[基調講演 : ウィキデータに問う] [オス・キーズ] テスト中です 聞こえますか? 良かった どうしてスピーチの時 最初に聞こえるかって 尋ねるんでしょうか 聞こえなかったら 返事のしようがないですよね (笑) オスです ワシントン大学の 博士課程の学生です このスライドによると ジェンダー、インフラ、カウンター・パワー について研究しています この説明が 明示的かつ繊細な 思慮深い学術的な表記であり 総花的な表現ではないと 思い込んでください なぜなら 私は 種々雑多なことを研究しており 数語で全てを説明することは 難しいんです でも 私が研究しているものは主に 知識のシステムが 世界の仕組みについて 特定のアイディアを強制すること それから ジェンダーに着目した 権力の特別な関係です また 私は元ウィキペディア人です 15年間エディターとして働きました 多分そこで知識の性質についての 関心が始まりました ここに招待されて本当に嬉しく 皆さんと一緒にいることに感謝してます 特にジェームズ・フォレスターさん 私のパスポート更新申請書に 副署名する資格を持っている唯一の人物です パスポート期限は迫ってて 焦ってるんです (笑) シアトルに引っ越し 全て上手く行ってたのに そこに英国政府が 元神父か 公僕または議員で 私を最低2年間知っている人物に 書類を送れと言ってるんです 簡単ですよね (笑) とにかく 私は多くの時をー 年月をー と言うと年取った気がするので 嫌なんですがー 知識の性質と 知識の概念に 費やして来ました それに基づきここで ウィキデータというものが 私のような経歴と研究課題を持つ人物にとり どのように見えるかご説明します ウィキデータそのものについては 余り時間は費やしません 皆さんはすでに ここで24時間にわたり 脳みそに大量に注入されて 十分ご理解されているでしょう 巨大な語義データの格納場所で 機械が読み込める知識を 一元化して提供するものです どのように見えるかと言うと プロパティと文に関連した 項目のシリーズの形になります 「リンゴ」という項目は 「果物」というプロパティを持ちます だと思います というのは ウィキですから リンゴが果物か否か 編集争いが続いているでしょう 50人が合計300アカウントを持ってて 長年争ってるかも知れません この時点で ウィキデータで リンゴという言葉を使うと あなたは即座に締め出されます あなたは実は 多重アカウントホルダーで 論争のどちらか側のアカウントを 運営していると疑われるからです その結果 ウィキデータは 分類システムでもあるわけです 世界を分類して整理する方法です モノや人物や概念は ウィキデータの項目を持つ価値が あるかどうかにより分類されます それか果物か否か それぞれのケースで 一連の基準が適用され そのモノが持つべきプロパティと そのプロパティの値 そして そのモノ同士の 関連性が決定されます だからウィキデータは実際は 普遍的な分類システムを構築する試みなんです 分類システムは 結構詳しく研究されています 興味があれば是非読むようお勧めする 重要な研究として 「モノの分類法」という本があります ジェフ・バウカーと スーザン・リー・スターの共著で 理想的な世界では 分類システムは 普遍的なものであれ 特定の分野のものであれ 3つの特性があります 1つ目の特性は 一貫した特定の原理に 従い運営されていることです 一貫したパターンで それぞれの分類項目に何が なぜ入るべきか決まっています 2つ目としては 全ての分類項目は お互いに排他的であるということ 3つ目は そのシステムは完全であること 表わしているものを全て 含んでいる必要があります でも システムにフィットする 全てのモノが 分類されている必要はありません まだ分類されていないモノが 登場した場合に 一貫したメカニズムに基づき データベースに追加されるべきか否か どのように表現されるべきか等 決まっていればいいんです ただし1つ 小さいながら問題があります 「これらの簡単な要件を満たす 実際の分類システムは存在せず 将来的にもあり得ないだろう」 と言ってます 別の言い方をすれば 全ての分類システムは 失敗するということです 全ての分類システムには ギャップや例外が存在します 全てのシステムについて当然 同様のことが言えます コーディングや 何らかの環境のもとで働いたり 勉強したり 現実世界で生活をしていれば 最後まできちんと考え抜いて デザインされたものは 何一つないことを良く知っています 問題は 例えば分類やその他のシステムを 世に紹介し 力と権威を与え 既に力と権威を持つ 他のシステムと統合すると そのシステムもいずれ崩壊する訳ですが その結果に影響を受けます 既存の権力関係を強めたり弱めたり 人を傷つけたりするという影響です 要するに普遍的な分類システムは いずれ失敗が約束されているだけでなく 人を必ず傷つける運命にあるのです だから その構造は 結局は倫理的 そして政治的な 選択により決まりますー 誰が傷つくか? どれくらい? 人が怪我をしたらどうするか? これらの選択は 現実的な結果を伴います だから 選択をする際には得てして 直面する事実は 歴史上全ての人々にとり真実である 機械で簡単に読み込み可能な 唯一の解釈が存在することは 極めて稀であるということです 世界の全てのものは 色々な時代の 色々な人にとり 色々な文脈のもとで 複数の意味と象徴 そしてニュアンスを持ちます でも 分類システムをデザインし 実装することー 一貫した原理を持ち 話題にのぼるもの全てを網羅していると 主張できるシステムをデザインするには その複雑さを減らすことが必要です そのモノの意味が何であるか決断したり 可能な意味の選択肢が どんな順序で提示されるべきか 決断する必要があります その結果 どうしても ある声を静めたり ある声を高めたりすることになります これも何らかの結果を伴います この複雑さと文脈 その削減と結果が何を意味するか ご理解いただくため ウィキデータそのものから 幾つか例をお見せします 私が選んだ例は ジェンダー関係のものです ジェンダーは仕事上 そして 個人的にも大変興味あるトピックなので まず最初に 性転換症から説明します 次のように定義されています 「個人が自身の生理的な性と不一致な または文化的に関連づけられない ジェンダーと自身を同一視する状態」 反論の余地はないでしょうねー いま待てよ 病気として分類されている しかも精神病とされている 皆さんもひどいと思われるでしょうが この記述が正しいか正しくないか という単純な問題じゃないですね 「正しいけど でも...」 という分類に入るでしょう 性転換症というは病気の一種でしょうか 技術的に言えば正しいです 性転換症が 国際疾病分類法(ICD)バージョン10の 項目名であるという観点からは そうなります でも 我々は複雑性とニュアンスを 付加するべきです ICDは文字通り 人間の怪我や死に 何等かの形で関与する 世界中の病気全てを分類したものです 実際 ICDに項目のない原因で 死ぬことは違法なんです (笑) 多くのことが掲載されていますが 性転換症も載っているので 病気として分類するわけです 病気の分類に含まれているのですから ICDが病気として項目として 掲載しているものには 他にはこんなものがあります PA80 間違って銃に打たれた PA40.0 船から落ちて溺れて死亡 (笑) PA41.1 船から落ちて 船に被害を与えてから溺れて死亡 (笑) PA40.1 船から落ちて 船に被害は与えず 溺れなかったが 何かが原因で死亡 (笑) 最後にQD50 貧困 (笑) 皆さんの中で 船から落ちたことがある方は 残念ながら病気を持ってることになるので 医者に相談した方が良いでしょう 何科の先生かは分かりませんが 精神科医かも知れませんが どうでしょう 病気だと分かりました 専門は精神科でしょうか? ある意味合ってます 精神科医とは 性別違和症候群を診断することができます 自身の性別感覚と 身体的または他者が認識する性別が 一致しない状態を指します ここでも文脈が大切です 例えば 精神科医が診断はしますが その治療法はまったく 精神医学的ではないんです 専門はむしろ ホルモン治療とか 整形外科またはパーソナル・ショッパーと した方が近いかも知れません これらはいずれも患者の人生の方向性に 何らかの影響を与えるものです でも分類上掲載されていません もう1つ便利そうな知識があります 実はICD10は 古い国際疾病分類法であり 今のICD11には 性転換症は掲載されておらず 病気として分類されていません ここで私が言いたいことは ウィキデータが古い情報を含んでいるとが 誤った情報も含んでいることではなく 情報に基づき構築されたステートメントは 必然的に除外した情報も反映しており その結果除外されたものが リスクとなり得るということです この項目に含まれていた情報を ひとつ構文にしてみると 「性転換症は精神的な疾病である」となります 今まで述べたような色々な複雑性を 排除しています しかし より大きな問題は それが既存の説明や情報と いかに絡み合い 共鳴するかという点です 例えば 性転換症が病気であるという考えです ICDがなぜ 性転換症を病気として 掲載しなくなったか分かりますか? 2つ理由があるんです 1つ目は 性転換症を病気と呼ぶことが 正確ではないからです 病気であることの定義を満たさないのです 実際 性転換症に関連した項目が ICDに残っているとしたら その唯一の理由は 生理学的または精神医学的な観点ではなく 純粋なプラグマティズムによるものです 掲載をやめてしまうと 米国みたいな国の保険会社は 性転換症に関する治療費用を 保障しなくなるからです 2つ目の理由は 病気として分類されるものを 患うことに伴う偏見は深刻なもので 性転換症を病気として分類することにより しかも精神病とすることにより 性転換症の人に対し 長年持たれて来た 憶測や誤った思い込みが 増幅されてしまうのです 憶測や思い込みは強力なものです 病気なんだから性転換症の人は 何かおかしいんだろう 治す必要があるだろうとか 精神的な症状なら 性転換症の人は症状がなくなるよう セラピーを受けるべきだとか すなわち ステートメントが真実であっても 謝りであっても その複雑性と文脈性を剥ぎ取ることにより 人々は自分が認識する定義に 当てはめてしまうんです その結果 中立的で客観的な 分類システムには至りません 転向療法みたいなものに 繋がってしまうんです 性行為をした後に相手が 性転換症と知って 相手を撲殺しても違法行為ではない なぜなら相手は何かが おかしかったからだとか こんな行為をしても 道理があったからだとなるのです この問題をもっと正確に説明してみます ウィキデータの枠にはめるのが 難しいのです ウィキデータに入れられないため 情報をそぎ落とすことにより 複雑性を失ってしまい 非常に危険な概念が再び補強される リスクが高まるのです 別の例を やはりジェンダーの観点で見てみましょう ノンバイナリーの項目の問題です ウィキデータによると ノンバイナリーとは 男性にも女にも限定されない範囲に 存在するジェンダーです 「何々としても知られる」としていることも 問題があると感じてますが それが一番重要な問題ではなく ここで重要な点は このページのどこにも 性転換症についても記述がないのです 性転換症の女性についての項目を見ると 「性転換症の男性の反対」と書いてあります そして性転換症の男性の項目を見ると 「性転換症の女性の反対」と書いてあるんです この項目には 性転換症の人に関する記述は 一切ないのです ノンバイナリーな人と性転換症の人が 完全に切り離されて区別されて しまっているんです こんなことにこだわるのは 衒学的と思われるかも知れませんが とても有用な例なんです 2つの理由があります 1つ目は ノンバイナリーな人が 性転換症についてどう感じているかについて 大いに議論があるということです ノンバイナリーの人は性転換症であると 自覚する場合もあればない場合もあります だから この人々を一括りにして 分類上の判断するのは難しいのです 他の人は 理由はまちまちですが ノンバイナリーは性転換症ではないと言います あるいは 逆にノンバイナリーは性転換症だと言います どこかの時点で決断する必要があります この項目はどう分類すれば良いでしょうか? どんな属性と関連付ければ良いのでしょうか? でもウィキデータでそれをするのは大変です 必然的にプラットフォームの構造が カテゴリー型で硬直的なので ある人には関連しているが 他の人には関連しておらず 政治的にも紛糾しており 良く考える必要があるとは言えないのです 頼るべき客観的事実がないんです とても文脈的で複雑で 議論が紛糾しています では どうやって これをウィキデータにはめ込みますか? 誰か? この単純化は 「情報が全部フィットしなかったから 完璧じゃないのも仕方がない」 という問題だけでなく 既存の議論や既存の世界と合致することにより 深刻な被害を及ぼす可能性があるのです 過去からずっと ノンバイナリーの人は性転換症ではないと みなされてきた歴史があります 性転換症とは何かということ また性転換症の人の扱い方に関する 全ての基礎となる 権威ある医療や学術研究も同様でした その結果 ノンバイナリーな人々は 医療・地域社会への参加など さまざまなサポートへの アクセスが断続されて来ました 実際 2013年までは ノンバイナリーは絶対になることはないと されていたにも関わらず 性転換症の薬物治療を受けることはできました 薬物治療が欲しければ 担当医に対し常に嘘をつき ばれないことを祈るしかありませんでした 希望通りの診断が得られ 健康保険で費用をカバーしたり 国民健保でカバーできるようにするためは 男性か女性のどちらかになる必要があり それ以外の選択肢はありませんでした そして今 ノンバイナリーな存在に対する バッシングが増えています 私たちを脅威に感じたり 奇異なものとみなすのです 性転換症の人たちと 同じくらいの間存在してきたが 話題に上らなかっただけなのです この結果何が起きるかと言うと 静寂が既存の概念を補強しているのです 例えばノンバイナリーは性転換症とは 一切関係ないという思い込みです そこから生まれ補強される議論は 人々を治療から切り離し 人々を地域社会から隔絶します ジェンダーについて まくしたてるのをやめる前に ヒジュラについて話します ウィキデータによると ヒジュラは南アジアの文化圏の 第3のジェンダーで ノンバイナリーの派生クラスです こういうことです ヒジュラの人たちは 単純な男性・女性の バイナリーの範疇の外に存在してますが ヒジュラで自分のことをノンバイナリーと 定義する人は絶対いません 全然意味をなさないからです 西洋文化の文脈では ノンバイナリーな人は定義上 男でも女でもなく その結果 性転換症の男性でもなく 性転換症の女性でもないわけです ヒジュラは性転換症の女性も含むし インターセックスの人も皆含み 不妊症の人や ゲイの人々の多くを含みます 一方で性転換症の男性は含まず ノンバイナリーで生まれた時に 女性とされた人も含まれません これはとても複雑で このジェンダーの構造について説明する 本が出版されています 大事な点は 西洋のジェンダーに対する考え方を簡単に 他国ののジェンダーの概念に マッピングする方法はない点です ヒジュラの人々を分類し ノンバイナリーの派生クラスとするのは 多くのヒジュラが自分のことを そう見ていないという事実を無視しています そして ヒジュラとノンバイナリーの定義は 全く相容れません ここにも 悪影響が発生する リスクがあります なぜなら 西洋のジェンダーの概念は 頻繁にしかも長期にわたり世界に広まり 多くの場合 暴力を伴って来ました 私たちには情報システムがあり 分類システムがあります 基準があります 歴史上も現在も戦争があります 西洋のやり方が 唯一優れたやり方だという考えや 最良で標準とされるべき方法で 皆が従うべきだという 考え方が中心となってます だから皆が仕方がなく 世界を西洋的な知識の概念に 押し込めようとする 大規模なプロジェクトに取り組む時ー 分類システムは 普遍的にそう機能しますからー 全てが1つの一貫性のある スキーマにフィットする必要があります それが暴力を誘発しているのです 私が延々と話して来た懸念や例に対し こう反応されるかも知れません 「それがどうして重要な問題なのか」と 「ウィキデータが特定の議論に参加し 承認したり否認したりすることが どうして世界に影響を及ぼすのか?」と 第一の答えは 重要じゃないというものです 重要だとすれば それは あなたがそう認めるからです 現在ウィキデータの 標準的なアプローチは 機械で読み込み可能な形で 知識を集めているというものですが 実は違うんです それと同時に 何が含まれ何が含まれるべきでないか 知識がどう提示されるべきか 判断しているのです どの複雑さに掲載する価値があり どれはないか判断しています その判断は倫理的でも政治的でもあり プロジェクトを単に 百万の匿名のサルたちが タイプライターを使って 結果が得られると考えると それについて会話することを不可能にします ウィキデータの運営者とユーザー そして出資者たちは 中立でも客観的でもなく 悪ではないが危険な 根本的に大切な判断を していることを自覚する必要があります もしこれらが倫理的で 政治的な判断だと認めた場合あなたは 「掲載されるものに意見がしたければ 貢献すればいいだろう」と言うかも知れません 周辺に追いやられたコミュニティーこそ 多くを貢献します クィアのコミュニティーは特に すっと昔からテクノロジーの 初期の採用者でありました 人々はただ ウィキデータに貢献すればいいんです ヒジュラの人たちも アカウントを作成して 自分たちに関する項目が ノンバイナリーの派生クラスなのは 間違っていると主張すれば良いのです でも 上手く行かないでしょう ヒジュラはマイノリティーだからです 政治的・倫理的な判断が下される場合 その声や意見が抹殺されるのは マイノリティーのものなんです 統計値を調べてみました ウィキデータは2万人の エディターが活動してます 世界の人口は70憶ぐらいですね その計算が嘘で 北極圏の下に潜むトカゲに支配された 各国政府が でっちあげていると 信じてる場合は別でしょうが だから今 大体 (聴衆1)違うんですか? (笑) 正直に言います ここ5年間米国に住んでて 学んだことがあれば それは 人類の大部分を コントロールしようと考えるほど 大きな政府の集合体であれば その事実を隠匿できるほどの 能力は持っていないはずです (笑) 多分3ヶ月でバレてしまうでしょう どこかの勇敢な 調査記者の発見によるものではなく ある日 トカゲが一匹 人間の背広を着るのを忘れたまま 牛乳を1パック買いに お店に行ってしまうんです (笑) TikTokに動画撮影されて バレちゃうんです (笑) ウィキデータでは 2万人のエディターが活動してますが 背広を来ていようがいまいが トカゲは含まれていないでしょう 世界人口70億人のうち ヒジュラの人々は百万人くらいいます 同じ比率と想定するとー ヒジュラの人々は貧困に喘いでおり 信頼できるイーンターネット接続など アクセス力への貧困の影響は ここでは無視するとしてー 2万人のウィキデータ・エディター 全体の行為を 2.85人が翻す必要がある計算になります 余りありそうな話ではないですね そこで皆さんはこう言うかも知れません 「じゃあ 他のウィキベース・インスタンスが あれば良いじゃないか そういうものを作ることを 目指してるんでしょ?」と 自分自身のウィキベースを 自分の意見と 物事の分類法や 優先順序 禁止事項などについて 自分の判断に基づいて設定することができます 何が知識であり どの情報が重要かという 自分の基準に基づき 自分のサイトを構築することができるのです 人々は まさにそうするかも知れません 問題はウィキデータが結構重要視されていて ウィキデータが下す判断が 大きな影響力を持ってしまうことです 既に存在しているという事実があります 先行者利益があります ウィキメディアのブランド力があります Googleなどからの資金力もあります 他の機関とのリレーションを持ってます ウィキデータの戦略が 博物館とのエンゲージメントと 統合を計画すれば ウィキデータにもっと データが集まるだけではなく ウィキデータと そのユーザーの判断が 現実世界にもっと浸透し データシステムの仕組みの標準と化し 他の領域を満たすための 情報源となって行くのです だから私は「悪じゃないけど危険」と ウィキデータの分類システムを表現するのです 強調したいのは ウィキデータそのものが 悪とは思っていないということです でも その危険性は広範囲に及び きちんと対応されていないと思ってます ジェンダーについてだけでも 3つの非常に簡単な事例をお見せしましたが ウィキデータの項目に含まれる情報の 客観的な正確性のことは さて置いても どの情報を掲載するかとか 優先するかという判断が 世界の他の地域では重要な特定の議論や意見を 拡散したり封じ込めることにより 世界中に被害を及ぼし得るのです 私がこれらの例を選んだのは びっくりさせるためでも 特別だからではなく 単に あんなに狭い範囲のコンテンツで 幅広い暴力的システムへの示唆がある問題を たくさん見つけられるとすれば 他にどれくらい潜んでいるか 考えて欲しかったんです ウィキデータのゴールは 普遍的な分類システムですが これらの危険性に対応しないと 最終的には多分ーいや絶対 中立な分類ではなく 強制に至るでしょう 「世界の仕組みはこうなってる 気に入らなかったとしても 我々の世界に順応せよ」となるのです 簡単な答えがあればいいんですが 持っていません エンジニアリングから 学術部門に移ったことの プラス面の1つでしょうね 色んなところに登壇して 「何もかもが複雑だ 誰か何とかしなければ 助成金頂けますか?」 と言えばいいんです (笑) 私が唯一できることは バウカー博士とスター博士の 結論を再度繰り返すのみです 結局はウィキデータ自身のことではなく ウィキデータの問題ではないのです ウィキデータもその一部である システムのクラスが 安全に運営されて来ておらず 今後安全になると考える 理由はないということです だから私からのメッセージは 特定の変化を求めるものではなく 皆さんに諦めて家に帰れという ものでもありません プロジェクト全体として そして 皆さんそれぞれ個人として 平穏でいられるかということですー 普遍化を目指し データの中立性と真実性を主張する システムの構築に本当に参画したいですか? それが不可能なことであり 失敗した場合は害があると知っていても? 平穏でいられない場合は 他にあり得る方法を模索するべく 発言して欲しいのです その方法とは例えば ローカルなウィキベース・インストールに 優先権を与えることです 個々のコミュニティーと 個々の文脈と領域に それぞれが大事だと思うことを定義し どのように定義されたいか 優先権を与えるべきなのです 中核のリポジトリに どの意見が含まれるべきかという議論は 全ての意見が集積されるまで 待つべきだと思います 以上が私からの話でした 我慢して座って聞いて頂き 有難うございました 20分から25分くらい残ってますか (司会者)25分ありますから 質問をどんどんどうぞ 有難うございます (拍手) (聴衆2)素晴らしい プレゼン有難うございます 分類システムの問題について 良く分かりました 1つ示された事例は 数学的観点から面白かったです 性転換症の男性を 性転換症の女性と反対のものと示され 性転換症の女性が性転換症の男性の反対で シスジェンダーの女性の反対と 示されたものです それだと シスジェンダーの女性が 性転換症の男性と同一になってしまいます 反対同士が一致しますから 確かにAがBの反対で CもBの反対なら AとCは同一です だから ここでは「反対」ではなく 「異なる」とすべきですね 実際にデータベースにクエリーする際に 色々な数学的な問題が発生する部分なので 指摘する必要があると考えました もう1つ面白かったのは もっと後の箇所で 性転換性の定義を 含みたかったのですが フローの中にフィットさせることが できなかったんです 性転換手術にしてもそうです 意図したものではないけど笑えます だって 性転換症の診断は 昔は性転換手術の前提条件でしたから 鶏と卵の問題ではありませんが 鶏が卵を抱えているようなものです (笑) だから そうですね ウィキデータでは数学的 または擬似数学的言語ー 「反対」「 独立した」「集合内」 等の言葉を多く使用していますが 表現するため使っている数学よりも 現実はもっと複雑なんです 良い答えはないんですが 以前は定量的な研究をしていましたが それを辞めたには 理由があったとだけ言っておきます (司会者)次の質問 さっき手を挙げた方 そこにいますね (聴衆3)こんにちは プレゼン有難うございました とても勉強になりました まず第一に ご存知でしょうか? ウィキメディアにある LGBT+ユーザーグループという コミュニティですが このユーザーグループには メーリングリストがあって ウィキデータにおける性と ジェンダーの問題について議論しています そしてLGBT+の人々から 幾つか改善のための提案もされています まだ完了していませんが 幾つかの改善案では作業も進んでいます もし意見があれば 教えて下さい この中であなたが一番 良くご存知でしょうから でも あなたが先ほど ヒジュラについて述べられたことに 異論があります ウィキデータのエディター2万人のうち 2.8人と仮定されるヒジュラが 2万人全体を凌駕する必要があると おっしゃいましたが 間違っています 多くの人がー 多分2万人が その問題のことを 認識していないだけです 偏見を持ってるわけではありませんし ヒジュラがしたいことを 意図的に邪魔することはありません 多くの人はお願いすれば助けてくれます 皆さんもウィキデータの編集者であれば 同様でしょうが 私もこの問題について知りませんでした もし知っていたら直してました おっしゃることは良く分かります はっきり申し上げたいことは 2万人のエディターのうちー ここにも何人もおられるでしょうがー 熱狂的な偏見をもつ人物や 文化的帝国主義者は ほんの一握りでしょう 私が本当に伝えたかった事実は ウィキプロジェクトの基礎となっている コンセンサスや議論に基づいたモデルには 欠点があるということです 最大の欠点の1つは 掲載すべき意見は目の前に並んでて 比率で代表されているという思い込みです コンセンサスのモデルは クエーカーのコミュニティで始まりました 判断により影響を受ける人たちは皆 部屋におさまることができたので 判断により影響を受ける人たちは皆 文字通り同じ部屋にいたのです 私が2.85という数字で言いたかったのは 判断を下すたびに ウィキデータ全体の人々と 議論しなければならない ということではなく どの知識が掲載されるべきかということに関し コンセンサス・モデルと多数決モデルは 十分に代表されていない人々が データベースでも 十分に代表されていない場合 根本的な問題に直面するという点なのです もう1つの実例が 国としてのミャンマーです 英語のウィキペディアは 2年くらい前まで 国名はビルマだとしていました 理由は単純なことでした BBCがミャンマーと 呼びたくなかったんです そして多くのエディターが... (聴衆4)完全に間違ってます すみません (笑) こういった問題は 厳密ではないが... (司会者)マイクでお願いします (聴衆4)すみません それは事実を全く無視してます それじゃあ どうぞ (聴衆4)ミャンマーの政治的状況を ひどく曲解した発言です 分かりました どうぞ (聴衆4)ビルマ語では その国は ミャンマーまたはバマーと 表現されます ミャンマーがフォーマルな 登録名である場合が多く バマーはもっと インフォーマルな場合が多いです でも どちらも国名として 受け入れられています ビルマは明らかにバマーから由来してますが 何が起きたかというと 英語ではずっと ビルマが正式名とされていましたが 軍事政権が1988年 いや1989年に 国名はミャンマーにするべきだと 決定したのです 表向きには 国内の少数民族にも 受け入れられる国名にするための ものとされました でも その論理は 歴史修正主義的なものです なぜならば ミャンマーもバマーも その国の多数派人種のことを 指している言葉だからです だから 当時のビルマ政府は 人々を国と同義にすることにより言外に... (聴衆4)反対に近いことを 奇妙な方法で言ってたことになります 政府はバマーが人種を指しており ミャンマーは国を指していると宣言しましたが 歴史的には どちらの言葉も 人種と国の両方を指していました なるほど (聴衆4)ところが 国内の民主派の推進者が 軍事政権には 国名を変える力はないはずと主張しました 国民から権限を与えられてないと 考えたからです 明らかに軍事政権ですから そこで国名は 英語ではビルマと 呼び続けるべきと考えたのです なぜなら ミャンマーと呼ぶことは 当時のビルマそしてミャンマーの政府が 正当なものと認めることでもあったからです そして2014年に 軍事政権が崩壊しー 崩壊したというよりは 半分文民政権に戻ったとき 問題となったのです 「国名は英語でビルマにすべきか ミャンマーとすべきか?」と 事実上の国のリーダーであった アウンサンスーチーが ビルマ憲法には 英語の国名など規定してないのだから 好きにすれば良いと言ったのです 正式な国名はビルマ語では ミャンマー連邦共和国ですが 英語では 何と呼んでも良いのです ただ 一般的には ビルマに文民政権が戻るまでは ミャンマーと呼ぶことは 軍事政権を正当化することを 意味していたのです よって ビルマと呼ぶことは 軍事政権を正当化しないための 政治的な行為とみなされたのです それが根拠ではなかったと言ってる わけではないんです ただ 英語のウィキペディアに限れば 4年間にわたり ページは7度の変更申請の協議を経て 調停同人会による決定があり 組織上の調停が試みられ 変更協議の終了に関する再調査もあり 議論の内容を見てみると 論争の双方の主張は その国の微妙な政治的状況というより むしろ メディアソースの一般的な使用例や 各機関が何と呼んでいるかという ことに終始していたのです その議論の内容を見ると BBC以外の 英語を言語とする 西洋の主要な報道機関はほとんどが 言語のソースをスイッチした時点が はっきりとわかります そこで議論は「我々が聞くべきは ウォールストリート・ジャーナルなのか BBCなのか?」という感じになります だから私が伝えたかったのは 特定の政治的な状況のことではなく その判断が実際には BBCのことをどれくらい愛してるかという 代理論争のようなものなってしまった ということです 議論では得てして内部の者しか分からない 微妙な観点から そのような協議を持つ場合の 良いケーススタディであり 大方の議論の中心は BBCをどれくらい愛しているかで 文脈を理解していない人の意見である ということが分かります 私が言いたかったことは 2万人と戦っているわけではなくて 20人と議論している場合でも 確率的には そのうち19人が とても強い意見を持っていて どちらに変更がされたとしても マイナスの影響を被るわけでもない人たちで 自分が持つ特定の世界観に こだわることを既に決めているんです ウィキデータのクライテリアを変えるという LGBTQ+グループの提言は 素晴らしいことかも知れませんが まだ読んでいないので 私自身が気に入るか 気に入らないかはわかりませんが ここでの基本的な前提は もしウィキデータの人々が今ここにいて そこにクィアの人全体の代表者たちがいて 全てのクィアの人々のコンテンツに関し こうするべきだという 普遍的なルールを決めるなんてことは 同じ問題の小宇宙みたいなものです (司会者)もう1つ質問です (聴衆5)こんにちは コンセンサス・ベースのアプローチには もう1つ問題があると思います 時にとても難しい問題に関し どう対応したら良いか コンセンサスに至ることがありますが ウィキデータで[聞き取り不能] 誰も議論を見ていないんです Names プロジェクトは ウィキデータ上の古くからある ウィキプロジェクトですが 名前というのは 世の中で難しい問題が発生しています 世界の全ての人が名前を持っている訳ではなく 全ての人が姓を持っている訳ではありません 世界にはたくさんの書記体系があり 私たちは 実際に体系を持ってます それは世界中で多くのケースで 機能して来たもので プロパティの使い方 項目がどう見えるべきか これらのリンクの仕方等に関するものです 我々はページを8つ持ってますが 誰も読んでいません でも最近誰かが 中国人の研究者の姓に ラテン文字を当ててしまいました この研究者たちの名前は知りませんが 追加された値は間違っていることは確かです 正しい値は持っていませんが その値が正しくないことは分かります そして 問題について議論する だけではないのです 大いに議論することはありますが 取り組むべき課題を特定したり もっと複雑なケースに どう対応するか決定する モデルもあります でも人々はただ 「名前はプロパティを示唆してるから それを追加しよう」という感じなんです - ノー! - そうですね モデルの仕方の問題だけじゃなくて 人々にそのモデルをどう説明するか という問題なんだと思います 技術的な部分についても 提案付きのツールがあれば良いかも知れません 昨年ライブになった制約に関するものも 良いツールだと思います モデルの仕方が分かったとしても 人々にそのモデルを どう知らせるかという問題もあります どうしたらもっと上手くできるかというのは 結構技術的な問題です (司会者)今のはコメントだけで 質問はありませんでしたか? それとも今のが質問ですか? (聴衆5)質問です (聴衆5)すみません 協議をした場合でも... (司会者)どうぞ (聴衆5)質問がクリアでなかったならばー 複雑なケースをどうやってモデルするか 全員が合意している場合でも ウィキデータのプロジェクト内で 技術的にそのモデルを人々に周知して 善意ながら誤った値を追加しないように するにはどうすれば良いでしょうか 我々は両方の問題で悩んでます 複雑な現実をモデルするのも大変ですし 我々のモデルを正しく使う方法を ユーザーに説明するのも苦労しています なるほど もし私がその問題を解決できるとしたら まず角度を変えてみます プロジェクトの領域を理解し 見方を共有できるよう 新規ユーザーを確実に一貫して 学習させる方法を考えます 成功すれば私も大学を卒業でき 仕事ももらえるかも知れません その方法はインターネットの世界で 2番目に古い問題です 1番古い問題は 自動的に中傷を感知するシステムを プログラムすることです ウィキペディアを振り返ることもできます その前であれば Usenet の 永遠の9月という現象がありました AOLのディスクがあちこちに配られ インターネットの仕組みも知らない 新参者がどんどん流入して 皆が「全員返信」ボタンを押して 何もかもが溢れてしまった状態です 一般的に 私がそれを探す場所は 「コンピュータにサポートされた協調作業」 という分野です その大きな質問の1つは 新参者の受け入れプロセス そして人々にカルチャーを 知ってもらう方法です でもそれは 直接解決できるものでは ないかも知れず 直接解決したくないものかも知れません 「モノの分類法」を書いた スーザン・リー・スターの 他の貢献の1つに インフラの一般的な研究があります ウィキデータはそんなインフラと思いますが 彼女が主張したのは インフラは使用されることによって 知られるようになるということです 基本的にシステムの仕組みを理解するには それを使って大失敗して 再び同じ失敗しないことを学ぶしかありません 新規ユーザーも含め誰もがどこでも 他のプロジェクトから 移って来た人も含め 失敗しないで済む方法を求めています そんな方法が存在するとは思えません より良い方法としては 人が失敗した場合の影響について尋ね 失敗自体が理解でき ユーザー体験の 予想されるコンポーネントとするには どうしたら良いか考えることでしょう (司会者)有難うございます 次の質問どうぞ (聴衆6)有難うございます まず プレゼン有難うございます 誰かも言ったように勉強になりました 性転換症の項目を見ていて もっと興味深いことに気づきました 異なるウィキペディアが その問題をどう扱ってるか見てみたんです 3つ確認したんですが どうやらウィキデータで見えることは 実際 ある程度 英語のウィキペディアで起きたことであり ポルトガル語のウィキペディアを見ると その項目はトランスジェンダーに繋がっており フランス語のウィキペディアでは トランスアイデンティティに繋がっています そして性転換症はポルトガル語でも フランス語でもリダイレクトになってます ウィキデータ項目の編集履歴を見たら 幾つかの戦いがあったことが分かります ディスカッションのページは 1行しかありませんが エディター間で幾つかの対立があり 特にフランス人で 性転換症という言葉の使用に 反対している人が争っていました それぞれの言語の項目名を見ると 性転換症がないのは唯一 フランス語のトランスアイデンティティで 誰かが来て 先ほど話題に出た トランスアイデンティティの反対は [聞き取り不能]と主張して また別の項目がありー そうですか (聴衆6)まさにグローバルな戦いになってて 争いが反響しているようで それぞれのウィキペディアで 噴出しているようです それは世界各地の地元文化における 対立も反映しているようです 私の場合 自分は英国人なので 「待てよ フランスと戦うって? 是非やって!」となりますね (笑) それよりも根本的なものがあると思いますが その反対方向の主張をすることも可能です 自分はトランスであることにより 逆方向の主張をして 「フランス人とポルトガル人が 間違ってるんだ」と言うことができます 何故ならば 実際の質問は 性転換症の項目は 医療上の分類なのか 人の状態の分類か それとも歴史的な医療分類か または人の状態の歴史的用語なのか これらは異なる項目なのか同じなのか? 物事はどれくらい異なれば 違う対象物とみなせるのか 医療的状態とアイデンティティは 同じと考える人と 違うと考える人との間の 戦いをどのように調整したら良いのか? ええ 簡単な答えはありませんが 事例をたくさん見れば そしてたくさんの論争を見れば ウィキデータでは これらの戦いは実は 折衝のようなものですが 地元コミュニティの規範 それを超える場合は文化的規範 について争っているのです これはやはり問題で 社会的に排除されたり少数派である グループについて考える場合 私たちは彼らがウィキ・コミュニティでも 排除されるだろうと考えます そしてウィキデータ内でも同様です ウィキデータはそのように 誰の知識がどういう場合 どういう形で重要かという 既に存在する優先順序に基づいて 積み上げられているのです (聴衆7)先ほどおっしゃたことについて 話します 全てのものが複雑ですから それを正しくモデルして ウィキデータに正しく掲載することが 問題の全てではないと思います おっしゃった通り ウィキデータはインフラです そして[聞き取り不能]が言ったように 我々は幾つかのことは正しくできたものの 他のトピックでは まだ正しくできていません そうですね (聴衆7)私が思うのは これが人類に蔓延した症状 なんだろうということです いかに何かを上手くモデルしても 例えばジェンダを現在よりも10倍も 詳細にモデルできたとしても 大抵のジェンダーに関するSPARQLクエリーは 細かい形容は無視するでしょう 結果的に依然としてとてもフラットで 単純な結果しか得られないでしょう Googleの悪名高いinfoboxにおける 我々のデータの利用も データをフラットにし形容を無視します これは変わらないでしょう ウィキデータは単純な方法で 利用され続けるのです 大多数の利用が 至極単純なものに止まるでしょう 私が言いたいことは 直すことはできないが 努力は続けるべきということです 正しくできるよう努力するべきで 精一杯の努力にも関わらず ほとんどの利用目的は単純で 間違っていることを 理解するべきです ええ 同感です 1つのとんでもなく複雑な 真の解答がある訳ではないんです どこかの時点で私は諦めました トランス状態とトランス状態を定義する テクノロジーについての 論文も諦めたんです その代わり 現実主義者の見方をとりました 自分が研究している人々が置かれた状況の中で 信じていることであれば それが正しく その人々が世界をいかに構築しようとも 全てのものが十分に複雑であれば 何らかの普遍的な定義ができる ということではなく むしろ 規模が問題であり 普遍性が問題だということです 努力を続けるべきかも知れませんし 止めるべきなのかも知れません もしかすると 全ての自らを定義するコミュニティで 希望するものにはウィキベースの インストールを提供して 自ら物事を定義できるようにしてやり 好きなだけ物事を表現させてあげる べきなのかも知れません でもそうすると改革派対過激行動派の議論が より政治的でより緊迫したものになり 箱の中にあるかなてこを使って どうやってその箱を開けるかという議論や フーコーの引用を1時間も続けてしまい 皆を悲しませてしまいます 私もフーコーが嫌いなので悲しくなります これは別の場所でする議論でしょうね 全体的には同感です ただし より優れた普遍性に向けた 努力を続けるべきかという点について また 問題が普遍性自体にあるのか という疑問を呈します もう1つだけ質問受けられますね (聴衆8)短い質問ですが 回答は複雑かも知れません ウィキデータで最も人気があり 使われているプロパティに 性やジェンダーがあります あなたは統合は有益か 生産的か それとも問題があると お考えですか? 統合であるが故に 必ず還元的であると思います それと同時に 非常に疲れます 何故なら ウィキデータの限界を 明らかにするという点で ちょっと興味深いからです ウィキデータ自身は大きな客観的な 知識のセットを構築していると 主張していますが 結局これらを一緒に押しつぶしています だってウィキデータは項目を持つ人たちに ジェンダーを尋ねていないし 性が何だか聞いていないので 推論がしやすいように 統合しちゃったんです 一般論として 両方を統合することは 還元的であり危険だと思います 上手い方法はありません 両者を交換可能なものとして扱い 永遠にリンクしたものとして扱うのは 特に悪い方法だと思いますが より良い方法を提案することもできません ウィキデータがこの情報を トラックし続ける または情報が含まれている限り (司会者)オッケー ここで終了させて頂きます まだ挙手が見えますので 残っててください 私は大学院生です だから機能的に人生はありません (笑) (司会者)オッケー こちらに来てお話し下さい 有難うございました (拍手)