(鐘の音)
親愛なるティックさん、僕の質問は、あなたはどんなことがあっても許すことができますか?すべてのことを許すことは可能ですか?そして、どうやったらできるのですか?
はい、それは可能です。
私はたくさんの不当な仕打ちや苦しみを経験しました。
私はヴェトナム戦争を生き抜きました。そしてたくさんの人々が私や、私の仲間、私の国を不当に扱いました。
しかし「思いやり」と「許し」は可能です。
他人に苦しみを与える人々は、実は、彼ら自身が苦しんでいるのです。
彼らは本当の意味での幸せのない罠にはまっているのです。
私達に思いやりの心が湧き起こった時、悪行を忘れ、許すことができるのです。
許したいという意志だけでは不十分です。それだけでは許すことはできません。
真の理解だけが「許し」を可能にするのです。
そのような理解は相手の苦しみを見抜くことによって可能です。
人々は怒り、差別心、無知から、ひどい行いをします。
ある人々は欲望に染まり、他人との意思疎通がとれず、怒りに満ち、
思いやりのかけらもありません。
そういう人々は、たとえ権力者であっても、金銭的に裕福であっても、
全く幸せではないのです。
仏教の戒律を遵守する者には、彼らが苦しんでいるのがわかるのです。
そして彼らのことが哀れに思えるのです。そうなると「許し」は彼らの問題です。
これは他の人々にも当てはまります。
侵略者、家、家族を破壊した人々や、たとえ子供を愛することを知らず、自分の意見を押し付ける親達であっても、
彼らの苦しみを見、
苦しみを理解し、思いやりを持つのです。その思いやりが「許す」ことを可能にするのです。
私は人を恨むことをしません。私は誰でも思いやりで抱擁します。
仏陀の「愛」は可能です。
OK.