9:59:59.000,9:59:59.000 "米国で最も危険な人物のうちの一人" 9:59:59.000,9:59:59.000 と批評家たちにあだ名を付けられる何年も前 9:59:59.000,9:59:59.000 エマ・ゴールドマンという若い女性は 9:59:59.000,9:59:59.000 ダンスをしていました 9:59:59.000,9:59:59.000 政治活動家として[br]支持集めのために 9:59:59.000,9:59:59.000 参加したイベントでしたが 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女はとてもダンス好きで 9:59:59.000,9:59:59.000 仲間の一人から呼び出され 9:59:59.000,9:59:59.000 浮ついていて威厳かない[br]と注意されるほどでした 9:59:59.000,9:59:59.000 真面目な活動家が 9:59:59.000,9:59:59.000 そんなに楽しんでいるところを[br]人に見られていいのか? 9:59:59.000,9:59:59.000 邪魔をされて[br]腹を立てたゴールドマンは 9:59:59.000,9:59:59.000 その若い男性に 9:59:59.000,9:59:59.000 余計な口出しはするな[br]と言いました 9:59:59.000,9:59:59.000 なぜなら彼女が闘った自由とは 9:59:59.000,9:59:59.000 "人生と喜びを否定"[br]するようなものでなはかったからです 9:59:59.000,9:59:59.000 代わりに彼女はこう言っています 9:59:59.000,9:59:59.000 "私は自由が欲しい 9:59:59.000,9:59:59.000 自己表現できる権利が 9:59:59.000,9:59:59.000 誰もが美しく輝くものを[br]手にする権利が" 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンにとって[br]ダンス抜きの革命など 9:59:59.000,9:59:59.000 価値のないものでした 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は1869年にロシア帝国で 9:59:59.000,9:59:59.000 ユダヤ人の両親のもとに生まれ 9:59:59.000,9:59:59.000 よそよそしい母親と[br]暴力的な父親に育てられ 9:59:59.000,9:59:59.000 15歳のときに[br]結婚させられそうになりました 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女が拒否すると 9:59:59.000,9:59:59.000 父親は仏語の文法書を[br]火に投げ入れ こう言いました 9:59:59.000,9:59:59.000 "女子に学問は必要ない! 9:59:59.000,9:59:59.000 ユダヤ人の娘に必要なのは 9:59:59.000,9:59:59.000 魚の調理法と 9:59:59.000,9:59:59.000 麺を細く切ること 9:59:59.000,9:59:59.000 たくさん子を産むことだ" 9:59:59.000,9:59:59.000 当時 エマ・ゴールドマンほど 9:59:59.000,9:59:59.000 女性らしさの概念に[br]反発した女性は 9:59:59.000,9:59:59.000 ほとんどいませんでした 9:59:59.000,9:59:59.000 16歳のとき[br]彼女は父親のもとを逃げ出して 9:59:59.000,9:59:59.000 米国へ移住し 9:59:59.000,9:59:59.000 人生の真の目的を[br]見つけました 9:59:59.000,9:59:59.000 すなわち 政治的反逆者になり 9:59:59.000,9:59:59.000 生涯にわたって革命を叫ぶ[br]苛烈な演説家になることです 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女はシカゴで処刑された[br]労働運動家たちの 9:59:59.000,9:59:59.000 悲劇的な話を聞いて恐怖し 9:59:59.000,9:59:59.000 労働運動に惹かれ 9:59:59.000,9:59:59.000 後にアナキズムにも[br]魅せられました 9:59:59.000,9:59:59.000 アナキズム(無政府主義)[br]という語感とは裏腹に 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンの信条は 9:59:59.000,9:59:59.000 無秩序でも混沌でも[br]ありませんでした 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は 9:59:59.000,9:59:59.000 て政府や宗教 戦争 9:59:59.000,9:59:59.000 ビジネスの利害関係 9:59:59.000,9:59:59.000 結婚といった抑圧的な[br]制度を拒否し 9:59:59.000,9:59:59.000 個人の自由を重視しました 9:59:59.000,9:59:59.000 便宜上[br]もしくは市民権を得るために 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は何度か[br]婚姻関係を結びましたが 9:59:59.000,9:59:59.000 伝統的な結婚の概念は拒絶し 9:59:59.000,9:59:59.000 子どもは持たない決断をしました 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは[br]あっという間に急速に 9:59:59.000,9:59:59.000 米国で最も有名な[br]急進論者の一人となり 9:59:59.000,9:59:59.000 その演説力の高さは 9:59:59.000,9:59:59.000 "大ハンマー"[br]と呼ばれたりもしました 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は情熱的に演説しながら 9:59:59.000,9:59:59.000 全国を旅して回り 9:59:59.000,9:59:59.000 有名記者のネリー・ブリーは 9:59:59.000,9:59:59.000 "小さなジャンヌ・ダルク"[br]というあだ名を付けました 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは[br]その思想ゆえに 9:59:59.000,9:59:59.000 何度か刑務所に[br]入れられたこともありました 9:59:59.000,9:59:59.000 避妊を奨励したときや 9:59:59.000,9:59:59.000 男性が兵役に登録するのを 9:59:59.000,9:59:59.000 阻止しようとしたとき 9:59:59.000,9:59:59.000 そして失業者たちに向かって 9:59:59.000,9:59:59.000 職と食を失ったら 9:59:59.000,9:59:59.000 金持ちからパンを奪え[br]と言った時にです 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは[br]女性の自立を支持していましたが 9:59:59.000,9:59:59.000 婦人参政権論者とは[br]あまり相いれず 9:59:59.000,9:59:59.000 抑圧的な制度のなかで[br]女性が参政権を得ることよりも 9:59:59.000,9:59:59.000 その制度自体を 9:59:59.000,9:59:59.000 取り除くことの方が[br]重要だと考えました 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女はこう言っています 9:59:59.000,9:59:59.000 "参政権や平等は市民権は 9:59:59.000,9:59:59.000 良い要求ではあるが[br]真の解放が始まるのは 9:59:59.000,9:59:59.000 投票所でも裁判所でもない 9:59:59.000,9:59:59.000 それは女性の魂から始まる" 9:59:59.000,9:59:59.000 女性は社会や政府の 9:59:59.000,9:59:59.000 性差別的な規則を拒絶し 9:59:59.000,9:59:59.000 自分の人生や身体に関わる権利を 9:59:59.000,9:59:59.000 強く主張する必要があると[br]ゴールドマンは信じていました 9:59:59.000,9:59:59.000 そうすることだけが[br]真に女性を解放すると 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは言いました 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は異性愛者でしたが 9:59:59.000,9:59:59.000 米国人同性愛者の権利を[br]支持した 9:59:59.000,9:59:59.000 先駆者の一人であり 9:59:59.000,9:59:59.000 避妊と女性の性的解放を 9:59:59.000,9:59:59.000 支持した先駆者の一人[br]でもありました 9:59:59.000,9:59:59.000 "私は女性の自立を求める 9:59:59.000,9:59:59.000 女性が自活できる権利を 9:59:59.000,9:59:59.000 自身のために生きる権利を 9:59:59.000,9:59:59.000 相手が誰でも 何人でも 9:59:59.000,9:59:59.000 自分で選んだ相手を[br]愛することができる権利を 9:59:59.000,9:59:59.000 私は男女両方の自由を求める 9:59:59.000,9:59:59.000 行動する自由 愛する自由[br]そして母親になる自由を求める" 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女はそう書いています 9:59:59.000,9:59:59.000 ジェンダー 性 セクシュアリティに関する[br]彼女の思想の多くは 9:59:59.000,9:59:59.000 今ですら賛否両論と言えるでしょうが 9:59:59.000,9:59:59.000 1800年当時は 9:59:59.000,9:59:59.000 非常にショッキングなものとして[br]受け止められました 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは長年[br]米国の権力者たちにとって 9:59:59.000,9:59:59.000 目の上のこぶでした 9:59:59.000,9:59:59.000 1919年にはとうとう 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女の米国市民権が[br]無効とされ 9:59:59.000,9:59:59.000 ロシアへ強制送還されました 9:59:59.000,9:59:59.000 当時ロシアでは 9:59:59.000,9:59:59.000 人民による革命が[br]起きたばかりでした 9:59:59.000,9:59:59.000 しかし そこで彼女が目にしたのは 9:59:59.000,9:59:59.000 夢見たような楽園などではなく 9:59:59.000,9:59:59.000 市民の権利を奪おうとする 9:59:59.000,9:59:59.000 抑圧的な新体制だったのです 9:59:59.000,9:59:59.000 レーニン本人と会見したあと 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは[br]新たな共産主義政権に対し 9:59:59.000,9:59:59.000 心底幻滅しました 9:59:59.000,9:59:59.000 そのため彼女は海外を旅し 9:59:59.000,9:59:59.000 ソビエトの威圧的な態度について[br]演説しましたが 9:59:59.000,9:59:59.000 多くの仲間たちからは[br]異端視され 9:59:59.000,9:59:59.000 スウェーデンとドイツから 9:59:59.000,9:59:59.000 入国拒否されてしまいました 9:59:59.000,9:59:59.000 1934年に 9:59:59.000,9:59:59.000 ルーズベルト政権から 9:59:59.000,9:59:59.000 許可を得て 9:59:59.000,9:59:59.000 やっと米国へ戻ったときには 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは60代の[br]おばあちゃんのような存在でしたが 9:59:59.000,9:59:59.000 頑固さと辛口の発言は 9:59:59.000,9:59:59.000 若い頃とまったく[br]遜色ありませんでした 9:59:59.000,9:59:59.000 米国での[br]最後の演説巡業で 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女はヒトラー政権下の 9:59:59.000,9:59:59.000 ドイツのファシズムや 9:59:59.000,9:59:59.000 スターリン政権下の[br]ロシアの共産主義を批判し 9:59:59.000,9:59:59.000 右派と左派[br]両方の怒りを買いました 9:59:59.000,9:59:59.000 年齢を重ねて 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女の革命精神が[br]衰えることはなく 9:59:59.000,9:59:59.000 67歳の時には[br]バルセロナへ行き 9:59:59.000,9:59:59.000 スペイン市民戦争で 9:59:59.000,9:59:59.000 ファシズムに対抗して闘った 9:59:59.000,9:59:59.000 労働者やアナキストたちを[br]支持しました 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンは彼らを 9:59:59.000,9:59:59.000 全世界にとっての[br]"輝かしい例"と呼び 9:59:59.000,9:59:59.000 一万人の聴衆に向かって[br]こう言いました 9:59:59.000,9:59:59.000 "あなた方の理想は[br]私の45年間の理想でもあり 9:59:59.000,9:59:59.000 それは死ぬまで[br]変わらないでしょう" 9:59:59.000,9:59:59.000 人生の終盤で 9:59:59.000,9:59:59.000 自分の目標が[br]かつてないほど 9:59:59.000,9:59:59.000 人気がなく 9:59:59.000,9:59:59.000 現実から遠く[br]離れていると感じたときでも 9:59:59.000,9:59:59.000 ゴールドマンの考えが[br]ぶれることはありませんでした 9:59:59.000,9:59:59.000 強制送還や暴力の脅し 9:59:59.000,9:59:59.000 刑務所入りのリスクがあってもです 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は未来の世代のために 9:59:59.000,9:59:59.000 道を照らしたいと思いました 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女は亡くなる何年か前に 9:59:59.000,9:59:59.000 友人で元恋人だった人物に[br]こう書いています 9:59:59.000,9:59:59.000 "いつか 私たちが亡くなって[br]何年も経ってから 9:59:59.000,9:59:59.000 自由はその誇り高き首を[br]再びもたげるだろう 9:59:59.000,9:59:59.000 その道を照らすのは[br]私たち次第だ 9:59:59.000,9:59:59.000 今日その光が[br]いかに薄暗く見えても 9:59:59.000,9:59:59.000 炎であることにかわりはない" 9:59:59.000,9:59:59.000 生涯にわたってゴールドマンは 9:59:59.000,9:59:59.000 仲間と敵の両方を激怒させる[br]才覚がありましたが 9:59:59.000,9:59:59.000 どちらか一方を喜ばせるために 9:59:59.000,9:59:59.000 自身の信条や生き方をかえることは[br]決してありませんでした 9:59:59.000,9:59:59.000 ある歴史家はこう書き残しています 9:59:59.000,9:59:59.000 "ゴールドマンは[br]人生を暴走し 9:59:59.000,9:59:59.000 火を焚いた跡を残していった" 9:59:59.000,9:59:59.000 そして実際ゴールドマンは[br]真実の名の下に 9:59:59.000,9:59:59.000 ほとんどどんな橋でも[br]燃やしてしまうような勢いでした 9:59:59.000,9:59:59.000 かつて若い男性にダンスを邪魔された時に 9:59:59.000,9:59:59.000 彼女が言ったように 9:59:59.000,9:59:59.000 自由がすべての人にとって 9:59:59.000,9:59:59.000 生まれながらの権利となり 9:59:59.000,9:59:59.000 女性が自由に生き 9:59:59.000,9:59:59.000 愛し 9:59:59.000,9:59:59.000 踊る 9:59:59.000,9:59:59.000 そんな世界を実現するために[br]彼女は生涯闘い続けたのです