ビデオゲームを作りたいとしよう 何から始めればいい? 開発者によっては、物語やテーマから始める プレイヤーに味わわせたい感情から始める者もいる 例えば恐怖や達成感だ また、技術に物を言わせて何かをシミュレートすることから 始める人もいる 惑星とか、宇宙とかを そして言うまでもなく、多くの開発者は すでにあるゲームを出発点として いくつかの要素を追加する しかしもう予想済みと思うが 任天堂はかなり違っている 全く新しい作品を作る時も、長い伝統のある スーパーマリオシリーズの新作を作る時も 任天堂は常に同じ目標から始める 新しいプレイ方法を考えることだ つまりプレイヤーがゲーム内で何をどうやるかが 他の全要素を導く触媒として使われるのだ メインキャラクターのデザインから敵の倒し方 音楽のジャンルまで 「それが任天堂のゲーム作りです」 と宮本茂は言う マリオ、ゼルダ、ピクミン等々のクリエイターだ 「まず基本的な部分を固めて、その核となるコンセプトを」 「時間と意欲の許す限り広げていくんです」 というわけでGame Maker's Toolkitの今回の エピソードでは、世界最高のゲーム開発会社の1つが プレイ方法を最優先することによって どのように成功を築きあげたかを見ていこう 任天堂は多くの作品で、主人公が繰り出す 面白いアクションを考えることから始めている 晩年の横井軍平はこう言っている 「私はまず操作することになるキャラクターを とりあえずドットで代用します」 「それからどんな動きをしたら面白いだろうかと 考えるわけです」 このような考え方の成果として最も有名なのがこの男だ マリオとして知られているが 最初に登場した時、彼はただ「ジャンプマン」と呼ばれていた なぜならこの太ったイタリア人の配管工は その跳躍を本質とするからだ 彼はあらゆるゲームの中で最も躍動的で 表情豊かなジャンプを持っている――2Dでも、3Dでもだ 出世作であるスーパーマリオブラザーズは ジャンプが全てだ マリオは足場に飛び乗り、土管を飛び越える ジャンプでブロックを破壊し、パワーアップを出現させる ファイアフラワーも例外ではない 厄介な45°の発射角のおかげで ジャンプしないと正確に狙えないからだ 旗も地上から常に1ブロック分浮いている クリアするにはジャンプする必要があるのだ 宮本はシューティング面など他のアイデアも試したが 破棄することにした その理由は 「ジャンプというアクションに集中したかった」からだ そうだ、それからジャンプで敵を踏んで倒すという点も 忘れてはいけない これは攻撃法として当たり前に思える ソニックやアラジン、その他大勢の ジャンプアクションの主人公もやっている だが考えてみてほしい マリオ以前にこれをやったゲームはないのだ 宮本がこれを思いついたのは、こう問いかけたからだ ジャンプするゲームで、敵を倒すための 最も論理的な方法は何だろう? 1つの力強いシステムを中心として ゲームを構築することには、大きな利点がある そのシステムでゲーム内のほぼ全てのものに 干渉することができる時 任天堂が作るゲームはプレイヤーの アクションの幅は非常に狭く、覚えやすいが それによって干渉できる対象は膨大だ ピクミンについての話で、宮本は 「プレイヤーが行う基本的アクションは非常に単純です」 「問題があったらピクミンを投げつけて、呼び戻せば いいだけですからね」 「でもピクミンの能力と、幅広い戦術が用意されている おかげで、アプローチの取り方には」 「多くの可能性が開かれているんです」 固有のアクションの他の例としては、水鉄砲や インクを撃つ、絵に変身する 地面から物を引っこ抜く 掃除機で吸う、などがある ゲームキューブのルイージマンションでは ルイージがゲーム世界に関わる方法は ほぼ掃除機だけだ ジャンプもできない 彼の兄は大ジャンプで全てを解決するが ルイージは掃除機でパズルを解き、ゴーストを吸い込み アイテムを回収し ブービートラップのドアを調べる、といったことをするのだ 自分たちのゲームのテーマは偏見とかイデオロギーとか アメリカのフロンティアの没落だとか言う開発者もいるが 文字通り掃除機で吸うのがテーマです、なんていう ゲームがどれだけあるだろうか? そして任天堂はシステムを追加する必要が生じた時 それをメインのアクションに組み込む 例えばスプラトゥーンは基本的にインクを撃ち インクの中を泳ぐゲームだ だからインクを撃ってその中を泳ぐことで 銃をリロードしたり、壁を昇ったりできる 追加のボタンは不要だ 実に見事だ もちろん、全ての作品が新しいシステムに 基づいているわけではない 任天堂は全く新しいゲームやキャラクター、つまり 業界用語で言う「新IP」ばかり作っているわけではない マリオやルイージの背中に物をくっつけるのにも 限りがあるだろう それでも任天堂のゲームは新たなプレイ方法に 導かれているし、それは時として すでに確立されたシステムに新たな工夫を加える という形で現れる それはマリオ64やゼルダ時のオカリナのように 2Dのゲームプレイを3D世界に作り替えることだったり マリオギャラクシーのように昔のシステムを 新たな文脈の中に組み込むことだったりする ギャラクシーはやはり根本的には ジャンプするゲームだが、重力の要素がある ピクミン3もやはりピクミンに命令を出すゲームだが 3人の主人公を入れ替える要素が追加されている また時として、任天堂はプレイ方法を制御する 新たなシステムを考案することもある ムジュラの仮面の3日間の時間制限や メトロイドの相互に接続したマップなどだ いずれにせよ、全体を導くための 新しいゲームプレイがなければならない そうでなければゲームを作る意味がない、と任天堂は言う 宮本はファンが新しいF-Zeroゲームを求めていると 聞いた時、こう言った 「その人たちに聞きたいのだけど、なぜF-Zeroなんだろう 何かまだやっていないことがあるのかな」 宮本にとって、グラフィックを綺麗にしただけの レースゲームをもう1つ作るのは、考えられないことなのだ 任天堂のデザイナーは「機能を形で表現する」という デザイン原則の信奉者だ これは物の見た目はそれがどういう動きをするかに よって決定されることを意味する おそらく宮本が学校で工業デザインを学んでいた 時に身につけた考えだろう テレサが見つめられると顔を赤らめるのも マリオワールドで突進してくる敵がアメフト選手に見えるのも 最初のマリオブラザースが再リリースされた時に 任天堂が亀をトゲゾーに変えたのもそれが理由だ みんなこの亀野郎を踏もうとしてしまうのだ だが任天堂はさらに先まで進んで、新しい ゲームプレイをゲームの核心部分に用いる 表現のあらゆる側面をそれに基づいて決めるのだ スプラトゥーンのシステムが開発された後 プロデューサーの野上恒によると 「そこからゲームプレイに完璧にマッチする キャラクターと世界像を考えたんです」 スプラトゥーンのプロトタイプでは 操作するキャラクターは大きな白いブロックだった デザイナーたちがイカを考案したのはその後だ インクの中を泳ぐことができて、かつ インク塗りと泳ぎのシステムを明確に分離できるような そういうキャラクターが必要だったからだ キャラクター全体がシステムの延長という場合もある 例えばナビは時のオカリナのZ注目システムを キャラクター化したものだ またマリオ64のジュゲムはカメラの運び役だ チコはマリオの帽子に隠れることで スピンアタックのチャージ完了を知らせる この手法を使えば、ゲームプレイは抽象的な システムではなく、ゲーム世界の一部になる スプラトゥーンのプロデューサーはまた、インクを 撃つのがグラフィティを描くのに似ていることから 音楽をパンクロックに、美術は90年代風にした 同様に、マリオサンシャインの舞台が南国の島なのは ただ水鉄砲のゲームプレイが デザイナーたちに夏を思わせたからだ システムはストーリーを導くことさえできる 夢を壊して申し訳ないが ゼルダ作品のストーリーは全体を貫く 壮大な物語の一部ではない ストーリーはただ「最も楽しいゲームプレイ要素を 引き出すためにある」と、任天堂の前社長である 岩田聡は言っている 神々のトライフォース2は敵として狂気の芸術家がいるが これはリンクが絵に変わる理由が必要だったからだ 時のオカリナのストーリーですら、こういうプロセスの産物だ 宮本は子供リンクと青年リンクの両方が同じゲームに いることを望んだので ライターたちは時間旅行の筋書きを考えなければ ならなかったのだ こんな風にストーリーを考えるなんて おかしいと思うかもしれないが これによりゲーム内におけるプレイヤーの行動と ストーリーで起きていることとの深いつながりが生まれる ヨッシーアイランドがいい例だ ストーリーは赤ちゃんマリオを守ることで システムも赤ちゃんマリオを守るのが目的だ 多くの開発者は逆の仕方で進行する ストーリーやキャラクター、世界観を思い描き それから後退して、どんなゲームシステムなら うまく機能するかを考える これでは滅多に成功しないのも当然だ しかしまあ、任天堂をゲームデザインの神に祭り上げて 他の開発者は全員間違っているなんて風に 言うべきではないだろう ひょっとすると、そうかもしれないが… いやいや、任天堂も道を誤ることはある 他の開発者が大成功していることもある 例えばインディー系開発者たちは 独特なゲームプレイを中心にゲームを作るのが上手い また、僕は新しいDoomが全面的に近接攻撃を 中心に機能している点を非常に気に入った 戦闘システムの中核になっている 回復できるし、移動手段としても機能する 近接ボタンで扉を開けることもできる サムスが撃って扉を開けるのと同様だ Doomは非常に任天堂らしい作品だ 任天堂がこれを作ることは決してないだろうが それからPortalのようなゲームもある 非常に賢い操作法1つに基づいて作られた美しい作品だ このゲームを宮本が「素晴らしい」と評したのも納得だろう なぜなら任天堂にとって、プレイ方法は 他の何よりも重要だからだ それは新しいプロジェクトのための単なる出発点ではなく 他のあらゆる要素に関係する 敵やグラフィックのスタイル、舞台、音楽 ストーリーやキャラクター、これら全てが ゲームの最も基本的な側面を彩るために選ばれ、作られる そしてゲームのあらゆる側面がプレイの仕方を 暗示するようになれば そのゲームは簡単に手に取って遊ぶことができる 任天堂のゲームが多くの場合 市場にある他のどのゲームとも違う 感じがするのは、これが大きな理由だ 任天堂作品はより遊び心に満ちており、おもちゃのような 雰囲気がある 遊びやすく、親切だが それと同じくらい複雑でもある そして端的に言って 任天堂作品はゲーム史上最も優雅なデザインを持っている だから失敗や誤算があった後でも 僕たちは期待して待ち続ける この日本のゲーム会社が次に何を思いつくのかを やあみんな、視聴してくれてありがとう このエピソードはかなり大変だったが ゲーム開発者としての任天堂の魅力に 新たな光を当てられればと思う チャンネル登録者が10万人に到達する手助けを してくれて、本当に感謝している それから字幕を他の言語に翻訳するために 時間を費やしてくれている人たちにも感謝したい Game Maker's ToolkitはPatreonのファンたちによって 資金を得ている 支援者は独立系のゲーム批評界を支援することで 気分が良くなるだけではなく ボーナス動画やお勧め動画、ゲームレビューなどの 特典にアクセスできる 5ドル以上支援してくれれば、自分の名前が 動画の最後に表示される そう…こんな風に!