(ロック) 目覚めは 人の発達で次にやってくる自然なステップです (ルパート)目覚めとは 自分の内にある根本的な性質を素直に認めることです (リサ)一部の人だけができる 風変りで神秘的な 宗教体験ではありません 誰でも体験できます (ルパート)私たちの根本的な人となりは 既に完全に目覚めていて 完全に自覚できます (リサ)限界など全くありません (ダン)あなたの本当の自然体は 思ったより身近にあります (ルパート) 意識とは究極の宇宙の本質です (ドナルド)科学の次のステップは 意識が根本だと認めることです (ニール) 目覚めとはそもそも何でしょう? 誰か説明してください (ナレーター) 目覚めとは何でしょう? 真実の自分 生まれようとしている自分、「無我」 釈迦、自然、道理、キリスト意識 どんな呼び方をしようと あまり問題ではありません このビデオでは 自覚と呼ぶことにします 自覚は どんな宗教にも属しません 目覚め もしくは自覚することは 夢から覚めるようなものです 人生の劇における あなたの役という夢から 覚めるのです 私たちは自分の役を通して 美しいことも醜いことも この世の全てを体験します この生と死の体験を 二面性と呼ぶことができます 堂々巡りの中で 私たちは自分の役に執着します 考えに感覚に 善と悪 戦争と平和 光と闇 誕生と死に執着します それも目が覚めて 私たちはその役柄でないのが 分かるまでのことです このビデオでは 皆さんをお誘いします 自分の本当の自然体を そのまま経験してください そのまま見つけて下さい 知的にではなく... あなたは誰でしょう? 私たちは このお誘いを 違った形で繰り返していきます 自分が誰なのか問いかける時 全てのことを あるがままにしておきましょう 思考を他にそらして 何かをしようとしたり 思考のレベルで 答えを見つけようとしないでください でも思考を 追い払わないようにしましょう あるがままを単に体験することを 目指してください 思考を「分からない思考」のままに 放っておきましょう (ダン)目覚めは あらゆるレベルで 世界中の問題に対する答となります 世界中の問題はすべて 妄想から派生します 思考の根本的な迷走から その妄想というのは 自分がある限られた役柄だということ (ロック)私たちは 小さな自分の分身として生きていると 絶えることのない不満が いつもあります トラウマのような 大きなものかも知れないし 単なる心の奥の もやもやかも知れません 「何かおかしい」 「何か間違ってる 何かが足りない」 たとえ嬉しい時でも この世で何かを達成した時でも 人間関係がいい時でも ちょっとした時間ができると 隔離されているような 何かから切り離されているような 不満があります 大抵の人がこういう感じを 持っているようですが これが動機付けになって あの小さな自分の分身から 目覚めることができます この分身には分離不安のような性質があります (ダン)この限られた役柄には 欲しいものを掴もうとする傾向があります それは単に 条件付けられたパターンの集合です 欲しいものを渇望したり 欲しくないものを避けようとしたり そういう果てしのないプロセスで 快楽原則というか 快楽を追いかけ 苦痛を避けてるんです もし自分がこういう役だ こういう条件付けられたパターンだと 信じ込むと 自分が苦しみ 世の中も苦しませてしまうのです 世界はその利己的な意識を反映します 目覚めの恩恵は 自分の苦しみが減り 回りの人の苦しみも減ることです (ニール)私にとって 初めて神を理解したことが 人生の目覚めだったのは 疑う余地がありません かつて経験した中で 最大の目覚めでした 本当に50年間 ほぼ眠っていたかのようで ロボットのように歩き回って 若いころから教えられたことを ただこなしていました 型は分かってました ガールフレンドを見つけて 車を買い 仕事に就き 家を買って 結婚する その型に従って働くものだと 思ってたんです 53くらいになるまでは そういう事は殆どやってきて 仕事でも ある程度成功したんですが それから悟ったんです 53才にもなれば誰でも こんな事はどうでもいいって 目が覚めるだろうと 悟ったんです こんな事には意味がありません それが文字通り何を意味するか分かって ショックを受けました 全てが無意味でした (ナレーター) 自分の役のために書かれた台本に 従うのをやめる時… 親から譲り受けた台本 社会に また生理的に条件付けられた台本 それらを捨てると 新しい次元が人生のゲームに開けます 道が開けます でも何かの目標に至る道ではありません 道なき道です それは錯覚を脱ぎ捨て まさしく今の自分に至る道です (ルパート) 私の名前は ルパート・スパイラで 私が話すのは 根本的で表裏のない洞察です これは偉大な宗教や精神的な伝統すべての 根底にあります 私は執筆をしたり瞑想の指導をしたり この洞察を 経験を通して認識できるよう 導くという目的で 人と会話をします 誰もが 何よりも切に望む 平安と幸福は 定義によれば 物質的な経験では見つからないことを 理解してください 平安と幸福は 物や活動や人間関係によって 提供できるものではありません それをしっかり理解して 見つかるはずのない所で 満足を探して 残りの人生を過ごさないよう お薦めします このビデオを見ている人は 望んでいる平安と幸福が 物質的な経験では 見つからないことを理解したか 少なくとも直感で察したからこそ 行動を起こし 自分の真の本質を 探求し始めたのでしょう それは人ができる最も重要な探求です 幸福がかかっている 探求なのです (ニール)私の人生で最大の疑問は もちろん たいていの人が遅かれ早かれ 直面すると思いますが 「実際どんな意義があるのか?」 「人生の意義とは何なのか?」 以外に思ったんですが 人生の意義は 私がやってた事と 何も関わりがないと言われました 仕事でもなく キャリアでもなく 物質的な生活と ほとんど関わりがなかったのです そういうのは人生の側面であって 人生の意義ではなかったのです 私が理解するに至った 人生の意義とは 自分の真のアイデンティティー 自分の本当の人となりを 体験し、表現し、行動で示し 全うすることだったのです ほとんどの人が直面する 最大の疑問は あまり誰も自問しないし 答えようともしない疑問だと思います 人生最大の疑問は 私の知る限りでは「自分は誰なのか?」です 私は誰なのか? 空の鳥や海の魚のように ただの物質的な存在でしょうか? 鳥や魚より高尚かも知れませんが それでもただの物質的な存在で 生まれて生きて死ぬ それが始まりで終わり それともひょっとしたら 自分はそれ以上のもの ということは あり得るでしょうか? 自分が霊的な存在で ただ物質的な体験をしている ということはあり得るでしょうか? (ナレーター) 人生の経験はすべて あなたをこの一つの普遍的な質問へと 導いてきました あなたは誰でしょう? 思考で答えを探さないでください すべてをあるがままに放っておきましょう 思考を自覚しているのは誰でしょう? 浮かんでくるものは すべて感じ取ってください そういう感覚を自覚しているのは誰でしょう? 問いかけた結果 浮かんでくるものは全て しっかり体験してください (ドナルド) 私はドナルド・ホフマンです カリフォルニア大学アーバイン校で 認知科学の名誉教授をしています 私の仕事は学生を教えることでしたが 今は名誉教授で教鞭は取らず リサーチをしています 現在 意識の数学的なモデルを研究し また 全く数学的に正確な 意識の理論から 物理と時空がいかに生まれるかを研究しています 私自身の人生は 霊的な面と科学の面と両方あります 父は 原理主義キリスト教の牧師で 日曜日にその面を教わり 学校で科学を教わり 二つは矛盾しますよね? 私の教えられた話は相反するので 十代の頃に 自分で解決する必要があると知ったんです 答を出したい質問を決めました 我々は機械か? 人はただの機械なのか そうでないのか? 物理的な視点からは 我々はただの機械です 霊的な視点からは 機械ではありません 我々が何なのか断言できるほど 的確でなかったので 科学的に質問することにしました 我々はただの機械か? その最善策は 人工知能を勉強することだと思ったので MIT に行って 人工知能のラボで AI を研究し また 今では脳認知科学科となった所で 人間にまつわることを研究しました 両方やりたかったので 機械に何ができるか見たかったし 人と人体神経科学で何か特別な事があるなら それを見たかったんです 他でもない その質問に答えるために- 精神的な伝統は正しいのか? 我々はただの機械以上なのか? それとも物理的な科学的な視点が正しいのか? 私たちはただの機械です 意識は 脳内活動の 産物にすぎないのです (ナレーター)科学的な 唯物論者のパラダイムが過去一世紀では優勢で 物質を超越するものは何であれ その存在を否定します 科学的な方法で実証できないものは 何であれ否定するのです 科学は袋小路です 量子科学の基礎となるパラドックスを 越えられないのです パラドックスを観察者に突きつけ 意識そのものに突きつけました 同様に宗教も たいていの場合 信念のレベルでしか機能しておらず 私たちが誰で何なのかという真実を 直接体験できるように導くという 本来の目的を 宗教は見失っています 科学と精神性の分裂は 両方を貧弱にしてしまいました 宗教や精神的な思想体系は 目覚めを起こす環境を作れると 世に示せるような 厳格な方法を切実に必要としています そして科学は 物質を越えた何かがあるという可能性に 門戸を開く必要が切実にあります 宗教か科学かを捨てるというのではなく さらに深く掘り下げ 探求に よりふさわしい道具となれるよう 自分を変える意思を持つということです 私たちが実験を行う者であり 実験そのものなのです (ロック)宗教は こういう瞑想や精神性の伝統を 伝える言語として また器として続いてきました その瞑想や精神性は書きとめられ 何世代ものあいだ 引き継がれてきました 確かに原語の中には 文字通りのものもあり 額面どおりに解釈すると 宗教を分裂させ 文化を分裂させます しかし宗教の精神を感じ取れれば その糸をたどって本物の目覚めへと たどり着くことができます 誰にでも 信仰があろうとなかろうと 目覚めの可能性があります なぜなら 目覚めは 誕生の時から 人の意識の中に備わっているからです ですから何と呼ぼうと 言語が何であろうと 異なる宗教や精神性や 瞑想の伝統の中に ある原則が共通しているようです。 (ルパート)私が若かったころ こういう考え方は 主に東洋の精神的な伝統でしか 得られませんでした 西洋の伝統にもありましたが ゆがめられ そういう伝統のうちに体系化されて ほとんど理解できませんでした この考え方を見つけるために それで たくさん 同世代の人が 実際に東洋へ行くか または 少なくとも知的に東洋へ行きました 東洋の文化は西洋文化と比べて エキゾチックでした そしてこの考え方が伝えられていた 文化の影響で 異国情緒が加わりました その結果 たくさんの人が 私も含めて 二面性のない考え方には エキゾチックな何かがあって この世を越えた生き方が求められ 家族生活を放棄したり 髪を伸ばしたり 特別な名前を授けられたり ある種の師や伝統に従ったり 変わった修行をしないといけないと考えました そんなことは全部 核心の考え方と無関係で その考え方が表現されてい’た ある時代の文化と関係していただけです 今では その考え方は 我々の多くが最初に聞いた時の 伝統的な文化の包みを完全にほどいて 根本的な理解だけが得られるようになって 私たちの生活を そのまま続けられるような形になりました 家族生活であろうと 仕事であろうと 生活に外的な変化を 加える必要はないのです この地球上で私たちが抱える問題は 本質が一つ以上あると 考えることです 私たちは 私が二元性と呼ぶ世界に住んでいます 男性と女性 黒と白 大と小 早い遅い 上と下 ここかしこ 前と後 でも実際あるのは一つだけです 全ては一つのものなのです 一つあるだけです それで すべてを深く観察すると こことかしこ 大と小 早い遅い 上と下 右と左 男性と女性はみな同じで 異なる特徴を表現しているだけで 決してお互いから切り離されていないことが 分かります 私は信じています 私たちはみな 神が個体化したものです 私は信じています 神は一人一人の人間の内に 人間として また人間を通して存在し さらに言えば 宇宙の中で 一つ一つ知覚できる 存在の内におられるのです