WEBVTT 00:00:07.236 --> 00:00:10.875 アフリカ南部の樹木が点在する 広大な場所に 00:00:10.875 --> 00:00:14.765 壮大なグレート・ジンバブエ遺跡が 広がっています 00:00:14.765 --> 00:00:19.186 富と名声に彩られた 中世の石の都市です 00:00:19.186 --> 00:00:21.767 それは現在のジンバブエにあり 00:00:21.767 --> 00:00:26.475 サハラ砂漠以南のアフリカで 最大の開拓地の遺跡で 00:00:26.475 --> 00:00:30.306 アフリカではエジプトのピラミッドに 次ぐ大きさです 00:00:30.306 --> 00:00:33.556 しかしこの都市の真の歴史は 論争により覆い隠されていました 00:00:33.556 --> 00:00:38.867 誰がなぜ作ったかということは 百年近くの議論を経て定まったのです 00:00:38.867 --> 00:00:42.213 その名はショナ語の マドジンバブエに由来し 00:00:42.213 --> 00:00:44.733 大きな石の家を意味します 00:00:44.733 --> 00:00:49.312 高さが10メートル近く 幅が250メートルほどある― 00:00:49.312 --> 00:00:53.355 登ることができない 石の壁があるからです 00:00:53.355 --> 00:00:55.771 その雄大さと歴史的意義により 00:00:55.771 --> 00:01:01.144 1986年にユネスコの 世界遺産になりました 00:01:01.144 --> 00:01:05.613 14、5世紀に遡ると それは繁栄した都市でした 00:01:05.613 --> 00:01:08.144 グレート・ジンバブエは 8平方キロメートルに広がり 00:01:08.144 --> 00:01:11.446 3つの主な区画に分かれていました 00:01:11.446 --> 00:01:13.894 王が住む「アクロポリス」 00:01:13.894 --> 00:01:17.544 王族のための「大囲壁」 00:01:17.544 --> 00:01:21.986 そして一般市民が住む 「谷の遺跡」です 00:01:21.986 --> 00:01:27.640 支配者はその地域で強大な力を持つ経済的 宗教的な指導者でした 00:01:27.640 --> 00:01:29.055 最も栄えた時には 00:01:29.055 --> 00:01:32.705 都市の人口は1万8千人になり 00:01:32.705 --> 00:01:36.905 その頃のアフリカの 主要な交易中心地の1つでした 00:01:36.905 --> 00:01:40.290 この都市の成長はグレート・ジンバブエが 大陸間交易ネットワークにおいて 00:01:40.290 --> 00:01:43.557 影響力ある役割を果たしたことで 可能となりました 00:01:43.557 --> 00:01:48.201 アフリカ東部のスワヒリ海岸にある 重要な都市国家のいくつかとつながり 00:01:48.201 --> 00:01:51.791 ここはさらに大きな インド洋交易ルートの一部となっていました 00:01:51.791 --> 00:01:55.274 その都市は最も貴重な商品の 供給や交易を管理し 00:01:55.274 --> 00:01:57.385 富を生みました 00:01:57.385 --> 00:01:58.406 金 00:01:58.406 --> 00:01:59.272 象牙 00:01:59.272 --> 00:02:00.897 そして銅です 00:02:00.897 --> 00:02:04.816 この商業力を持って その都市は大陸中に 00:02:04.816 --> 00:02:06.356 影響力を広め 00:02:06.356 --> 00:02:12.477 その絶頂期においては アラブやインドとの 交易において強い存在感を獲得しました 00:02:12.477 --> 00:02:16.200 考古学者たちはこの場所で発見された 遺物を通してこの歴史の詳細を 00:02:16.200 --> 00:02:18.957 つなぎ合わせてきました 00:02:18.957 --> 00:02:21.800 アジアからの陶器片や ガラス工芸品 00:02:21.800 --> 00:02:26.287 2千キロ以上離れた 海岸交易都市キルワ・キシワニで 00:02:26.287 --> 00:02:28.597 鋳造された硬貨もありました 00:02:28.597 --> 00:02:30.707 考古学者は石鹸石でできた 鳥の像も見つけました 00:02:30.707 --> 00:02:34.266 それは都市の支配者それぞれを 表していると考えられています 00:02:34.266 --> 00:02:37.908 また王族の居住地近くだけで 発掘された子牛の骨は 00:02:37.908 --> 00:02:42.627 上流階級の食事が一般市民と いかに違っていたかを示しています 00:02:42.627 --> 00:02:47.427 これらの手がかりは都市の衰退についての 説にもつながりました 00:02:47.427 --> 00:02:49.327 15世紀半ば時点の 00:02:49.327 --> 00:02:53.867 グレート・ジンバブエの建物が ほとんどすべて残っています 00:02:53.867 --> 00:02:56.238 考古学的証拠は 人口の過密と 00:02:56.238 --> 00:02:58.908 衛生問題 これに― 00:02:58.908 --> 00:03:02.488 使い過ぎによる土の消耗が 重なったことを示しています 00:03:02.488 --> 00:03:06.149 結果作物は枯れ 都市の状態が悪くなるにつれ 00:03:06.149 --> 00:03:09.477 グレート・ジンバブエの人々は散らばり 00:03:09.477 --> 00:03:13.938 近隣のムタパ王国やトルワ王国を 形成したと考えられています 00:03:13.938 --> 00:03:16.998 何世紀も後に グレート・ジンバブエの影響力は 00:03:16.998 --> 00:03:19.509 政治の世界で新たな展開を始めました 00:03:19.509 --> 00:03:22.849 誰がその有名な石の都市を 作ったかという論争が生じたのです 00:03:22.849 --> 00:03:25.878 ヨーロッパによる アフリカの植民地時代に 00:03:25.878 --> 00:03:30.589 人種差別論者の植民地の役人は 遺跡はアフリカ起源のはずがないと主張しました 00:03:30.589 --> 00:03:33.200 詳細に書かれた記録が入手できないので 00:03:33.200 --> 00:03:38.484 代わりに彼らは神話に基づいて 壮大なグレート・ジンバブエを説明しました 00:03:38.484 --> 00:03:41.550 それは豊かな都市に住んだ 聖書のシバの女王の話を証明すると 00:03:41.550 --> 00:03:43.720 主張する人もいれば 00:03:43.720 --> 00:03:47.550 古代ギリシャがそれを作ったと 主張する人もいました 00:03:47.550 --> 00:03:51.770 20世紀の初めに その遺跡がさらに発掘されると 00:03:51.770 --> 00:03:54.581 考古学者の デイヴィッド・ランダル・マッキーヴァーは 00:03:54.581 --> 00:03:57.149 先住民がグレート・ジンバブエを 作ったという 00:03:57.149 --> 00:03:59.930 明らかな証拠を示しました 00:03:59.930 --> 00:04:03.250 しかしその時 少数の白人による ジンバブエ植民地政府は 00:04:03.250 --> 00:04:08.742 この学説の信頼性を低めようとしました 彼らの支配の正当性に異議を突きつけるからです 00:04:08.742 --> 00:04:11.589 事実 この都市のアフリカ起源説に 異論を唱える学説を 00:04:11.589 --> 00:04:16.861 歴史家が発展させるよう 政府は積極的に促しました 00:04:16.861 --> 00:04:20.711 しかし時を経て 圧倒的な数の証拠が積み重なり 00:04:20.711 --> 00:04:26.961 グレート・ジンバブエはアフリカ人が 作った都市と特定されました 00:04:26.961 --> 00:04:29.112 1960年代から70年代の間 00:04:29.112 --> 00:04:33.211 グレート・ジンバブエは大陸中に広がる アフリカの民族主義運動の 00:04:33.211 --> 00:04:35.991 重要なシンボルとなりました 00:04:35.991 --> 00:04:38.191 今日グレート・ジンバブエ遺跡にちなんだ 00:04:38.191 --> 00:04:41.873 石鹸石の鳥の像が ジンバブエ国旗に描かれ 00:04:41.873 --> 00:04:45.452 遺跡は 国の誇りと文化的価値の源として 今でもそびえ立っています