双子を身ごもって3か月経った頃 私は夫のロスと一緒に 病院に行き 2回目の超音波検査を受けました 当時 私は35歳で 先天異常の子どもが生まれる リスクが高い年齢だということは 知っていました だから ロスと私は 頻度の高い 先天異常については調べていて その場合の心構えをしたつもりでした ところが 実際に告知されたのは まれに起こる事態だという診断で そこまでは考えていませんでした 双子のうちの1人 トーマスは無脳症だと 医師から説明されました これは 重篤な先天異常です 頭蓋骨の一部が欠如しているため 彼の脳は正常に形成されなかったのです 無脳症の胎児の場合 多くは胎内で命を落とし 仮に出生しても その後わずか 数分 数時間 数日の命だというのです 一方 もう1人の息子 ケイラムは 医師が観察できる範囲では 健康に発育している様子でした トーマスとケイラムは一卵性双生児で 遺伝学的には同じです なぜ こんなことになったのか 私と夫が 医師を質問攻めにした結果 医師からは 胎児を減らす 減胎手術も提案されました その手術が 可能な時期ではありましたが 健康なほうの胎児と 母体の両方に 新たなリスクを負う手術と聞いたので 手術は見送り 2人とも 出産することにしました この時点で 私は妊娠3か月 出産まで まだ半年以上ありましたが 血圧やストレスを厳密に管理しながら 生活しなければならなくなったんです 妊娠中はずっと 銃を突き付けられながら 暮らしているような気分でした しかし私は その銃身を見つめ続け トンネルの先に光を見つけました 悲しいことが起こるのを 防ぐことはできないにせよ トーマスの短い生涯から この世界に よい影響を残す その方法を探すようになりました まず看護師さんに 目や組織 臓器の提供について相談してみました 看護師さんは 臓器移植関連の団体に 連絡を取ってくれました 地元の臓器移植協会(WRTC)です WRTCからは こう説明されました 「誕生時のトーマスは移植のために 臓器提供するには小さすぎるだろう」 私にはショックでした 予想外の理由で拒否されて 落胆していたところへ 「研究目的なら 提供できますよ」と WRTCから提案されました トーマスに 新たな光が当てられたのです 先天異常の胎児という 重い事実の一方で トーマスは 医学上の謎を解明する カギを握っていると 私は思い始めました 2010年3月23日に 双子は 2人とも元気に生まれてきましたが 結局 医師の予測どおりになりました トーマスは 頭蓋骨の上部が 欠損しているものの ミルクを飲むことはできました ほ乳瓶からです 普通の赤ちゃんと同じように 抱っこすると 私の指をつかみ 私の腕の中で眠りました その6日後 トーマスは 夫に抱かれたまま 息を引き取りました 私も家族と 側で見守りました その直後 WRTCに連絡しました 彼らは我が家へ迎えをよこし トーマスを 小児国立医療センターに運びました 数時間後 トーマスの臓器摘出に 成功したと 連絡があり トーマスの臓器と組織は 4つの研究機関に 提供されることになりました 臍帯血はデューク大学へ 肝臓は ダーラムにある 細胞医療の企業「Cytonet」へ 角膜はハーバード大学 医学部の 付属機関である スケペンス眼研究所へ そして網膜は ペンシルベニア大学に 届けられました その数日後 近親者だけで トーマスの葬儀をしました ケイラムも一緒にいました 私たち家族の生活としては こうして区切りを付けました でも私の心中は複雑でした 「その後どうなったの? どんな研究が行われているの? 組織提供は意味があったの?」と そんな折 夫と私は WRTCが主催する 「家族の集い」に招かれ そこで15組の 悲しみを抱えた家族と出会いました 愛する家族の体を 臓器移植のために提供した人たちです その集いで 一部の家族が 臓器のレシピエントから ドナーへの 感謝の気持ちをつづった手紙を 受け取ったと聞きました 権利放棄に双方合意した場合は 直接会うことも 可能だということも知りました 養子縁組の場合と似ています この話で 心が晴れた私は 自分も手紙を書こうと思いました トーマスの体がどう使われたか 教えてほしかったのです でも私は再び 失望しました このシステムも 臓器移植の場合に 限定されていたんです 臓器移植がうらやましくて 嫉妬するほどでした (笑) その後 何年も月日を重ねて 臓器・組織提供についての勉強を続けた結果 この分野の仕事にも就きました ある日 ふと思いつき 私はついに メールを書きました 「突然で恐縮ですが 私は あの新生児の母親です 2010年3月に提供した網膜を 皆様が 研究にどう役立てておられるのか ずっと気になっています 研究所への訪問を お許しいただけませんか」 こんなメールを 角膜の提供を仲介したアイバンクに つまり バージニア州眼科医療基金に 送ったんです 当事者にメールを転送してほしいとも お願いしました 次の返信が来ました 「そんな要請は初めてです だから返事は お約束できませんが 連絡自体は問題ないので 対象機関に転送しておきます」 その2日後 新たな返信を受け取りました 送信者は ペンシルベニア大学の アルパ・ガングリ医師でした メールは 感謝の言葉で始まり 先生のご専門である 網膜芽細胞腫の説明がありました この病気は 致死性の「網膜のガン」で 5歳以下の子どもに 多く発症するそうです 最後に先生は 私たちを 研究室に招待してくださいました そこで先生と電話で話しました 先生は開口一番 こう話されました 「ご家族の心情は想像を超えます トーマスは この上なく尊い 犠牲を払ってくれました ドナーの皆様には 頭が下がります」と 私はこう答えました 「ご研究に 反対などしません 先生が 息子の組織を使われたのは 組織提供を仲介する機関が決めた めぐり合わせです それに何より 病気で苦しむ子どもは 今 この瞬間にも大勢います 先生が網膜を望まなければ そのまま 埋葬されてしまったでしょう 研究に参加できたことで トーマスが この世に生まれたことに 新しい意味が加わったのです だから 彼に申し訳ないなんて どうぞ思わないでください」と 「網膜の提供は珍しい」と 先生は言われました ヒト組織を扱う専門機関 NDRIに 網膜利用の要望を出してから 6年間 待ったそうです 求める条件に該当したのは たった1件 それが トーマスでした 続いて 私と先生は 研究室を訪ねる日を相談し 双子の誕生日である 2015年3月23日に決めました 電話の後 トーマスとケイラムの写真を メールで送りました このTシャツは 数週間後 先生の手紙と一緒に届いたものです さらに数か月後 私たち家族3人は 車に乗り込み 研究室に向かいました 研究室では 先生とスタッフの方に迎えられ 先生は 私と話せたことで 肩の荷が下りたとおっしゃいました トーマスは 先生にとって研究対象でした 秘密のコードネームも 持っていたそうです Henrietta Lacksを「HeLa」と 呼ぶようなものです トーマスのコードネームは 「RES 360」 “RES”は「研究用」の略語 “360”とは 360番目の標本という意味で 10年近くの間に集まった 標本の数です また 先生は 珍しい書類を見せてくださいました 荷物を搬送するための伝票ですが ワシントンD.C.からフィラデルフィアへ 網膜を届けたときのものでした 今 私たちはこの伝票を 家宝のように大切にしています 戦争に行って表彰でもらうメダルや 結婚証明書のようなものです 先生は 腫瘍を形成する遺伝子の 非活性化を目指す研究のために トーマスの網膜とRNAを 使っていると説明してくれました さらに RES 360を使った 研究結果まで見せてくれました 次に 私たちは冷凍庫に案内されて 先生が サンプルを2個 出してくださったのですが 「RES 360」のラベルが付いていました 小さいサンプルが 2つ残っていたのです 次回はいつ 提供があるか 見通しが立たないので 残してあったそうです それから私たちは 会議室に移動して 昼食を一緒に取りながら 和やかな時間を過ごしました そのときケイラムは スタッフの方から 誕生日プレゼントをいただきました 子ども用の 実験器具セットです ついでに インターンシップにも誘われました (笑) 最後に 簡単なメッセージを2つ お伝えしたいと思います 1つは…ほとんどの方は研究機関への 臓器提供など考えたこともないでしょう 私もそうでしたから 自分では 普通の人間のつもりです でも 私は実行しました 良い経験でしたので 皆さんにも お勧めします 私たち家族には 平和をもたらしました もう1つは ヒト組織を扱う仕事に携わる方が― ドナーや その家族のことが ふと気になったときには 手紙を書いてほしいんです 組織を受け取ったこと あなたの研究についても知らせてください 家族を研究室に招いてほしいんです それを実行すれば 招かれた家族のためというよりも ご自分が 幸せになれます さらに お願いしたいことがあります ドナー家族が研究所を訪れて 訪問がうまくいった場合には ぜひ 私に教えてください 私自身の 話の続きをすると 結局私たちは トーマスの組織を受け取った― 4つの機関を 全部訪問したんです 最先端の研究に携わる すばらしい方たちとお会いしました トーマスは こんな独自のやり方で あちこちの有名大学に入りました ハーバードにデューク さらにペンシルベニア (笑) おまけに Cytonetに就職もしてます 同僚や仲間も たくさんいます しかも とびきり優秀な人ばかり トーマスは そんな人たちから 必要とされているのです 彼の命は 短くはかないと 思ったこともありましたが とても重要な仕事に 長く関わっていると 今は思います 私も 誰かを助ける活動を長く続けたいです ありがとうございました (拍手)