルです。 ただ、そんな彼が 強制収容所に入れられてしまうというのは なかなか信じがたい事実です。 ...なので、今から 彼が強制収容所に入るまでの経緯について お話をいたします。 時は、今から遡ること約90年前。 1933年のドイツでのことです。 ここで、ある大きな 政治的変化が起こりました。 なんと、長らく政権野党であった 「国家社会主義ドイツ労働者党」 通称『ナチス』が その年の1月30日。 遂に、与党となったのです。 もちろん、政権のトップは 皆様ご存じの 『アドルフ・ヒトラー』です。 そして彼は、ユダヤ人を排除するための政策を 次々と打っていきました。 何故、ヒトラーは そんなことをしたのでしょうか? まっ凄く簡単に言いますと 共通の敵を作ることで 当時、バラバラだった ドイツ国民の心を一つにし 国をまとめ上げようとしたのです。 具体的には、自分たちは ”アーリア人” と呼ばれる優性民族であり 劣等民族であるユダヤ人を迫害し 国外に追い出し 「我々でヨーロッパを統一しませんか?」と 言い出したわけです。 ナチスが政権与党となって初期の頃は ユダヤ人が経営するお店を妨害するとか レストランに入れないとか そういうレベルの嫌がらせが多かったのですが 徐々に、これがエスカレートしていきます。 1935年には 『ニュルンベルク法』と呼ばれる ユダヤ人の公民権を奪う人種差別法が制定されます。 これによって、ユダヤ人とドイツ人の結婚が禁じられ 更に、ユダヤ人は公共的な場所。 例えば、定演・劇場・プールなどへの出入りが 禁止されてしまいます。 そして、1938年11月。 フランスの首都 パリにあるドイツ大使館で書記官が ユダヤ人青年によって ”射殺される” という事件が起こりました。 因みにその青年は 自分の家族をナチスによって迫害され その恨みから 書記官を襲ったと言います。 こうなりますと当然、ドイツに居る国民たちは 「けしからん!」と、大激怒です。 そして、国内にあったユダヤ教会や商店街が 次々と襲撃されるという大暴動が起こり 90人以上のユダヤ人の方が 亡くなってしまったと言います。 破壊された家や商店街の窓ガラスが ドイツ中の道路を埋め尽くし それが、月明かりによって照らされ まるで「水晶」のように光っていたことから その事件は[水晶の夜] ”クリスタル・ナハト” と名付けられました。 これによって、ドイツ国内における ユダヤ人追放の動きは 更に、加速していくこととなったのです。 そして、その流れのまま翌年1939年。 ドイツ軍がポーランドに侵攻したことを契機に 「第二次世界大戦」 が勃発します。 ナチスも自分たちが占領した地域のユダヤ人を 初めは追放したり、隔離したりしていたのですが 戦線が膠着するにつれて方針を一変させます。 なんと!「殺処分する」という... えげつない方向に舵を切り始めたのです。 これが、ナチスによる『大量虐殺』 所謂、[ホロコースト]の始まりです。 因みに[ホロコースト]とは、元々ギリシャ語で ”焼かれた生贄” という意味になります。 水面下で行われてきたユダヤ人狩りが 遂に、ここから本格化していくことになる訳です。 そして1941年、当時36歳であった ビクトール・フランクルの元にも ナチス当局から軍司令部への 出頭命令が下ります。 そして1942年。 遂に、連れて行かれてしまう訳です。 因みに当時のフランクルは 数年前に自分の病院を立ち上げたばかりで 更に、結婚もしたばかりという状況でございます。 そんなタイミングで彼は... これ以上ない絶望の世界に 呑み込まれて行くことになるのです。 続きまして...彼が捕まってから解放に至るまでの 大まかな流れをスライドにお示しします。 ちょっと、カタカナが多いですが これらの名前は 全く覚えておかないで大丈夫ですので そこは、ご安心ください。 1つ目が [1.テレージエンシュタット] ここは、今もチェコにあります。 1942年の9月から 自分の両親と奥さんと一緒に フランクルは2年程 ここに収容されることになります。 実は、フランクルのお父さんは当時 80歳を超すほどのご高齢であったんですが 非常に栄養状態の悪い生活を強いられたことによって ここで、餓死をさせられてしまうのです。 そして、2つ目がポーランドにある [2.アウシュヴィッツ]です。 絶滅収容所として 非常に”悪名” 高い所ですね。 ここで、フランクルは自分のお母さんと お兄さんを失ってしまいます。 滞在期間は、4日ほどです。 その後、ドイツ南部バイエルン地方にある [3.ダッハウ]と呼ばれる強制収容所の [カウフェリング第3支所]という所に送られ 最後は、病人収容所である [カウフェリング第6支所]に行き 1945年の4月に ようやく「解放」という流れになります。 ここで、抑えておいていただきたいのは [夜と霧]の舞台がアウシュビッツ以降 特にダッハウ強制収容所の 支所であるという点です。 もっとハッキリ言いますと... この作品のメインステージは アウシュヴィッツではありません。 支所です! ここは、よく誤解されますので ご注意いただければと思います。 ここまで、よろしいでしょうか? 以上の流れを踏まえた上で 早速、作品の中身に入っていきたいと思います。 では、行きましょう。 私は、一心理学者として 強制収容所で体験したことを述べたいと思う。 ただ...何も私は、身の毛のよだつ 恐ろしい話をしたいのではない。 そこにいた囚人たちが、収容所の中で どのような苦労を抱えて過ごしてきたのか。 そういった「心の問題」を取り扱いたいのだ。 [119104]忘れもしない。 これは、私の囚人番号だ。 強制収容所において、私は「心理学者」でも ましてや「医者」でもなかった。 ただ、番号が振られただけの 一人の囚人でしかなかったのだ。 ではまず、私がアウシュヴィッツに送られた時の 様子から話しをしていこう。 1つの貨物車両に 80人程の人間たちと その荷物が息苦しいほどに 隙間なく入れられ 私たちは、ある場所へと輸送させられた。 辛うじて窓の一番上から薄暗い空を 眺めることができたのを覚えている。 一体、我々は何処に連れていかれるのか? 軍需工場で強制労働でもさせられるのか? そうやって、狭い空間の中で 言葉を交わし合った。 しばらくすると...列車は 開けた平地に止まろうとしていた。 何処だ! ここは一体、何処なんだ。 そんな、言い知れぬ空気が列車内を覆う中 群衆の中から、突然一つの叫び声があがった。 「ここに、立札があるぞ!」 [AUSCHWITZ] 「アウシュヴィッツだ!」 この瞬間、どれほど心臓が止まると思ったか。 「アウシュヴィッツ」は1つの概念だった。 何かよく分からないけれども しかし、それだけに「恐怖」しかなかった。 停車場に着くと エレガントな紳士のような将校が現れた。 そして、我々を指さしながら 何やら指示を出し始めたのだ。 私はこの時、知る由もなかった。 あの男の指の動き一つ一つが 「命」の選別であったということを... この時、輸送された 約90パーセントの人が 数時間も経たないうちに 「ガス室」に送られ命を奪われた。 一方、私を含む残りの人間たちは 風呂場に連れていかれ全身の毛を剃られた。 そして文字通り 「裸」の存在となったのだ。 はい!ここで止めましょう。 非常に恐ろしい世界です。 列車から降りますと 最初にあったのは「命の選別」でした。 ここでフランクルは 偶然にも生き残ることが出来たわけですが それは一体、なぜでしょうか? 結論から言いますと 労働者として「使える!」と 判断されたからです。 逆に、労働者として「使えない!」と 思われた人のことごとくは 最初の段階で "ふるい" に 掛けられてしまったという訳です。 この時、囚人たちは「収容ショック」といって とてつもない恐怖体験をすることになります。 囚人によっては、収容所を取り囲んでいる 高電圧が流れている鉄条網に走って 自害を試みることもあったようです。 ...ですが、しばらくしますと 死の恐怖がなくなっていき、自分で命を 絶つことすら考えなくなっていくと言います。 フランクルは「自分の命だけは諦めない」と 気持ちを強く保っているのですが いつ、心が崩壊してもおかしくない状態で 収容所生活を送っていました。 そんな中、先輩囚人がこっそりと フランクル達が寝泊まりしている所にやってきます。 そして、生きる為のアドバイスを 授けてくれるのです。 では、そのシーンから 続きを見て行きましょう。 「いいか...僕は、君たちに 1つのことを忠告する。 それは「ヒゲを剃れ!」ということだ。 出来れば毎日。剃るものは何だっていい。 僕は、その辺に落ちているガラス片でやっている。 後、病気になるな。 病気であっても、それを悟られるな。 命を奪われたくなければ、とにかく労働が 「可能である」という印象を相手に与えろ。 「コイツは、動けない」と判断されたら もう、俺たちはお終いなんだ。 いいか!もう一度言うぞ。ヒゲを剃れ! そして、いつも真っすぐ立って歩け。 はい!ここで止めましょう。 どれだけ理不尽で、残酷な環境の中で フランクル達が生きていたかがよく分かります。 収容された当初は 苦しいとか、怖いとか。 様々な感情の 浮き沈みを体験するそうです。 しかし、それが長引いてきますと 今度は、逆に何も感じなくなるという 新たな状態に移っていきます。 つまり、自分が生きている世界に対して 「無感動」「無関心」「無感覚」に なって行くというのです。 こうなりますと 自分の家族や仲間が殴られていても 一切、目を反らさなくなるといいます。 黙って、ただ眺める。 そこには、「嫌悪感」も「恐怖」も 「同情」もない。 何にも感じることができないのです。 更に、収容所の世界において、「苦しんでいる人」 「病んでいる人」「死につつある人」 そして、「死んでいる人」というのは 全く珍しくなく むしろ、当たり前すぎる光景であるため 人としての心が、徐々に動かなくなってくるのです。 フランクルは、この 感情が動かなくなる状態のことを 心を包む最も必要な「鎧であった」 と、表現しています。 つまり、自分の肉体が「生命を維持する」という ただ、その目的だけに集中するという 「モード」に入るんです。 その結果、生命維持に直接関係のない「心の機能」が シャットダウンしてしまうという訳です。 一旦、そのモードに入りますと 人は「食べる」とか、「寝る」とか そういった原始的な「欲求」だけに 支配されることになったと言います。 ただ、当時の囚人たちは 一日に水のようなスープと パンのかけらくらいしか食事を 与えられていなかった為 原始的な欲求のほとんどは 「食欲」が占めていたと言います。 当然、地獄のような飢餓状態におかれますから 一人残らず屍のように痩せこけていきます。 更にその状態で、蹴られたり殴られたりしながら 朝から晩まで強制労働をさせられ 「使えない」と判断されれば 処理されてしまう。 それが、収容された者たちの世界だったんです。 そんな極限状態の中 フランクルは、不思議な体験をします。 なんと、自分の目の前に 「奥さん」の面影が現れ そして言葉を 交わし合ったというのです。 この場面は、[夜と霧]という作品の中でも 特に、胸が締め付けられるところになります。 では、そこから続きを見て行きましょう。 私は妻と語った。 そして、彼女が答えるのを聞き 彼女が笑うのを見た。 例え、その場に居なくても 彼女の眼差しは 今、正に昇ろうとしている「太陽」よりも 私を照らしてくれた。 その時、私は気付いたのだ。 「愛」こそが人間にとって 最高のものだということを。 例え、この世に何一つ残っていなくても 人間は愛する人の面影を 心に宿すだけで救われるのだ。 この時、私は...自分の妻が 生きているかどうかも知らなかったし 知る必要もなかった。 私は深い愛情をもって 彼女の面影を見つめ続けた。 彼女は、まだ生きているのか。 それとも、もうこの世にいないのか。 そんな事実は もはや問題ではなかった。 例え、愛する妻が亡くなっていたと分かっていても それでも私は... 彼女の面影を 見つめ続けていただろう。 何時間も凍った地面を掘り続けても 監視兵に怒鳴られても 私は、彼女と言葉を交わした。 そして、その度に 妻の存在を強く感じた。 彼女を抱きしめることが 出来るのではないか。 手を伸ばせば触れることが 出来るのではないか。 そんな感情が強く私を襲うたび 思うのだった。 彼女はきっと、そこにいる。 ...そこにいるのだ。 はい!ここで止めましょう。 つまり、フランクルは いつ精神が崩壊しても おかしくない極限状態の中で 「愛」によって生かされたのです。 そして、どれほど人間にとって 「愛」が大切なものであるか、ということを 頭ではなく 心から痛感したというのです。 ただ、非常に申し上げにくいのですが 実はこの時、フランクルの奥さんは 別の収容所に移送され そこで、処刑されてしまっているのです。 それを知らない状態で彼は ただ、愛する奥さんの面影を心に宿し 見つめ続けていたという訳です。 因みに、以前紹介した 古代ローマの哲学者[セネカ]は 「過去は唯一、運命に支配されない 誰からも奪われない 神聖な時間だ!」と言っていました。 彼の言葉の重さが ここに来て ズシン!と響いてきます。 つまり、フランクルは身ぐるみを全て剥がされ 財産も、家族も、尊厳も 何もかも奪われたのですが 唯一、過去だけは侵害されなかったのです。 そして彼は、極限状態の中で 自分にとって最も大切な「過去」 つまり、愛する奥さんという存在を 自分の記憶から引っ張ってきました。 そして、会話ができてしまうくらい 彼女の存在を自分の心のスクリーンに 強く投影させ、それによって 自らを支えていた訳です。 ただ、気を強く保っている フランクルですが それでも心が折れそうになる瞬間は 何度かあったようです。 その中でも、特に これは「キツイ」と思われる要素を 彼は、本書で1つ挙げています。 それは、フランクルだけではなく 他の囚人たちも「確かに、その通りである」と 意見が一致したと言います。 皆さんは、何が囚人たちのメンタルを 最も苦しめたと思いますか? 答えを言いますと [「期日」が無かったこと]です。 私らは、「いつまで」この収容所にいて 「いつ」解放されるんですか? 一体いつになったら... 今まで通りの生活に戻れるんですか? こうやって、終わりの日が見えないこと。 出口が見えないことが 「何よりも辛かった」と彼らは 口を揃えて、そう言っているのです。 更に、収容所という 極端に活動が制限された環境の中で 「無限の時間」を感じるのは 並大抵ではない精神的ストレスであったと言います。 そんな中... 「もう直ぐ戦争が終わるらしいよ」 「あと6週間で、出られるらしいよ」と。 終息の見込みに関する 色んな噂が収容所内に流れては また、引き延ばされる。 これの繰り返しです。 こういった「期待」と「幻滅」の 無限ループに置かれると 「人はいずれ、心が壊れてしまう」 フランクルは、そう言っているのです。 そして、彼はまた 次のように語り始めます。 1944年のクリスマス。 そして、1945年の新年。 この間に、未だかつてない 大量の死亡者が出た。 強制収容所にいた医者によると それは、過酷な労働条件や 悪化した栄養状態。 或いは、伝染病などで 説明がつくものではなかったそうだ。 むしろ、その原因とは 囚人たちが、Xmasや新年には きっと、状況も良くなって 「家に帰れるだろう」と 素朴な希望に身を寄せたからなのだ。 もう直ぐ、クリスマスだというのに 収容所から流れて来るニュースと言えば 何時も暗い話ばかりで 明るい記事など一切なかった。 そうやって、囚人たちは どんどん失望し、落胆し そして、「抵抗力」を落として行ったのだ。 凄まじい収容所生活において 自分の内側にある「抵抗力」を落とすことは そのまま、「命」を落とすことに繋がる。 だから、自分たちの「抵抗力」が落ちないよう どうにか気持ちだけは 維持しなければならない。 その為には...自分は何としてでも 「生き延びなければならない」 という [人生の目的意識]が必要だったのだ。 はい!ここで止めましょう。 どんな人であれ、苦しい時 辛い時はありますが それを乗り越えるためには その「苦しさ」や「辛さ」に見合うだけの 「意義」が必要だと フランクルは言っているのです。 耐え抜く意味 頑張り通す意義。 それが無ければ「苦しさ」や「辛さ」に耐えられず 心が折れてしまうわけです。 好きな仕事だから 辛い時でも頑張れた。 応援してくれる仲間がいたから 苦しかったけど頑張れた。 皆さんにも そんなご経験があるのではないでしょうか? ただ、心が崩壊してしまった囚人たちは どれだけ励ましても...どれだけ慰めても... 何も言葉を 受け取らなくなってしまったと言います。 そして、こんな未来に 期待のできない人生を 「なぜ、生きなきゃいけないんだ」 「生きていたって、意味なんかないじゃないか」と 口にするように なっていったそうです。 では、こういった状態に陥ってしまったら 一体、どうすればよいのでしょうか? この問いに対し フランクルは本書で 見事な回答を 提示してくれています。 では、その続きから見て行きましょう。 これからの未来に 一体、何が期待できるんだろう? 自分の生きている意味って、何だろう? そうやって、自分の人生に 問いを投げるのは、実は正しい態度ではない。 むしろ、私たちが人生から 「君は、これからどうするんだ?」と 期待され、問われているんだ。 人生は、私たちに毎日 様々な問いを投げかけて来る。 そして、その度に私たちは その問いに対して 口先ではなく行動によって 答えなければならない。 「生きる」ということは 自分に課せられた使命に対し 責任をもって、全うする事なのだ。 人生から要求されることは 人によって異なるし その瞬間によって「変化」もする。 だから...人生にどんな意味がるだろう、と どれほど考えようが 答えなど見つかりはしない。 人生からの問いかけ。 すなわち「運命」とは... 決して、漠然としたものではなく 常に、具体的な状況となって 私たちの目の前に現れる。 そしてその度に... 「さぁ、君はどう行動する?」と 問いかけられているのだ。 従って、今まさに「苦しみ」という 課題が与えられているのならば そこに対して人間は 「運命」を見出さなければならない。 私たちは、自分以外の誰かの苦しみを 代わりに背負うことはできない。 その「運命」を授かった本人が その苦しみを背負い、担わなければならない。 しかし、その苦しみの中にこそ 本人だけしか達成できない 「唯一無二」の業績があるのだ。 こんなことを聞くと、なんて 「現実離れした考え方だ」と思うかもしれない。 しかし、この考え方は 地獄のような強制収容所生活において 我々を絶望させない唯一の 「思想」だったのだ。 はい!ここで止めましょう。 なかなか、ガツン!と響くものが あったのではないでしょうか。 ...と言いますのも、今紹介したパートは フランクル思想の正に、中心的な部分なのです。 もう一度、整理しますと... 自分の人生に意義を見出せずに「苦しい」 そういう時は、その考えを クルリと反転させて 人間の方が逆に、人生から 問われている存在である、と 「思考を切り替えてくださいね」 と言っている訳です。 また、苦しみにも「運命」を見出せという 力強い言葉もありましたが 彼が人生というものに対して 「絶対に肯定する」という 揺るぎないスタンスを取っているのが伺えます。 そして、フランクルは 人生における重要な考え方を もう1つ本書で示してくれています。 それは、この先の未来に... [自分のことを待ってくれている 存在を意識する]ということです。 この「待ってくれる存在」というのは 人でも、物でも何でもいいのです。 ある人は、いずれ巡り合う「運命のパートナー」や 自分の「子供」や「孫」かもしれませんし またある人は、一生涯 誇りをもって打ち込める「仕事」 或いは、「趣味」かもしれません。 つまり、「未来に待っている存在」というのは 人それぞれ違うのです。 そして未来の世界は、自分がやって来るのを 期待しながら待ってくれている。 そうやって自分を待つ何かの「存在」に意識を向け 未来に責任を感じていれば 人は、絶対に自分の「命」を 自ら諦めたりはしない。 だから、今... この瞬間を乗り越えてください。 「我々は、人生に試されているんです」と フランクルは解いたのです。 ここで[夜と霧]については お終いです。 では、最後に...フランクル思想を 理解する上で非常に重要な [ブーヘンヴァルトの歌]について 紹介して、終わりたいと思います。 「ブーヘンヴァルト」というのは ドイツの強制収容所の名前です。 場所は、フランクルがいた 「ダッハウ強制収容所」から 400キロメートル程 離れた所にあります。 そして、そこにいた囚人たちが歌った「行進曲」 それが[ブーヘンヴァルトの歌]です。 その歌詞の一部を読み上げますので ちょっと、聞いてみてください。 [ブーヘンヴァルトよ] [私は、お前を忘れることが出来ない] [お前は、私の運命だったのだ] [お前から去った者だけが分かる] [自由がどれほど素晴らしいか] [ブーヘンヴァルトよ] [私は嘆いたり、悲しんだりはしない] [私達の運命がいかなるものであろうとも] [私達はそれでも] [人生にイエスと言おう] [なぜならその日は] [いつか来るから] [私達が自由になる日が] [私達はそれでも人生にイエスと言おう] [なぜならその日は] [いつか来るから] はい、こんな感じの歌でございます。 先程、フランクルは「苦しみ」という課題を 運命として捉えましょう。 そこに、自分だけの 業績を見出しましょう。 「なぜなら、この考え方こそが 強制収容所のような環境でも 人間を唯一、絶望させない 思想だったんですよ」と言っていました。 そんな中、ブーヘンヴァルトの囚人たちは どうしようもない状況下であっても ”私達はそれでも人生にイエスと言おう” と歌い 自分たちの運命を受け入れ、肯定し 「自由になれる日が、我々を待っているのだ」と 叫び続けたのです。 つまり、どんなに苦しい人生であっても どんなに辛い人生あっても 全て人生からの「問いかけである」と 説くフランクルの思想を [ブーヘンヴァルトの歌]は 見事に表現していると言えます。 そして、フランクルは1945年4月。 遂に、収容所から解放され 9月に終戦を迎えます。 その後、彼はわずか9日間で [夜と霧]を書き終え世界に衝撃を与えました。 更に、自身の収容所体験について 世界中で講演活動を行い 人生の意味を見出せずに嘆いている人に 勇気を与え続けた、と言います。 その講演録は、後に書籍となり [夜と霧]に次ぐ彼の代表作として 世界中で読み継がれることとなるのです。 フランクルは、その本のタイトルを [ブーヘンヴァルトの歌]から取り [それでも人生にイエスと言う]と 名付けました。 もし、この動画で[夜と霧]に ご興味を持っていただいた方は 是非、こちらの作品も併せて ご一読いただければと思います。 心が苦しくて、耐えられない時。 きっと、フランクルの言葉が あなたのことを守ってくれるはずです。 はい!というわけで [夜と霧]以上でございます。 いかがでしたでしょうか? 重たいテーマでしたけれども 意外に後味は 悪くなかったのではないでしょうか。 また、以前紹介した ニーチェの思想と 今回の話との関連性に気づいた方。 恐らくいらっしゃると思います。 フランクル思想の中心にある [それでも人生にイエスと言う]という、この言葉は ニーチェ哲学のテーマである [生の肯定]そのものなんです。 ニーチェは、人生の意義を見出せなくなってしまう 状態のことを「ニヒリズム」と呼びました。 そして、それを克服するために「超人思想」や 「永遠回帰」といった概念を持ち出したわけですが 正に、フランクルは 極限状態でそれを体現した人と言えます。 [夜と霧]の中には、何度かニーチェの言葉を 引用するシーンがありますので 恐らく思想的影響を 受けているものと思われます。 そういったところにも ご注目いただきながら読んでいただくと より作品を楽しんでいただけるのではないかな と思います。 面白かった、参考になったという方は 高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。 また、チャンネル登録もよろしくお願い致します。 ではまた、次の動画でお会いしましょう。 ありがとうございました。