相互扶助はアナキストの実践の背景にある道標であり、 またアナキストの社会組織をより広く理解するための根本的な骨組でもある。 実際のところ、それは何なのか? 簡単に言うと、相互扶助とは:二人以上の人が協力して問題を解決し、 みんなに関わる共通の利益に資するということだ。 つまり、共通善のための協力。 こう考えれば、相互扶助は真新しいアイデアでもないし、 アナキスト独特のものでもないことが分かる。 事実、人間社会のはじまりからして、相互扶助は生存の問題として実践されてきたし、 今日に至るまで動植物の世界に数えきれないぐらい例を見ることができる。 アナキストと相互扶助の関係を詳しく知るには、時代を100年以上さかのぼって、 あの有名なクロポトキンの著作を知る必要がある。 歴史上もっとも豊かな髭を蓄えた人物の一人であり、 非常に優秀な動物学者・環境生物学者だ。 クロポトキンの時代には進化生物学の分野の中心には社会進化論が陣取っていて、 人間社会にもダーウィンのあの「適者生存の法則」を無慈悲に当てはめた。 社会進化論者は、いま存在する社会的な階層 どうしの自然選択あるいは生存競争であり、 したがって人類の進化にとって重要で不可欠な要素だと結論した。 当然、この考えは特に金持ちで政治的立場の強い白人男性に人気があった。 社会における彼らの特権的な立場について 科学っぽく正当化できるし、 しかも欧州がアジア・アフリカ・アメリカ大陸を植民地支配す ることも理屈付けしてくれるからだ。 クロポトキンはこの因習的な学問に挑戦した。 1902年に「相互扶助論」と題した本を発表し、 進化には盲目的な個々の競争以上の仕組みがあることを証明したのだ。 他の種と協力し合い互いの利益のために共生的な関係を結ぶ種の方が、 より環境に適応し、そうでない種よりも競争力が高いのだ。 現代の都市社会では、 人は誰しも自分の家と、銀行口座、スマホ、フェイスブックページを持つ、 独立して一人でも食っていける個人だと思い込まされている。 しかし、独立した人間という考えは、私たちをバラバラにし、 目先の満足しか気にしない操りやすい消費者として人々を飼いならすために、 企業と国家が広めた神話である。 真実はこうだ:人間は驚くほど互いに依存している。 事実、人類が種として成功した鍵はここにある。 自分が食べている食べ物や今着ている服がどこから来たのか考えたことがある? あなたの家や車をつくるための原料や労働はどこから来たのだろう? もし文明の安楽なしに自力で生きていくことになったら、 ほとんどの人は一週間も生き延びられないだろう。 もちろん毎日消費する無数の商品のひとかけらを作ることもできない。 ファラオがピラミッドを作らせた古代エジプトから、 今日の拡大し続ける生産・供給の連鎖に至るまで、 支配階級の主要な機能はいつも人間の活動を動員することであった。 そして、それはいつでも力づくだった。 資本主義のもとでは、この活動は直接的な暴力か、 あるいは富と財産の私的所有を基盤とするシステムによって作り 出された飢餓への恐れを私たちに内面化させることを通して組織される。 資本主義は人々に素晴らしいことをさせることもあるが、 そこに何か利益が作り出される限りにおいてである。 利潤という原動力がはたらかない重要な課題は多くある。 例えば世界的な貧困や予防できる病気を根絶したり、 海洋から有害なプラスチックを取り除くといったことだ。 これらの記念碑的な課題の遂行のためには、 私たちを他者と結びつける態度と私たちを支える世界を変える必要がある。 資本主義から相互扶助へ… アナキストの相互扶助の理想は様々な場面に見出せる。例えばオープンソース・ソフトの開発者や、 NSAによる監視を妨害する暗号化を開発するプログラマーたち。 近所の人同士が集まって作った地域のデイケアグループ。 ハリケーン・カトリーナなどの大災害で行政機関がないときに、 まったくの見ず知らずの人々がお互いを助けるために駆け寄ってきた人々。 爆撃された廃墟から子供たちを助け出すために命を投げ出す、 アレッポの白いヘルメットたちの勇気 想像してみよう。限られた資源をめぐる絶え間ない競争に 基づかない世界を。 それが、アナキストが作り出そうとしている未来だ。