去年 私たち家族は タージ・マハルに行くことにしました 素晴らしい旅行でしたし いつだって 家族とどこかに行くのは 楽しいものです 家族がそれほど頻繫に 集まれない場合は特に なぜなら 私たちは 世界各地に 住んでいるからです 沢山の城砦や古い建物のそばを歩き それは素晴らしいものでした 時には立ち止まり 雰囲気を味わい 辺りの美しさを満喫しました 興奮が徐々に 高まっていくのを感じました ついにタージ・マハルに着いたとき 私たちは中に入りたくて興奮していました ですので 早く列に並び カウンターにたどり着いたのですが 言われた値段が 間違っているように思えたのです 私がそのことを訊いても 料金表を指さすだけでした そこで その人にこう言いました (ヒンディー語) 「お兄さん 私インド人なの どうして 外国人だと思って ぼったくろうとしているの?」 (笑) 皆さんこんにちは シルヴィアと申します  私はインド人です 私の子どもの頃の話と インドで育つとは どういうことかをお話しします これは 私の話です おそらく 私のような1万2千人の インドで育った 中国系インド人の話ともいえます 私が育った インドのチャイナタウンは 皆さんが ほかで見かける チャイナタウンとは違い レストランや 小さな中国物産店とかはありますが 主に工業都市なので あちこちに 皮なめし工場が沢山あります 行ったことある人ならわかりますよね 塩漬けにした生皮の匂いがしてー 良い匂いとは言い難いですけど そんなツンとする匂いが 私の故郷なんです 故郷のチャイナタウンは タングラと呼ばれています そこでは生皮を 加工するだけではなく 靴 ベルト ジャケット エプロンに使う革も 製造しています ですから いつか 私を靴屋さんで見かけて 靴を持って 自分に近づけたり 撫でたり匂いをかいだりしていても それは故郷を 懐かしんでるだけですからね (笑) それで インドで育ったわけですが チャイナタウンの中には学校があり そこで 私は学びました 生徒のほとんどが中国人だったので 友達のほとんども中国人でした 実を言うと 中国人の友達しかいなかったんです 短期大学を出るまでは それから大学に行くことになって チャイナタウンを出ました 自分を守ってくれる 安全な場所からです そして そこでたくさんの友達がー 中国人以外の友達ができました すごく仲の良かった 女友達がいたんですが 私の親友で 最初の中国人以外の友達です その子が私を家に招いてくれたんです 車で迎えにきてくれて 家に着くと カルカッタの反対側にあるような 家だったんですが 私をリビングに招き入れて 座らせて ジュースを持ってくると 走っていってしまいました すごく変だなと思いました ここに一人で 一体何をすればいいの? すると外が騒がしくて その子がベンガル語で こう言ってるのが聞こえました 「ねえおばさん 急いで! リビングに中国人の子がいるの 絶対会ってね」 (笑) まもなく 大柄で貫禄がある 3人のおばさんが部屋に入ってきました まもなく 大柄で貫禄がある 3人のおばさんが部屋に入ってきました 少し怖かったのですが おばさんたちは私の隣に座ると 私の腕を撫ではじめて 互いにこう言ったんです 「まあ 陶磁器のお人形みたいね!」 (笑) そのときの気持ちは あまり覚えていません 注目されるのが楽しくて ある種 面白かったです ですので とても嬉しかったです でも同時に 少しがっかりしました なぜなら 気がついたからです その子にとって 私はお飾りの友達だったのだと でも まんざらでもなかったんです インドで 中国人でいることの 特権を味わっているのでー 私はいつも 外国人に間違われます ですので 郵便局や駅で 長い行列に並ばなくて済みます 時には入国審査でも 私はインド系ではないので 先に行かせてくれます まんざらでもないですね 私は中国人で インド人で 一人の人間でもあるので レッテルを貼られたくないんです 中国人 インド人 中国系インド人 ロジャック 私はシルヴィア それにほら!ヒンディー語と 標準中国語が話せるので 私は世界人口の半分と 話せることになりますね (笑) ご清聴ありがとうございました (拍手)