0:00:06.826,0:00:09.884 歴史上で最も裕福な人物はと聞かれたら 0:00:09.884,0:00:11.452 誰だと答えますか? 0:00:11.452,0:00:13.828 億万長者の銀行家や大物企業家 0:00:13.828,0:00:16.727 ビル・ゲイツや[br]ジョン・D・ロックフェラーでしょうか 0:00:16.727,0:00:20.640 アフリカの王 ムーサ・ケイタ1世はどうでしょう? 0:00:20.640,0:00:24.105 14世紀にマリ帝国を統治した 0:00:24.105,0:00:26.719 マンサ・ムーサ [br]別名 『王の中の王』は 0:00:26.719,0:00:29.409 その蓄えた財産により 0:00:29.409,0:00:33.099 人類史上最も豊かな人物の一人です 0:00:33.099,0:00:37.442 しかし 彼の莫大な財産は[br]彼の豊かな伝説の一部に過ぎません 0:00:37.442,0:00:40.674 マンサ・ムーサが即位した1312年 0:00:40.674,0:00:44.436 ヨーロッパの大半は[br]飢饉や内戦に苦しんでいました 0:00:44.436,0:00:48.519 しかし多くのアフリカの王国や[br]イスラム世界は繁栄をしており 0:00:48.519,0:00:52.527 マンサ・ムーサはその繁栄の果実を[br]彼の領地にもたらすことに 0:00:52.527,0:00:54.684 大きな役割を果たしました 0:00:54.684,0:00:57.541 都市トンブクトゥを戦略的に併合し 0:00:57.541,0:01:00.815 さらにガオまで影響力を回復し 0:01:00.815,0:01:03.545 彼は地中海から[br]西アフリカ沿岸に繋がる 0:01:03.545,0:01:07.074 重要な交易ルートを支配したのです 0:01:07.074,0:01:12.213 マリ帝国は拡大を続け[br]飛躍的に大きくなりました 0:01:12.213,0:01:16.227 マリ帝国の領土は 0:01:16.227,0:01:18.356 金や塩などの[br]天然資源に富んでいました 0:01:18.356,0:01:22.855 マンザ・ムーサの富を[br]世界が最初に目にしたのは 0:01:22.855,0:01:25.516 彼がメッカ巡礼を行った[br]1324年のことでした 0:01:25.516,0:01:27.376 限られた予算内で巡礼するのではなく 0:01:27.376,0:01:31.170 彼は目で捉えられないほど長く伸びた[br]キャラバンを率いていたのです 0:01:31.170,0:01:34.952 この旅行の予算は口頭伝承や 0:01:34.952,0:01:36.647 いくつかの異なる記録によるため 0:01:36.647,0:01:40.223 正確に知ることは困難です 0:01:40.223,0:01:44.750 しかし 途方もないスケールの[br]遠征であったことは多くの人が認めています 0:01:44.750,0:01:48.664 年代記の編者によれば[br]キャラバンの随行員は何万もの兵隊 0:01:48.664,0:01:49.884 市民 0:01:49.884,0:01:51.074 奴隷からなり 0:01:51.074,0:01:55.114 500人の使者は金製品を運び[br]上質な絹をまとっており 0:01:55.114,0:02:00.039 多数のラクダや馬が[br]大量の金の延べ棒を背負っていました 0:02:00.039,0:02:02.058 カイロなどの街に立ち寄ると 0:02:02.058,0:02:05.524 マンサ・ムーサは大量の金を使いました 0:02:05.524,0:02:08.187 貧者に施し お土産を買い 0:02:08.187,0:02:11.400 時には通り道で[br]モスクを建設したりしました 0:02:11.400,0:02:15.455 彼の支出は地域経済を不安定にし 0:02:15.455,0:02:18.147 大規模なインフレーションを起こしました 0:02:18.147,0:02:22.660 その旅は1年以上もかかったと言われており[br]マンザ・ムーサが戻ってくる頃には 0:02:22.660,0:02:27.584 彼の驚くべき富の話が[br]地中海沿岸の港に広がっていました 0:02:27.584,0:02:31.285 マリ帝国とその王様は[br]ほとんど伝説の域に持ち上げられ 0:02:31.285,0:02:36.307 1375年のカタロニア地図に[br]描かれることで地位を不動にしました 0:02:36.307,0:02:39.857 中世ヨーロッパの[br]最も重要な世界地図の1つで 0:02:39.857,0:02:44.589 笏(しゃく)と輝く金塊を持った王として[br]描かれたのです 0:02:44.589,0:02:49.848 マンサ・ムーサは 彼の帝国と彼自身を[br]文字通り地図の上に残したのです 0:02:49.848,0:02:52.963 しかし 物質的な富だけが[br]彼の関心ではありませんでした 0:02:52.963,0:02:56.782 敬虔ななイスラム教徒として[br]トンブクトゥに特に関心を示しました 0:02:56.782,0:03:01.861 彼が併合する前から[br]宗教や学問の中心地だった場所です 0:03:01.861,0:03:03.853 巡礼の旅から戻ると その地に 0:03:03.853,0:03:06.513 彼は 壮大なジンガリベリ・モスクを 0:03:06.513,0:03:09.820 アンダルシア人の[br]建築家の力を借りて建設させました 0:03:09.820,0:03:14.461 さらに 大きな大学を作り[br]都市の名声をさらに高め 0:03:14.461,0:03:18.941 イスラム世界全体から[br]学者や生徒を集めました 0:03:18.941,0:03:22.116 マンサ・ムーサの統治下で[br]帝国は都市化しました 0:03:22.116,0:03:26.517 人でにぎわう何百もの街に[br]学校やモスクができました 0:03:26.517,0:03:29.315 王の豊かな遺産は[br]何世代にも渡って引き継がれ 0:03:29.315,0:03:33.015 マリの歴史の黄金期の証拠として 0:03:33.015,0:03:38.051 霊廟、図書館やモスクが[br]今日に至るまで残されています