この質問から始めてみましょう あなたは新しいTシャツを買いに お気に入りの店に車で向かいます 店の品物を見比べ 選択肢を2つのTシャツに絞り込みます どちらも同じ位 クールです 両方とも手に取ってみます あなたは知っています 片方は健全な労働環境の企業によって 製造されている事 児童労働も無く 適正賃金が支払われいて 有毒な化学染料も使われておらず オーガニックコットンで作られています もう片方のTシャツは 1週間前の報道によると いわゆる「搾取工場」的 劣悪な労働環境で知られる ブランドのものです 児童労働が横行しているでしょうし もちろん適正賃金は支払われておらず 有毒な化学物質にまみれていて オーガニックではありません あなたはどちらのTシャツも 同じくらい気に入っているのですが この状況で 皆さんの中で より「責任ある」Tシャツを選ぶ方は 手を挙げて下さい OK 大半の方ですね では 一番最近Tシャツを 買った時の事を思い出して下さい その時あなたは 購入の決断による 社会・環境的影響について 考えたでしょうか? そのTシャツのブランドの 社会・環境的な振る舞いについて 考えましたか? コンピューターやスマートフォンを 買った時はどうだったでしょう? それら商品が生産される過程の 人権環境を 確認しましたか? おそらくしなかったでしょう これは「意図と行動の乖離」と言い 私たちに最善の意図があっても 実際の意思決定となると それを忘れてしまいますし 色々 言い訳をして 意図を行動に移せません 何がこの乖離を 引き起こすのでしょう? サステナビリティになると 何故 私たちはこんなにも理想とは違った 行動に甘んじてしまうのでしょう? 情報不足から生じる問題と 考えられるかもしれません これらの事柄に関する知識があれば より良い決断が出来るだろうと 知識があればそれだけ消費者としての 責任ある決断につながるだろうと 2013年4月に起きた事件を 思い出してください バングラデシュのダッカで ある縫製工場が倒壊しました ニュースで事故現場の画像を 目にしたでしょう 幾つかのブランドの名前を 覚えているかもしれません そこで生産されていた製品のね この事件の前後にそのブランドの 商品を買ったかも知れません その1年前 フォックスコンの労働者たちの話を 聞いたことがあるはずです スマートフォンやコンピューターを 生産する工場で 屋根からの投身自殺が相次ぎました そこの労働者たちが 劣悪な労働環境に苛まれた結果です ご存知の通り 私たちはマグロを 口にできる最後の世代かも知れません 児童労働や奴隷労働が チョコレートや砂糖、金、コルタン等の あらゆる産地で起こっています このような事を 聞いたことがないという方は 過去20年を ロビンソン・クルーソーのように 孤島で暮らしてでもいたのでしょう ですから問題は 情報量ではないのです 私たちは責任を転嫁することだとか 自分たちの持続不可能な選択を 正当化することに長けています 企業に責任を押し付け 生産方法の問題だと言います そして 生産側の問題だという 言い方をして 企業にその行動を改めるように求めます これにも一縷の真実はありますが 物語の一部でしかありません 何故なら基本的に 私たちがこんにち直面する サステナビリティの問題は 私たちの生活様式の問題だからです 私たちはもっとモノが欲しい もっと速く もっとも安く つまり私たちは 問題に加担しているのです 現在の生産方式をとりまく環境を 改善すれば良いというだけでは無く 我々の消費文化を 変容することも必要なのです 情報の欠除が問題なのではありません では「意図と行動の乖離」は 何故起こるのでしょう? ほとんどの場合 私たちが消費者として決断する時 無意識に まるで自動操縦のように 行動しています 深く考えることなく いつもの慣れで決断をします 今まで続けてきた 当たり前のような習慣が 私たちの行動を左右します 最後にスマートフォンで しばらくメールのチェックを止めようと 決断した時を思い出してください 多分長くは続かなかったでしょう 習慣は理性よりも 強力なことがあります もっとサステナブルな消費をしたければ 習慣をプログラムし直す必要があるのです 習慣は氷山のようなものだと考えてください 表面に見える部分が「行動」です 水面下にあり見えないのは 「価値観」や「信念」 行動に影響するものです だから 誰かの習慣を変えたい場合— これは難しいことですが 直接その行動を ターゲットすることもできます 禁煙を促進したいなら 公共の場での喫煙を 違法にすればいい こうして行動自体をターゲットにします あるいは そもそもその根底にあり 行動を引き起こしている 価値観や信念も ターゲットにできます これはより難しいのですが もっと根本的な変化を引き起こします では普段 私たちは価値観や信念に どう働きかけているのでしょう? 私たちは 社会に存在する価値観や信念に 「物語」を通して語りかけます 物語は習慣を形作り、強化し、断ちます 子供達がおとぎ話を 好きなのを思い出してください そしておとぎ話を通じて 価値観や信念が伝えられることを 古代ギリシャやローマの社会が 強力な神話により導かれていたことを 思い出してみてください 高度に複雑な物語の数々は 人々の毎日の生活での行動を導いていました 禁煙の話に立ち戻れば 公共の場での喫煙を 違法にしてもいいし 喫煙を促す価値観や信念を 再プログラムしてもいいのです タバコ業界はこうした物語を 作り上げることに長けています ティーンエイジャーたちには カッコ良さ、リスク、大人の世界の物語 正にティーンたちが求めるものです 彼らはそれがカッコ良くて 大人に近づけると思う限り 喫煙を続けます 女性には解放とセクシーさの物語を提供し アフリカの貧しい人々には ヨーロッパの繁栄の 物語を提供しました 「タバコを吸えば 西欧の繁栄に少し近づけますよ」 もし習慣を変えさせたければ そもそもその習慣を促している物語よりも もっと強力な物語を 見つけなければなりません サステナビリティ運動の問題は 語るべき物語が無いということです そもそも私たちの消費習慣を 促している物語よりも 力強くそれを打ち消す物語が 欠落しているということです では 消費習慣を促すのは どんな物語でしょう? これは20世紀の消費社会の物語で 数十年間にわたり成長し その存在は強固になりました 最初は明るい未来を思わせるトーンで始まり 私たちは輝かしい未来を信じます テクノロジーがそこへ導いてくれるのだと 人類は月に到達し テクノロジーは生産システムを 更に効率化し 製品はより迅速に低コストで 生産されるようになります 私たちは商品を買う事で 何者かになり どこかに所属している という充足感を感じるので その製品を買います つまり私たちの行動を突き動かす物語は テクノロジーの進化と 経済的効率、成長、消費 — そして幸福感を結びつける物語なのです 例えば あなたがTシャツを買う時 すぐに満足して 幸せを感じます 近年 これに競合する物語が 徐々に現れて来ました 平たく言うと この物語の 副作用にまつわる物語です 消費をすればするほど ある程度まで幸せを感じることが できますが それから先は 幸福感を感じられなくなるのです これは逆さまの「U」の形をしています これは逆さまの「U」の形をしています 喫煙はガンにつながり 大食は糖尿病につながります 私たちはモノを常に購入しますが 満たされず 鬱になったりします 社会への影響の観点では 全ての消費決断は 大規模な環境問題へ繋がっていると学びます 森林は消えて行き 氷山は溶けて行き 数十年経つと マンハッタンは海面下に沈むかも知れません 民族移動が増え 貧困や戦争が増え 水資源は減ります これが未来の予測なのです 世界の終末的な ディストピアの未来です 地球崩壊の物語です これらの2種類の物語があるのです あなたの幸せについてのユートピア的物語と 世界の終わりのディストピアの物語 次回 店に行ってTシャツを買う時 2つの声が聞こえるでしょう 片方の声はこう言います 「両方買ってしまいなさい」 (笑) 「2倍幸せになりますよ」 (笑) しかし あなたはその真偽を 疑い始めるかも知れませんね また別の物語は 「本当にTシャツが必要だろうか?」 もし必要ならオーガニックで フェアトレードの方を買ってください ・・・会場へはバスで来ましたか? (笑) 家を出るとき 電気は消してきましたか? こうしたことを全てやったら 地球を救えるかもしれません 電気を消したら 地球を救えるですって? 2日前 ロンドンを歩いていると 印刷屋があり 何らかの環境に優しい技術を 使っていたようでした 何故ならその窓には 「一緒に地球を救おう」 と書いてあったからです ロンドンの印刷屋が地球を 救えるのかどうかは知りませんが 私が思うのは こうした宣伝文句が 私たちの心や知性への侮辱だということです そんなことは信じられませんよ この妙な因果関係が こんな些細な決断が 破滅的な未来を救えるなんて こうした物語は信頼できません 私たちの心に届きません ネガティブな物語が語られる場合 私たちに未来は無く 地球は全滅です こういう物語は 私たちの恐怖に訴え 希望も与えないため 私たちの心には響きません 恐怖が私たちの行動を促すのは 危機が目前に迫った時のみです マンハッタンが水に沈むのは 私の死後でしょう 皆さんもこの世にはいないでしょう だから私の行動を変容するには至りません この物語は 両方のTシャツを買ったら得られる 目前の幸せを諦めさせるほど 強力ではありません 私たちには別の物語が必要なのです 私たち自身が登場するような これらは私たちの幸せが 健全な地球環境につながっているという 未来の物語が必要です そこでは私たちが意思決定をしたり 変化を求める 主体なのです やや抽象的でしたね もう少し具体的にお話ししましょう あなたの家の近所に ファストフード店が開店すると聞いたら どう思うでしょう 気にも留めないかも知れません ところが ある男性は 心底怒りを覚えました 彼は マクドナルドの新店舗が ローマのスペイン広場に 開店すると聞いたのです イタリアの文化遺産の中心地 ローマのスペイン広場に この国が誇るイタリア料理の 対極にあるファストフード店が できることへの怒りです カルロ・ペトリーニ氏は この怒りをもとに スローフード運動を始めました この運動は モンサントからマクドナルドまで 産業化された機械的な食品生産や 配慮無い 不健康な食品の消費の背後にある 幅広い構造に切り込むものです カルロ・ペトリーニが この運動を創立した理由は 私たちの食のあり方を変えるべきだ という信念でした 地産の ヘルシーな食材を食べるのです 地域で生産し 生物多様性を守り 文化遺産を守るのです かつて生産者と消費者の間にあった 失われた繋がりを作り直すのです 消費者と生産者には 習慣を変えるように教育するのです この話はイタリアで起きた 小さな運動から始まり 巨大な世界的ムーブメントに育ち 今では150カ国に散らばる 10万人の参加者がいます この物語がこれほどまでに強力だった理由は? それはこの物語が私たち皆が 共感できるものだったからです お子さんの健康が心配だ 共感できます 多国籍企業が食生活に及ぼす影響が嫌い それも共感できます 地域の伝統を普及したい それも共感できます 生物多様性を維持したい それも共感できます 生産システムにおける サプライチェーンの末端にいる 南米の貧しい農家を助けたいと思っている それも共感できます 私たちは皆何かしら これらの物語に その瞬間 信念や価値観を通じて共感できます イタリアで起きた小さな出来事から 始まった運動は 文化を横断した 大きなムーブメントとなりました なぜならこの運動は あらゆる人々に 語りかける力を持った物語だからです 今度お子さんと サステナビリティについて話すとき 「どんな物語を話せばいいだろう?」 と自問してみてください 大事な点は その物語は 自分自身や子供たちの物語であり 自分たちの未来の物語であることです もしあなたが製品担当者なら こう考えてみてください 「顧客とサステナビリティについて どう話したらいいんだろう?」 おそらくあなたは過去に 会社の環境への真摯な取り組みや 優れた商品の話はしたことでしょう ところがその程度の話では 世界を変えることができないのです 必要なのは様々な産業にわたり 様々な状況において 人々が共感できる インパクトの強い物語なのです あなたが教師ならこう考えてください 「生徒たちを奮い立たせるには?」 ジャーナリストなら 相手は読者 政治家なら 市民です 確かに 必要なのは 優れたテクノロジーが もっと生まれ 世の状況が改善することです でも今まで 物語の持つ ソフトパワーの持つ驚くべき力を 見過ごして来ていたのです 間違った物語が語られて来ました それを変えて行きましょう ありがとうございました (拍手)