こんにちは 私は「ネット上の同意権」を 侵害された被害者です ネット上の同意権とは 聞き慣れない言葉かもしれません 私の講演が終わるまでに みなさんに― ネット上の権利を語る際 「同意権」がその原則となることを 理解していただけることを 心の底から望んでいます では 始めましょう 私になにが起こったか? 2011年 朝起きて Facebookや メールアカウントにアクセスできませんでした アクセスが回復したときには 現在「リベンジポルノ」と呼ばれるものの 被害者となっていました 具体的に私に起こったことを 説明しましょう 加害者はある時点で 私の「同意権」を 侵害することを決めました 私のメールアカウントに侵入し 個人情報を盗み それをネット上のあるサイトに 公表しました そのサイトは私の個人情報から 利益を得ていました すべては私の同意なしに 行われた 違法行為です このような行為は 「リベンジポルノ」と呼ばれます リベンジポルノと呼ぶからには― 私の盗まれた個人情報が 画像であると想像できるでしょう 長い間― それが画像であったので ひどいと思うのと同時に 羞耻心や苦痛を感じました しかし周囲を見渡すと 多くの人が画像をネット上に 公表し― 画像のやり取りに 関与していますが 彼らは気にしてないようです 彼らにとって 問題でなくても 私にとっては 問題なのです なぜ問題か? それは私が同意しておらず 私の意思に反する 行為だからです また問題は 情報の内容ではなく それが私と紐づけされた 情報であるということです これは「同意」の論じられかたの 問題点を明らかにしました とりわけ プライバシーや ネット上の権利を論じる際の問題点です 今 プライバシーや ネット上の権利を論じるとき― 私たちは「個人情報」という 言葉を使います 個人情報とは… そうです 個人情報とは何か 誰も知らないのです それは住所か?名前か? 電話番号か?なんでしょうか? いつも使う言葉で 政府やジャーナリストが 個人情報について論じていますが 私たちは それが何か 実は知らないのです これはとても重要なことです なぜなら― 人々は政府の監視について 懸念を抱いているように見えます 国家安全保障局について聞かされ エドワード・スノーデンについて聞かされ 私のような被害者についても 聞かされたことがあるでしょう これらの問題はすべて ネット上の権利に関わるものです プライバシーを語る際 情報の性質 について焦点を当てがちですが 問題は なにを個人情報と捉えるか 人それぞれ異なるのです 人々は 様々な情報について 異なる 関わりを持っています 私はこの対話の論点を 「プライバシー」から 「同意」へと変えたいのです すべての個人の「同意権」が 明確にされる必要があります 私たちは 規範的な立場から どんな情報が公表され 監視を受け 手に入れられるべきか またはそうされるべきでないか 決めることはできません すべての事例に適用できる 規則は存在しないのです だからといって 権力者に任せれば― 何が公共的な情報か 個人情報かを恣意的に線引し 「他人の電話番号を公表してもよい」 「他人の写真を同意を得ることなく 公表しても構わない」 などと言うでしょう 私たちはプライバシーについて 異なる考え方を持っているので 個人の「同意権」に焦点を当てる 必要があるのです なぜこのことが重要なのか いくつか理由があります 私にとって主要な理由は 民主主義的な理由です 私たちが「普通」に基づいて 公共的なルールをつくるとき 誰が被害者となるのでしょうか? 被害者となるのは すでに社会の のけ者にされていて すでに被害を受けやすい 立場にいる人々です 例えば 私のような 若い女性です― 女性という社会的に弱い立場に 置かれているからです セックスは若い女性を 辱めるために使われます それが実際に起こると― それはネット上でも 使われます 犠牲となるのは ホモフォビアや トランスフォビアの被害者など もともと社会的に被害を 受けやすい立場の人々なのです 彼らこそ 最もプライバシーを 必要としているのです 従って社会規範の立場から プライバシーを論じる際 既に弱い立場にいる人々を さらに 脆弱にしているのです そして 権利を 最も必要としている 人々の権利を 否定しているのです これは民主主義に 関わる問題です もし私たちが個人の同意権 を否定するのなら 私たちは世界にはびこる 圧政と同じ制度を 再びつくりだすことになります 「個人の同意」は ネットの 根幹である民主主義的な特徴です 言わせていただきますが 今現在 「ネット上の同意権」は存在しません 私たちのうち誰一人として 「私に関する情報で 何が収集され 何が公表されるのか 自分で決める」という権利はありません これは私が経験から知ったことで 民主主義にかかわる問題なのです 私は今 活動家として 知られていますが― 盗まれた昔の画像をネット上から 削除させる権利は私にありません なぜなら それが権利として まだ認められていないからです 私には同意権がありませんし 地球上のだれにもありません これは民主主義の根幹に かかわる問題です 私たちは このことを 人々に認知させる必要があります 誰もそれが意味することを知らない 「プライバシー」という曖昧な言葉が これらの問題を 自分と関連付けるのを 非常に難しくしています 私たちはプライバシーに関する 論争を毎日聞かされています それはいつも こんな感じです 「インターネット・プライバシー 政府はあなたの個人情報を 調べあげています 我々は米国政府が メタデータを特定できると明らかにしました」 ―「メタデータ」とは何か? 誰も知りません このような論争が 無関心を生み出しました 皆 ネット上の権利に関心がありますが それについてよく知らないのです なぜでしょうか? 原因は手が付けられないほど歪曲された 「プライバシー」という言葉にあると思います 何よりもまず― 人はネット上の権利や  厳格なネット上のプライバシーを求める人を 「普通から外れた」人と呼びます 私たちは言います 「いったい何を隠したいんだ?」 「いったいどうして 誰かが君のことを調べようとするんだ?」 「なぜそんなにまで プライバシーを求めるんだ?」 このような発言は 間違っています ネット上のプライバシーや 同意権を求めることは 基本的人権であるべきなのです しかし「プライバシー」という言葉を 使うことで あたかも 何か秘密を隠している ように聞こえさせ プライバシーを求める人が 普通から外れた人であるか やましいことをしている人 のような印象を与えるのです かわりに「同意」という言葉を使えば 問題を自分と 結びつけることができ その必要性も 理解できるようになります 私たちは 普通の生活を送っていますが それでも 同意権を求める必要があるのです 例として 「私は政治活動家です」と言えば― 私はある意味で 被害を受けやすくなります 従って 私の住所は公表されたくありません 他人は気にしないでしょうが 私にとっては重要なことです 対話の中心に「同意」を据えれば 人々は彼らの個人情報が ネット上で どう利用されているのか 理解しやすくなります これは重要なことだと思います また先ほど話しましたように 民主主義に関わる問題もあります 同意ということを 重視しなければ 弱い立場の人々を より脆弱にします 現状に疑問を抱く人々 権力者や権威に疑問を投げかける人々 脆弱な立場に置かれた人を 支援する人々 「社会規範」に挑戦する人々 私たちには そういった人々が必要です 彼らを全体として保護し 彼らの権利を 擁護すべきなのです もし私たちが 強者の視点から プライバシーとは何かという判断に 社会規範を用いれば 彼らを非常に脆弱にしてしまいます 私たちはそれを望みません 私たちが求めているインターネットとは より進歩的で 現状に挑み ―ネットの世界も現実の世界どちらも 世界をより良いものへと変えようとする人々を 全体として守るものであることを望んでいます だからこそ同意を 重要視しなければならないのです 「プライバシー」という 抽象的に婉曲された言葉ではなく 同意こそ重視すべきなのです より良い世界に変えるためです そしてインターネットを 世界を変える推進力としたいのです 同意に重点を置かなければ 政治的反体制派の人々や 性的マイノリティーの人々が その代償を払うことになり 人種的および民族的マイノリティの 命を脅かすことになります 彼らは既に脆弱な立場に 置かれている人々です すべての人々に同意権が 認められるべきです しかし現在はそうなってはいません これは非常に重要なことです 私が問題にしているのは プライバシーでもなく 秘密隠しでもなく 個人情報の使い道を 自分で決める権利なのです これは人間であるということの 重要な要素なのです 今や「現実の世界」と「ネットの世界」という 明確な境界はありません どちらの世界も 結び付いているのです 従って「現実の世界」での権利を ネット上でも認めるべきなのです 困難であっても 戦う必要がありますが 戦う価値のある戦いです それによってネットを 現在の現実世界より 良いものに変えることができます どうもありがとうございます (拍手)