[フレッド・ウィルソン:美しさと醜さ] 美しさ… 美、美、美… 美しさに興味を持っています。 [ヴェニス・ビエンナーレ 2003年] 美しさに興味があるんです もし美というものが 「究極の視覚体験」と考えたら。 でも私は同時に美しさについて 意味を隠せる点に興味があります。 世界は複雑です、そして私たちはいつも こういう経験をぜんぶ分けようとします。 「これは美しい」「これは醜い」 「これは美しい経験だ − それが全てで…」 「そこには何の意味もない」 また、「意味は重要ではない」と。 人はある事実を考える必要があります 美しさには意味があり - 醜さには意味があるということを。 [スタジオ・ミュージアム・イン・ハーレム] それで、私の作品の多くは - なるべく - その緊張感を引き出そうとしています。 むち打ち柱と椅子は絶好の例です。 なぜなら椅子は実に美しいからです。 むち打ち柱は間違いなく違います。 むち打ち柱と椅子は私の開催した最初の展覧会から 博物館のコレクションと共にあります。 一マドリードのヒストリーソサエティーでした。1992年のことです。 ある意味非常に伝統的な展示です。 展示物そのものへの変更は全くありません それらの配置を変える他には。 それが意味を変えるのです。 または関係性を、 またそれらに対しての考え方を。 私が博物館と一緒に 仕事をしている時はこれに尽きます。 私のスタジオでも大体そうです。 椅子の高度な装飾と むち打ち柱を見てください、 それらは実に異なった歴史を持っていますが、 椅子に座っていた人々は むち打ち柱にいた人々と ある関係を持っていたという点で 直接に関係しているのです。 物事は複雑だと受け入れない - 美しさとは複雑さであることを - これは問題だと思います、 みんなそうしたがるのです。 だから、私はみんなのために複雑にすることを楽しんでいます、 [笑い声] だってそれが私の世界観だからね。 [笑い声]