WEBVTT 00:00:14.746 --> 00:00:18.126 私はエンタープライズ号の退役軍人です 00:00:18.126 --> 00:00:19.556 (笑) 00:00:19.556 --> 00:00:22.446 私は銀河を飛び 00:00:22.446 --> 00:00:25.376 巨大な宇宙船を操縦していました 00:00:25.376 --> 00:00:27.472 乗組員にはたくさんの人がいて 00:00:27.472 --> 00:00:29.646 世界中から集まっていました 00:00:29.646 --> 00:00:31.576 人種も違えば 00:00:31.576 --> 00:00:33.256 文化も違い 00:00:33.256 --> 00:00:35.276 祖先から受け継いだものも 違いましたが 00:00:35.276 --> 00:00:36.966 一緒に働いていたのです 00:00:36.966 --> 00:00:41.136 私たちの使命は未知なる世界を 探検することで 00:00:41.136 --> 00:00:44.706 新たな生命と文明を探すことでした 00:00:44.706 --> 00:00:49.486 誰も行ったことのないところへ 果敢に挑んだのです 00:00:49.486 --> 00:00:51.326 そして・・・ 00:00:51.326 --> 00:00:53.305 (笑) 00:00:53.305 --> 00:00:56.922 (拍手) 00:00:58.015 --> 00:01:02.119 私は日系移民三世です 00:01:02.659 --> 00:01:07.556 新しく未知の世界であるアメリカに 果敢に渡ったのです 00:01:07.839 --> 00:01:11.110 新しいチャンスを追い求めたのです 00:01:11.110 --> 00:01:13.790 私の母はカリフォルニア州 サクラメントの生まれです 00:01:13.790 --> 00:01:16.150 父はサンフランシスコ出身です 00:01:16.150 --> 00:01:21.560 両親はロサンゼルスで出会って 私はそこで生まれました 00:01:23.440 --> 00:01:25.380 4歳の時 00:01:25.383 --> 00:01:27.523 日本軍によって真珠湾が攻撃されました 00:01:27.523 --> 00:01:32.473 1941年12月7日のことです 00:01:32.473 --> 00:01:37.744 一夜にして世界は大戦に突入しました 00:01:39.933 --> 00:01:43.756 アメリカはヒステリーに陥りました 00:01:46.171 --> 00:01:48.051 日系アメリカ人は 00:01:48.051 --> 00:01:50.891 日本人を先祖に持つアメリカ市民は 00:01:50.891 --> 00:01:54.822 疑惑と恐れの目で見られていました 00:01:56.191 --> 00:01:59.351 真珠湾を攻撃した日本人と 00:01:59.351 --> 00:02:02.581 私たちが似たような 外見であるというだけで 00:02:02.581 --> 00:02:04.641 公然と憎まれていました 00:02:04.641 --> 00:02:08.050 そのヒステリーは日ごとに増し 00:02:08.050 --> 00:02:12.011 1942年2月 00:02:12.011 --> 00:02:16.271 アメリカ大統領の フランクリン・ルーズベルトは 00:02:16.271 --> 00:02:21.071 西海岸にいた全ての日系アメリカ人に すぐ集合するよう命令しました 00:02:21.071 --> 00:02:25.191 告訴もなく 00:02:25.191 --> 00:02:27.021 裁判もなく 00:02:27.021 --> 00:02:28.891 適正手続きもありませんでした 00:02:28.891 --> 00:02:33.701 適正手続きは 司法制度の核となる柱ですが 00:02:33.701 --> 00:02:36.281 すべて消え去ったのです 00:02:36.281 --> 00:02:39.281 そうして私たちは集められ 収容されたのです 00:02:39.281 --> 00:02:42.291 10の強制収容所に入れられ 00:02:42.291 --> 00:02:46.411 ほとんどはアメリカの人里 離れたところで 00:02:46.411 --> 00:02:49.881 焼けつくような暑さの アリゾナ州の砂漠や 00:02:49.881 --> 00:02:53.541 蒸し暑いアーカンソー州の湿地 00:02:53.541 --> 00:02:57.821 ワイオミング州の荒廃した土地 アイダホ州、ユタ州、コロラド州 00:02:57.821 --> 00:03:01.261 そして最も荒れ果てた カルフォルニア州にある2カ所 00:03:02.499 --> 00:03:06.463 4月20日は私の5歳の誕生日でした 00:03:07.669 --> 00:03:10.759 誕生日から数週後のとある早朝に 00:03:10.759 --> 00:03:15.939 両親は弟と妹 そして私を突然起こすと 00:03:15.939 --> 00:03:20.529 急いで着替えさせました 00:03:20.529 --> 00:03:23.399 弟と私はリビングにいて 00:03:23.399 --> 00:03:26.199 窓から表を見ていました 00:03:26.199 --> 00:03:29.899 そして2人の兵士が 近づいてくるのが見えました 00:03:29.899 --> 00:03:34.320 彼らは銃剣のついたライフルを 持っていました 00:03:34.779 --> 00:03:39.625 玄関先につくと ドアをガンガン叩きました 00:03:39.625 --> 00:03:41.705 父が応対すると 00:03:41.705 --> 00:03:46.557 兵士たちから家を出るように 命令されました 00:03:46.785 --> 00:03:50.635 父は私と弟に小さな荷物を 持たせました 00:03:50.635 --> 00:03:56.620 家から出て 外で 母が出てくるのを待ちました 00:03:56.778 --> 00:04:00.407 ついに母が出てきました 00:04:00.548 --> 00:04:03.648 赤ん坊だった妹を抱いて 00:04:03.648 --> 00:04:06.928 もう一方の腕に大きなダッフルバッグを 抱えていました 00:04:06.928 --> 00:04:11.698 両頬にとめどなく 涙が流れていました 00:04:12.128 --> 00:04:15.844 この光景は一生 忘れることができません 00:04:16.017 --> 00:04:20.189 脳裏に鮮明に 焼きついているのです 00:04:20.718 --> 00:04:25.373 家を追われ 列車に乗せられました 00:04:25.758 --> 00:04:28.628 他の日系アメリカ人の家族と 一緒でした 00:04:28.628 --> 00:04:33.238 車両の両端には警備の兵士がいて 00:04:33.428 --> 00:04:36.198 まるで私たちは犯罪者のようでした 00:04:36.198 --> 00:04:40.148 私たちは国土の2/3を移動させられ 00:04:40.148 --> 00:04:44.532 4日3晩列車に揺られ続けて 00:04:44.668 --> 00:04:47.673 アーカンソーの湿地に 辿り着いたのでした 00:04:48.208 --> 00:04:52.718 いまだに私を閉じ込めていた 有刺鉄線を覚えています 00:04:52.718 --> 00:04:57.808 こちらを向いたマシンガンのあった あの高い監視塔を覚えています 00:04:59.778 --> 00:05:02.737 夜 宿舎から便所に行く時には 00:05:02.737 --> 00:05:07.102 サーチライトで照らされました 00:05:07.102 --> 00:05:11.052 5歳の私は 便所までの道を 照らしてくれるなんて 00:05:11.052 --> 00:05:13.531 ちょっと良いかもと思っていました 00:05:13.531 --> 00:05:15.090 (笑) 00:05:15.090 --> 00:05:18.290 私は ほんの子どもで 幼すぎて 00:05:18.290 --> 00:05:21.510 事態が理解できていませんでした 00:05:21.933 --> 00:05:26.263 子どもには驚くほど適応力があります 00:05:26.533 --> 00:05:29.893 グロテスクで異常な 収容キャンプでの生活が 00:05:29.893 --> 00:05:34.633 私の日常となりました 00:05:36.293 --> 00:05:40.473 汚いご飯のために 00:05:40.473 --> 00:05:44.653 うるさくてごみごみした 食堂で1日3回並ぶことも 00:05:44.653 --> 00:05:47.333 父と一緒に大浴場に行って 00:05:47.333 --> 00:05:49.633 お風呂に入ることも 00:05:50.465 --> 00:05:52.205 有刺鉄線で囲まれた収容所で 00:05:52.205 --> 00:05:57.197 拘束されることも日常となりました 00:05:57.795 --> 00:06:01.656 戦争が終わると私たちは 解放されました 00:06:02.033 --> 00:06:06.643 アメリカのどこにでも行ける 片道切符を渡されました 00:06:07.260 --> 00:06:11.284 両親は元いたロサンゼルスに 戻ることにしました 00:06:11.971 --> 00:06:15.841 しかしロサンゼルスでの 生活は厳しいものでした 00:06:16.422 --> 00:06:17.852 一文無しでした 00:06:17.852 --> 00:06:22.582 財産はすべて失い 偏見は酷いものでした 00:06:22.582 --> 00:06:28.210 私たちの最初の家はLAでも 最も貧困層の多いスキッド・ロウで 00:06:30.272 --> 00:06:34.512 路上生活者や酔っ払い 犯罪者などが暮らしていました 00:06:34.512 --> 00:06:37.552 小便の悪臭が 00:06:37.552 --> 00:06:39.092 大通りや 00:06:39.092 --> 00:06:40.602 路地裏だけでなく 00:06:40.602 --> 00:06:43.082 玄関にも立ちこめていました 00:06:43.082 --> 00:06:45.852 酷い体験でした 00:06:45.852 --> 00:06:49.022 子どもにとってはただ恐ろしく 00:06:49.022 --> 00:06:53.718 酔っぱらいがふらふらと 近づいてきたと思うと 00:06:54.498 --> 00:06:57.161 私たちの前で倒れ 00:06:57.161 --> 00:06:58.524 嘔吐しました 00:06:58.624 --> 00:07:03.283 妹は「ママ おうちに帰ろうよ!」 と言いました 00:07:03.688 --> 00:07:09.130 有刺鉄線の向こう側が私たちには 帰りたいと思うお家だったからです 00:07:11.518 --> 00:07:15.288 両親は普通の生活を 取り戻そうと必死に働きました 00:07:15.288 --> 00:07:16.688 私たちはすべてを失いました 00:07:16.688 --> 00:07:20.688 彼らは人生の半ばで 再出発をきることになりました 00:07:20.688 --> 00:07:23.268 本当に血のにじむような努力で 00:07:23.268 --> 00:07:28.088 資金を工面して 00:07:28.088 --> 00:07:31.878 素敵な郊外に寝室が3つある 一軒家を買いました 00:07:31.878 --> 00:07:33.708 私はティーンエイジャーに なっていました 00:07:33.708 --> 00:07:38.308 幼少期の収容体験に 興味を持ち始めました 00:07:38.308 --> 00:07:40.940 公民の本を読みました 00:07:40.940 --> 00:07:45.110 アメリカの民主主義についての 理想が書かれていました 00:07:45.110 --> 00:07:48.510 「全ての人間は平等に造られていること」 00:07:48.510 --> 00:07:51.220 「全ての人間は 00:07:51.220 --> 00:07:56.110 生命 自由及び幸福追求 について不可侵の権利を有すること」 00:07:56.110 --> 00:07:58.360 それらはどうしても 00:07:58.360 --> 00:08:01.930 子どもの時代の強制収容とは 相容れませんでした 00:08:01.930 --> 00:08:06.990 歴史の本は収容所について 全く触れていませんでした 00:08:06.990 --> 00:08:14.950 そこで私は父とこのことについて 毎晩長く ときに熱く 議論するようになりました 00:08:14.950 --> 00:08:18.070 何度も何度もそんな議論を 交わしました 00:08:18.070 --> 00:08:22.900 そうして私が得たもの それは父の英知でした 00:08:22.900 --> 00:08:25.180 父こそが あの収容の状況下で 00:08:25.180 --> 00:08:28.610 最も苦しんだ本人なのでした 00:08:28.610 --> 00:08:32.419 それでも父はアメリカの民主主義を 理解していました 00:08:32.419 --> 00:08:37.340 父は私たちの民主主義は 人民の民主主義だと言いました 00:08:37.340 --> 00:08:40.610 人間と同様に素晴らしい 可能性を秘めている 00:08:40.610 --> 00:08:45.142 ただそれと同時に 人間同様に 脆く崩れ去る可能性もある 00:08:45.600 --> 00:08:49.890 父は言いました「アメリカの民主主義は 00:08:49.890 --> 00:08:54.898 理想を尊び 素晴らしい民主主義を 実現するために 00:08:56.180 --> 00:09:02.225 熱心に取り組む善良な 合衆国民に支えられている」のだと 00:09:02.450 --> 00:09:06.081 父は私を選挙運動本部に 連れていきました 00:09:06.081 --> 00:09:10.181 当時はイリノイ州知事が 大統領選に出馬しており 00:09:10.181 --> 00:09:14.901 父はアメリカの選挙政治についての いろはを教えてくれました 00:09:14.901 --> 00:09:18.921 それと 第二次大戦中の 若き日系アメリカ人たちのことも 00:09:18.921 --> 00:09:21.941 一緒に語ってくれました 00:09:21.941 --> 00:09:25.875 真珠湾が攻撃された時 若い日系アメリカ人たちは 00:09:25.875 --> 00:09:27.845 他の若いアメリカ人たちと同じように 00:09:27.845 --> 00:09:33.168 アメリカ合衆国の為に闘おうと 徴兵委員会へと志願にいったそうです 00:09:33.545 --> 00:09:39.751 しかしこの国を想っての行動も 拒絶されてしまいました 00:09:40.285 --> 00:09:46.472 兵役に就くことが拒否され 敵性非外国人として扱われました 00:09:49.325 --> 00:09:52.365 国のために戦うと志願しているのに 00:09:52.365 --> 00:09:55.525 敵呼ばわりされるなんて 常軌を逸していました 00:09:55.525 --> 00:09:59.495 その言葉には外国人ではないという 意味も含まれていたので 00:09:59.495 --> 00:10:05.019 市民という言葉が否定的に表現されて いました 00:10:06.945 --> 00:10:10.795 政府は私たちから「市民」という 言葉さえも奪ったのです 00:10:10.795 --> 00:10:15.135 そして一年間も強制収容されました 00:10:15.135 --> 00:10:21.465 しかし合衆国政府が戦時の 人手不足に気づくと 00:10:21.465 --> 00:10:25.745 すると 突然手のひらを返して 00:10:25.745 --> 00:10:30.865 若い日系アメリカ人たちを 集めて部隊を作りました 00:10:30.865 --> 00:10:36.165 まったくもって不合理な話ですが 00:10:36.165 --> 00:10:38.055 素晴らしいことが起こりました 00:10:38.055 --> 00:10:43.298 何千もの若い 日系アメリカ人の男女― 00:10:43.555 --> 00:10:46.865 有刺鉄線の向こう側に 追いやられていた者たちが 00:10:46.865 --> 00:10:50.705 私たちを監視する兵士と 同じ軍服を着て 00:10:50.705 --> 00:10:53.855 強制収容所に家族を残して 00:10:53.858 --> 00:10:56.400 国のために戦いました 00:10:56.400 --> 00:10:58.418 彼らは強制収容所から 家族を出すためだけではなく 00:10:58.418 --> 00:11:04.338 彼らの理想を大切にしていたからこそ 00:11:04.338 --> 00:11:07.485 戦ったと言っています 00:11:07.485 --> 00:11:11.705 私たちの政府が何を守ろうとし 何を守るべきなのか 00:11:11.705 --> 00:11:16.962 何によって 何が廃止されたのか 00:11:17.895 --> 00:11:20.485 すべての人は平等です 00:11:20.485 --> 00:11:23.835 だから彼らは国のために戦ったのです 00:11:23.835 --> 00:11:27.975 彼らは日系アメリカ人部隊として 00:11:27.975 --> 00:11:30.915 ヨーロッパ戦線へ送られました 00:11:30.915 --> 00:11:34.025 そして必死に戦い 00:11:34.025 --> 00:11:39.464 素晴らしい武勇を持って戦いました 00:11:40.455 --> 00:11:43.775 彼らが送り込まれたのは 最も危険な任務ばかりで 00:11:43.775 --> 00:11:47.055 全部隊中 最悪の戦闘死傷率を 00:11:47.055 --> 00:11:50.395 継続的に記録しました 00:11:50.395 --> 00:11:54.225 それをよく表した戦いがあります 00:11:54.225 --> 00:11:57.125 それがゴシックラインの戦いです 00:11:57.125 --> 00:12:01.545 ドイツ兵は山間部に散らばって いました 00:12:01.550 --> 00:12:05.979 岩だらけの斜面で 堅固な洞窟で 00:12:06.270 --> 00:12:11.900 連合国の3部隊による6ヶ月の 砲撃も功を奏さず 00:12:12.470 --> 00:12:14.890 膠着状態が続いていました 00:12:14.890 --> 00:12:20.128 そこに日系第442連隊戦闘団が 追加戦力として投入されます 00:12:20.560 --> 00:12:27.349 そして独自の しかし危険な 作戦に出ました 00:12:28.720 --> 00:12:33.071 山の裏は険しい崖になっていました 00:12:33.200 --> 00:12:36.490 ドイツ兵は裏側からの攻撃は 00:12:36.490 --> 00:12:38.530 不可能だと考えていました 00:12:38.530 --> 00:12:43.316 しかし442部隊はその不可能を 実行しました 00:12:43.580 --> 00:12:46.850 月のない闇夜に 00:12:46.850 --> 00:12:51.195 岩壁をよじ登り始めました 00:12:51.280 --> 00:12:54.960 重い装備を背負って 00:12:54.960 --> 00:12:57.800 一歩間違えれば300m 以上も 落ちてしまう 00:12:57.800 --> 00:13:00.590 急峻な崖を 彼らは 00:13:00.590 --> 00:13:03.860 夜通し登りました 00:13:05.220 --> 00:13:10.782 手や足を滑らせる者が いないはずもなく 00:13:11.160 --> 00:13:15.290 山峡へと落下して 命を落とす者もいました 00:13:15.290 --> 00:13:19.390 ただただ 音もなく 落ちていきました 00:13:19.390 --> 00:13:22.010 自分たちの存在を知られないよう 00:13:22.010 --> 00:13:25.010 声を押し殺して堪えました 00:13:25.299 --> 00:13:28.917 8時間も登り続け 00:13:29.209 --> 00:13:31.999 頂上までたどり着けた者は 00:13:32.519 --> 00:13:36.563 夜が明けるのをじっと待ちました 00:13:36.789 --> 00:13:41.217 そして朝日が差すやいなや 奇襲を仕掛けました 00:13:41.429 --> 00:13:43.369 ドイツ兵は驚きました 00:13:43.369 --> 00:13:47.704 そして砦が陥落し ゴシックラインを突破したのです 00:13:47.969 --> 00:13:54.251 6ヶ月に渡る膠着は442部隊 によって32分で決着しました 00:13:54.949 --> 00:13:58.144 素晴らしい行いでした 00:13:58.684 --> 00:14:00.794 そして戦争が終わると 00:14:00.794 --> 00:14:04.148 アメリカに戻った442部隊は 00:14:04.774 --> 00:14:09.598 第二次世界大戦中 最多の勲章を授与されていました 00:14:10.424 --> 00:14:12.934 ホワイトハウスの庭園に招かれ 00:14:12.934 --> 00:14:15.964 トルーマン大統領はこう言いました 00:14:15.964 --> 00:14:22.245 「敵だけではなく偏見と戦い そして勝利した」 00:14:23.544 --> 00:14:26.850 彼らは私のヒーローです 00:14:27.066 --> 00:14:30.346 この国の輝かしい理念を 00:14:30.346 --> 00:14:33.376 信じて手放さなかったのです 00:14:33.376 --> 00:14:35.176 そして彼らは 00:14:35.176 --> 00:14:37.516 アメリカ人というのは 00:14:37.516 --> 00:14:40.916 一部の人たちのことだけではなく 00:14:40.916 --> 00:14:42.736 人種によって 00:14:42.736 --> 00:14:46.096 アメリカ人が定義されないということを 証明しました 00:14:46.096 --> 00:14:49.796 アメリカ人が誰であるかという 定義の中に 00:14:49.796 --> 00:14:51.956 恐れられ 疑われ 00:14:51.956 --> 00:14:56.319 憎まれさえした日系アメリカ人をも その中に包括させたのです 00:14:56.446 --> 00:14:59.386 彼らは変革をもたらし 00:14:59.386 --> 00:15:03.290 大きな遺産を残してくれました 00:15:04.086 --> 00:15:05.886 彼らは私のヒーローです 00:15:05.886 --> 00:15:08.166 そして私の父もヒーローです 00:15:08.166 --> 00:15:13.117 民主主義が何かを理解し 私を導いてくれました 00:15:14.205 --> 00:15:16.925 彼らは大きな遺産を残してくれました 00:15:16.925 --> 00:15:20.325 遺産を受け継ぐというのは 責任を伴います 00:15:20.325 --> 00:15:22.605 今 私は 00:15:22.605 --> 00:15:27.171 アメリカを一層よくするために 力を尽くしています 00:15:27.825 --> 00:15:33.090 私たちの政府を真の政府にするためです 00:15:33.585 --> 00:15:36.845 私は今 私のヒーロー達のお陰で 00:15:36.845 --> 00:15:40.610 また私たちが くぐり抜けてきた苦難のお陰で 00:15:40.915 --> 00:15:42.944 皆様の前に立てています 00:15:42.944 --> 00:15:45.604 一人の日系アメリカ人のゲイとして 00:15:45.604 --> 00:15:48.314 しかしそれだけではありません 00:15:48.314 --> 00:15:51.649 私は誇りを持ったアメリカ人です 00:15:51.934 --> 00:15:53.674 ありがとうございます 00:15:53.674 --> 00:15:56.750 (拍手)