1 00:00:09,758 --> 00:00:11,650 死んだ後には 何が待っているのでしょうか? 2 00:00:11,650 --> 00:00:13,613 安らかな天国でしょうか? 3 00:00:13,613 --> 00:00:15,476 絶えることのない苦しみでしょうか? 4 00:00:15,476 --> 00:00:16,788 生まれ変わり? 5 00:00:16,788 --> 00:00:20,069 それとも 単に 消えてなくなるのでしょうか? 6 00:00:20,069 --> 00:00:23,569 中国のある皇帝は 死後に何が起こるにせよ 7 00:00:23,569 --> 00:00:25,661 軍勢を率いていこうと考えました 8 00:00:25,661 --> 00:00:27,945 そのことが分かったのは 1974年に― 9 00:00:27,945 --> 00:00:30,449 小さな村の傍で 地元の農民たちが 井戸を掘っている時に 10 00:00:30,449 --> 00:00:35,032 偶然 考古学史上 最大の発見をしたためです 11 00:00:35,032 --> 00:00:38,472 その皇帝の陵墓を取り囲む 広大な地下室と 12 00:00:38,472 --> 00:00:43,709 その中で臨戦態勢で控える8千体以上の 粘土で作られた等身大の兵隊です 13 00:00:43,709 --> 00:00:46,916 この地下室の軍勢の物語は 14 00:00:46,916 --> 00:00:50,931 紀元前246年に 13歳で秦王となった 15 00:00:50,931 --> 00:00:52,864 嬴政(えいせい)から始まります 16 00:00:52,864 --> 00:00:54,343 嬴政は その野心と冷酷さで 17 00:00:54,343 --> 00:00:57,237 敵対する7国を統合して 18 00:00:57,237 --> 00:01:01,476 中国初の皇帝―始皇帝となりました 19 00:01:01,476 --> 00:01:04,625 その36年にわたる治世には いくつもの偉業がなされました 20 00:01:04,625 --> 00:01:07,395 それは 度量衡法の統一 21 00:01:07,395 --> 00:01:11,207 中国全土にわたる文字の統一 22 00:01:11,207 --> 00:01:16,345 後に万里の長城として知られる 防御壁といったものです 23 00:01:16,345 --> 00:01:19,145 しかし 始皇帝が最も 心血を注いだと思われることは 24 00:01:19,145 --> 00:01:21,261 自分の名を永遠に残すことでした 25 00:01:21,261 --> 00:01:23,825 なぜなら 皇帝は死を恐れていたのです 26 00:01:23,825 --> 00:01:26,843 ですから 晩年は 望みをかけて錬丹術師を雇い入れ 27 00:01:26,843 --> 00:01:30,194 不老不死をもたらすという 霊薬を求めて 28 00:01:30,194 --> 00:01:32,955 遠征を重ねました 29 00:01:32,955 --> 00:01:35,076 また 国を治め始めると同時に 30 00:01:35,076 --> 00:01:38,405 地下に巨大な「死の都」を建設し始めて 31 00:01:38,405 --> 00:01:40,881 そこを記念碑や工芸品で満たし 32 00:01:40,881 --> 00:01:43,709 あの世でも統治を続けるために 皇帝に同行する軍勢も 33 00:01:43,709 --> 00:01:45,986 その地下室に置きました 34 00:01:45,986 --> 00:01:49,681 今でもこの大軍勢は臨戦態勢で 35 00:01:49,681 --> 00:01:52,222 幾つもの坑の中に分かれているのです 36 00:01:52,222 --> 00:01:55,147 1つ目の坑には1体が数百キロもある 37 00:01:55,147 --> 00:01:57,592 6千人の主力軍がいて 38 00:01:57,592 --> 00:02:03,019 2つ目の坑には 130台以上の戦車に 600頭以上の馬 39 00:02:03,019 --> 00:02:05,935 そして 3つ目には 最高司令部を待機させているのです 40 00:02:05,935 --> 00:02:08,502 4つ目の坑は空なので 41 00:02:08,502 --> 00:02:11,333 皇帝が亡くなってしまい 完成できなかったと考えられます 42 00:02:11,333 --> 00:02:15,547 また すぐ傍の部屋には 楽団や曲芸団 43 00:02:15,547 --> 00:02:17,653 市井の人々や役人の像もあり 44 00:02:17,653 --> 00:02:19,554 様々な珍しい動物まで作られていて 45 00:02:19,554 --> 00:02:22,991 始皇帝は死後の世界で 戦うことのみを 46 00:02:22,991 --> 00:02:25,369 計画していたわけではなさそうです 47 00:02:25,369 --> 00:02:29,067 どの像も テラコッタ― 「焼いた土」と呼ばれる 48 00:02:29,067 --> 00:02:31,661 赤茶色をした粘土の一種でできています 49 00:02:31,661 --> 00:02:37,128 制作には 幾つもの工房や 一説には 72万人ともいわれる労働者が 50 00:02:37,128 --> 00:02:39,019 皇帝の命に従い 51 00:02:39,019 --> 00:02:43,167 そこで職人たちは 体のそれぞれの部分を型取りして 52 00:02:43,167 --> 00:02:48,428 始皇帝の実際の兵隊たちのように 1人1人顔の違う像を作っていったのです 53 00:02:48,428 --> 00:02:50,389 兵隊たちは 序列に従って並び 54 00:02:50,389 --> 00:02:52,535 それぞれに異なる武器と制服を 身につけていて 55 00:02:52,535 --> 00:02:54,395 髪形や表情にも 1体ごとに特徴があり 56 00:02:54,395 --> 00:02:56,807 耳の形すら違っています 57 00:02:56,807 --> 00:02:59,835 元々はどの兵士も 鮮やかに彩色されていたのですが 58 00:02:59,835 --> 00:03:03,142 外気にさらされ 絵の具が乾燥して 剥がれてしまい 59 00:03:03,142 --> 00:03:05,967 テラコッタ製の素地のみが残りました 60 00:03:05,967 --> 00:03:09,568 そしてこれこそが ここから2キロ足らずの別の部屋が 61 00:03:09,568 --> 00:03:11,360 まだ発掘されていない理由なのです 62 00:03:11,360 --> 00:03:14,773 これは始皇帝の実際の墓所で 63 00:03:14,773 --> 00:03:18,491 そこには 宮殿があり 貴石や工芸品 64 00:03:18,491 --> 00:03:22,864 青銅の山の間を流れる 水銀の川まであると伝えられています 65 00:03:22,864 --> 00:03:26,713 しかし 内部の宝物を損わずに 発掘する方法が見つかるまでは 66 00:03:26,713 --> 00:03:30,019 始皇帝陵は 封印しておくことになっています 67 00:03:30,019 --> 00:03:33,660 死出の旅に従者を望んだのは 始皇帝だけではありません 68 00:03:33,660 --> 00:03:38,711 古代エジプトには 理想の死後の生活を表す粘土像があり 69 00:03:38,711 --> 00:03:41,577 日本の古墳時代でも 死者と共に 70 00:03:41,577 --> 00:03:43,786 馬や家をかたどった像が 一緒に葬られていますし 71 00:03:43,786 --> 00:03:46,514 メキシコ湾岸沿いにある ハイナ島の墓にも 72 00:03:46,514 --> 00:03:48,571 土偶がたくさん埋められました 73 00:03:48,571 --> 00:03:51,373 幸い始皇帝は 無慈悲だったとはいうものの 74 00:03:51,373 --> 00:03:55,076 人身御供の代わりに 75 00:03:55,076 --> 00:03:58,337 使用人や兵隊の像を作らせました 76 00:03:58,337 --> 00:04:02,192 この人身御供は エジプトや西アフリカ アナトリア 77 00:04:02,192 --> 00:04:03,956 北アメリカの一部 78 00:04:03,956 --> 00:04:07,816 また商(殷)や周といった 中国の古代王朝でも行われていました 79 00:04:07,816 --> 00:04:12,127 そして現在 世界中の人々が 80 00:04:12,129 --> 00:04:15,250 今なお軍命を待ち続ける 兵士たちを見に訪れるのです