[音楽]
[音楽]
[音楽]
[音楽]
[音楽]
[拍手]
[音楽]
[音楽]
[拍手]
[音楽]
[拍手]
[音楽]
[音楽]
[拍手]
2022年
12月
本年最後の
待遇道場となりますまた8時から10時
までと
長時間に渡りますけれども
ぜひね
本年最後の待遇道場
ニコニコチャンネルでの待遇同士を
最後までねお付き合いいただければと思い
ますさて本日の流れですけれども
前半12
月というのは仏教徒にとってとてもとても
大切な行事があるんですねでこの行事が
何かというと情動へと言ってお釈迦様が
悟りを開かれた日です
このまああの浄土へ
そしてその
浄土へに
ちなんで
こう仏教にまつわる
雑談を
少しねしたいなと思っていますそして後半
後半は
本日何をしようかなと思っていたんです
けれどもやはり
皆さんね結構瞑想に興味を持っておられる
方があるので
本日はですね
本年最後
瞑想ってね本当にいろんなやり方があるん
ですよでやり方があるんですけれどもその
狙い目的としているところ
求めたい
状態というのは
一つなんですねそこに向かって様々な
アプローチの方法があるんですよこの
瞑想ということの本質がわかってくると
この瞑想に関してねあの本当世界に行くと
いろんな瞑想があります
様々とかヴィパッサの瞑想とかその他
いろいろな瞑想というの実はあるんですよ
瞑想っていうのは必ずしも仏教だけでは
ないね
けれども最終的にその瞑想って何だろうか
と私も随分と本当にいろいろと
迷いがあった時期があるんですけどもあ
そういうことかということがわかると実は
瞑想の方法なんていうのはいっぱいあるん
ですね
例えば症状道路という
本があるんですけども今日今日と言います
かねそのお経と言いますその症状道論と
いう昔の
古代の修行者たちがどのようにして
瞑想をしたのかという
様々な手法が書いたものがあるんですけど
まあまあそれはそれはいろんな方法があっ
たんですねそう
瞑想というのは
本当にそのいろんな
形でできるでもでもお釈迦様はその
諸精進ということを
発症度の中で説かれたんですね少々時に
常にね怠けるなって
怠るなっていうことをもうそれをもう継続
して何度も何度も
経典の中には登場することなんですね
不法律と言ってねこうあの
怠けないっていうことをずっとおっしゃっ
たわけですでこの怠けないっていうことは
なんかこう
常に
苦しい
その一瞬たりとも
気を緩めることなく苦しい修行を
し続けることかなっていうねとにかく
激しく激しくこう一瞬も休みなく
働き続けるみたいなねそういうイメージが
なんだか私たちあるんですけどそういう
ことではないんです
前半の
浄土へ
そして浄土とは何であったかという話と
そして後半のこの浄土絵にちなんで
私たちのその
瞑想ですね
ブッダが悟りを開かれたこの瞑想この
瞑想ということをちょっと
待遇流の瞑想になりますけれども今日はね
1年の最後でなのでこの瞑想お釈迦様が
先ほど言いましたね
怠ることなく励めと何に励めて言ったら
自分の心を清らかにするこれを
怠るなということなんですね
自分の心を清らかにするってなんだそんな
ことかって思うかもしれませんけど私たち
はねどんなに良い話聞いても
次の瞬間何か嫌なことがあったりすると
あっという間に心が汚れちゃいますよね
そう何かこう滝に打たれて苦しい修行をし
続けなさいっていうことじゃないんですよ
常に常にどんな状態であっても自分の心を
自分で
清らかに
保つという
努力を
怠るなんてことなんです
だって
本日はですねこの私たちの心を汚して
しまうね追い心を汚してしまうこの
三徳によって汚れていくわけですけども
この
三徳をですね
によって汚れた心を一瞬にして浄化して
いくある
感情この
感情を
私たちの中に呼び起こすことによって
私たちの中にですね1年の最後
すべての汚れっていうものを自分の中から
ですね
浄化してそして
清らかな
心になるということを
皆さんと一緒に今日はねやってみたいと
思います
本年最後の待遇道場
仏教らしくといいますかねあのどちらかと
いうと私のいろんなニコニコニコ待遇道場
っていうのは仏教っぽくないっていうこと
を言われる方もあるんですけどもまあ皆
さん結構
仏教というと瞑想とか座禅ということを
期待して
来られるんですが私あんまりこう座禅って
いうことをね今の段階では皆さんには
あんまり
座禅をしましょうとかってこと積極的に
言いませんよねあの言ってること聞いた
ことないと思いますでもじゃあ座禅が
意味がないのかってそんなことないんです
これをとってもとても私たちにとってです
ねあの自分の心に
清らかにしていくそれからまた自分の
自身を見つめていくねそれを全然の世界で
は摂氏と言います心に接していくっていう
ねでこのこれはとても大事なことなんです
そしてまさにこのお釈迦様はこの
接心することによって
浄土を得られたわけですから
さて12月
浄土へというお釈迦様仏教等にとって
とても大事なお釈迦様が悟りを開かれた日
これが12月の8日なんですけどもね12
月なのでこの日に
ちなんで
本日は
前半
浄土へのお話そして
後半は
まさにこのお釈迦様が
座禅をしてそして
瞑想してそして自分の
心の
わだかまりということを超えていったその
仏教においてはものすごい大きな出来事
ですねこの出来事を振り返りながら
後半は
ぜひ私たちもですね自分の心をお釈迦様の
教えの
従ってね
清らかに保つということこれを一緒にやっ
ていきたいと思っています
さてそんなことで
本日
前半と後半待遇道場でお届けしてまいり
ますその前にですねあの
報告と言いますか皆さんも
ひょっとしたらいらっしゃったかもしれ
ませんけれども12月の3日
土曜日ですね12月入ってすぐの3日の
土曜日の日
無事
福厳寺の秋葉大祭が
炎上しました
炎上っていうのはなんか
要するにネットで炎上するとかそういう
意味じゃないんですよ炎上っていうのは
丸くなると書いてね
丸くそして
成し遂げると書いてですね無事
円満に終わりましたということですねで
この
本年結構ですね
穏やかな
あの冬でしたね初めていらっしゃった方は
もう寒い寒いと思われたかもしれません
けれども今年の
秋葉大祭の時の寒さというのはもうもう
あの全然あったかい方ですあの本当
本来であれば12月の16日秋葉三尺坊の
命日にこれを行うということになっている
のでもう一周こうズレるわけですよね
で12月の16日ですから今日も結構寒い
ですよであのなんか来週ぐらいから
これ明日明後日
ぐらいから多分また一気に特に東北北海道
の方とかですねものすごい
寒波が来てて
雪が
降るみたいなことが言われてるんですけど
ももうそうなんですよね12月の16日
秋葉大祭これまではずっと行っていたわけ
ですねですからもう全然寒さあの12月の
3日の12月の第1週目の人と時と比べる
ともう1週間で
急激に寒くなってきているので
本当は規模大祭
本当に寒い中で行って
きました私が子供の頃からねずっと
けれども私の第2になって12月の3日第
1週目にその日をまあ持ってきてね
本来であれば16日を12月の3日に持っ
てきて
参拝なさる方々にとってですねこの
秋葉大祭の
伝統の日というものを守るこれも大事な
ことかもしれませんがそれ以上にこの秋葉
大祭をただこれを盛大に行うというだけ
じゃなくてこの
体裁を通して皆さんに
山賊の炎の恐ろしさを知っていただきたい
というそういう趣旨のもとにねまあ
いろいろなバッシングと反対があったりし
たんですけども12月の第1週目の土曜日
にこの秋葉体制を持って行ってで
皆さん
参加をなさった方も参拝なさった方もあら
れたと思いますねけれども
本当あのコロナのことも大葉っぱが来る
みたいなことでね心配をされていたんです
けれどもそれ
以上に
部屋の中にずっとこもってね
例えば中国なんかはロックダウンが行われ
てたりしますけれどももうかえってその方
が
ストレスも溜まるしそれから刺激も少なく
なったり
精神的にとか肉体的にも不調をきたす人
たちがいてでかえって免疫力免疫力が落ち
てですねコロナ感染しやすくなったり風邪
ひきやすくなったりということがもう
わかってきていますからねあの私たちも
もちろんもう
全然大丈夫だって言ってねあのこう
感染しないように予防するっていう
心がけるということはもちろん大事です
けれどもでもいたずらにね
恐れてそしてあの自分たちの行動を制限し
てしまうってなると本当経済破綻だけで
なくて精神破綻肉体破綻しちゃうんですよ
なので
ぜひ正しく恐れるという意味でね
開催しましょうってことでやったんです
けど
本当にたくさんの方がおいでになられて
そして費用を渡ってお帰りになったって
いうところをね見届けてまあよかったなと
思っておりますまあそんなことで無事秋葉
大祭あのー
終了いたしましたね
本当お越しになった
皆さんですね
当日この複合の地に足を運ばれてそして
何かしら
体で感じられたことと思いますね
そんなことでですね一つ一つ一つ一つ今年
の行事が終わりそして今年のなすべき
ことっていうのが一つ一つこう
それを終えていくというこれがまさに私に
とっては私たちにとってはこれ修行なん
ですね一つ一つこの小さな目標を立てて
請願を立ててそしてそれを
超えていく
反省を繰り返しながら
聖眼に向かって
進んでいくというねそのサイクルがあり
そして1年ぶれることなくそれを一つ一つ
こなしていくことによってですねその中に
自らの反省とそして
成長というものが
促されていくっていうその仕組み自体が
本当にねありがたいなと思ってます今年何
やろかなではなくてやるべきことが決まっ
ているそしてそのやるべきことに向かって
進んでいるうちにその自分がどんどんそこ
を
知らず知らずのうちに
自分を成長させていただくことができると
いう
本当にありがたいことだなと思っています
さてそんなことでですねあの
前半の本題に入りたいと思います12月の
8日これは浄土絵という日です12月は
浄土へ12月といえば皆さんなんか
クリスマスという人がいるんですけど
ぜひねクリスマスというのはキリスト様の
誕生日ですね
けれども
ぜひこのキリスト教が
キリストの誕生日を祝うね
仏教ともぜひですねこのお釈迦様の誕生
それからお釈迦様の
悟りを開かれた日そしてお釈迦
様がお亡くなりになった日これを
仏教の世界では3仏記というんですね3つ
の
仏の年季
法要の木という字ですね年季法要の木と
いう字これをその3つの
仏の年季法要の木っていう字ですねこれを
書いて3仏記と
呼んで大事にしていますお釈迦
様に関する3つの日ですね高
単位へお釈迦様の誕生日ですそして
浄土へこれがお釈迦様がお悟りを開かれた
日そして
涅槃へお釈迦様がお亡くなになられた日ね
この3つの
比をぜひ私たちを覚えておきたいものです
ねでそれぞれじゃあいつなのかねという
ことですこれまたねあのインターネットで
も調べれば出てくるんですけども
ぜひ皆さん覚えておいてくださいまず
お釈迦様がお生まれになった日というのは
4月の
8日です4月の
8日そして
浄土へお釈迦様がお悟りを開かれた日と
いうのは12月の
8日ですそしてお釈迦様がお亡くなりに
なった日
涅槃へというのは2月の15日と言われて
います
本当にその日だったかっていうのをねあの
2600年前のことですから
わかりませんけれどもでも一応そういう
ことになっていますね私たちクリスマス
クリスマスって覚えて12月25日って
覚えているのに
仏様にお釈迦様に関する日にちを知らない
というのはねやっぱりこの待遇道場の同情
生としてはですねあのこれは
ぜひ覚えておいていただきたいということ
で
改めまして高単位絵師4月の8日
浄土へ12月の8日そして涅槃へお釈迦様
がお亡くなりになった日2月の15日
是非ねこれあの紙に書いて
暗記してくださいね今度テストします
ぜひそういった基本的なところを覚えて
いくだんだんこの仏教に対してねより興味
が深まったり理解が深まったりまたね
お釈迦様がもっと身近に感じられると思う
んですよ人間
ブッダというものを身近に感じられると
思うんですね
さてそんなことで3
武器お釈迦様に関する3つの日
後退浄土へ涅槃炎それぞれこの3つの
日にちをぜひ覚えておいていただきたいと
いうことですね
そしてですね
そう
浄土への話なかなか入らないんですけど今
ちょっといろいろちらっと思い浮かんで
しまったので今のこの3部機というところ
からちょっと横道にまたそれまして
聖になった日ということでですねここから
ちょっと
関連して
連想ゲームみたいですね今度はですね
ぜひ皆さんにですね
仏教の
三大聖樹というものもぜひこの機会に
紹介していきたいと思います3大政治どう
いうことかというと3つの
聖なる
木です
木というのはツリーですね3ですツリーの
ことです
樹木の10です
仏教の
三大生10それぞれ
無遊樹
菩提樹
沙羅双樹です
無優柔
菩提樹そして
沙羅双樹ですこの3つこの3つの樹木これ
をですね仏教の
三大政治と言います3つの聖なる
木ということですね偉大なる聖なる木と
いうことですさてそれぞれこれがですね
お釈迦様の3武器と
関連していますつまりお釈迦様の
誕生日生まれお生まれになった時お釈迦様
が悟りを開かれた時そしてお釈迦様がお
亡くなりになった時この3つの日にこの3
つの出来事に
関係してくるんですねこの3大政治がどう
いうことかというと
まず最初の
無遊樹という木です
無優柔という木はですねまああそうかの木
とも言われたりするんですけどもお釈迦様
がお生まれになった
北インドの現在のネパールですね
現在のネパールにルンビニというところが
ありましてまあ今でもこのルンビニ公園と
いってですねこのルンビニの遺跡お釈迦様
がお生まれになったところということで
世界中から仏教徒たちがここへ礼拝に来
られてますね
ルビにこのルンビニにですねあのまあ
お釈迦様をがお腹に宿ったお母さんのまあ
やさんもですねお母さんの毎朝様がお釈迦
様お腹に宿してそしてそろそろ
赤ちゃんが生まれるかもしれないっていう
ことでね
里帰りをなさるんですよねあのカピラ
城というお釈迦様が
幼少期育ててこのお城からお母様がですね
自分の実家
戻ると
出産のためにね戻ると
日本でも
皆さんあの皆さんのところ私たちもそう
ですよねあの奥さん
子供が生まれるってなると実家に戻ってね
まあおじいちゃんおばあちゃんたち
お父さんお母さんとこれ戻
るっていうことが習慣としてあったりし
ますよねインドもそうなんですねやっぱり
自分の子供を出産する時にその
自分の親のところへ戻るでこの途中です
この途中に
立ち寄ったルンビにというこの
講演でこの
足岡の木というのはあってねその花があっ
たわけですよで
インドって
温かい
気候なのでそこでねそのやっぱり木が
木陰っていうのはとっても大事にされる
わけですねそう
木陰でまたインド人というのはやっぱり木
を植えるっていうことをですね
その得としてやるわけですよねこの
もう昔からねその
誰が座るかもわからない
木を
植えていく
それは一つの徳行とされるわけです
熱いこのインドでやっぱりその木陰を作っ
ていくでもその木陰っていうのは自分が
入るではなくて
木を植えて育てるとその木陰の下で誰かが
休むことができる
ねその木を植えていくということ自体が
本当に
貴重なことなんですねとってもあの
意味のあることなわけですよでやっぱり
このそうやって植わっている機能もとでね
あの
消化の木という木ですねこの無有事と言わ
れる木この無重樹と言われる木の元でです
ねあの
毎朝があまりにそのされている花が美しい
からちょっとね手を伸ばしてそしてその
木に触れようとしたその花を
取ろうとしたってその瞬間に相手当たっ
たって言って
酸欠いてお釈迦様がお生まれになったで
まさにこのお釈迦様もお生まれになった時
にお母さんが
毎朝のがその
無友人の
下で
鼻を取ろうとしてそして
酸欠いてお釈迦様が生まれた
ででその後ですねまあまあとこう暖かい
甘い
味わいの雨が降ってきてですねそれを天の
竜王がこう祝福したとそしてそのお釈迦様
は体を優しくこう洗ったってそういうお話
がずっとこうその後続いて出てくるわけ
ですけどもけどいずれにしてもこの無優柔
というのは
お釈迦様がお生まれになった時に
のその出来事にちなんでるこの木として
ですね
仏教の三大政治の一つとして数えられて
ますでこのね
無優柔というのは漢字で「むというのは
ないという字を書きますね
youというのは憂いと書きます10は
樹木の10ですもう優柔そう
憂いのない
木なんですよ一切の悩みのない
木なんです
売れることのない木なんですこれは
インドではですねこの
無重というのは何て言うんですかその
花言葉じゃないですけど
樹木言葉ねみたいなものでこう
乙女の
恋心を叶えていくとか出産とか結婚とか
誕生とか
幸福の木なわけですねそういうそういう木
なんですよ
幸福の木
無有事の木一切の憂いのない木ということ
でこれ仏教の三大聖獣としてですねあの
名前を挙げられている木です是非覚えて
おいてくださいお釈迦様の誕生これに
まつわる木無有樹ですはい
仏教三大聖獣2つ目は
インドの菩提樹です
菩提樹って日本にも菩提樹という木があり
ますけれども
インドボダージュというのをね日本で
私たちが見ることができる
菩提樹とまた若干ちょっと
本来は違うということが言われてたりする
んですけども
クワの木の仲間とも言われていたと思い
ますちょっと記憶があるんですけどもそう
でもいずれにしても菩提樹ですねでこの
菩提樹の木のもとでお釈迦様はまさにざっ
そこに座して悟りを開いたと言われている
んですけれども29
歳で出家をなさってそして
最初あららからまそしてウータからマン
プッタという
ヨガの業者であり
自分のね先生につくわけですねそこで一生
懸命こう瞑想したりして修行を重ねていく
んですけども
けれどもこの
瞑想法というものもそうですし
瞑想によって得たいその目的状態っていう
のもまた
違ったでしょうね
それでやはり自分の心の安心には至れない
ということで一生懸命修行なさってその
先生の教えというのをマスターなさるん
ですけども
それでね自分の
求めている状態にはいられないというその
先生の元を離れてそして
苦行に入るわけです
当時のインドではまあある意味こう
シャモンと呼ばれるですね出家者たちって
いうのがお釈迦様だけでなくてやっぱり
時代のトレンドだったんでしょうかねあの
お釈迦様だけではない
ジャイナ教の
海藻であるマハビラという人もそうです
けども全く本当に仏教に
すごく似ている競技を提唱してそれでいて
また
仏教とはまた違うわけですけれども
けれどもねそういった専門と呼ばれる出家
者たちっていうのがやはりその時代インド
ではおられたんですね今でももちろん
インドというのはそういう国ですよ
いっぱい専門の方々がおられるそして修行
なさってるってそういうやはり
土壌なんでしょうねでもそういう中から
お釈迦様も出家修行者に憧れて出家をして
そして
非常に
厳しい
過去にも現在にも未来においても私ほど
その
厳しい修行したものはいないだろう」って
自らがおっしゃるぐらい
厳しい修行を自分に課してそして修行を
なさってたんですね
でまあその時に
一緒に
修行仲間がいたわけです
やはりその
自分一人だけではなくてね
他の修行仲間たちと共に5人の修行の中
仲間たちと共にですね
苦行に励んでいたわけですねもうほんと
こういろんな苦行があるんです今の日本に
いると私たち考えられないぐらいの苦行が
あるわけですねまああの滝に打たれていく
と苦しい苦行をするっていうのがあるん
ですけどももうねあのあれも大変なことだ
と思いますけども
話にならないぐらい厳しい修行をインドの
人たちはなさってます30年間片足で立ち
続けるとかどんなにその急流の滝に
打たれたと言ってもですよ
それどれだけ続けるのって言った時にね
それはそれは厳しい
真冬の寒い中で海の中に入ったりいろんな
修行がありますけれどもまあ私もねあの
自分もそういうことを一生懸命やってた
時期もありますね例えばあの
空手なんかの時でもそうですけどももう冬
に
真冬に
海に行ってねそして
言いながらあのもう痛い
寒い起こしていたいっていうあのこの水を
の中に入ってね
基本稽古をやるみたいなものはもうかっこ
いいってそう思って
実は寒いって震えながら一生
懸命やってた時期がありますけれども
まあそれもね一つの経験だと思いますが
全く意味がないかと言ったらそれはそれで
一つの体験だと思いますけどもでもね
とにかくそんな
生ちょろいものじゃないねあの
本当にこう
ねとんでもない修行をなさってるっていう
人たちがおられるわけですよ裸で
ヒマラヤ山脈に登ろうとしたりとか
考えられないそういう
苦行を一生懸命なさってた
飲まず食わずでとかねそのまあ今の比叡山
の千日開放業みたいなものをずっとなさっ
と千日で終わらないんですよ彼らの修行
って
本当にねどうなってるのかってぐらいで釘
をなさる方があったでもそうやって何かね
肉体を痛めつけることによって
超人的な能力を得るみたいな
思いも得られたんだと思うんですね
実際それが何かしらそのそうやって肉体を
痛めつけることによって何らか能力が開花
するということはあり得るでしょうね当然
だってオリンピックとか見てくださいある
意味そういうことですよね
自分の肉体を結局極限まで鍛え上げていく
ことによって
例えば
すごくこう普通の人よりもものすごく早く
走れるようになったりやっぱり
ずっと継続してそういった肉体をいじめ
抜いていくことによってですね何か
ものすごいパフォーマンスを発揮すると
いうことは
実際あるわけですよねでも何かしらそう
いうところの
にも関連するんでしょう一生懸命自分の
肉体をいじめ抜くことによって何か
超人的な力を得たりとか何かそのこの自分
の
欲望を生み出してくるところのこの肉体を
徹底的にいじめ抜くことによって
自分の精神に
ものすごく
超越した何かが
得られるんじゃないかとそういう
ふうに思うということは
当然のことだと思うんです
けれどもお釈迦様は
それが
自分の本当に求めている
目的に対しての正しい
修練の方法なのかというところを疑って
これを
離れるわけですね
苦行を離れるんですそして
念願者側という川で沐浴をしてそして
みんな自分の体を清めてそしてもう
自分の肉体をいじめたりということでは
ないそのことによって結果が出なかったの
で
全然違った方法論を今度取ろうとするわけ
ですねそれが一切
動き回ることなく
静かに自分の
体を
ざしてそして
自らの心に
向かう
そして瞑想をしてそこで悟りを開かれる
わけですね
約1週間覚悟を決めてですねこうここを
自分の
悟りを得るまではここを決して動かないっ
ていう
誓いを立ててそして
ある
一つの
木の下に
1本の木の下に
挿してそしてついに
悟りを得られた
わけですねこのお釈迦様が
苦行を離れてそして
自分の
心と徹底的に
向かい合っていくという
一切の苦しみを作り出しているのは肉体で
はなくてこの
心なんだ
ということに気づいてそしてその心を
超えていく
この体験をなさった
その
ある木のもとでその体験をなさったその木
こそ
後に菩提樹と
呼ばれる
木ですね
膨大というのは何かというとブッダのこと
ですそうお釈迦様がそこで悟りを開かれた
のでその木が
後に菩提樹と呼ばれるようになりました
そしてまたこのお釈迦様が悟りを悟りを
開かれた場所というのは
ガヤというところなんですけども
ブッダ側やというふうにして今
呼ばれていたりしますこの
ブッダガヤの
菩提樹のもとでお釈迦様をおっしゃったり
を開かれた
菩提
樹という木
仏教の3大聖獣の
うちの2本目ですねそして3本目3本目が
ですね
皿そう樹という木ですこのサラソウジと
いうのはお釈迦様がお亡くなりになった時
このサラ掃除のもとにですね
横たわってお亡くなりになったと言われて
います
平家物語の冒頭に出てくる有名な一文が
ありますよね
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
聖者の
断りを表す
溺れるものを親しからずと続くあの文章
ありますよねでこれがですね
あの
皿そうじゅというものが出てきますこの皿
掃除というのがまさにお釈迦様がお
亡くなりになった時のこのキーですねこの
サラの木更津ですねこの皿の木の元に
お釈迦様は
横たわってそしてお
亡くなりになったということで
仏教の三大成就ですね
菩提樹
沙羅双樹
ぜひこの3つをですね
覚えておいていただければと思います
さて
3という数字にちなんでまた
寄り道をしましょうもう一つ
仏教には
三大遺跡というものがあります
仏教の三大遺跡これはですねちょっと
インドから離れまして一つは
官房事やの
アンコールの遺跡ですねアンコールワット
と言われるものですねカンボジアの
アンコールの遺跡それから
インドネシアのジャワとね
インドネシアのジャワと
ボルブドゥールという
遺跡があります
ねそして
ミャンマーのバカです
ミャンマーの馬鹿に遺跡カンボジアの
アンコール
ワットと
インドネシアの
ポルブドゥールと
ミャンマーのバカそれぞれ
同じ仏教遺跡ですけども私たちが想像する
お寺というものとは本当にまた違った
美しいまたそれはそれで美しいあの
遺跡ですけれども
ぜひねコロナも回復してきたらもうタイと
かは
一切のコロナ
ワクチンを打って打ってない関係なく
そしてまた
PCR検査とかももう必要ないんじゃない
ですかね
多分ねもう入れると思うんですけども日本
はね
間違ってたごめんなさいおそらくまだ
コロナのワクチン3回
接種していない人はPCR検査を
受けてその結果を
持ってじゃないと日本には入れないし
私たちも海外に出かけて戻ってくる時に
やっぱその
証明が行ったりするっていう
まだまだそんなんだと思いますけどももう
ねあの
ミャンマーとかはタイとか
ミャンマーはどうだったかなタイとか
おそらくもうそのいらないと思いますね
余談になりましたけどもまた本当いつか何
かね
そうやって仏教の遺跡を巡る旅っていうの
もしてみたいなってそういう声も結構ある
わけですねなんか皆さんと共に
遺跡を巡る旅っていうのも行ってみたいな
と思ってたりもするんですけどもでもね
仏教の3大遺跡ね3という数字にちなんで
ちょっとね
ぜひここで覚えておいていただきたいと
思いますまずこんなのもインターネット
調べたら出てきますからいろいろそうやっ
て調べていくうちにまたその仏教という
もののねあの
広がりとか
色々な変容ねインドから
北方ルートと言われる中国に入って韓国
日本に伝わってきたという北方仏教北方
ルートを伝わってきた
北電仏教というのと
スリランカを経由して
ラオスとかミャンマーとかタイとかあちら
の方にこう広がっていたインドネシアとか
に広がっていった仏教何年仏教と言われる
もんねそれからチベットの方に入った
チベット仏教大きく分けるとその3つ
ぐらいにこう仏教のスタイルというのは
分かれてそしてその各地で各地の風俗とか
各地の文化っていうものを吸収しながら
仏教が変容していくわけですけどあのこれ
をやっぱり日本の中にいるとね
京都とか奈良ってこれまた素晴らしいん
ですけど
京都とか奈良っていうのは日本仏教の展開
の
様相なわけですね
けれども仏教というのは世界に行くと
こんな風に仏教っていうのが
こういう
風な
雰囲気なんだなとかにその
仏教というお釈迦様の教えがやはり
いろいろと
世界の各地に行くとですねその人々にとっ
ての受け入れられ方とかねその地の
元々
持っていた文化とかそれからその環境とか
風俗とかそういうものに影響を受けて
そしてそれはそれでそちらの独自の
仏教というスタイルがあ
るっていうそういう様子を見ることが
できるとねまあ本当にこのそれでもでも
仏教としてやっぱり共通しているその
お釈迦様の教えとしてねその中核はあると
いうところがね本当に面白いところなん
ですけど
ぜひ本当に仏教を
知る
仏教とは何かこれはもう本当ね日本にいて
頭で色々考えているよりもそうやって機会
があれば出かけていってお釈迦様を生まれ
になったところインドに行ったら
ごめんなさい今の何でしたっけ
インドの
ネパールですねネパールですねネパールに
も行けばルンビにの公園にも行けますしね
インドに行けばまた
インドの遺跡にも行けますしそしてまた
三蔵方針がね
勉強したと言われる
並んだ大学っていうのもその遺跡が残って
いますねなんか行くと本当に感慨深いです
よねやっぱり
わーってもう本当ただの
レンガのこう
積み重なったみたいな
感じのね
そういう
建物としてはもうないわけですけどその
土台部分が残ってたりするんですが
ここで
叶う三蔵法師がここが来て勉強なさったん
だなぁって思ったりねそうすると非常に
仏教の歴史を知ってそして仏教の遺跡を
巡ってきたりするとですね本当にいろんな
こと私たちこう感じることができると思う
のでねまたコロナが落ち着いたら
機会を見つけてね
ぜひ
さんとそういう仏教の遺跡を巡る旅なんて
いうのも行ってみたいなってそういう声が
結構あるのでそんなことも思っていたりし
ますまああのまあそんなことでね
余計なところを行きましたけれどもそう
浄土へということについてね
話を
少し最後したいと思います
浄土へですねちょうどへ
上映というのは
冒頭にも申しましてお釈迦様が悟りを開か
れた日なわけですね12月の8日でこの日
そのそれを
私たちねとても大事な日として
全国のお寺でこの浄土へというものをです
ねあの
まあ思い起こす
儀式というのは行われます
特にその全集計のお寺では
その
老初節と言って
12月1日から8日の日までずっとその
お釈迦様が
座禅をしてお悟りを開かれたということに
ちなんでですね
約1週間
ずっとこの座禅をするということが
行われてたりしますであの本当そうしてね
1週間もう本当
ずっと座り話です
ずっとさりっぱなし
ご飯をいただくのも
座ったままですねで
本当そんな
風にしてお釈迦様のついた件をしようと
いうことなわけですけどこれまた12月の
8日12月ですから寒いですしねまあ
足も痛いですし
結構皆さん苦しみながらそれを超えて1
週間終わった後ねようやっと
足を解いてそしてあの
朝日の
昇るのを見るとそうすると
わーってこの一週間の俺を成し遂げたな」
っていうね
気持ちになったりもするんですけどでも
このですねお釈迦様が悟りを
開かれたそして
ブッダとなられたわけです
お釈迦様が
ごうたま知ったるだという人が
悟りを開いて
ブッダとなられたブッダというのは
目覚めた人という意味なんですねでこの
悟りというのは
覚醒の核という字を書きます
悟るという字も2つあってねあの
子里編に数字の5を書いて口という悟ると
それからあの
目覚めるというこの
覚醒の核というですねでこの
目覚める方の
字がお釈迦様の悟りですねでこのお釈迦様
が悟りを開かれたということが
ブッダとなられたということがとっても
仏教にとっては記念すべきものすごく
大きな出来事なわけですけれども
でも
もっと大事なことはお釈迦様が
悟りを開かれた
後です
悟りを開かれた後この
自分の
至った
悟りこの
悟りの境地を
元にですね
人々にもまた
自分の
心の煩悩を離れて
安心を得るという
これをですね具体的な
ノウハウとして道しるべとして
人々に伝えたということが
仏教にとってとてもとても大きなことなん
です
正規の一大発見をなさった人が
これをですね自分の中だけにその発見を
とどめておくんではなくてそれを多くの人
たちにもまたお釈迦様のツイ体験をして
ですね
悟りを開くというかね自分の心を苦しみを
話し手放してそしてあの安心に幸福に
生きるというその
手ほどき道しるべを示されたって具体的な
ステップを示されたということが
仏教にとって
本当に重要なことなんですねさてお釈迦様
はこの菩提寺の元で悟りを開かれた後
しばらくこの地にとどまってそしてその
自分が悟りを開いたことの余韻に浸ってい
たと言われてます
けれども
7日間
自分の
じーっとこの状態をまた
味わいそしてその後少し
立って歩いて
離れたところから自分が悟りを開いたこの
菩提樹の木をじっと見つめて
7日間おられたと言われずなんか本当に
こう
不思議な感じなんですけどとにかくその
エリアにずっとおられてそして
7日目また次の7日目次の7日目次の7日
目そのエリアをずっと
歩かれたりいろいろそこになんか
名残惜しかったんでしょうかねあのずっと
とどまられてそして
けれどもこの教えをですね
誰かに伝えるということでそこで
梵天という神様が降りてきてですねお釈迦
様これを自分の中だけにとどめないで
多くの人たちに伝えてくださいということ
を言ってねそれに梵天のそのささやきと
言いますか
アドバイスの受け入れてお釈迦様は
人々にこの教えを説かれたというそんな
物語になってるんですけどこのまた梵天と
いうのはこれ
仏教の
神様じゃないんですね梵天というのは
ヒンズ教の神様ですでそういったねあの
梵天というものも
仏教の中に
取り込んでしまうっていうねいうことで
仏教というのはその
前のバラモン教であったりてねバラモン
教というものも取り込むバラモン教が後に
ヒンズ教になるんですけどそのバラモン教
を神様を取り込んであったりいろんなもの
を取り込んじゃったりしてねあの
仏教っていうのはお釈迦様はそれもね
梵天もまあ一つの
迷える
神様の
神様という迷える
生物の一つとして扱ってしまうというね
すごく大きく
既存の
宗教を飲み込んでしまうんですけども
それにしても
梵天に
どうぞお釈迦様これをねあなたの悟りを
人々に伝えてくださいということに
突き動かされてそしてそれを
かつての修行仲間に伝えるということなん
ですでもいずれにしてもお釈迦様はこの
悟りを開かれたそのブッダガヤの菩提樹の
もとをですね
ずっと離れなかったというふうにしてね
言われてますけれどもそこをついに離れて
そして
かつての修行仲間のところに向かっていか
れるわけですねでこのかつての修行の
カメラのところへ向かっていってそして
その
苦行を
共にした仲間たち
けれども苦行を捨てて
自分の肉体を極限まで痛めつけるという
ような修行を捨ててですねそしてこの
自分の
体をですね
痛めつけることをやめて自分の心に
向き合っていったでその
自分の体というのはですねもう本当ギター
の弦のようにですよ
張りすぎても張り詰めすぎても切れて
しまう
緩みすぎても音がちゃんとならないという
ことでこのねある
種の極に走るということは私たちの
心にとってね
必ずしも理想的なことではないと
言ってですね中度これが中道と言われる
気づきですね
そしてお釈迦様はかつての修行仲間の
ところへ行くわけですそうするとその修行
仲間たちはを
苦行をねついにこう諦めて堕落した奴が来
たぞということで最初相手にしないんです
けれどもそのお釈迦様のたたずまいやはり
こう悟りを開かれた人ですからこのお釈迦
様の佇まいというのがもうかつてのお釈迦
様とは全く違うわけですねでそのかつての
修行なんかもそれを見て気づくんですこの
人は違うとかつての私の知っているお釈迦
様と違うということに
例えば気づくんです彼らもやっぱり一生
懸命修業してますから
なのでやっぱり
一流であるからそこに気づいていくん
でしょうね
そしてお釈迦様は自分のこの
悟りの境地というものを人々に伝えるわけ
ですね
でこの
伝えた
内容というものねこれが書店ボーリン教と
いうお経の中に登場するわけですけども
これは書店降臨
初めてお釈迦様の教えがこの
後に弟子となる5人の人たちに伝わって
いった
仏教の教えというものがお釈迦様の教えが
これをですねまあ車輪に例えてですねその
思い
車がと
[音楽]
動き始めた
車輪が転がり始めたそこから
次の弟子次の弟子次の弟子という風にして
仏教が伝わっていくわけですね
さてこの5人の弟子たちお釈迦様の教えを
もう貪り聞いたと言われていますそして
またお釈迦様も自分のこの
悟りに至ったその
境地を持ってしてですねそして
苦しみの手放し方ということを説かれるん
ですでこれが
主体発症度と言われるものですねお釈迦様
はお悟りを開かれたでその悟りを開かれた
内容をですね
他の人たちにもつい体験ができるようにね
自分ができたんだから
みんなもできるよということでじゃあどう
いう風にしたらこの苦しみの手放していく
ことができるのかそして安心に生きること
ができるのかその具体的な
ステップっていうものを示されたわけです
ね具体的な方法をね
これがしたい発症度と言われるものです
隠してお釈迦様の教えがお釈迦様の中だけ
ではなくてその
弟子たちに伝わっていくでこの
弟子たちがまた
悟りを開いてそして
新たな
弟子たちというのがどんどんそこでできて
くる
でこの弟子たちがですね60人ぐらいに
なった時に悟りを開いた
開いたですねアラハンという言われる
悟りを開いてもう二度と戻らないつまり
このちょっと
悟ったかなと思ったらすぐ戻ってしまう
こういう状態ではなくてもう
完全に悟りを開いてそして
自分の自我というものを打破してでその
アラハントなったという弟子たちが60年
60人できた時にお釈迦様が言うんです
意見と
どうしたらです
お釈迦様の下でお釈迦様を支えながら一緒
に
修行をしましょうではないんです
お前たちは意見と
そうやって
悟りを開いた60人のアラハンたちが
各地へ散っていって
仏教が広まっていくわけです
さてその教えがお釈迦様はお亡くなりに
なった後またねいろいろなその
インドの中ではまた時代が変わっていくん
ですねまあお釈迦様はお亡くなりになった
後
圧勝かをという
王様が現れて
非常に仏教に経営をしてですねこの仏教が
広まっていくというお手伝いをするわけ
です
隠してですねそのインド
のですね
制したあの
広大なインドを制した
足を顔が
仏教に対して非常に寄与したことによって
ですね
仏教がインド全土に広まっていくんです
そしてこのインドという広大な国を統治し
た足岡を尊敬した
当時のスリランカの
王がですね
足を顔にぜひ
王としてのね
心得を
聞きたいということでお手紙を送るわけ
ですね
そしたらその
足を顔が
王としてのこの
心得とともに
仏教を
ぜひあなたも取り入れなさいということで
スリランカに仏教が伝わっていくんです
で一方でこの仏教というのはこの
インドの上のヒマラヤ山脈があるんです
けどこのヒマラヤさん学の脇を通って
中東につながっていく脇を通ってそして
中国方面に
入っていくんですこれが北電の仏教なわけ
ですけどいずれにしてもお釈迦様がお
亡くなりになった後にこの仏教というのが
どんどんまたインドも足を顔がその後この
気づいた
王国というものはねその後また中東の方
から
とっても強い人たちが入ってきてですね
イスラム教の勢力とかそういったものに
こう
脅かされてそして
インドの中ではほぼ仏教は壊滅状態になっ
てしまうんですね
けれども
足を顔がそして
インド全土に仏教を
広めていったということも手伝ってですね
これがまた外国へ
スリランカであったりとか中国であったり
という方向へ方面へ
仏教が伝わっていっていたので
インドでもし仏教がとどまっていたら今
私たちはこうしてお釈迦様の教えという
ものを
聞くことはできなかったでしょうね
けれどもお釈迦様がこの
60人のアラハンたちにいやもっと手前
お釈迦様ご自身の
悟りを開かれたその悟りをそしてその教え
を
弟子たちに伝えたその弟子たちがまたその
弟子たちに伝えたそうやって2600年前
から脈々と
受け継がれてそして今日私たちがこうして
ね今日も私もこうやって待遇同情という形
で皆さんにお釈迦様の
悟りの話をすることができるというのは
ですね
本当にこれ
ものすごいことだなと思ってるんですよ
もう今非常に自分が勝手にこんなあの
役割と機会といただいているということに
非常にこうそれをまた感謝してるんです
けど
でもいずれにしてもねこの仏教はまだまだ
でもこれで終わりではないんですこうして
待遇道場を通じて皆さんにその仏教が少し
でも伝わっていくそしてその皆さんがまた
その伝わった仏教というものを自分の生活
自分の人生に何かしらこう生かして
ご自分の生活の質というものを
向上させていただくで皆さんがその仏法を
聞いて少しでも苦しみを手放してその顔が
和らいでそしてそのありようが
穏やかになってそして
自費心と知恵と仏性に満ちた人になった時
にはなんだかわからないけども皆さんの
周りにまたなんか素敵な人ですねって言っ
て皆さんが関わってきていただく
そんなことが広がっていくことによって
本当にその世界の平和っていうものが実現
していくんではないかというような夢物語
を抱きながら
待遇道場を行ってきたわけですけれども
残りね
前半5分となってしまったんですけれども
あの今日は
浄土へということにちなんでまあこれまで
も話したことがあったかもしれませんが
改めて12月の8日はお釈迦様のお悟りを
開かれた日浄土絵ですよとそして
悟りを開かれたお釈迦様が
初めて
自分の悟りの境地を弟子たちに伝えたその
弟子たちに伝えた教えの内容こそしたい
発症度であったということ
そしてまたこの時にお釈迦様の教えを
聞き漏らすまいと5人の弟子たちがですね
ずっとお釈迦様の教えをですね
その昼夜問わず一生懸命聞いてその吸収
しようとしたでこの時にお釈迦様は
当然
門ストップでお話しなさるんでしょうね
でこれをですねやっぱり当然みんなもご飯
を食べなきゃいけないわけですからお釈迦
様の教えを聞きながらこの5人の
後に弟子となるかつての修行なんかも達は
ですね
例えばじゃあ2人は
托鉢に行ってお食事をいただいてきて
くださいと
残りの3人が聞いている
そして
次はこの
托鉢に先に行った2人がお釈迦様の話を
聞いて
残りの3人が
托鉢に行くみたいな形でもう交代交代に
お釈迦様の話をずっと聞き続けながら
でもこのお釈迦様の教えを聞き
修行するという
スタイルがそこでできていくんですこれが
サンガの始まりだと言われていますいずれ
にしてもこの
仏教とは何か私たちが行き詰まった時に
このねやっぱり原点
原点っていうところに常に立ち戻っていく
と
お釈迦様の教えというのはそういうこと
だったんだ仏教っていうのはそういうこと
だったんだということが見えてくるわけ
ですね
さてということでね
浄土へ12月の8日お釈迦様が
悟りを開かれた日だとそしてこの
悟りを
悟りを開いて
同じように私たちもまた
自分の心を清らかに保ちつつ
苦しみを手放してそして安心に生きるその
ための私たちの
心の習慣
言葉の習慣行動の習慣それから日々の生活
仕事
そういったことを全部
細かくですねこのそれぞれの指針を
示されたこの
発症度というものまたこれが面白い
これが奥深いんです
でこれがですねこのやはりこのニコニコ
チャンネルでのねあるいはYouTube
での今の待遇道場ではやっぱりやりきれ
ないので今全国を回ってですね
待遇道場という形で
行っていっているわけですでそこでは
まさにこのお釈迦様の死体発祥堂の発症度
を
深く入ってそして
まさにこのお釈迦様が私たちも同じように
自分の心の苦しみというものを手放して
少しでも安心に生きられるように
その
稽古これが
待遇
同情
ということでねちょっと前半これで一旦
休憩をとってまた
後半に
移行しようと思うんですけれども
前半また後輩にもお知らせいたしますが
本年最後の
待遇道場が
北九州にて行われますもうまだ募集はもう
残席が
限られているんですけどもまだ
募集期間が続いているということでですね
あのもし
待遇道場
参加なさるという方来られるという方が
あれば
本年最後の
待遇同士を北九州でお会いしましょう
それでは
5分ですね
9時5分から
後半スタートいたします
前半はこれにて
終了いたしますどうぞ皆さんお手洗い行か
れたりとかあったかい飲み物を飲まれたし
てぜひ体を
リラックスさせてまた5分後にお会いし
ましょう
[音楽]
[音楽]