ここに来ることができて 本当に本当に嬉しく思っています 私がお話したいと思うのは 基礎知識とは呼べませんが 私の病気についてです この病気について あまり多くのことは分かっていません 私はこの稀な症候群を 持って生まれました この病気があるのは世界に 3人だけで その一人が私です この病気のお陰で 基本的に体重が増えません うらやましいでしょう (笑) 私は食べたい物はすべて 何でも いつでも食べられます 本当に体重は増えません 3月で25歳になりますが これまで一度たりとも 29kgを超えたことがありません 大学時代 私は隠して― 皆知っていたので隠せて いなかったかもしれませんが あらゆるお菓子を 大きな入れ物に入れていました ルームメイトはよく 午前0時半にベッドの下にある食べ物に 手を伸ばしているのが 聞こえると言っていました それでも私はこう言うんです 「私はそんなことしても大丈夫だもん!」 それがこの病気の良いところです 体重が増えることがないとか 視覚障害があるとか とても細くいられることです 大抵 不思議がられます 「リジー これが良いことだなんて どうして言えるの?」 「目が片方しか 見えないんでしょ?」 って この病気の利点について お話ししましょう 素晴らしいんですよ コンタクトをつけてるんですけど 片方だけなので値段も半分です (笑) 読書用の眼鏡をつくるときの 処方も半分で済みます 誰かにイライラさせられたり 失礼なことをされる時は 右側に立ってくださいね (笑) 存在しないも同然 いることにも気づきませんから 今だってこんな風に立てば 会場の様子はわかりません 細い身体を活かして ボランティアとして ダイエット教室やジムに行って こう言ってみたいです 「リジーと言います 広告に出たいんですけど」 お化粧でもなんでもして こう言うんです 「このプログラムで こんなにも成果が出ました」 (笑) こんなに素晴らしい利点もありますが お察しのように とてもとても大変なこともあります 私は150%普通に育てられました 両親にとっては私が 最初の子どもでした 私が産まれる時 医者は母に告げたそうです 「羊水がありません まったくありません」と だから生まれて産声を あげられたのは奇跡でした 医者は両親に言ったそうです 「覚悟しておいてください 話すことも 歩くことも ハイハイも 考えることも 娘さん一人では 何もできませんから」と 「どうして?なぜ?最初の子どもが こんな未知の問題を 抱えなければいけないの?」と 初めて子供を授かった両親が 言ったと思うでしょう しかしそうではありませんでした 最初に両親が医者に言ったのは 「娘に会わせてください そして家に連れて帰ります 愛して 育てて 家族で できる限りのことをします」 そしてその通りにしてくれました 私ができたほぼ全てのことは 両親のお陰です 父は今日ここに来てくれています 母は家で見ています ママ 見てる? (笑) 母は手術後の回復期にあります 母のお陰で家族はまとまっていました 母のお陰で乗り越えられました 母がファイティングスピリットを 教えてくれたおかげで 今日 皆さんの前で胸をはって 話すことができます 「今まで大変なこともあったけれど それで良いのよ」 それで良いんです 怖いこと 大変なこともありました 一番大変だったことは 成長するにつれて きっと皆さんも この会場にいる誰もが 体験したことのあることです 何だかわかりますか? 英語でBから始まります わかりますか? (会場)Boys!(男の子) (リジー)男の子? (笑) Bullying(いじめ)ですよ! (笑) 気持ちは分かりますよ (笑) 私もそちら側に座りたかったわ(笑) いじめにはたくさん遭いましたが 普通に育てられたので 幼稚園に入った時は 自分の外見が違うなんて 思ってもいませんでした わかりませんでした 自分が他の子からどう見られるかなんて わかりませんでした 5歳児には大きな衝撃でした 幼稚園の初日にポカホンタスの リュックを背負って 準備万端でした! (笑) リュックが大きすぎて 亀の甲羅みたいに見えましたけど 小さな女の子に近づいて 微笑みかけると 彼女はまるで モンスターを見るかのように 私を見ました まるでこれまでで一番怖い物を 見てしまったかのように 私は心の中で思いました 「まったく 失礼しちゃうわ」 (笑) 私は愉快な子で 仲間はずれは彼女のほうでした 次はブロックと遊ぶことにしました いや 男の子と だったかも (笑) (リジー 笑) そのうち状況は良くなると思いましたが そうはなりませんでした ひどくなるばかりでした 誰もが私と関わらないように していきましたが 私はその理由が分かりませんでした なぜ? 私が何をしたっていうの? 何もしてないじゃない! 自分のことをカッコイイと 思っていましたから 家に帰って 両親にききました 「何がいけないの? 私 何かした?なぜ嫌われるの?」 両親は私を座らせて 言いました 「リジー あなたが他の子と違うのは 痩せているということだけよ 病気はあるけど それであなたが どういう子か決まったりはしないのよ」 両親は「学校に行きなさい 顔を上げて 笑いなさい 自分らしくいなさい そうすれば周りも 同じだと わかるはずだ」と言いました その通りにしました ぜひ今 この場で自分自身に 問いかけてみてください 自分を定義するものは何か? あなたは誰ですか? 出身地ですか 家庭環境ですか 友達ですか 答えは何でしょう? あなたがどんな人間か 決めているのは何でしょうか? 自分がどんな人間かわかるのに 長い時間がかかりました 長い間 私を決めるものは 外見がすべてで 細い脚だったり 細い腕だったり 醜い顔だと思っていました 気持ち悪いと思っていました 朝 中学に行く前に支度をしながら 鏡の中の自分を見て こう思っていました 「こんな病気 こすり落とせれば良いのに」 こすり落とせていたら 私の人生はもっと楽だったでしょう 他の同級生たちと同じように 子ども向けのキャラクターがついた服を 買わなくても済んだでしょう ただ他の子達みたいにクールに なりたかったんです だから朝起きて鏡で見た時に 何かが変わってないかと 私は願い 祈り 望み できることは何でもしました 「こんなのもうこりごりだ」って 毎朝 そう願い そして毎朝がっかりしていました 周りの人たちからの 信じられないサポートに恵まれました 哀れに思われることはなく 悲しい時に支えてくれたり 嬉しい時には一緒に笑ってくれました 彼らから教わったことがあります 私にこんな病気があっても 大変なことがあっても それで 私が誰であるか決まったりしないのです 皆さんと同じように 私の人生も自分の手中にあったのです 運転席に座っているのは自分 どこに行くか決めるのも自分なんです 運転席に座っているのは自分 どこに行くか決めるのも自分なんです 良い道を進むも 悪い道を進むも 自分次第です 自分の存在を定義するものは何か それを決めるのも自分です 自分の存在を定義するものが何か この答えを解き明かすのは とても難しいことでした イライラして落ち着かず 「もうどうだっていいわ!」 なんて やけになる時もありました 高校の時 残念ですが 私を 「世界で一番醜い女」だと揶揄する 動画がアップされているのを 見つけました その8秒くらいの音もない動画は 400万回以上も再生され 何千ものコメントが 書き込まれていました 「リジー お願い どうかお願い 世界のためと思って 銃で自殺して」 というのもありました もし見知らぬ人に こんなことを言われたらどうでしょう? 考えてみてください 私は泣きくれましたが どこか吹っ切れて 見返してやろうと思いましたし 「もう放っておこう」と思いました 人生は自分の手の中にあると わかり始めました この状況からとても良くするか とても悪くするかは自分次第でした 感謝の心を持って 目を見開いて 自分がどれだけ恵まれているか それによって自分がどう定義されるか 決めようと思いました 私は片目は見えませんが もう片方からは見える とか 病気がちかもしれませんが 髪はとてもきれいとか (笑) (聴衆:とてもきれい!) ありがとう そこの皆さんノリが良いわね (笑) (リジー 笑) 何話すか忘れちゃったわ (笑) えっとどこからだっけ? (聴衆)髪よ! 髪!そう髪ね そうだった ありがとう それで幸せになるか 怒りを抱えたままか の選択は 自分次第ということです そこで また気づき始めました 私をモンスター呼ばわりした人たちに 私がどんな人間かを決めさせる? 私を焼き殺せと言った人たちに 私のことを決めさせる? まさか!自分の目標や成功 成し遂げたことをもって決めるわ 単なる外見ではなくて 視覚障害があるという事実ではなく 正体のわからない病気を抱えているという 事実でもない そう自分に言い聞かせて 自分を良くすることは 何でもしようと思いました だってそうすれば 見返してやれると思ったんです 私をからかったり いじめたり 醜いと言ったり 怪物だと言った人たちに 良い意味で変わった 私を見せつけるんです わかりますか? ネガティブな言葉をかけられたら 私はそれらを逆手にとって それらをはしごに見立てて 目標へと登っていくんです それが私がしてきた方法です 人を勇気づけられる講演者になること 本を書くこと 大学を卒業して 家族とキャリアを 持つこと を目標にしました 8年を経て 私は皆さんの前で 勇気を与えられるよう お話をしている最中です 最初の目標は達成しました 本の執筆ですが 数週間後には 3冊目の原稿を提出します (拍手) また目指していた大学の卒業も つい先日果たしたばかりです (歓声と拍手) テキサス州立大学サンマルコス校で コミュニケーションを専攻し 副専攻として英語を履修して 学位を取得しました 在学中には教授達も未経験の 私だけがもつ実体験を どうにかして活かそうと思いました 最後に 自分の家族と キャリアを持つ という目標ですが 家族を持つのは もう少し時間がかかりそうですが キャリアについては よくやっていると思います 講演者になりたいと思った時は 家に帰ってすぐ ノートパソコンを開いては 「講演者になるには」と検索しました (笑) 冗談ではなく 本当にできることは何でもしました 「あなたにはできない」といった人達に 逆に鼓舞されました 彼らからの否定を燃料に 私の火は燃え続けました 利用するんです 否定的な意見を力に変えるんです 人生を良くするために使ってやるんです そうしたら絶対に 打ち勝つことが出来ます 絶対にです 絶対にできると約束します さて最後に もう一度自分に問いかけて 欲しいことがあります あなたの存在を 定義するものは何でしょうか? 忘れないでください 勇気はここから始まるのです ありがとうございました (拍手)