約2年前 2012年のこと
『New York Times』紙に
僕の記事が載りました
題して 「10代の多言語話者の冒険」
記事のテーマは
僕がハマった 変な趣味
外国語習得への情熱についてです
最初は 記事になって光栄だと思いました
言語習得について
たくさんの人に知ってもらえるし
自己満足の趣味というよりも
世界中の人々に
発信したいという目標に
近づくことだと思ったからです
しかしメディアに登場する時間が
増えていくにつれ
焦点が 少しずつずれてきました
僕としては 外国語を学ぶ理由と
その学習方法を話すことに
関心があったのですが
実際は 見世物扱いされました
メディアは僕の話を
一般受けするように仕立て上げました
こんな感じです
「こんにちは
今日のゲストは 17歳のティム・ドナー
彼は20か国語が流ちょうに話せる…
おっと 間違えた
25か国語で 相手を罵倒することができて
それ以外の10か国語もペラペラです
ティム 観客の皆さんに『おはよう』と
『見てくれてありがとう』を
イスラム語で言って」
(笑)
「えーと アラビア語ですよね…」
(アラビア語)
「すごいねティム では次に―
ドイツ語で自己紹介をしてから
『23か国語がペラペラです』と言って」
「流ちょうじゃないけど…」
「いいから とにかく言って」
(ドイツ語)
「完璧だ お次は―
中国語の早口言葉を」
(笑)
「それより中国について
話してもいいですか
中国語を学ぶアメリカ人も
最近増えていますから
価値があると…」
「いや そんなのはいいから早口言葉を」
(笑)
(中国語)
「やるねえ ティム!
別の中国語の早口言葉は?」
「それより中国の話をしませんか?
言語を学ぶことで
得られるものがたくさんあるんです…」
「おっとティム すまないが時間切れだ」
(笑)
(拍手)
「最後に 観客に『さようなら』と
トルコ語で言ってくれ
それで終わりにしよう」
「大事なことは 何も話してませんけど…」
「トルコ語を頼む」
(トルコ語)
「彼ならどんな女の子でも
口説けそうですね」
(笑)
「まだ続きますよ 次のゲストは―
水着のブルドッグが
スケートボードに挑戦!」
(笑)
(拍手)
面白いことに ここで
2つの大きな問題が
浮き彫りになりました
個人のレベルでは
外国語学習が
少し義務のように感じられ
ムリにやらされているように
思えてきました
周りは僕に
綿密な学習計画と習得言語数だけを
期待してると感じました
何か国語が話せるのか
何か国語を理解できるのかって
これって 僕がそれまでにやってきた―
人々とコミュニケーションするための言語
また 異文化を理解するための学習とは
相容れないものでした
もっと大きなレベルでは
外国語を話したり理解したりする価値が
軽んじられています
今日このトークで僕が強調したいのは
1つの言語を学ぶというのは
辞書に載ってる単語を
覚えるだけではないということです
「ある言語を話す」行為は 奥深い
トイレの場所を聞くことができたり
今の時刻を伝えるだけではないんです
少し先走り過ぎましたね
僕の話の意図が見えないでしょうし
「poliglot」という単語の意味も
ご存じないですよね
かなり奇妙な単語ですから
きっかけは こうでした
これは僕の昔の写真 2001年頃です
僕の言語学習の旅は この頃に始まりました
その勉強を始める前は
実は 子役をしていました
人のアクセントを真似るのが
ちょっと上手かったんです
ラジオやテレビの CMのオーディションを
受けに行ったりしていました
オースティン・パワーズのものまねもしました
今日はやりませんよ
(笑)
『ザ・シンプソンズ』のアプーの
ものまねもやっていました
実は一度 オーディションで
「帰れ」と言われました
子どもらしい演技が 期待された場面で
僕がやったのは
「フランス語なまりのダースベーダー」
(笑)
しかし この経験のおかげで
わざとなまった発音とか
外国語のアクセントや話し方のパターンを
つかめるようになりました
本当に うまくできたのです
ここから少し 早送りしますね
3年生になったころ
フランス語の勉強を始めました
しかし 半年経ち 1年経ち
2年経った時点でも
誰とも話せませんでした
フランス語は単に 学校の教科の1つで
「肘」「ひざの骨」「靴ひも」など
単語をフランス語で
言うことはできました
しかし 本当に誰とも
流ちょうな会話はムリでした
話を少し早送りしましょうか
7年生のとき ラテン語を始めました
日常的に話すことのない言語です
そして僕は ラテン語を学ぶうちに
勉強のコツをつかみました
言葉は1つのシステムなんです
規則性があります
パズルにも似ている
これは大きな発見でした
でも当時の僕は
語学が得意とは思っていません
ここも早送りしますね
13歳になった頃
イスラエルとパレスチナとの間の紛争に
興味を持って調べたくなったので
ヘブライ語の勉強を始めました
といっても 方法が分かりません
何をすればいいのか 見当もつかなかった
そこで ラップを聴きまくって
歌詞を暗記して マネしてました
またネイティブの人との
チャットも試しました
週1回とか 月1回とか
これで 少しずつ感覚をつかむうちに
あるとき 急に理解が進みました
当時 ネイティブの流ちょうさはありません
発音は あまり上手にできなかったし
文法も 全然知らなかったのに
学校ではできなかったことが
できるようになりました
1つの言語の基本をつかんだんです
それも独学で
また 早送りしますね
14歳で アラビア語を学び始めました
9年生になる前 夏休みの短期講座です
2010年の夏でした
1か月後には 問題なく読み書きが
できるようになりました
まず 標準語の基礎を学び
メジャーな方言も1つ覚えました
この頃「外国語習得は僕の趣味だ」と
感じるようになりました
こうして運命の日
2011年3月24日を迎えます
僕は ひどい不眠症持ちで この時期は
言語習得に ますます力が入っていました
文法書を読んだり
テレビ番組を見たり
アラビア語やヘブライ語の勉強が
いわば 生活の中心になっていました
その夜も
とんでもない時間まで起きていた挙句に
アラビア語を話す自分の姿を録画して
字幕を付けて
YouTubeに投稿しました
題して 『ティムのアラビア語』
(アラビア語)
翌日も 同じように投稿しました
(ヘブライ語)
『ティムのヘブライ語』です
後で そのページを見たら
すばらしいことがあったんです
こんなコメントを発見
「たまげたね アラビア語が話せる
アメリカ人なんて初めて見た」
(笑)
皆さんはこの人を笑えますか?
さらに こんなコメントももらいました
「ここの母音の発音を直すといいかも」
「この単語は正しくはこう発音するのでは」
こうして
僕の言語習得法は変わりました
1人で教科書を音読して
PCの画面を眺めていたところから
広い世界に飛び出したんです
僕は すっかりハマりました
僕みたいに 対話で語学を学ぶ人の
コミュニティができたので
先生も確保できるし
会話の練習相手も見つかる
どんな言語でも学べる体制ができたんです
コミュニティの紹介ビデオを
作ってきました
(アラビア語)半年前から
アラビア語を勉強してます
(インドネシア語)勉強を始めたのは
1…2…3…4…
そう 4年前です
(ヘブライ語)今はこう実感します
アラビア語の読み書きは
割と簡単だなって
(アメリカ先住民オジブワ語)
この言葉は難しい!
(スワヒリ語)一昨日
自宅に帰ってきました
(パシュトー語)僕の発音はどうですか?
どうもありがとう!
ごきげんよう さようなら
(拍手)
ティム・ドナー:こうして―
僕は世界中の人と話しています
これだけ 多くの言語を学ぶと
問題にも 何度も突き当たりました
最初にぶつかった問題は 独学の方法です
正直 たいていの人は
パシュトー語を1か月で覚えろと
言われたら 途方に暮れますよね
でも 僕は実際に試しました
その方法を紹介します
ラテン語の授業で
キケロが書いた文章を読みました
題名は「Loci (場所) の方法」
正しくは「Locurum(場所法)」
これは 一種の記憶術です
じゃあ 例えばここで
単語を10個覚えるとします
そのとき 単語を
丸覚えするのではなく
脳内の空間記憶に 単語をはめ込むんです
詳しく説明しますね
ここは ユニオンスクエア
僕がいつも通る場所です
目を閉じると 僕の脳内に
イメージが はっきり浮かびます
僕は脳内で
ユニオンスクエアを歩くんです
ある地点に行くと
それぞれ 特別な音がします
覚えたい単語の音と
場所とを結びつけるんです
これから実演しますよ
まず パークアベニューを歩きます
「walk」は日本語で「イク」
少し進んで 右に曲がります
そこで座るんですが これは「スワル」
北に進むと
ジョージ・ワシントンの像があります
以前は 噴水だと思ってた場所です
「ノム」は 「drink」
右隣には木があるので
「キル」 意味は「cut」
その北側には 本屋がある
「ヨム」 は「read」です
お腹が空いたので
お気に入りのファラフェル屋へ行きます
西隣のブロックで「タベル」
これは「eat」です
1つ 忘れたかな
まあいいや 10個のうち8個です
悪くないでしょ?
気づいたんですが このやり方なら
練習している間は ずっと
誰かと対話している感覚で
単語を覚えられるんです
僕は この方法で覚えやすくなりました
それに 楽しいんです
ビンとこなかった?
別の方法もありますよ
みんなに よくこう聞かれます
「複数の言語を一度に勉強して
混乱しないの?」って
語彙を増やす方法の質問も 多いです
スペイン語をやってたとき
1語ずつ覚えても すぐ忘れてました
そこで 僕のやり方はこうです
例えばここで
インドネシア語を 3語覚えます
僕が最初に覚えた 50語から選びました
「Kepala」「Kabar」「Kantor」
意味的には 無関係な語です
意味はそれぞれ
「頭」「ニュース」「事務所」
でも全部に
「K」と「A」の音がありますね?
そこで 考えました
こんなふうに 音が似ている単語を
まとめて覚えるんです
インドネシア語で 「Kepala」と聞こえたら
必ず一緒に
「Kabar」「Kantor」も思い出します
アラビア語なら
「Iktissad」「Istiklal」「Sokot」
これも 意味はバラバラ
「経済」「独立」「崩壊」ですから
それでも 1つの単語が聞こえてきたら…
(笑)
残りも思い出すようにします
ヘブライ語も同じ
(ヘブライ語)
この意味は
「見返り」「思い出す」「輝く」です
ペルシア語では
意味上の関連がある3語を選びます
「Pedar」と聞いたら―
意味は「父」ですが
必ず これも思い出します
「Mada」「Barodar」「Dokhtar」
「母」「兄弟」「娘」です
あくまでこれは 僕のやり方で
外国語が流ちょうになる
最善の方法とは限りません
僕が 課題を克服したとき
効果があった方法の1つです
ところで こんな疑問を持ってませんか?
そもそも 何のために勉強してるのかって
ニューヨークに暮らす若者が なぜ
パシュトー語やオジブワ語を?
実は そこがポイントなんです
僕は実際 他の町に
住んだことはないのですが
この町にいると 身の周りに存在する言語の
数の多さに 圧倒されます
道を歩けば 目にする看板は
中国語やスペイン語
ロシア語の書店
インド料理店やトルコ風の浴場もある
こんなに 多様性が存在するのに
主流であるアメリカ文化は
英語以外を受け付けない感じです
冗談だろうって?
コカコーラの多言語CMが
酷評されたのは ご存じですか
僕はネットの世界に飛び出して
新しい言語を学びましたが
今は このニューヨークの町が
僕の学びの場なんです
中心街の外へ出かけて
言葉は悪いけど
恥をかきに行ってます
僕は1日中 街を歩き回って
新しい価値観を教えてもらい
習いたての言葉を練習するんです
ビデオ:(ロシア語)お名前は?
―ナタンです
―ナタンね
―こんにちは
あなたのお名前は?
ティムです
初めまして
初めまして
ご出身はどちら?
(ウルドゥ語)この本は―
Qudratullah Shanabの自伝なんだ
「nawist」の意味は?
「自分自身について書いた」ということ…
あっ「Khod-Nawist」(自叙伝)か
ペルシア語の「khod-nevashtan」だ!
ティム:「英語で十分」 と考える人もいます
そもそも話すことが
好きではない人もいるでしょう
そもそも話すことが
好きではない人もいるでしょう
でも 一歩外に出ると
新しい世界が見えてきます
僕のウルドゥ語はひどいもので
ぎこちない会話でしたが
あの体験で 僕は新しい語
「Khod-Nawist」を覚えました
もう 忘れません
さて 僕がこれだけ話してきたのに
僕の行動を 理解できない人がいるかも
そんなとき たくさんある僕の動機を
人にいろいろ説明しようとしますが
その中で
ネルソン・マンデラのこんな言葉が
一番 伝わりやすいみたいです
「相手が分かる言語で話すと
相手は 頭で理解する
一方 相手の言語で話しかけると
言葉は相手の心に届く」
僕が最近 注目しているのは
言語と文化は
深く結びついているということ
言語と思考も 同様です
例えば ペルシア語を学びたいと思ったとき
こうなる人が多いのでは?
辞書を引いて
「さて 『ありがとう』は分かった
『これは いくら?』も覚えた
『さようなら』も言える
ああこれで ペルシア語は話せる」
残念ながら これは勘違いです
なぜかと言うと
例えば ペルシア語の書店に行って
「いくらですか?」と言ってみると
大抵 こんな答えが返ってきます
「Ghabeli nadaareh」
直訳すると[価値はありません]
(笑)
実はこれ 文化に根ざした慣習で
「タラフ」といいます
会話をするときに
お互いに謙そんして
相手を持ち上げようとします
本を買いに来た客に
「5ドルです」と答えるのは 不作法です
礼儀正しい言い方は
「お代は要りません
お客様は 美しくて賢い方ですから」と
(笑)
「私は つまらない者ですから
タダでどうぞ」と
(笑)
それに こんな言いかたもするんです
相手に感謝したいときの表現
ありがとうと伝えるときの言葉です
「初めまして」にもなる
「『ありがとう』が言えるから
ペルシャ語が話せる」とは
言い切れないかも
イランの人との会話で
よく耳にした言葉は
「Ghorbanet beram」です
文字どおりの意味は
[私の命をあなたに捧げます]
観衆:(笑)
ペルシア語は 表現が詩的なんです
メロドラマ的と言ってもいい
言語の習得には こうした
文化的な側面の理解が不可欠です
ペルシア語は 特例ではありません
英語でも慣習的な会話は
よくありますから
例えば「How are you?」に
どんな返事を期待しますか?
「I'm fine」です
違うことを言われても 僕なら聞き流します
(笑)
それが慣習
また「bless you」には
特に宗教的な意味はないですよね
誰かがくしゃみしただけ
興味深いことに
一般の人が 事実として考える―
言語学者の間の通説があります
「言語は本来 話者の考え方に影響しない」
確かに「数学の天才になれる言語」なんて ありませんし
逆に 論理が成立しないほど
理論的要素が貧弱な言語も存在しません
でも 言語と文化の間には
密接な結びつきがあります
文化の価値観は その言語に現れる
このことを強く実感しています
なのに この地球上では
2週間に1つのペースで
言語が消滅しています
誰も その言語を使わないから
戦争や飢きんが原因です
他の言語に「同化」する場合もあります
例えば自分が生まれた村の方言を 使わなくなり
標準的なアラビア語を使う場合です
あるいは アマゾン地方の部族で
住む場所を失い
ポルトガル語を覚えるしかない
ケースもあります
すると その部族の文化は失われます
そこで 考えてみましょう
今日から数えて2か月後は 4月1日です
この日をストレスと感じる人は 多いかも
論文の締め切りだったり
家賃の支払日だから
一方 世界の2つの民族にとって
2つの文化にとって
この日は言語が消滅する日です
神話 歴史 風習 そのすべてが失われます
その文化の世界観も失われます
くどいようですが
スペイン語の復習をしても
日本語のクラスに通っても
言語の消滅を
食い止めることにはなりません
言語の消滅を 本気で防ぎたいのなら
自分の先入観を取り払って
その言語を使う人々の世界観を
受け止めることです
言葉はその文化の表現ですから
最後に 僕が今回のトークで
伝えたかったメッセージを
言わせてください
「単語を翻訳するだけなら 簡単だけど
それでは
意味まで正しく伝えたことにはならない」
ありがとう
(歓声)