Every Frame a Paintingへようこそ 先日 編集工程について質問された 組織化と選別について話したら 彼女は"いや実際の工程は?" "どうやってカットするの?"と すべては説明できない 本能的にカットしているからだ 編集のプロセスは思考のプロセスだ 知識ではなく 感覚でやっている 僕も同じだ 編集工程について考えたので 今回はその話をしよう 編集者はどう考え 感じているか まず編集は目に関連している 何よりも目が 人に感情を伝える よい役者は会話よりも目で語る 僕は何も言わなかった それで"なぜ何も言わないんだ"と 何か言うべきだと いいセリフを それで座ってよく考えて "エリオット ねぇ" "食べて おいしい" 何も言わないことにした それがいいと それが探しているものだ 決断したように目が変わる瞬間 他にはない強力な場面だ 目からカットして視線の先へ 言葉がなくても考えがわかる 次の概念は学ぶのが難しい 時間を使う感情 私たちは人を見て 人とつながる 話すより顔を見ている時間が多い その後を見る時間も 編集者は感情を与える時間を決める 次のシーンで練習しよう どう感じるだろうか 次はどう感じるだろう 違うだろうか これが編集の決断だ 数秒で大きく変わる 難しい選択で ここに正解はない 続行して感情が伝わるならカットしない 感情の起伏は複数のシーンで作れる 次のシーンでルークが能力を試す 各場面の長さを見てみよう クライマックスに向けて短くなっていく ピークが過ぎると落ち着いていく そして最初よりも長くなっている この流れは15秒あるが ここに時間を使うことで ルークの失敗を感じることになる "だめだ 大きすぎる" 短くしたらどうなるか 似たようなシーンを見てみよう 違いを感じるだろうか "君はできる 頑張れ" "通じない" 感情は見えた? スコットは失敗した 30フレームで ルークの失敗はというと 30秒だ 人は機械じゃない 感じるには時間がかかる 時間がないと感じることはない 最近の映画は何も感じるものがない はっきり見せようとしすぎて 本当らしさがなくなってる 本当らしさは難しい "放してやれ" タイミングは非意識的で すべての場面には自然なリズムがある 話とその語り方には深い関連があります 話のリズムがある 編集は70%がリズムです 明白なリズムもある 体を動かしている時とか 微妙な場合もある 遠くを歩く人や レストランのコック 客 ウェイトレス 人が日々感じるリズムは 編集が難しい 何回も映像を見ていると カットを望まれたような感覚が起こる 昔は完全にリズムでやっていた 見えない編集とはこのことだ カットがとても自然 "もっと知り合おう" 気づいた? "僕の部屋に行こうか" 見える時もある 怒りを表すにはわざとらしい方がいい 不安を生むカットもある マーティはいつも言っていました もう少し長くすれば… 正しいものになると 真の問題はどんな反応がほしいかだ 異質なカットをすべき時もある 最後のポイントだ 編集が本能的なら どう学ぶのか? 方法は一つ 練習だ 編集はダンスにとても似ている 初歩は説明できても とにかくダンスするしかない カットするしかない あなただけのセンスが手に入るだろう 僕は10年やってるがまだまだ 行き詰まるとカーンの言葉を思い出す 編集の美しさは作家も感じてると思う 全体を見つつ 常にひとかたまりを見る シーンもカットも一つずつ作る 一つの場面を作ろう どんなイメージも "大丈夫か" 感情とリズムを持つのだから そしてそれを感じたら…