数学についてお話しましょう みなさん数学は大好きですよね? そうでもない? みんながみんな数学が 好きではない事は分かっています 正直に言って 数学が嫌いな方はこの中に どれくらいいらっしゃいますか? そんなには多くない いいですね 実際に数学を嫌っている多くの人が 数学って数のことだろうとか 計算や公式とか そういうつまらないものの事だ と思っているようですが 本当はそうじゃないんです ひとつ面白い話があります 19世紀にエルンスト・クンマー という偉大な数学者がいました 彼はとても有名な数学者で 今では 彼は「整数論の父」 と呼ばれています しかし彼は簡単な計算が そんなに得意ではありませんでした ある時 授業中に 7×9の計算に行き詰まりました 7×9ですよ 黒板に書きながら 「7×9は?」 1人の学生が「61です」 別の学生が「69です!」 と答えました そこでクンマーは 「君たち 落ち着いて考えなさい 61か69の両方であるわけがない どちらかであるはずだ」 この話おもしろいはずなんですが・・・ これは有名な笑い話なんですが 全ての数学者が数を扱うのが 得意なわけではないんです 彼は有名な整数論の… どうも ありがとうございます 数学は数だけの世界ではありません 実際 僕は数について触れずに 数学について何日間でも お望みならば一週間でも しゃべり続けることができるでしょう 毎日新たな定理が証明され 新たなアイデアや概念が創造されています 数学は完全に終わりのない 閉じていない創造行為なんです そういう意味で 数学は音楽に似ています 例えば 何がかっこ良く何がイケてないか 数学ではそれが時代や 文化で変わっていきます 例えば ある人は圏論を 最もかっこいいと思い— 「圏論」という言葉は 聞いたことがないかもしれませんが— 中には「集合論」ほどセクシーな 数学はないと思う人もいます ある国では具体的な数学を 得意とする人が多く ある国では抽象的な数学を 得意とする人が多いことがあります 数学は 皆様が思い描いているほど 自由が利かないものではないんです 数学と音楽の間では決定的な違いとは 音楽の世界には素晴らしい作曲家がいて 曲を創造します と同時に 素晴らしい演奏家が その曲を演奏します それでバッハやベートーベン モーツアルトなど 偉大な作曲家の美しい音楽が聞けます でも それらを今聞けるのは 偉大な演奏家たちがいるからです グレングールドやヨーヨーマなど 他の全ての演奏家たちが 音楽を演奏して初めて 私たちはその音楽に アクセスできるのです でも数学の世界では 残念なことに すばらしい作曲家がいて 毎日たくさんの新しい数学が 創造されているのに 誰もその数学を演奏していないのです なので 美しい数学の世界に アクセスできるのは プロの数学者に限られてしまいます 僕はこの状況を少しでも変えたいのです 実際 僕は3年ほど前から 「数学の演奏会」というのを始めました ここのようなホール レストラン お寺などの場所で 僕は数学のことを話し そこへは数学者ではない方々が 数学を「聴きに」いらっしゃいます 僕は もちろん僕だけでなく より多くの人が「数学の演奏会」を開いて 美しい数学の世界を 数学者でない人に知ってもらいたい と思っています では 話を本題に戻しましょう 数学は数だけの世界ではない と言いました では数学とは何なのでしょう? 数学は日本語で「SUGAKU」と表されます 「SU」とは数を表わし 「GAKU」とは学習を表わします つまり「SUGAKU」とは 数を学ぶものであると 僕はこの訳があまりいいとは思えません というのも この訳では数学は 数についての学問なのだ という印象をもってしまうからです しかし「数学(mathematics)」 の本来の言葉はギリシャ語で ta mathemata という言葉でした ta mathemataの意味は 「我々が『つかみ取る』 ことによって得られるもの」 ただ 通常の「つかみ取る」 という意味ではなく 我々がすでに持っているものを 「つかみ取る」という意味です 普通「つかみ取る」という単語は 我々が持っていない何かを 「つかみ取る」という意味です でも ta mathemataとは 我々が何か手に入るものを「つかみ取る」 でも「すでに得ているもの」 をつかみ取るという意味です ちょっと難しい概念ですが 言い換えると 数学の元々の意味は すでに持っているものを「つかみ取る」 すでに知っているものを 「知る」ということです それはどういうことなのでしょうか? 日本人の数学者で岡潔という人がいます みなさん このプレゼン後も 是非この名前を覚えておいて下さい 彼はここ京都に住んでいたこともあります 世界で最も知られた 日本人の数学者の1人です 岡潔はあまりにも偉大過ぎて ヨーロッパでは「OKA」という名前は 数学者グループの名前だと思われていました 彼らは「岡潔」の全ての仕事を とても1人で成し遂げたと思えなくて それを1人でやったとは信じていませんでした 岡潔は偉大な数学者であっただけでなく 彼は偉大な思想家で哲学者でもありました 彼は数学についての 示唆に満ちたエッセイや言葉を いくつも残しています 特に彼が繰り返し言っていたのが 数学は自然数の最初の数字「1」について 何も説明することができない 確かに数字というのは数学の中で 最もシンプルな概念のひとつですが でも もしあなたが 「なぜその最初の数『1』は存在するのか?」 「最初の数『1』というのは何か?」 これをどんなに数学的に論理的に 頑張って説明しようとしても あなたは決してそれを 説明することはできないし 決して証明することもできない 「1」という存在や最初の数 「1」が何であるかを 我々は単にその存在を信じるだけなんです そして その信念は根拠のないものに 支えられています この信じる心の力が無ければ 数学というのは全く根拠のない 無意味なものになります 最初に数学とは「数字」であり「計算」であり または「論理」であり と思えたかもしれませんが でも「計算」や「論理」の奥深くには それを支える広大な心の領域があって 計算や論理を下から支えているのです なので数学の中心には 数字や論理や計算があるのではなく 我々の心に巨大な 広がりを持つ世界があるのです 岡潔はそれを「情緒」と名付けました 「情緒」という日本語はとても難しい言葉で 僕はしばらくこの「情緒」という日本語に ふさわしい英語の訳を しばらく考えてみたのですが 残念ながら ふさわしい言葉が 見つからなかったので ここではこのまま「Jocho」 と呼ぶことにします 岡潔の言葉を借りれば 数学は数や計算や 論理についての学問ではなく 数学とは「情緒」についての学問である それは私達の心の内側を 覗き込む行為そのものの事であり 自分自身の心に出会う行為のことです 自分自身の内にある豊かな世界 つまり「情緒」に出会うことである それで もし数学をしたいと思ったら なにも難しい問題を 解こうとする必要はありません まだ誰も証明したことがない定理を証明しよう そんなことを思う必要もありません 簡単な問題で構わないので その問題に集中し 自分自身で考えてみることです 決して答えを見たり ごまかしてはいけません 自分の頭でそれが分かるまで 徹底的に考え抜いてみる事です ただ それには忍耐力が必要です そしてそれに集中し続けること ひとつの問題に忍耐強く 集中し続けることが大切です そのような心の状態を 辛抱強く耐えていると 自分自身の心に 再び出会うことになるでしょう もしあなたが幸運であれば 「情緒」の海で泳いでいる 自分自身に出会うでしょう 機会があれば 是非みなさんもやってみて下さい 今回は数学についての ごく短いプレゼンテーションだったのですが 伝えたいメッセージはただ1つです 数学とは数だけの世界でなく 計算だけの世界でもなく 論理だけの世界でもありません 数学とは自分自身の心の内側を 覗き込んでいく行為のことであり その過程で自分の中にある 広がりを持った「情緒」の海で 自分自身に出会うという体験 そのもののことである そういう意味では あなた自身も含めて 誰もが数学者になれるのです ありがとうございました (拍手)