今日 ある女性が 私の肌の色を見て 困惑しながら 言いました あなたは “正しい” 英語が話せるのね と それはつまり 発声や言葉遣いに関して 何も意識しないで済むということ なぜなら 私は“正しい” から だから 教授の質問に対する 私の返答に 都会っ子の含みがあっても 誤った意図は無いの 私の話をよく聞いて なぜなら 私は “正しい” から 「なんだそれ?」 とカリビアン訛りで聞く父に 私の “正しい” 答えが 間違って伝わることは無いのです 「お父さん これは非常に切実な問題なの」と と私は答えます 近所にいるときは 私は英語を切り替えます 友達に「最近 調子はどう?」と聞かれたら 「ケンカしたけどもう大丈夫」と 授業中には時々 文化人的な話し方をやめて質問します 「よぉ 私たちの事が なんで教科書に書かれてないのよ?」と そう 私は決めたのです これら3つの言語を平等に扱うと なぜなら私は “正しい” から では “正しい英語" を決めるのは誰か? 英語には様々な話し方があって 常に変化し続ける言語です インフォーマルな英語は 無教養だと思われるかもしれません けれど “正しい”英語を話すアメリカ人でさえ イギリス人には馬鹿のように聞こえるのです 黒人街の路上で教授が 「こんにちは」 と挨拶したら 私は彼を引き止めて こう言います “Noooo!" 正しい英語じゃない 「最近どうよ?」 でしょ と カリブ訛りが強すぎて 格好が悪いと思われるかもしれません けれど 私たちの英語にもちゃんとルールがあります もし母が私をからかって 「あなたあの店に行き過ぎよ」 と言ったら 「ママ あなたの英語はルール違反よ」と返します 現在分詞の前に“madd"は使わないからです これは単に この英語の原則です」 もし私が全ての山の頂上から 全ての町や村から 声を届けられるなら 伝えたい- 「唯一の言葉の神は『創世記』の記述にあり 神は人類を創り『よくできた』と言ったと」 私はいつも流暢な話し方で あなたに話しかけるわけではありません でも私を言葉によって判断したり 無知すぎて教えられないと思わないで なぜなら3ヶ国語が話せる 家と学校と友人 それぞれに ひとつ 私は3ヶ国語の使い手 私は時に自分の言葉に一貫性を持たせ 突然 退屈しのぎに言葉を切り替える そして時に2ヶ国語で反論する 教室で異なる言語を使っていて 時に言葉を混同したとき トイレで料理をしているように感じます 私の言葉はもう盗まれたので あなたの言葉を借りなければならないことも 分かっています でも私にあなたの歴史を話させないでください 私の歴史はあなたたちに壊されたから 英語は欧米中心の理想に もううんざりしている人により 話されています 私が混ざった英語を話すのは 自分の言葉が歴史の中で失われたからです 私が壊れた英語を話すたび  過去のおびただしい傷がうずくのです 私たちの状態は不思議でも何でもありません 私は同胞を腹立たせる ネガティブなイメージに疲れたのです 私たちを銀行強盗と思ったり 髪がおかしいと言わないで下さい もうばかげた人種の不平等に 疲れきっているのです あなたの髪が人助けをするわけじゃ ないでしょう 私たちから多くが奪われたように どうして あなたの言葉の私たちなりの話し方が 下等なものだと捉えられるでしょう 混乱しないようにしましょう ためらわないようにしましょう 無視を勧めるのではありません これは言語にとって祝祭です それが私が最後の履歴書に 「3ヶ国語」と書いた理由です 私はあなたの顧客市場を多様化できると 知ってもらいたかったのです 私を採用面接に呼んだならば 喜んで私はそれを証明するでしょう あいさつでも 私は “最近どうよ?” “ちわっす” そしてもちろん “こんにちは” だって私は “正しい” から ありがとう (拍手)