WEBVTT 00:00:15.849 --> 00:00:17.169 なぜ読むか? 00:00:17.169 --> 00:00:18.879 デジタルの時代です 00:00:18.879 --> 00:00:23.800 私たちは スクリーンやスマホといった つかの間の世界に生きています 00:00:23.800 --> 00:00:27.850 なぜ座って紙の本を読むのか? 00:00:27.850 --> 00:00:30.929 この レンブラントの母親を描いた有名な絵は 00:00:30.929 --> 00:00:37.230 読書が 様々な意味で 吸収する行為だと示しています 00:00:37.230 --> 00:00:41.580 読書の概念は 情報の吸収にとどまらず 00:00:41.580 --> 00:00:43.580 身体的プロセスでもあるのです 00:00:43.580 --> 00:00:46.940 今日の午後にみなさんにお伝えしたいのは 00:00:46.940 --> 00:00:50.510 ここに150人いると伺いましたが 00:00:50.820 --> 00:00:52.460 みなさん どこにいますか? 00:00:52.750 --> 00:00:58.680 吸収するという意味での読書の概念は 読書することの魔法です 00:00:58.680 --> 00:01:00.780 書物は 形あるモノであり 00:01:00.780 --> 00:01:04.570 幼少期に読書習慣を身につけることで 00:01:04.570 --> 00:01:08.870 身体的、視覚的、認知的な 想像力が形成されます 00:01:08.870 --> 00:01:14.449 このトークの前の準備のために 「読む男」を検索してみました 00:01:14.449 --> 00:01:16.119 すると出てきたのはこれです 00:01:16.119 --> 00:01:19.740 出てきたのは 前屈みで本を読む男性です 00:01:19.740 --> 00:01:24.570 前屈みになって読書することは 本に吸い込まれるということです 00:01:24.570 --> 00:01:27.470 手の身体性がご覧になれます 00:01:27.470 --> 00:01:33.339 ロダンの『考える人』のような 顎に置かれた手の動きをご覧ください 00:01:33.339 --> 00:01:38.239 目を覆い 日光を遮る 帽子のツバをご覧ください 00:01:38.239 --> 00:01:42.579 従来型の(紙の)本を読む行為は 吸収するという行為です 00:01:42.579 --> 00:01:46.969 スクリーン上の文字を読む行為は 見物をするという行為であり 00:01:46.969 --> 00:01:48.520 観劇のような行為です 00:01:48.520 --> 00:01:51.240 これは 1980年代後半の画像です 00:01:51.240 --> 00:01:55.399 はっきり覚えていますが スクリーンが初めて出現した時 00:01:55.399 --> 00:01:58.350 画面は 見下ろすものではなく 顔を上げて見るものでした 00:01:58.350 --> 00:02:01.000 顎に手を当てたりはせず 00:02:01.000 --> 00:02:03.700 画面を指差していました 00:02:03.700 --> 00:02:05.129 ご覧のように 00:02:05.129 --> 00:02:08.769 男性は 女性の背後から身を乗り出して 画面を指差しています 00:02:08.769 --> 00:02:12.334 ご覧のように 読書という行為そのものが 00:02:12.334 --> 00:02:17.400 これほどまで 読者と文章の 位置関係を変えました 00:02:17.400 --> 00:02:21.910 ごく私的な 吸収し関与する関係から 00:02:21.910 --> 00:02:26.850 公的なもの 観劇なものを 見物する関係へと変わりました 00:02:26.850 --> 00:02:32.710 スクリーンで 私的な読書行為を することはできません 00:02:32.710 --> 00:02:36.800 したがって 21世紀初頭に 00:02:36.800 --> 00:02:40.280 電子書籍が出現したのは 私が思うに — 00:02:40.280 --> 00:02:44.400 私的な読書という体験を 00:02:44.400 --> 00:02:48.180 デジタルで復活させる方策でした 00:02:48.180 --> 00:02:50.850 でも 電子書籍は 紙の本ではありません 00:02:50.850 --> 00:02:54.980 電子書籍は 似て非なる本です 00:02:54.980 --> 00:02:59.660 電子書籍は 紙の本を 電子的なものに置き換えます 00:02:59.660 --> 00:03:06.210 電子書籍と 紙の本の関係は 電子タバコと 本物のタバコのようなものです 00:03:06.610 --> 00:03:08.450 あれが好きですか? 00:03:08.450 --> 00:03:09.790 すごく変だと思いませんか? 00:03:09.790 --> 00:03:12.085 次回は 皆さんにも一緒にきてもらって 00:03:12.085 --> 00:03:14.827 最前列に座って 他の人と一緒に大笑いしてもらいますよ 00:03:14.827 --> 00:03:16.390 (笑) 00:03:16.390 --> 00:03:19.160 この客席に 成人の方は 何人おられるでしょうか? 00:03:19.160 --> 00:03:22.720 私の人生でずっと デジタル文化について講義しています 00:03:22.720 --> 00:03:23.735 私の年代で 00:03:23.735 --> 00:03:26.887 デジタル(指を使った)という言葉に続くのは 「診察」だけです 00:03:26.887 --> 00:03:27.970 (笑) 00:03:27.970 --> 00:03:30.540 成人向けのジョークです 00:03:31.160 --> 00:03:33.920 皆さんの中で 何人が 電子タバコを吸われますか? 00:03:34.460 --> 00:03:36.880 皆さんの中で 何人が 本物のタバコを吸われますか? 00:03:37.100 --> 00:03:40.520 皆さんの中で 私の話を 気にも留めない人は何人いますか? 00:03:41.060 --> 00:03:42.610 電子タバコは 00:03:42.610 --> 00:03:44.555 電子書籍に似ています 00:03:44.555 --> 00:03:48.700 両方とも 技術的 機械的な手段で 00:03:48.700 --> 00:03:50.650 元は 紙媒体でだった楽しみを 00:03:50.650 --> 00:03:53.800 与えるものです 00:03:53.800 --> 00:03:57.940 両者とも 似て非なる体験です 00:03:57.940 --> 00:04:00.770 私が強く思うに 00:04:00.770 --> 00:04:05.720 タブレットで読むにせよ スクリーンで読むにせよ 00:04:05.720 --> 00:04:08.640 紙の本に立ち返る必要があるということです 00:04:08.640 --> 00:04:10.840 皆さんは気づかなければなりません 00:04:10.840 --> 00:04:14.380 読み書きの能力が有る限り 00:04:14.380 --> 00:04:17.290 紙の本や 挿絵つきの本は 00:04:17.290 --> 00:04:22.210 子供や人間性の形成の 要だということです 00:04:22.210 --> 00:04:26.200 こちらは 3世紀の パピルスの手稿です 00:04:26.200 --> 00:04:29.070 描かれているのは 『ヘラクレスの12の功業』です 00:04:29.070 --> 00:04:34.760 これは 現存する最も初期の 挿絵つきの児童書です 00:04:34.760 --> 00:04:38.970 なぜ『ヘラクレスの12の功業』が 児童書として読まれるのか? 00:04:38.970 --> 00:04:44.860 それは 学校では全ての子供が ヘラクレスのような思いをするからです 00:04:44.860 --> 00:04:46.930 「どうしたら 試験に受かるだろう? 00:04:46.930 --> 00:04:49.170 ネメアの獅子退治に行くような挑戦だ」 00:04:49.170 --> 00:04:52.110 「どうしたら 宿題を 終えることができるだろう? 00:04:52.110 --> 00:04:55.290 アウゲイアスの家畜小屋掃除を するような苦行だ」 00:04:55.290 --> 00:04:59.280 「どうしたら 朝9時半に 授業に出られるだろうか? 00:04:59.280 --> 00:05:02.820 ヒュドラの頭を切り落としに 行くような冒険だ」 00:05:02.820 --> 00:05:06.920 ライオンと戦うヘラクレスのイメージは 00:05:06.920 --> 00:05:13.580 英雄的な苦役としての 読書や学習の象徴となります 00:05:13.580 --> 00:05:16.480 それは 献身的な行為でもあります 00:05:16.480 --> 00:05:21.100 この美しい挿絵のついた アングロサクソン時代の写本は 00:05:21.100 --> 00:05:25.760 旧約聖書の『詩篇』の研究において 00:05:25.760 --> 00:05:30.140 いかに 書籍の目的が 子供の 注意を引くことだったかを示しています 00:05:30.140 --> 00:05:34.790 アルフレッド大王は 西暦890年代の アングロサクソン時代の王でしたが 00:05:34.790 --> 00:05:37.665 彼は 子供の時に 母君より 00:05:37.665 --> 00:05:42.330 美しい挿絵の描かれた本を 見せてもらったと書き伝えています 00:05:42.330 --> 00:05:43.600 そして彼の使う言葉は — 00:05:43.600 --> 00:05:47.530 因みに 王がラテン語で 話し書き物をした 古い時代です — 00:05:47.530 --> 00:05:51.330 彼は それを 「pulchritude」 すなわち「花のかんばせ」と言いました 00:05:51.330 --> 00:05:53.040 彼は 選ばれし人であり 00:05:53.040 --> 00:05:58.760 「pulchritude」や女性的な美しさに 惹かれ 誘惑されます 00:05:58.760 --> 00:06:02.670 読書は 誘惑の一形式でしょうか? 00:06:02.670 --> 00:06:06.060 確かに読書は この テレンティウスの劇作では 00:06:06.060 --> 00:06:09.000 誘惑の一形式であり 00:06:09.000 --> 00:06:12.480 男子修道院の教養のために 考案されたものです 00:06:12.480 --> 00:06:16.920 そこでは 子供たちが 役者たちの上演を目にし 00:06:16.920 --> 00:06:19.765 子供たちが視覚的に捉えたのは 00:06:19.765 --> 00:06:25.450 自分たちの読む物語が 心象に映る様でした 00:06:25.450 --> 00:06:27.720 ヨーロッパに印刷技術がもたらされた時 00:06:27.720 --> 00:06:32.135 真っ先に印刷された中に 『イソップ寓話』がありました 00:06:32.135 --> 00:06:36.052 言葉を話す動物の出てくる 子供向けの物語集で 00:06:36.052 --> 00:06:41.560 うさぎ、狐、狼、山羊たちは 00:06:41.560 --> 00:06:44.810 全て 1つの道徳的な資質を纏っています 00:06:44.810 --> 00:06:47.330 ご覧いただいているのは イソップの肖像と 00:06:47.330 --> 00:06:49.270 動物たちです 00:06:49.270 --> 00:06:50.790 皆さんは誘惑されますか? 00:06:50.790 --> 00:06:52.240 魅力を感じますか? 00:06:52.240 --> 00:06:55.520 書物の中のビジュアルな画像に ワクワクしますか? 00:06:55.520 --> 00:06:59.640 私が子供の時に 夢中になった本は 00:06:59.650 --> 00:07:01.880 挿絵のついた子供向けの本 00:07:01.880 --> 00:07:04.610 ロバート・マックロスキーによる 絵と本文です 00:07:04.610 --> 00:07:05.910 『海べのあさ』 00:07:05.910 --> 00:07:07.330 『サリーのこけももつみ』 00:07:07.330 --> 00:07:09.180 『かもさんおとおり』 00:07:09.180 --> 00:07:11.350 『すばらしいとき』などです 00:07:11.350 --> 00:07:15.530 これらの本が 子供達に示したのは 00:07:15.530 --> 00:07:21.100 想像上のものだけではなく 美しい命の可能性でした 00:07:21.100 --> 00:07:23.240 生命は美しいものでした 00:07:23.240 --> 00:07:24.925 読書の役目は 00:07:24.925 --> 00:07:28.060 作家やイラストレーターが 表現するままに 00:07:28.060 --> 00:07:32.980 作品世界に描かれた 美しさを体験することでした 00:07:32.980 --> 00:07:35.320 『すばらしいとき』という物語は 00:07:35.320 --> 00:07:41.190 1957年 私が2才の時に出版されました 00:07:41.190 --> 00:07:46.380 この本を家族で読み始め 1950年代と60年代を過ごしました 00:07:46.380 --> 00:07:51.485 本書の中で メイン州の海岸に 一家が住んでいるということに 00:07:51.485 --> 00:07:54.790 私たちは すっかり魅せられました 00:07:54.950 --> 00:07:57.640 ブルックリンに住む子供の私にとって 00:07:57.640 --> 00:08:00.320 メイン州は 異国のような存在でした 00:08:00.320 --> 00:08:01.670 エキゾティックでした 00:08:01.670 --> 00:08:04.510 見たこともない海岸線から — 00:08:04.510 --> 00:08:07.220 私たちが見るのは 00:08:07.220 --> 00:08:11.880 詩的で 情熱的で 魔法的で 奇跡的なものが 00:08:11.880 --> 00:08:16.040 海の嵐に運ばれてくるのを 見ることができるのです 00:08:16.040 --> 00:08:20.660 美しいイラストと そこに添えられた詩的な文章が 00:08:20.660 --> 00:08:22.142 描き出すのは 00:08:22.142 --> 00:08:25.225 荒れる波間を逃れる機会を伺いながら 00:08:25.225 --> 00:08:30.030 漁船が 大波にもまれながら 避難場所を探す様です 00:08:30.030 --> 00:08:32.129 頭韻を踏んだ文章に — 00:08:32.129 --> 00:08:34.329 その中のリズムの中に — 00:08:34.329 --> 00:08:38.960 聞こえてくるのは 海岸に打ち寄せる水の詩です 00:08:38.960 --> 00:08:43.849 そして 本の途中で 嵐がやってきます 00:08:44.500 --> 00:08:46.885 嵐が吹きすさび 00:08:46.885 --> 00:08:50.010 応接間を吹き抜け 00:08:50.010 --> 00:08:52.280 リビングルームを破壊します 00:08:52.280 --> 00:08:57.060 ボードゲームが床中に転がり 00:08:57.060 --> 00:08:58.680 書籍が飛ばされてしまいます 00:08:58.680 --> 00:09:00.730 お母さんが子供達を引き寄せます 00:09:00.730 --> 00:09:02.600 ランプの火が消え 00:09:02.600 --> 00:09:07.490 家中が大きな痛手を 受けたかのようなありさまです 00:09:07.490 --> 00:09:09.640 嵐がやむと 00:09:09.640 --> 00:09:11.250 すべてが静かです 00:09:11.250 --> 00:09:12.530 この絵を見てください 00:09:12.530 --> 00:09:18.010 そこで お母さんと子供達は 自分たちの喜びを讃美歌に乗せて歌い 00:09:18.010 --> 00:09:24.160 書籍は 再び テーブルの上に 開いたり閉じたりした状態で置かれます 00:09:24.160 --> 00:09:25.455 そして父親 00:09:25.455 --> 00:09:27.920 思い出してください 時は 1950年代です 00:09:27.920 --> 00:09:31.980 1950年代の父親は何でもできました 00:09:31.980 --> 00:09:33.530 私は50年代に育ち 00:09:33.530 --> 00:09:36.120 90年代に父親になった時 00:09:36.120 --> 00:09:39.115 父親は何もできないと気づきました 00:09:39.345 --> 00:09:42.170 でも 50年代 父親は何でもしました 00:09:42.170 --> 00:09:44.045 この絵を見てください 00:09:44.045 --> 00:09:46.910 父親が ふきんを手にとって 00:09:46.910 --> 00:09:52.920 割れた窓ガラスの最後の1つに 覆いをかけています 00:09:52.920 --> 00:09:56.755 窓枠の中でガラスが壊れ 00:09:56.755 --> 00:10:03.110 まるで あたり一面が 開いて散らかった本のようになっています 00:10:03.250 --> 00:10:06.245 一つひとつの窓枠や 窓が 00:10:06.245 --> 00:10:08.332 本の側面のように見え 00:10:08.332 --> 00:10:13.330 その気になれば まるで テーブルに開いて置かれた本とが 00:10:13.330 --> 00:10:16.710 視覚的な韻を踏んだように 対をなしているかのように見えます 00:10:17.690 --> 00:10:20.335 私が子供だった1950年代 00:10:20.335 --> 00:10:23.790 想像の世界は 書物の世界でした 00:10:23.790 --> 00:10:27.130 でも メイン州の夕立は ブルックリンにはありません 00:10:27.130 --> 00:10:30.260 想像の 詩はありませんでした 00:10:30.260 --> 00:10:33.290 あったのは 核攻撃への恐怖でした 00:10:33.290 --> 00:10:37.640 違いを比べてください — この絵の一家と 00:10:37.640 --> 00:10:39.860 この絵の一家を 00:10:39.860 --> 00:10:42.640 これもまた 1950年代のもので 00:10:42.640 --> 00:10:44.045 核シェルターの絵で 00:10:44.045 --> 00:10:48.510 母親と父親と子供達が 文章の周りに座っています 00:10:48.510 --> 00:10:52.760 でもそれは 想像の物語ではなく 取扱説明書です 00:10:52.760 --> 00:10:55.460 この絵の中で見えるただ一つの言葉は 00:10:55.460 --> 00:11:00.310 「缶詰食料」です 00:11:00.310 --> 00:11:03.600 黙示録的なこの瞬間に 00:11:03.600 --> 00:11:07.160 想像力を働かせられる言葉は 私たちに残されてはいません 00:11:07.160 --> 00:11:10.810 ですから 私が成長し 親になった時 00:11:10.810 --> 00:11:16.840 自分の息子に授けたいと考えたのは 私が体験した魔法の感覚 — 00:11:16.840 --> 00:11:21.580 書物は 読者を別世界に 連れて行けるという発想 — 00:11:21.580 --> 00:11:24.730 読書は 一種の魔法だという発想でした 00:11:24.730 --> 00:11:27.305 そして 私にとって幸運なことに 00:11:27.305 --> 00:11:30.000 そしておそらく皆さんの 多くにとっても幸運なことに 00:11:30.000 --> 00:11:32.530 『ハリー・ポッター』が登場しました 00:11:32.530 --> 00:11:34.990 皆さんの多くはこう考えます 『ハリー・ポッター』は 00:11:34.990 --> 00:11:41.710 魔法と魔法使いと想像力ための物語だと 00:11:41.710 --> 00:11:46.940 私は 『ハリー・ポッター』は 読書についての本だと言いたい — 00:11:46.940 --> 00:11:49.000 『ハリー・ポッター』に出てくる魔法は 00:11:49.000 --> 00:11:54.780 至高の文学形態以上の 何ものでもありません 00:11:55.230 --> 00:12:00.110 『ハリー・ポッター』における 読書は 本当の意味の魔法です 00:12:00.110 --> 00:12:05.600 魔法の薬、呪文、本物の冒険が 00:12:05.600 --> 00:12:08.370 物語の中で次々と出てきます 00:12:08.370 --> 00:12:12.390 それは クィディッチ場ではなく 魔法の森の中ではなく 00:12:12.390 --> 00:12:14.290 書物庫の中で起こります 00:12:14.290 --> 00:12:17.110 ハーマイオニー、ロン、ハリーの3人は 00:12:17.110 --> 00:12:20.429 シリーズ映画のうちの1つに出てくる 00:12:20.429 --> 00:12:22.069 1枚の画像に見られるように 00:12:22.069 --> 00:12:26.770 魔法とミステリーに満ちた本の中の住人です 00:12:26.770 --> 00:12:30.499 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』では 00:12:30.499 --> 00:12:35.700 ハリーは 古びた薬草学の本に 行きあたります 00:12:35.700 --> 00:12:40.910 余白に書かれてあったのは 本の 修正です 00:12:40.910 --> 00:12:45.579 その本は「催眠豆」を ナイフの背の部分で潰して 00:12:45.579 --> 00:12:48.650 中の汁を出す方法が書いてあります 00:12:48.650 --> 00:12:53.740 この本から ハリーは効果的に 課題を完遂する方法を学びます 00:12:53.740 --> 00:12:57.740 『薬草学』の本の余白部分に 00:12:57.740 --> 00:13:00.690 ハリーは 本当の意味での 読書の魔法を見出します 00:13:00.690 --> 00:13:04.470 ハリーはまだ知りませんが すぐ後になって私たちが知ることになるのは 00:13:04.470 --> 00:13:09.010 「謎のプリンス」の正体が スネイプ本人だということです 00:13:09.010 --> 00:13:11.450 ハリーがその本を図書館に持ち込むと 00:13:11.450 --> 00:13:13.835 図書館の司書は ハリーが 00:13:13.835 --> 00:13:17.760 その本を強奪し冒涜したといって 恐れおののきます 00:13:17.760 --> 00:13:20.940 皆さんの中で 図書館司書に 会ったことのある人は? 00:13:21.340 --> 00:13:25.190 図書館司書の仕事は ものを清潔に保ち 00:13:25.190 --> 00:13:26.950 ものを整頓しておくことです 00:13:26.950 --> 00:13:31.360 図書館は 規則の場であり 想像の場ではありません 00:13:31.360 --> 00:13:35.895 図書館司書の仕事は 利用者の手を清潔に保ち 00:13:35.895 --> 00:13:37.490 利用者を静かにさせ 00:13:37.490 --> 00:13:42.675 返却遅延者に対して 確実に罰金を課すことです 00:13:42.675 --> 00:13:48.250 これらは 社会と市民生活の仕組みです 00:13:48.250 --> 00:13:51.780 ハリー・ポッターにとって 幅広の余白は 00:13:51.780 --> 00:13:55.600 ほぼ「躁状態の」余白の書き込みは — 00:13:55.600 --> 00:13:57.055 ああ これ面白い表現 — 00:13:57.055 --> 00:13:59.870 ほぼ「躁状態の」余白の書き込みは — 00:13:59.870 --> 00:14:01.270 皆さん ノートしました? 00:14:01.270 --> 00:14:05.680 ほぼ「躁状態の」余白の書き込みは — 00:14:05.680 --> 00:14:08.760 皆さん この言葉使い 書きとめますか?よろしい — 00:14:09.430 --> 00:14:10.960 余白の書き込みが 00:14:10.960 --> 00:14:17.240 私たちに与えてくれる感覚は 本当の想像とは 書かれた行の中ではなく 00:14:17.240 --> 00:14:20.100 行間や行外で見つかるのだということです 00:14:20.100 --> 00:14:24.260 「レビコーパス 身体浮上」 00:14:24.260 --> 00:14:30.130 これは 謎のプリンスが書いた 余白の書き込みで 00:14:30.130 --> 00:14:34.480 ハリー・ポッターが学ぶ 呪文の一つです 00:14:34.480 --> 00:14:39.110 ハリーは この呪文を覚えて 寮の部屋に戻ります 00:14:39.110 --> 00:14:45.355 そこで ハリーは 部屋の屋根から吊り下げたヒモで 00:14:45.355 --> 00:14:48.820 吊るすようにロンを宙づりにします 00:14:48.820 --> 00:14:52.610 レビコーパス 身体浮上 00:14:52.610 --> 00:14:56.860 西洋のキリスト文化の中で育てば 00:14:56.860 --> 00:15:01.320 「レビコーパス 身体浮上」が 00:15:01.320 --> 00:15:06.810 キリスト教信仰の中核をなす イデオムだとわかるはずです 00:15:06.810 --> 00:15:10.150 復活は 身体の復活であり 00:15:10.150 --> 00:15:14.820 レビコーパスは 身体の浮上でもあるのです 00:15:14.820 --> 00:15:17.860 私が今日皆さんに 示唆しようとしているのは 00:15:17.860 --> 00:15:21.770 デジタルの想像に満ちた 00:15:21.770 --> 00:15:24.010 仮想現実に満ちた 00:15:24.010 --> 00:15:26.370 職業的専門分野に満ちた 00:15:26.370 --> 00:15:30.325 説明書と 成功と前進に満ちた 今日という日の終わりに言いたいのは 00:15:30.325 --> 00:15:35.680 本当の意味での読書の魔法は レビコーパスの中にあるのだということです 00:15:35.680 --> 00:15:40.390 なぜなら 本物の書物の為せる技は 我々の身体を浮上させること 00:15:40.390 --> 00:15:45.550 すなわち 読者を虚構の幻想の中に 宙づりにすることだからです 00:15:45.550 --> 00:15:47.575 本の魔法とは 00:15:47.575 --> 00:15:52.950 デジタルの読み書きにせよ 伝統的な読み書きにせよ 00:15:52.950 --> 00:15:56.510 読み書きによる 想像の為せる魔法です 00:15:56.510 --> 00:15:59.250 そして今日私が示唆しようとしてきたのは 00:15:59.250 --> 00:16:02.120 書物の歴史について 思いを馳せることで 00:16:02.120 --> 00:16:05.160 自分自身の体験について 思いを馳せることで 00:16:05.160 --> 00:16:07.405 皆さんはこう自問するかもしれないということ 00:16:07.405 --> 00:16:09.210 「私はロンか?」 00:16:09.210 --> 00:16:10.825 「私はハーマイオニーか?」 00:16:10.825 --> 00:16:13.070 「私はヘラクレスか?」 00:16:13.070 --> 00:16:18.500 今 ヘラクレス的想像力の学び舎で 自分自身に思いを馳せてみてください 00:16:18.500 --> 00:16:22.860 そして 次に 教室やTEDトークに 出会った時に 00:16:22.860 --> 00:16:29.000 自問してください「レビコーパス あの先生は私の身体を浮上させたか? 00:16:29.020 --> 00:16:30.800 この本の中で 00:16:30.800 --> 00:16:33.944 私は 想像によって 宙吊り(サスペンス)されているか?」と 00:16:33.944 --> 00:16:35.426 どうもありがとうございました 00:16:35.426 --> 00:16:37.005 (拍手)