(♪) 12月になりました 教会の中は もちろんのこと 町の至る所が クリスマスの飾りで キラキラしています 毎年見る 同じ景色です けれど 今年 私は 『マッチ売りの少女』の お話が 浮かんできます なぜ あの少女は 死ななければならなかったのか なぜ 救われなかったのか もし その声が聞かれていたなら と 考えてしまいます この一年を振り返ると 乳幼児の虐待死が 何度も報じられ その都度「なぜ」と 思わずにいられませんでした 「泣き声がうるさかったから」 そんな理由も 報道されました 赤ちゃんの泣き声は いつも 天使の声のように 聞こえるとはかぎりません 泣きたくなるのは こっちの方と イライラとして 聞こえることもあります 聞く者の心の状況で 赤ちゃんの声は 色々に聞こえます 私の母は 私によく言いました 「智子は生まれてきた時 とても悲しい 寂しい声で泣いていた この世に よほど 生まれてきたくなかったんだと思った」と 私は子供の時 そうだったんだと 思っていました けれども 大人になって気がつきました 丸々と太って 元気に生まれてきた 私は その産声は 大きな 元気な声だったはずです けれども 母は 悲しい さみしい声と聞きました 実は 私が生まれる頃 私の 3歳になる姉が大病を患い 一命は取り留めましたが これからの生涯は 見ることができない 話すことができない 身体の半分は動かせないと そう 宣告された時でした 恐らく悲観して 不安でいっぱいの 母の心の声が 私の泣き声に 重なったんだと思います 乳幼児 特に赤ちゃんは 言葉で 気持ちを 伝えることができません 泣き声だけが 訴える手段です けれど 赤ちゃんに関わる者の 心の状況で 私の母のように その訴えを 聞き逃すことも あるということです ましてや 赤ちゃんの声が 大きな声とは限りません 小さな声だったり 声なき声のこともあります けれども その声を聞き留めないと 赤ちゃんの命が 守られないことも 起こりうるのです 2000年前 山で野宿していた 羊飼いは ダビデの町で 救い主がお生まれになると 天使に告げられました 羊飼いたちは 山を下りて ベツレヘムへ行きました そして 飼い葉桶に寝かせてある 乳飲み子イエスを 探し当てました 夜の 闇の中です 人々は それぞれの家や 宿屋の中にいて 町には 人影が少なかったでしょう マタイによる福音書での クリスマス物語の 東方の博士たちは 星に導かれたと 書いてありますけれども ここには 何も書いてありません では 羊飼いたちは どのようにして 赤ちゃんイエスを 探し当てたのでしょうか 宿屋を訪ねても どこにもいない ならば 外のどこかにいる 手がかりは 赤ちゃんの泣き声です 羊飼いたちは 赤ちゃんイエスの泣き声を聞こうと どのような小さな声をも 聞き逃さないようにと 一生懸命 耳を澄ませて 捜し続けたのではないでしょうか また どの宿屋にも泊めてもらえず ついには 家畜小屋で出産した マリアの気持ち ヨセフの気持ちは どうだったのでしょうか 出産は 危険がつきものです 若いマリア 初めての出産です どんなに不安だったでしょうか その心の内を想像すると 愛おしく 抱きしめたくなります 小さな命が 守られるためには その命に関わる者の 命も 守られなければなりません 小さな命が生きる ということは 希望ですが その命に 寄り添う者にも 希望が 必要なのです 出産間近で その大きなお腹を見ても どの宿も マリアを泊めようとはしませんでした とうとう 家畜小屋で出産しました それは あまりにも寂しく 悲しい出来事です けれども ここで マリアにとって 想像もしないことが起こりました 羊飼いたちが ついに 赤ちゃんイエスを 探し当てたのです 布にくるまった 乳飲み子イエスを 探し当てたのです 羊飼いたちは 赤ちゃんの泣き声を聞き その姿を見つけたとき どんなに 嬉しかったことでしょう 不思議なことに 小さい命が 一生懸命生きている姿は 私たちを励まし 希望を与える力があります 羊飼いたちは 希望が与えられ 喜びいっぱいで 「おめでとう」と お祝いしたことでしょう そして 自分たちを探し出し 喜んで お祝いする羊飼いの姿は マリアにとって どれほどの 喜びだったことでしょうか 誰かが 見つけ出してくれた 誰かが 声を聞いてくれた そして 一緒に喜んでくれた 不安な心は きっと これから生きていける そう 希望へと 変えられたのではないでしょうか クリスマス物語は 逆転の発想です 出産を 家の中でさせてもらえなかったマリア 穢れの人と 扱われていた羊飼い それは 声を奪われた人 声を上げることが出来ない人 社会の端っこに 追いやられた人です 神様は その人たちを 喜びの目撃者となさいました 神様は その人たちに 喜びのしるしを 与えられました そして クリスマス物語は 聖書を読む私たちに 示されました 地に平和が訪れるには 羊飼いのように 探し出しなさい と 小さな声を 聞き逃さないように 赤ちゃんイエスが守られたように マリアが 守られたように それは 小さな声が聞かれること 声にならない声が 聞かれること 奪われた声が 聞かれること つまり 小さくされ 社会の端っこに追いやられた 人の声を聞くということです 2000年前 神様は 平和の王として イエス様を この世に 送ってくださいました 小さな命 誰かの支えを必要とする命 乳飲み子イエスとして この世に 送ってくださいました。 小さな声 聞きましたか 小さな声 聞こえましたか もし 聞こえないなら 聞こえるまで 探し続けましょう 弱き 小さき者に 寄り添われる神様です 必ず 神様は 導いてくださいます その声が 聞かれた時 その声が 守られた時 地には 平和が訪れます クリスマス おめでとうございます。 (♪)