0:00:16.000,0:00:25.000 この動画は、放送機材のikanの提供でお送りします 0:00:25.000,0:00:33.000 そして同じく、Blackmagic Designの提供でお送りします 0:00:34.000,0:00:37.000 FilmmakerIQ.comのジョン・ヘスです 0:00:37.000,0:00:42.000 今日はアスペクト比の進化についてお話します 0:00:44.000,0:00:51.000 アスペクト比は、基本かつ奥の深い歴史です 0:00:51.000,0:00:57.000 アスペクト比は動画の高さと幅の比率です 0:00:58.000,0:01:03.000 4:3とか16:9のような2つの数字で表します 0:01:04.000,0:01:08.000 1.85や2.35といった数字で書くこともあります 0:01:08.000,0:01:14.000 2.35:1のように比で書いたりもします 0:01:15.000,0:01:17.000 さて、これらはどのように始まったのか 0:01:17.000,0:01:25.000 まず歴史をさかのぼり[br]史上初の映画について調べましょう 0:01:27.000,0:01:33.000 ウィリアム・ケネディ・ディクソンという男が登場します 0:01:33.000,0:01:37.000 彼はエジソンの研究所で写真技師として働いていました 0:01:37.000,0:01:43.000 1890年代初め、イーストマン・コダック社がフィルムの生産を始めると 0:01:43.000,0:01:48.000 エジソンはこれをキネトスコープと呼ばれる機械に使います 0:01:48.000,0:01:50.000 映写機の原型ですね 0:01:51.000,0:01:57.000 数年後、試行錯誤の末プロトタイプが完成 0:01:57.000,0:02:04.000 ディクソンは1コマの高さをフィルム穴4つ分と決めました 0:02:04.000,0:02:10.000 これで1コマは0.95インチ×0.735インチになりました 0:02:10.000,0:02:15.000 4:3、あるいは1.33という比率になります 0:02:15.000,0:02:20.000 なぜディクソンがこのサイズに決めたのかは分かりません 0:02:21.000,0:02:22.000 ですが、これが広まりました 0:02:22.000,0:02:31.000 1909年、モーション・ピクチャー・パテント・カンパニーが[br]もっとも多くの会社はエジソンの影響下にあったのですが 0:02:31.000,0:02:47.000 アメリカ向けの35㎜フィルムは1コマの高さを4穴分[br]4:3のアスペクト比にすることを宣言しました 0:02:47.000,0:02:54.000 これでアメリカ国内での規格が決まったわけです 0:02:54.000,0:02:59.000 それから長い間、変化はありませんでした 0:03:00.000,0:03:04.000 音声付の映画が発明された1929年 0:03:04.000,0:03:14.000 フィルムの画像の横に音声が焼きこまれるため[br]アスペクト比に変化が生まれました 0:03:14.000,0:03:26.000 1932年、映画芸術科学アカデミーが[br]音声トラックのスペースを空けるため 0:03:26.000,0:03:35.000 1コマの上下をカットしてアスペクト比を1.37に定めました 0:03:35.000,0:03:39.000 これは1.33とほぼ同じで互換性があります 0:03:39.000,0:03:45.000 これが「アカデミー比」と呼ばれるものです 0:03:45.000,0:03:51.000 そして長年に渡りハリウッドで使われることになりました 0:03:53.000,0:03:57.000 1950年代は映画にとって厳しい時代でした 0:03:57.000,0:04:03.000 映画業界はテレビの登場により再編を余儀なくされます 0:04:03.000,0:04:10.000 当時の映画のアスペクト比は4:3でしたから 0:04:10.000,0:04:14.000 テレビもそれに合わせて4:3にするのはごく自然なことでした 0:04:15.000,0:04:20.000 新しいメディアとしてテレビは大きく注目されました 0:04:20.000,0:04:24.000 そして映画を見る人は減少してしまいました 0:04:24.000,0:04:28.000 では映画はどのようにして観客を取り戻したのでしょうか 0:04:28.000,0:04:31.000 家庭ではできないことをやったのです 0:04:32.000,0:04:38.000 1952年9月30日、映画は宣戦布告を行います 0:04:38.000,0:04:44.000 横長のスクリーンを使って見た目を変えてきたのです 0:04:45.000,0:04:48.000 「みなさん、これがシネラマです!」 0:04:50.000,0:04:52.000 「ジェットコースターが新しいスクリーンを切り開く!」 0:04:53.000,0:04:55.000 「新しい次元へ!」 0:04:58.000,0:04:59.000 「その次元とは……」 0:04:59.000,0:05:01.000 「ワイドスクリーンとステレオサウンドだ!」 0:05:01.000,0:05:11.000 フレッド・ウォーラーは、複数のカメラと映写機を使った[br]爆撃機のシミュレーターの開発者でした 0:05:11.000,0:05:17.000 シネラマカメラは35mmフィルム3本を27㎜レンズで撮影します 0:05:17.000,0:05:22.000 それぞれのコマの高さは穴6個分となります 0:05:22.000,0:05:30.000 これで視野147度、アスペクト比2.59を実現したのです 0:05:30.000,0:05:38.000 3台の映写機で大きく湾曲したスクリーンに映写し[br]音響は7chのサラウンドでした 0:05:38.000,0:05:41.000 シネラマは大変な人気を博しました 0:05:41.000,0:05:46.000 ニューヨークのワーナー・シアターで[br]2年間も上映されたのです 0:05:46.000,0:05:55.000 3台のカメラで同時に撮影するのは大変な苦労でした 0:05:56.000,0:05:59.000 焦点距離が1種類しかないからです 0:06:00.000,0:06:05.000 そして超広角でした[br]広角過ぎて役者の位置取りに苦労しました 0:06:05.000,0:06:08.000 目線の向きを正しく見せる必要があったからです 0:06:08.000,0:06:18.000 当初は旅行記やドキュメンタリーの媒体としてロードショウ形式で公開され、大人気となりました 0:06:19.000,0:06:29.000 10年後の1962年になってから[br]やっと2本の「映画」が撮影されました 0:06:29.000,0:06:35.000 「不思議な世界の物語」と「西部開拓史」です 0:06:57.000,0:07:03.000 シネラマの欠点は、撮影と映写設備のコストの高さでした 0:07:03.000,0:07:07.000 しかしワイドスクリーンでの上映は大人気でした 0:07:07.000,0:07:16.000 シネラマが登場して8か月後の1953年4月[br]パラマウントは平面スクリーン用シネラマ映画をリリースします 0:07:16.000,0:07:18.000 「シェーン」です 0:07:18.000,0:07:27.000 最初は1.85のアカデミー比でしたが[br]パラマウントは上下をカットして1.66にしたのです 0:07:28.000,0:07:37.000 それほど大きな違いは出ませんでしたが[br]注目すべきはスクリーンの大型化です 0:07:37.000,0:07:44.000 ニューヨークの劇場では30フィートのスクリーンに代えて[br]50フィートのものが導入されました 0:07:44.000,0:07:50.000 また3chのサウンドトラックが採用されました 0:08:18.000,0:08:24.000 コマの上下をカットしてワイドにするのはよくないと[br]パラマウント自身も分かっていたようです 0:08:25.000,0:08:32.000 スクリーンを大きくすると、画像の粒子も荒くなり[br]画質が悪くなります 0:08:32.000,0:08:34.000 新しい方法が必要でした 0:08:35.000,0:08:44.000 シネラマ登場ののち、20世紀フォックスの幹部は[br]フランスでアンリ・クレティアン博士に接触します 0:08:45.000,0:08:51.000 1920年代にアナモルフィック・レンズを発明した人物です 0:08:52.000,0:08:59.000 アナモルフィック・レンズは[br]像が一方向だけに歪む特殊なレンズです 0:08:59.000,0:09:02.000 言い換えると画像をぎゅっと圧縮するのです 0:09:04.000,0:09:15.000 2:1に圧縮するシネマスコープは[br]2.35というアスペクト比になりました 0:09:15.000,0:09:19.000 通常の35㎜フィルムが使用できました 0:09:19.000,0:09:22.000 多重録音も可能です 0:09:23.000,0:09:28.000 シネマスコープは1953年の「聖衣」で初めて使われました 0:09:28.000,0:09:30.000 これも大ヒットしました 0:10:15.000,0:10:18.000 シネマスコープは時代の勝者となりました 0:10:19.000,0:10:26.000 アナモルフィック・レンズには問題があったものの[br]シネラマよりずっと楽に撮影できたのです 0:10:26.000,0:10:31.000 また映画館の設備にも[br]ほとんど投資が必要ありませんでした 0:10:32.000,0:10:35.000 メジャースタジオはほぼすべて[br]シネマスコープを導入しました 0:10:35.000,0:10:42.000 たった1つ、ワイド競争を始めたパラマウント以外は 0:10:42.000,0:10:46.000 ワイド化のためフィルムの上下を[br]マスクするよりはよかったものの 0:10:46.000,0:10:52.000 シネマスコープはフィルムの粒子の粗さの問題を[br]解決できませんでした 0:10:53.000,0:10:56.000 そこでパラマウントはビスタビジョンを開発します 0:10:56.000,0:11:01.000 ビスタビジョンはこれまでの35㎜を横向きに使います 0:11:02.000,0:11:09.000 1コマを横8穴分とし[br]アスペクト比は1.85となりました 0:11:10.000,0:11:16.000 上映用フィルムは、撮影したフィルムを[br]通常の向きに戻して現像されます 0:11:16.000,0:11:19.000 こうすることで[br]画像の粒子を小さくすることができました 0:11:20.000,0:11:25.000 最初のビスタビジョン作品は[br]1954年の「ホワイト・クリスマス」でした 0:11:25.000,0:11:30.000 その後「十戒」など多くの作品で採用されています 0:11:30.000,0:11:34.000 最も有名なのは[br]アルフレッド・ヒッチコックの作品群でしょう 0:11:34.000,0:11:42.000 「泥棒成金」「めまい」「北北西に進路をとれ」など[br]多くの作品をビスタビジョンで発表しています 0:12:19.000,0:12:22.000 50年代にはワイドフォーマットがたくさん誕生しました 0:12:22.000,0:12:27.000 スーパースコープ、テクニラマ、シネミラクル、ビスタラマなどです 0:12:28.000,0:12:31.000 しかし35㎜フィルムにも限界があります 0:12:31.000,0:12:34.000 エンジニアはより大きなフィルムを作り出しました 0:12:34.000,0:12:40.000 シネラマ開発者の一人であった[br]マイク・トッドのトッドAOがそれです 0:12:40.000,0:12:51.000 アメリカン・オプティカル社と開発したトッドAOは[br]カメラ1台でシネラマと同じことができました 0:12:51.000,0:12:55.000 アスペクト比は2.20 0:12:55.000,0:13:02.000 トッドAOは1955年[br]ロジャー・ハマースタインの「オクラホマ」で初めて使用されました 0:13:02.000,0:13:05.000 その後「80日間世界一周」でも使われました 0:13:05.000,0:13:08.000 両方とも大ヒット作品となりました 0:13:08.000,0:13:12.000 トッドAOは[br]他にもロジャー・ハマースタインのレパートリー、例えば 0:13:12.000,0:13:14.000 「南太平洋」や[br]「サウンド・オブ・ミュージック」でも使われました 0:13:15.000,0:13:21.000 そしてD-150システムが開発され[br]1970年の「パットン大戦車軍団」が誕生します 0:13:41.000,0:13:45.000 1954年、ワイド化が大流行していたころ 0:13:45.000,0:13:55.000 パナビジョンという小さな会社が[br]アナモルフィック・レンズの不足を補うため生産を開始します 0:13:55.000,0:13:59.000 当初はシネマスコープ向けレンズのみを扱っていましたが、すぐ業界トップとなりました 0:13:59.000,0:14:04.000 シネマスコープ初期の問題の多くを解決したのです 0:14:04.000,0:14:11.000 50年代後半[br]パナビジョンはシネマスコープの改良をはじめます 0:14:11.000,0:14:18.000 そして独自の新しいカメラシステムと[br]フォーマットを作り出しました 0:14:18.000,0:14:21.000 例えばMGM65です 0:14:21.000,0:14:26.000 70㎜フィルムを用い[br]「ベン・ハー」の戦車競技シーンの撮影に使われました 0:14:26.000,0:14:31.000 2.76という非常にワイドなアスペクト比をもっていました 0:14:31.000,0:14:37.000 MGM65はスーパーパナビジョン70に進化しました 0:14:37.000,0:14:43.000 MGM65のようなアナモルフィック・レンズではなく[br]ごく普通のレンズを使用するようになりました 0:14:43.000,0:14:48.000 アスペクト比は2.20でした 0:14:48.000,0:14:51.000 これは「アラビアのロレンス」で使用されました 0:14:52.000,0:14:57.000 1962年アカデミー撮影賞を受賞しています 0:15:38.000,0:15:42.000 70mmフィルムは非常に高価でした 0:15:42.000,0:15:49.000 35㎜フィルムの材質は改善され[br]以前よりも画像の粒子が細かくなりました 0:15:50.000,0:15:58.000 そのため70mmや[br]IMAXは特殊な用途向けのみになってしまいました 0:16:01.000,0:16:05.000 さて、サイレント時代の1.33、または4:3 0:16:05.000,0:16:08.000 1.37のアカデミー比 0:16:08.000,0:16:10.000 2.59のシネラマ 0:16:10.000,0:16:12.000 2.35のシネマスコープ 0:16:12.000,0:16:14.000 1.85のビスタビジョン 0:16:14.000,0:16:16.000 2.20のトッドAOとスーパーパナビジョン70 0:16:16.000,0:16:20.000 「ベン・ハー」で使われた2.76のMGM65 0:16:20.000,0:16:26.000 それでは16:9、または1.77はどこにいるのでしょう? 0:16:27.000,0:16:31.000 その答えを探すためには、映画の弟、テレビに話を戻しましょう 0:16:32.000,0:16:38.000 1980後半、ハイビジョン規格が計画されつつあるころ 0:16:38.000,0:16:45.000 米国映画テレビ技術者協会のカーンズ・パワーズが[br]「妥協案」として16:9を提案しました 0:16:45.000,0:16:51.000 16:9は4:3と2.35のシネマスコープの中間にあたります 0:16:51.000,0:16:55.000 この2つはアスペクト比の主流でした 0:16:56.000,0:17:02.000 16:9であれば、この2つのいずれも[br]ほぼ同じ面積で投影できます 0:17:02.000,0:17:08.000 つまり4:3にも2.35のワイドにも都合がよいものでした 0:17:08.000,0:17:14.000 このように16:9というのは妥協の産物であったのです 0:17:14.000,0:17:19.000 そしてすべてのビデオ生産物のアスペクト比になったのです 0:17:19.000,0:17:24.000 DVD、ハイビジョン、4K放送などです 0:17:25.000,0:17:31.000 ウィリアム・ディクソンがエジソンの研究所で4:3を発明し 0:17:31.000,0:17:36.000 50年代にはシネラマによるワイド革命 0:17:36.000,0:17:38.000 そしてデジタル時代の16:9 0:17:39.000,0:17:45.000 アスペクト比の進化[br]そして私たちへの影響は計り知れないものがあります 0:17:46.000,0:17:51.000 もちろんこれはあくまでも器[br]画家にとってもキャンバスでしかないのです 0:17:52.000,0:17:56.000 しかし、キャンバスの形は絵の描かれ方を左右します 0:17:56.000,0:18:01.000 アスペクト比という偉大なツールを使って[br]素晴らしい作品を作ってください 0:18:01.000,0:18:06.000 ジョン・ヘスでした。[br]FilmmakerIQ.comでまたお会いしましょう