私は 父が母の頭に
拳銃を突きつけたことを覚えています
母は父に拳銃を下ろすよう
懇願しましたが
父は聞きいれませんでした
ドアへ駆け出す母のすぐ後を
父は追いかけ
母がドアの外にでると
父は拳銃を一発発射しました
私は12歳でした
その時のことは
コマ送りのように良く覚えています
ぼう然としていたことも
孤独を感じていたことも
幸いにも銃弾はそれましたが
私の家族は全く違ったものに
なってしまいました
私も全く違った人間に
なってしまいました
何度も別れと復縁を繰り返す
両親の関係が
自分にどのように影響するか
当時はわかりませんでした
でも両親のような夫婦関係はいやでした
私はもっと違った人生を送るつもりでした
数年後 あなたに出会った時
心を奪われました
私たちの関係は誰にも
邪魔されないものとなりました
あなたはまるで 私のためだけに
生まれた存在のようでした
私たちは永遠に
一緒だと思っていました
しかし 私たちも
両親と同じ問題に苦しみ
およそ9年間 生活を共にした後
私たちは別れました
息子のセイクーは
もう生まれていました
まだ3歳でした
あまりに幼くて 状況が十分理解
できなかったのですが
理解している部分もありました
お母さんとお父さんが
同じ家に住まなくなることを
離婚は私にとって
耐えられないものでした
しかし 私は決めたのです
自分のつらい気持のことよりも
セイクーにとって一番になることを考えようと
「コペアレント(共同育児者)」として
新しい生活を導こうと腐心しました
私は自問自答しました
愛しい息子を 好奇心と希望に溢れ
元気いっぱいに育てるのに
夫婦としてうまくいっていない
私たちはどうすればよいのだろう
私が出した答えは単純なものでした
私の選択肢は恐怖
つまり孤独でいる恐怖や
認知されない恐怖を選ぶか
愛を選ぶかでした
私は愛を選びました
つまり 父親としての
あなたの良さを見ること
父親としてのあなたの良さを
見ることを意味します
父親としての悪い所は
見ないということです
つまり 自分を後回しにしてでも
セイクーを常に一番に考えることです
私の両親が色々と
私たち兄妹のために
苦労してきたことを知っています
その努力には 感謝はしていますが
両親にはそうしてほしくなかった
私は嫌なことも
たくさん見聞きしました
セイクーには
同じ思いをさせたくなかった
私はセイクーに
両親が一緒にいることの意味や
二人三脚で頑張ることの意味を
知ってほしかったのです
セイクーに知ってほしかった
真の愛の姿を
愛は寛容であり 愛は情深い
愛はいらだたない 恨みをいだかない
悪を喜ばないで真理を喜ぶ
愛はいつも守り
信じ 望み 耐える
1983年
僕が11歳の時でした
父と地下室にいたことを
覚えています
デトロイト東部にある自宅でした
父がアルバムを
青と薄オレンジ色の箱に
涙を流しながら詰めていたのを
見ていました
その直前に
父と母が
僕たち兄弟を座らせ
自分たちは別れると言ったのです
その30年後
気が付けば僕は涙を流しながら
自分の持ち物を荷造りしていました
エボニーと僕が出会ったのは
19年の刑期に服している時でした
4年の間
手紙や電話や面会を通じて
我々が気づき上げた絆は
揺るぎないと信じられるものでした
我々は世の中の仕組みとも戦い
親と同じ過ちを
繰り返すまいと思っていました
彼女は詩人で
僕は物書きでした
彼女は博士号を持つ才女で
僕はイケメンでした
高卒の
(笑)
我々は奇跡を起こしたのです
ずっと続くと信じていた
奇跡を起こしたのです
しかし 残念ながら
刑期を終えると我々の関係は
終りに向かっていました
心的外傷後ストレス障害
刑務所に入る前からのトラウマ
彼女と付き合うことの重荷
人付き合いの未熟さ
そういうことで
塀の中で我々が起こした奇跡は失われました
そのすべての中心にいたのが
我々の愛しい息子でした
息子を初めて家に連れて帰った時を
覚えています
とても興奮しました
我々は協力し合いながら
お互いに助けあいました
君が夜勤の時は
僕が午前勤務をして
信じられないほど順調でした
でも すべてが変わったのです
ある朝 君はとても興奮ながら
入ってきてこう言いました
「また仕事ができるのよ」 と
「わくわくしないの?」 って
僕は「そうだね 有頂天な気分さ」 と
(笑)
「これほど嬉しいことはないね」 って
でも心の中は不安でした
でもそうは言えずに
代わりにこう言いました
「今日も一日頑張ってね 」 と
君は出ていき
僕はセイクーと二人っきりに
その時のことを
今はこう理解しています
親が共存するのに必要な
信頼関係を育んでいたのだ と
君は僕らのかけがえのない存在を
僕に任せてくれたのです
いわゆる子育てを始めるための
大切な土台を 君は築いてくれていたのです
親の離婚が どんな影響を及ぼすのか
分かっていたので
私たちがとても敏感になっていたのは
離婚がセイクーに与える影響でした
とても悩みましたが
進む道は見つかりました
セイクーにこう言ってもらおうと
私たちが世界で最高の両親だと
私はセイクーから
そう見られたいのです
まず私たちは ある選択をしました
敵対者ではなく同志として
コペアレントになる選択です
子育ての悪いパターンが
何度も何度も繰り返されるのを
断ち切り
子供という最も大切なものを
両親が見失わないためです
両親の関係悪化が
障害となることもありますが
結局 私たちは
同じチームの一員なのです
「チーム・セイクー」 なのです
正直言って
私たちの関係は普通ではありません
多くの人には理解しがたいものです
私たちは親としても人としても
完璧ではありません
ですが セイクーの人生での
各々の役割には誇りをもっています
私たちの親が
許してくれなかったことを
息子には何でもやらせています
私たちの恐怖心を
息子の足かせにはしません
森羅万象や外界との関連性について
好奇心をそのまま育ててゆきます
私たちが疲れて
帰って来た時のことです
セイクーが外で
水たまりを見つけました
泥だらけの水たまりです
頭のてっぺんからつま先まで
リーバイスのおニューを着ていました
泥だらけの水たまりを見つけ
手を伸ばしました
その水たまりに触ろうとしているのを
私たちはずっと見ていました
「ダメ」 と言いたい気持ちを押し殺し
むしろ スコップを渡して
大地の恵みを感じさせました
そして気が済むまで遊ばせました
泥遊びを徹底的に楽しみました
(笑)
私たちは気づいたのです
洋服は洗うことができる
泥はお風呂できれいに
落とすこともできる
けれど その瞬間の喜びや
感触
そして息子が
経験したことのないことへの驚き
これらは 洋服や洗えばとれる泥以上に
貴重なものだったのです
私たちは子育てについて
何が正しく何が間違いかを考え続けています
日々セイクーに試されています
息子がソファーに登って
服を着たり 靴を履くことも
許しています
店の中を走り回ってもです
私も走り回りますが
そして他のママからは
凍り付くような視線を浴びています
子供は外ではおとなしく行儀よくすべきと
考えるママからの視線です
私はお叱りを受けることもありますが
あまり気にしていません
なぜなら 結局
私たちの仕事は人生という旅で
セイクーを縛ることではなく
導くことだからです
私たちはセイクーが 世界のどこかに
自分の居場所を探す手助けをしています
最高の才能を見つけ出すために
生まれた意味を探し出すためにです
黒人の喜びを蔑む世の中で
一人の自由な黒人少年を育てています
世の中にすでに存在する枠を
セイクーには 当てはめません
我々の子育ては
コインの裏表の例えに
似ているといわれます
片方は
社会で黒人の子供を育てる現実として
黒人少年 黒い肌 黒人の命が
損得勘定でしか見られないことです
もう片方は
離婚した両親としてのあり方で
共に生き 支えあい
お互いを大切に想い
人前で愛情を示すことです
それは 息子との関係を
誇らしく思うのと同じようにです
そしてもっと大切なのは
どんなに危機的な状況でも
お互いを支え合う力です
こんなことがありました
僕がセイクーを
迎えに行ったときのこと覚えている?
セイクーは小学1年生でした
僕が歩いていると
一人の親御さんが寄ってきて
「シャカさん
昨日の夜 CNNでオプラ・ウィンフリーが
あなたにエールを送っていたよ」 って
オプラはめちゃくちゃ興奮していたと
僕はとても腹が立ちました
なぜなら その親御さんから他の親御さんへ
話が伝わったらどうなるのかと思ったからです
さらに他の親御さんへ伝えられ
親御さんたちが
僕のところにやってきて
第二級殺人で
服役していたことを知るのです
そして子供たちも
事実を知ることになるのです
子供たちは学校で
セイクーにこう言ことでしょう
「お前の親父は人殺しだってな」
セイクーが走っていくのを眺めながら
エボニーに連絡しなければと思ったのでした
電話で状況を話したところ
「とにかく話をして」と言われました
セイクーを家に連れて帰り
寝る準備をさせ
我々は30分ほど話をしました
刑務所に行くことになった理由を話し
息子の意見に耳を傾けました
それから母親が祈りを捧げる
夜の儀式をできるように
セイクーの母親を呼び
次に僕が誓いの言葉を述べます
セイクーをきつく抱きしめたことを
覚えています
毎晩の誓いの言葉の大切さに
気付きました
僕はその言葉を人生の
道しるべとして見なし
特に厳しい世の中で
親が子供を守るための
また子供に力を与えるための
試金石として見なしています
我々にとって コペアレントは
学校の送り迎えや
お遊び会の設定
どんな洋服を着させ
何を食べさせるか
そういう段取り以上の
意味のあることです
我々にとってコペアレントとはお互いを
助けながら重荷を背負い
重荷をおろし
息子の素晴らしさを誇ることで
世間に存在感を示すことなのです
我々が誓いの言葉を述べる理由も
ここにあります
私たちがここに来ることなど
思いもしませんでした
しかし ここにいます
セイク-とお互いのために
ここに来てお話ししたことが
コペアレントの
成功例になることを願っています
今日は皆さんを誓いの言葉を述べる
夜の儀式に招待します
シャカとセイクーが
いつも就寝時に行っている儀式へ
来た来た
(拍手)
私は素晴らしい
私は最高だ
私は最強だ
私は思慮深い
私は親切だ
私は愛情に満ちている
私には思いやりがある
私にはユーモアがある
私は賢明だ
私は大人だ
私は兵士だ
私は戦士だ
私はセイクーだ
(歓声と拍手)
頑張ったね