人気番組「ビッグバン★セオリー」は 男性をからかうことを楽しんでいる コミックやテレビゲームを 楽しむような男性を "ダンジョンズ & ドラゴンズ!" 笑いはジョーク自体というより オタクっぽい何らかの事態にある "スタートレックディープスペースナインを 途中で観るのをやめたの?" これがオタク文化の人たちの多くが この番組を嫌う理由なのだろう 存在自体を笑うからだ しかしもっと有害なものが ここにはあると思う "泣いてもいい?" "よくないかな" "だね" 単にオタクを嘲笑することを超えて 伝統的な男らしさがあるとは言えない 男性を笑うことに熱心だ 一見するとオタク的ないい男は ハリウッド的なマッチョに代わる 喜ばしい代案のように見える しかしよく見ると そのオタクの落ちこぼれは 有毒な男らしさの形成に 加担していることがわかる "社会は変化したんだ" "情報化時代には僕らがアルファ男性さ" "引き下がるもんか" "直接ガツンと言ってやる" 前回の「かわいらしい 女性蔑視主義者」の動画で 私はこのオタク的男性が 女性に性差別的であると述べた "いいか みんなでとにかく騒ぐ" "それで酔わせたら 俺らは金持ちだと言う" しかし男同士ならどうか "まずテーマを決めよう" "ムーランルージュは?" "テストステロン摂った方がいい" 脚本家が本物の男についての退行的な考えを どう強化しているかを検証していきたい "観戦の準備はできた" "腹にペイントもした" ドラマでは男性が男性的とされるスポーツを いかに理解していないかが笑いになる "行け スポーツ?" "ああ" "野球にも対応できるように" "今の見た?めっちゃすごいよ" "これ98年の試合のハイライトよ" "そうなの" 男性はみんなスポーツが好き という前提があり そうでない男性がいると それが笑えることになる お笑い番組だから笑えるのは当然だが こう問われることも重要だ 誰が笑うのか?誰を笑うのか? "やあ" このシーンは男性がエプロンをしている ということが笑いになっている "手袋?" "そういう仕様 何か用?" 笑いは 家事は女性の仕事である という性差別的考えに依存し 男性が掃除をすることで 男らしさが減るとされる この性差別と男性性喪失の混合が この番組の中心にある "お前だけがこの瓶を開けられたら お前はアルファ男性ってことだ" "僕じゃできないよ レナードやってくれ" "やれ 緩めてある" これらのジョークは真の男に関する 有毒な考えを批判するものではない "手伝う?" "いやだめだ" むしろ肉体的に強くない男は 嘲笑に値するという考えを強化している "もうこれはいいや" "ストレッチをしよう" バカにしていいと "待って 整理しよう" 議論を進めるために ここで少し 定義しておくべき用語がある 「支配的男性性」と「超男性性」だ 支配的男性性とは社会的に構築された 理想を体現する男性性だ 体が強く 攻撃的で 感情は薄く 異性愛者であるということだ その形は土地によって微妙に異なるが ここではハリウッドが作り出す 西洋的白人の男らしさについて論じよう 例えばコナン・ザ・バーバリアン ジェームズ・ボンド キャプテン・アメリカだ ビッグバンセオリーに出てくる男性は その理想の正反対を具現化したものだ "俺はバットマンだ" だから彼らがヒーローの格好をするだけで それ自体が笑いになる "痛い" "いや いてぇ" この理想について理解すべきなのは それはフィクションだということだ 文化的想像力の中のみの存在で 実際の男性には達成できない しかしそれでも男性が比較される 基準となっている その理想であるべきだという 男性への社会的圧力は現実のものであり その形に近いかどうかで 社会的地位が変動したりする 超男性性は少し違う それは支配的男性性を追求する 一連の態度や行動のことだ 例えば攻撃的な競争 女性の征服 けんかなどの危険な行為 乱暴な運転 大量の飲酒だ また反女性的であることもそうだ これについてはあとで話そう 超男性的な行動は 男性が 自分の男らしさを証明する方法だ ビッグバンセオリーの 4 人のオタクは 何らかの男らしさを演出しようとする "いいのか?覚悟しろよ" "本当にやる気なのか?" 彼らのその試みの失敗が 笑いの皮肉な仕掛けとなっている "弱々しくするな もっと荒々しくなれ" "そうだな 荒々しく" "指切りげんまんだ" 男らしさのなさで笑われている彼らなら お互いについては慰め合うと思うだろう 実際そういう瞬間もある "よしよし" しかし大抵の時間は 互いに相手の 男らしさのなさをバカにしている "ビビってるように見えるぞ" "いい動きだ" "女関係だ" "保湿のことなら任せてよ" "このことは話す" "なんで女はすぐ話すんだ" これは直感に反するかもしれない なぜすでに虐げられているオタクが 自分の仲間内でも同じことをするのか? なぜなら男らしさを示す方法の一つは "通さねぇよ" 他人に力を行使することだからだ さっき私は 超男性性の特徴の一つは 反女性的であることだと言った "女子会?" "虹やユニコーンや 生理痛の話で盛り上がるのか" ドラマでは男性が女性的なものを 軽蔑する場面が何度も出てくる "セックス・アンド・ザ・シティかよ" "この映画好きなの" "そうか 観よう" "生理周期が一致するかも" 反女性的な態度は男性が互いの 男性性を監視する方法とも関連する "乳糖不耐性で豆乳を飲んでるだろ" "豆には疑似女性ホルモンが入ってる" "毎朝それを飲んでるから お前はヒステリックな女になってるんだ" 男性が他の男性を女性と呼んで 侮辱することは 女性蔑視の延長だ "怒ってるのはそっちだ" "また始まった ギャーギャーギャー" "言った通りだな" ラージの扱いほど この力学が明確なものはない "愛しているから突き放すのよ" "必要なものは揃ってる 低脂肪ターキージャーキー" "カロリーオフビール 低カロリースナック" "Y染色体をどこかに捨ててきたのか?" "お前をバカにしてるわけじゃない ただ楽しもうと" 10シーズンに渡り ラージは 女性のようだとしてからかわれる "パジャマパーティじゃない" "一緒にクッキー食べながら プリンセス・ブライドを観るだけだ" "黙ってくれ" 予想できる通り その方向性は 同性愛嫌悪とも関連している "もっといいのがある" "こっちにもね" "これで僕たちで戦うこともできるよ" 女性的行動はゲイと関連付けられ それが笑いとされる "ビールちょうだい テント張るようなやつ" "いやだめだ" "なんで?" "テント張ってる男と 酒を飲みに来たんじゃない" "OK" "じゃあチョコマティーニ" "ああ まただ" ラージは4人の中で唯一 230エピソードを経ても彼女がいない "一人だけ彼女いないんだぞ" "できたとしても シェルドン・クーパーより遅いんだ" 他のキャラには彼女ができている この最も男らしくないキャラが 唯一の有色人種であるのは 偶然ではないだろう それはアジア人男性の性的指向を笑う ハリウッドの長い伝統と一致している ラージ自身は自身なりの男らしさに 満足しているように見える "ブリジット・ジョーンズの日記" "やだ もう泣いてる" だが他の男性キャラはそうではなく ことあるごとに 男らしくないことは 何か問題があることだと表明する "テストステロンが足りない" "俺は俺の男らしさに満足してる" "そんなことありえるのか?" 社会学者のコンネルは著書の中で 男らしさは一つの形態だけではなく 階級的な様々な形態があると提唱した 白人異性愛者男性がその階級の頂点で 他の形態はその下にある 同性愛者または女性的な男性は 階級の下の方だ "これは気に入るぞ" この階級構造は男性が他の男性と 権力を巡って競争することを奨励する サブカルチャーでもそうだ "もっとほしいか?" これが超男性性を満たしていないことで 虐げられている男性さえ真の男になろうと "おい 立て!" "寝てろビッチ" 他人を攻める理由だ "僕はシヴァ神だ 彼女できるんだ" "俺は数学キャンプの 柔道チャンピオンなんだぞ" レナード シェルドン ハワード ラージの関係性は 階級制がどう機能するかの縮図を提供する "彼女ができてよかったな でも人前でイチャイチャすることになるぞ" "そうなるな 経済学で言う地位財だ" "それが価値を持つのは 他の人がそれを持ってないからだ" "違うよ 俺の幸せは 親友の惨めさのおかげではないよ" "どうも" "いいおまけではあるけど" 彼らの友情は個人的にも職業的にも 競争のように展開する "何だよ" "メッセージだ 彼女はお前のじゃない" "下がれシェルドン" "え?" "この子に構うのをやめないと 僕の怒りを味わうぞ" "落ち着け お前の彼女に興味はないよ" "だといいな じゃなきゃ俺を怒らせる" "俺はイカれてる" "やれ" 実際彼らの人生は優位性を巡る 終わりなきゲームのようだ "君も早く脱げよ" 現実世界でそうであるように 女性が 仲間内での地位の象徴として利用される "何なの?" "信じなかった時のため" 男らしさを上げたり下げたりするのは どんな女性を獲得するか次第だとする "おい 職場でか?" "やめろ 付き合ってる" "ごめん" "でもセックスはした" "どうやった?" "2人同時に?やるじゃん" 誰かに彼女がいない時は いつもその男性をからかう "コンコン" "どうぞ" "俺には彼女がいる" "僕は女性との関係に満足してる" "君と違って" 超男性性の原則において 女性を獲得できないことより悪いのは 女性に支配されることだ "アプリをダウンロードしたんだ こういう時は…" たまに女性もそのからかいに参加する "ビールのおかわりは?" "いやいいよ" "女か" しかし大部分は女性ではなく 他の男性が行う "エイミー頼む" "僕の親友を男にする方法を 見つけたいんだ" "どっちがうまいか決めよう" "でかザックと短小レナードで" 男性の社会的後退を 女性のせいにする風潮があるが 実際にはほとんどの場合 競争に参加する男性がその元凶だ だからこそ男性自身が正に その構造に加担することになる "そうやってずっと攻撃し合うなら あなたたちは本当に嫌な奴になれる" "考え直して" この競争的で反女性的な行動を ドラマは無害で楽しいもの 男性にとって普通で自然なものとして描く しかし現実には この競争への参加を促す 男性への社会的圧力は全く無害ではない 男性やその周囲にとって危険であり 肉体的にも精神的にも不健康だ 不可能ではなくとも 他者を気遣うのが難しくなり 女性や他の男性と 関係を築くのが困難になる "いいアピールだよ" "大きい男に見える" "どうも" "絶対に許さない" "僕の方が大きい男だ" 脚本家によって強制的に競争させられる レナード シェルドン ハワード ラージとは違い 現実の男性には選択権がある 私たち男性は 権力を巡る戦いを拒否し 共感のある男らしさを選ぶことができる