こんにちは 皆さん! 私の声は聞こえますか? 聞こえる? 了解 私はヘザー・アーティニアンで 今日ここで皆さんの前に立つことに 本当にワクワクしています まず 質問があります 皆さんはどの世界に属していますか? なぜなら 私はいつもこう聞かれるからです そして私の答えはいつも 「ヘザーの世界よ」です (笑) 今日は 私がどうやって「ヘザーの世界」に 辿り着いたかをお話しします そして今日私の話を聞いて 皆さんに なぜ互いの世界の間に 橋を架けるべきかについて より深く理解して頂けたら とても嬉しいと思います 私は全く耳が聴こえない 聾(ろう)者として生まれました つまり原爆でもない限り 何も聴こえないという意味です 便利なことよと感謝しています 他には 毎晩確実にぐっすり眠れるのが 素晴らしいですね (笑) 私の家族は 両親も含めて耳が聴こえず 社会的にも聾です これは 手話で意思疎通をするという意味です 彼らは聾学校に通い 友達も耳が不自由で 完全にその世界に どっぷり漬かっています 私の2人の聾者の弟も同じような状態です でも私には 聴者の祖父母と 聴者のおじ達と 聾者のおば達といとこ達がいて 私の家族は 聴者と聾者が 入り混じった大家族で そこが私がこの家族の大好きなところです 5歳の時 私は橋の上に立っていて 私の左側には 聾者の両親と 聾者の世界がありました そして右側には 聴者の祖父母と 聴者の世界がありました 私はたった5歳でしたが 両方の世界に属したいと 強く願っていました それが論争の始まりです [響きと怒り] このドキュメンタリー映画は 聴覚を補助する人工内耳をつけると 私が決心したことから生まれました 聾者の両親と聾者の世界は とても批判的でした まるで私が 聾者の世界は 私には不十分だと言い 両親の全人生を拒否しているように 受け止められたからです そんなことなかったのにです でもその後 聴者の世界からも批判され 両親に向かってこう言われました 「なぜ 我が子に聴くチャンスを 与えないのか?」と 複雑な問題ですよね? そうやって論争は始まりました 映画の最後で 全ての闘いの後 私の両親は最終的に 私にとって 当時の最良の選択は 人工内耳をつけないことだと判断しました ですから私は 一度は橋の真ん中にいたのに そこで 左側の聾者の世界に どっぷり浸かってしまった訳です 一家でメリーランド州に引っ越すと そこには前に住んでいたニューヨークに比べて 巨大な 聾者のコミュニティがありました 大ヒット映画やレストランや 食料品店へ行ったりしても 従業員達が 聾者の世界を よく分かっているので簡単です 聾者への接し方を心得ていました 前に住んでいたニューヨークで 両親とレストランに行った時を思い出します 飲み物を注文するだけで もう大変な苦労でした 「何?」と「ハァ?」と 指さしと 「いやこれは注文してない」の連発です でもメリーランドでは 給仕人が やり方を心得ていました 私と弟達は聾学校に通いました 両親は目に見えて幸せでした しかし そこに約3年半暮らした頃に 母が大きな病気にかかり 私達はニューヨークへ 戻らざるを得ませんでした そして私は 再び聴者の世界に直面しました 近所の子供達は皆 言葉を話し 手話はしませんでした 私は 彼らと意思疎通したいと 思ったのを覚えています 彼らと遊びたいと思いました 当時 私は9歳でした そしてしばらくの間 私は人工内耳を欲しいとは思いませんでした 私は 無性にメリーランドに 戻りたいと思いました それまでの人生を通じて知った 快適な世界に戻りたいと思いました でもしばらく後に — 特に 耳が聴こえず 意思疎通ができないという理由で 父が仕事で昇進を逃した後 ― 私は 同じ目に遭いたくないと実感しました 強く実感しました そして 誰とでも意思疎通できるように なりたいと心底思いました それで10歳の時に 人工内耳をつけることを決心しました [響きと怒り 6年後] そして両親も承知してくれました 医師には 人工内耳をつけても 成果はごくわずかだろう ― なぜなら 私はもう10歳で 言語を効果的に学べる臨界期を過ぎているから すごくうまく話したり聞いたりするようには ならないだろう と言われましたが 私は 試してみたいと思いました 分からないでしょ? うまくいくかも知れません そして現在 私は上手く行ったと思っています よく聴こえるようになり 上手く話せるようになりました 私は最初から 聾学校に通ったので 発話や聞き取りの スキルがありませんでした 人は私の言うことが分からず ただ座って頷いて 「うーん 何を言ってるのか 分からない」と言うだけでした (笑) でもいいんです その間私は ずっと言語療法に通っていました そして高校に入った時 私の話す能力と聴く能力は 良くなってきていると気づきました 人々は私の言うことを理解し始め 私も相手の言葉を理解し始めました 私はスポーツもしたのですが それが仲間に入る為の私の方法でした なぜなら彼らは耳が聴こえるか 聴こえないかで私を見ずに 私を見てスポーツが得意みたいだから 友達になりたいと思ってくれたのです それは私が気づいた 隔たりを埋めるための最初の機会でした 当時の私は 学校に通い クラブや活動に参加していました その後 私だけの次の訓練がありました 夜9時に家に帰って まっすぐ言語療法に行き その後 宿題をしました これを 卒業するまで毎日やりました 多大な労力と献身が必要でしたが 私は進んでやりました その成果は出ました すべてを私だけでやったのではありません たくさんの助けをもらいました 毎晩私に我慢強くつきあってくれた 言語療法士達がいました 教室には 私が理解できない時に 助けてくれる通訳がいました 最初から最後まで 私を支えてくれた 素晴らしい家族がいました 私が16歳の時 両親と弟達は ニューヨークのロチェスターに越しました そこにはメリーランドのような 大きな聾者のコミュニティがありました 私は残って 祖父母と暮らしました なぜなら それが当時 私にとって最善の決断であり 発話によって人と繋がろうとする それまでずっとやってきたことを 続けたかったからです 私の家族の写真をもっとお見せします 私のおじ おばと 素晴らしい祖父母と 他のおじといとこ達です 現在まで早送りすると 私はジョージタウン大学の3年生です 専攻は政治学で 副専攻は正義と平和研究です 私は憧れの大学にいます 私の夢は法科大学院に行って うまくいけば ジョージタウンの皆のように 最高裁判所判事になることです ひょっとしたらね? (笑)(拍手) たぶん たぶんですよ ありがとうございます 高校卒業後 あることに気づきました 私は聴者の世界に属す必要はなかったし 聾者の世界に属す必要もありませんでした ただ真ん中に立って 私自身の「ヘザーの世界」に いれば良かったのです そこは私が経験してきた あらゆることが混じり合った世界です 聾者として 聴者の世界に暮らし 人工内耳をつけている ― 言い忘れましたが 今は人工内耳を2つ つけています この気づきから こう考えるようになりました 私は強く信じます [自分の内と外の世界を 橋渡しする好機を逃さないこと] 誰もが 自分と他者の世界を 繋ぐ機会を掴むべきです 経験の大小に関わらず それができます 私が自分の経験から学んだのは 相手が 意地悪そうだったり よそよそしく思えても それは 皆さんを 好きではないからではありません ほとんどの場合 それは 怯えや不理解からくるものです 耳が聴こえないことだけを見て ヘザーという個人を見ていません ですから 手を伸ばして そこに架け橋を作ることが 私と皆さんのやるべき仕事です 私だったら自己紹介でこう言います 「私はヘザーで 聾者です — それは分かっています でも人工内耳をつけてるから ちゃんとやり取りできます 私の言うことが分からなければ 喜んで 繰り返し言います ルームメイトはいつも そうしているから任せてね」と (笑) すると変化が起きます 「なんだ 彼女は普通だ ただ会話すればいいんだ」と 相手が気づき始めます 相手が安心すること それが鍵です 人は新しいものを見ると不安に感じます 私達が人としてすべきは 相手に手を伸ばすことだと思います これは 様々なことに当てはまります 人種 性別 障害 政治 教育を利用する機会です 手を伸ばして下さい そうすれば 驚きが待っています 誰にもそういう経験があると 私は心底思っています [誰もが影響を与えることができる] 大なり小なり 影響を及ぼすでしょう 私が誰か一人に手を伸ばして 耳が聴こえないことについて語るだけで 多分その人は 周囲に他の聾者がいても 気まずく感じなくなるでしょう そしておそらく 他の物事についても より気楽に対処できるようになります すでに新しいことを試した後ですからね [自分が心を開くことでどれほど 他者の人生に影響することか] 私は心からこう感じます 一旦 橋をかけて 心を開いたら 橋渡しをする価値があることを 相手に分かってもらう助けになります 私達全員にその価値があります もし皆さんが心を開けば 相手は理解し 大抵の場合 自分もそうしようとするでしょう 私は 親友に出会いました 高校の時でした 中学では 私は本当に恥ずかしがりで 誰とも心を通わせませんでした 隅っこに立って何も話しませんでした でも スピーチに自信がついた時 私は 相手に働きかけ始めました そして私がこの1人の人物に 働きかけたことがきっかけで 彼女は今 手話を学んでいます 彼女の手話は ほぼ完璧で 言語病理学の研究をしていて 私に出会っただけで 聾者の社会に 貢献したいと思うようになりました だから皆さんも自分の経験を通して 他者に働きかけるだけで 誰かの人生を変えることができます でも時として 相手に 理解されないこともあります ある人と話した時のことですが 彼は私に言いました 「出身はどこですか?」 私は言いました 「ニューヨークからです」 「いや 違う そうじゃなくて 本当に どこの出身ですか?」 「ニューヨークですが」 「いや 違う 違う 違う 言葉にアクセントがあるでしょう どこの出身ですか?」 (笑) それで私は言いました 「ああ 私は聾者なので」 「まさか 今話しているじゃないですか どこの出身ですか?」 「はいはい (笑) その通り 私はアフリカ出身 だからアフリカなまりです」 (笑) つまり 皆さんが思うより 骨が折れることもあります でもいいんです いいんです (笑) でも それ以外にも 否定的な反応をされることがあります 橋は一方からだけでは架けられません 自発的に 皆さんのところに 来てくれる相手が必要です 私は多くの困った状況に遭遇してきました たとえば人が私に言います 「なんでわざわざ 法律大学院に行くの? 法廷でどうやって意思疎通するつもり?」 また 私のことをあざ笑い 私の意見に取り合わない人もいました 私のことを「聾者で話せない」と思うからです あるいは 人が私を見て 考えることといったら 通訳の費用だけだったりします でも私はそういう人々にこう言います いいですよ 人にはそういうところもありますから 人の信念はそれぞれです でも大事なことは 皆さんが人々と架ける橋が それらを補ってくれることです 皆さんの架ける橋が 社会を前進させるのです 皆さんが橋を架けるにつれ その数は増えていきます そして皆さんを信じなかった人の数は 減っていくでしょう よく聞いてください 私が法科大学院で修了証書をもらう時 メールで修了証書を送る相手全員の リストを持っていますからね(笑) メールで修了証書を送る相手全員の リストを持っていますからね(笑) 彼らは後悔するでしょう (笑) 彼らは後悔するでしょう (笑) 後悔するでしょう これは 私が大学で築いた橋の1つの例です 私のルームメイト達は 私にとって最高の仲間です 私が勇気を出して 踏み出さなければ 出会えなかった仲間です 私が知る限り 最高の仲間への ささやかな賛辞でした 賛辞! (笑) 私の結論はこうです 私は橋の真ん中に立っていて 自分がどの世界に属するかは 選ばなくていいのだと 本当に良く 分かっています 「ヘザーの世界」にいられるのです だから皆さんにも 自分の世界が持てます 他人の言うことを誰が気にしますか? 私達 皆が手を伸ばし 繋がりながらも 自分らしくあること ― それらの影響を 世界に波及させるべきだと思います そして皆さんは橋の向こう側に見る光景に とても驚くだろうと思います だから手を伸ばし 他者を受け入れ 多様な経験を理解するよう努めましょう 他者が自分の経験を 理解することを受け入れましょう 皆さんの経験が良くても悪くても それは他者に影響を与えるでしょう ありがとうございました (笑)