思考実験をしてみましょう
そう遠くない将来
自動運転車に乗って
幹線道路を高速で走っていると
周囲を囲まれた
状態になりました
突然 前を走るトラックの荷台から
重い大きな荷物が崩れ落ちてきました
ブレーキを踏んでも
衝突を避けられません
とっさに判断する
必要があります
まっすぐ進んで
荷物に突っ込むか
左によけて
SUVにぶつかるか
右によけて
バイクにぶつかるかです
自分の安全を最優先して
バイクにぶつけるべきか
たとえそれが 大きな物への衝突で
自分の命を犠牲にすることになろうと
人様の安全を優先して
よけずに直進すべきか
中間を取って
乗員の安全性が高い
SUVにぶつけるべきか
自動運転車はどれを
選択すべきでしょう?
このような状況下で
人が車を手動で運転していたなら
いずれの反応をしたとしても
熟慮の上の決定ではなく
単なる反射的行動として
受け取られるでしょう
パニック状態での本能的行動であって
計画性や悪意はなかったと
しかし その同じ行動が
もしプログラマーによって
将来起こりうる状況への反応として
あらかじめ車に組み込まれていたとしたら
それはむしろ計画的殺人のように
見えてきます
公平を期して言うと
自動運転車は運転から
人的なミスを取り除くことで
交通事故や死者の数を
劇的に減らすと
予想されており
その他にも様々な
利点があります
道路の混雑を緩和し
有害ガス排出量を減らし
非生産的でストレスのある運転を
人間がする時間を最小限にできます
しかしそれでも
事故は起こり得
事故が起こった時
その帰結は
何ヶ月も あるいは何年も前から
プログラマーや政策立案者によって
定められていたものだった
かもしれないのです
そして中には
難しい決断もあるはずです
基本的には
「被害の最小化」のような
一般原則に基づいて
決められるかもしれませんが
それでも倫理的に不透明な決断を
迫られる状況は出てくるでしょう
たとえば
前と同様の状況にあったとして
ただし今回は左には
ヘルメット着用のバイク
右にはヘルメットを被っていない
バイクがいたとします
自動運転車はどちらに
ハンドルを切るべきでしょう?
ヘルメット着用の方が生存率が高いからと
そちらにぶつけるとしたら
ルールを守っている人を罰することに
ならないでしょうか?
一方 ルールを守っていない
ヘルメット未着用の
バイクにぶつけるとしたら
被害の最小化という設計原則から
はずれることになります
そして路上において何が公正かの判断が
ロボットカーに任せられることになるのです
倫理的な考慮は
さらに複雑なものになり得ます
いずれのシナリオでも
設計方針は目標選択アルゴリズムとして
機能しています
言い換えると
衝突する対象物の種類として
何を選好するか
システム的に選んでいる
ということです
そして標的にされた乗り物に
乗っている人は
自らには過誤がない
にもかかわらず
アルゴリズムの選択による負の結果を
引き受けることになります
この新技術は その他にも新たな種類の
倫理的ジレンマをたくさん生み出します
たとえば 事故において
可能な限り多くの命を救おうとする車と
乗っている人の安全を
何よりも優先する車の
どちらかを選ばなければ
ならないとしたら
どちらを買いますか?
もし車が 乗っている人が誰で
どのような事情があるか
分析し考慮に入れるようになったとしたら
どうなるでしょう?
被害を最小化すべく
前もって設計された判断より
その場におけるとっさの判断の方が
良いという場合はあるのでしょうか?
そういった判断はそもそも誰が
下すべきなのでしょう?
プログラマーなのか
自動車会社なのか
政府なのか?
現実がこれらの思考実験通りに
展開するとは限りませんが
それは要点ではありません
これら思考実験の役割は
物理的世界における科学実験と同様で
我々の倫理的直感を取り出して
ストレステストにかけるということです
これら倫理のヘアピンカーブを
今 見極めておくことで
技術倫理の未知なる道を
巧みに抜けて
素晴らしき未来へと
自信をもって良心的に
進んでいくことが
できるようになるのです