はい!どうもアバタローです。 本日は、宮本武蔵の[五輪書] コチラをご紹介いたします。 どんな本かと言いますと 生涯無敗と言われる最強の剣豪が残した 戦いの極意書でございます。 まず、どういった方に お役に立ちそうな内容なのかをお伝えいたします。 [物怖じしない、強い自分を作りたい] [仕事が出来るようになりたい] [勝負ごとに強くなりたい] [我が道を進み、夢を叶えたい] これに一つでも、当て嵌まるのであれば [五輪書]は間違いなく、そのニーズに 嵌る作品であると思います。 と言いますのも 本書はただ『剣術』について 指南しているだけの本ではないのです。 就職活動、ビジネス、スポーツといった あらゆる勝負所で負けない為の 原理原則が書かれた、人生の攻略本。 それが[五輪書]と言うわけでございます。 因みに、ハーバードビジネススクールでは [五輪書]を経営学のテキストとして 採用していたこともあり 誕生から400年近い、年月が経った今でも 現代ビジネスにも通じる書籍として 世界的にも高い評価を得ているのです。 更に、孤独の中で己の剣を磨き 我が道を突き進んだ 『宮本武蔵』の生き方は 個人の力を高め より高く羽ばたこうと 志を持って 努力されている方にとっても 大いにご参考いただけるものと 確信しております。 そこで、この動画では [五輪書]を誰でも、しっかり 楽しんでいただけるよう 難しい表現を避け、カジュアルに ご紹介をしてまいります。 最強の侍が残した、パワフルで 刺激的な戦闘哲学の世界を 是非、最後までお楽しみください。 それでは、参りましょう。 宮本武蔵、[五輪書] ではまず、中身に入る前に 『宮本武蔵』という人物と [五輪書]の構成について サラっと触れさせてください。 宮本武蔵。 彼の生涯については、諸説ありますが 1584年、播磨の国。 今の兵庫県に生まれ 1645年に没したとされています。 ですから、活躍した時期としては 安土桃山時代の終わりから 江戸時代の初期に当たります。 宮本武蔵は、凄まじい鍛錬の末 最強の武士になったわけですが 実は、幼少期から 天才的な才能があったと言われています。 初めての真剣勝負は、なんと13歳の時。 名のある剣士が、相手だったにもかかわらず 見事、勝利をおさめ そこから20代後半まで、実に60回以上 真剣勝負において、一度たりとも 負けることがなかったそうです。 しかし彼は、ただ強いだけの人物では ありませんでした。 歌を詠んだり 水墨画を書いたり 文化面、芸術面においても マルチな才能を発揮しました。 そして、60歳を過ぎた頃 熊本県の霊巌洞という 洞窟に籠り 自分の人生の集大成として 五輪書を残し この世を去ったと言うわけです。 この『五輪』という言葉は もともと仏教用語でして 宇宙を構成している 5つの要素。 [地][水][火][風][空]を 現していると言われています。 宮本武蔵は、その仏教的 宇宙観に基づき、[五輪書]を [地の巻][水の巻][火の巻] [風の巻][空の巻] という5つの書に区分し 戦いの極意を解いたのです。 では、以上の点を踏まえて 早速ひとつ目 [地の巻]から見ていきましょう。 ”戦いの道を究めた” 私がそう確信するに至ったのは 50の歳になってからだ。 しかし、私はなにも剣の技術だけを追求し 生きてきたわけではない。 書道、彫刻、絵画、 そう言った様々な文芸についても 独学でマスターしている。 なぜ、そんな器用なことができるか と、思うだろう。 理由は一つしかない。 何か一つの物事を極めた人間は その経験を他の物事にも 応用できるのだ。 つまり、[一をもって万を知る]ことは 可能なのである。 また、人間生きていれば 己の人生を賭けた戦いに臨む時があるだろう。 その時に、あなたが何を心掛けるべきなのかを 伝えておく。 それは、自分の持てる道具を 全て、使い切ることだ。 本来、使えるはずの武器や道具を 何の役にも立てることなく ただ、腰に収めたまま 敗れ去る。 そんなことは、真剣勝負の世界では許されない。 ただ、注意しなければならないのは それらの道具が、常に 有効に働くわけではない!ということだ。 どんな物事にも必ず 今しかない!というタイミングが存在する。 道具とは、最も適した瞬間に使われてこそ その意味を成すのだ。 はい!いかがでしょうか? [地の巻]は、五輪書の 総論的なパートであり 武士として、正しい道の地盤を固める為の 原則について解かれています。 整理しますと... [1つの道を究めると、横展開しやすい] [勝利のためには、使えるものは全て使う] [何事もタイミングが肝である] ということでした。 宮本武蔵と言えば、二刀流。 そういったイメージを お持ちの方も多いと思いますが 彼はいつ、如何なる時でも 二刀流であったか、というと 実は、そうではありません。 戦う相手の力量や人数 場所などを考えながら 一刀で戦ったり 二刀で戦ったり 刀の長さや 種類を変えたりして 臨機応変に対応することで 全ての戦いに勝利してきたのです。 何が言いたいか、と言いますと 宮本武蔵は、自分の手札が100あるなら 100使えと。 精神論を振りかざしている訳ではないのです。 まずは今、自分が持っている全てのカードを整理する 次に必要な切り札を絞り込む。 最後に、適切なタイミングで 切り札をすべて出し切り そして、勝利をする。 このように、合理的に勝ち筋を頭の中で 描き切ることの重要性を説いているのです。 だからこそ彼は、刃物を持った人間と 60回以上死闘を繰り広げても 最後まで命を奪われなかった、というわけです。 では次、行きましょう。 [水の巻]です。 この書に記された、一文一句は 私が命を懸けて書いたものである。 それゆえ、決して 適当な気持ちで読んではいけない。 ”習おう” といった気持ちを捨て 今の自分の仕事や生活に当て嵌め 頭をよく使い、よく考えを巡らしながら読むのだ まず、兵法の道において大切なことは それは、心の在り方なんだ 特に、戦いの場において 持てる力を十分に発揮するには どんな状況でも動じない、平常心が求められる。 例えば今、自分の目の前に 大勢の敵がいたとしよう。 その際、相手の数に圧倒されてはいけない。 たくさんの問題を抱えてしまった時は いっぺんに全てを 片付けようとするのではなく 似たような種類のものをひと固まりにして [塊]に分けて確実に潰せ ひとつひとつ倒して行けば 必ず活路を切り開くことができるはずだ。 また、人生という戦場において 自分より遥かに能力が勝る者と 刃を交わえなければならない時がある。 この時多くの者は 気持ちが一歩も二歩も引いてしまい 自分の負けを覚悟するだろう。 だが、逆に考えて欲しい。 能力において格上の者は 自分より格下の者を見た時 コイツは自分よりも劣った人間だと侮り 油断し、隙が生まれるモノなのだ。 つまり、自分や相手の表面だけを見比べて どっちが優れ どっちが劣っているとか 先入観をもってしまうことは 非常に危険な考え方なんだ。 空か食われるかの世界では、如何なる時も 心は濁らせない。 これが鉄則なんだ! また、自分の進むべき道が定まった時も同様だ。 やると決めたからには 雑念を取り払い あれこれ余計なこと考えず 無心で取り組むといいだろう。 千里の道も一歩からというように どんな物事だろうと 直ぐには、成果は出ない。 地道な鍛錬が必ず必要になる。 あなたが今日、やるべきことは 昨日のあなたに勝つことなんだ。 それを何日も何年も積み重ねていく。 鍛錬とは、そういうものなんだ。 はい!いかがでしょうか? この[水の巻]では、地道な鍛錬に 精神と肉体をコントロールすることの 重要性について解いています。 まず、何においても重要なのは 心の在り方である、というお話でしたが これは色々な場面に当て嵌まりそうです。 大学受験。大事な試合。 重要な商談。 緊張したせいで、実力の半分も出せなかったぁ なんてことは、実際によくあります。 いつも通り、自然体でやればいいよ、と 言ったアドバイスを貰っても 逆に緊張してしまうことだって 決して珍しくはありません。 そもそも、自然体とは何かと言えば 不必要な力を抜き 必要な力だけが入っている状態のことを指します。 つまり、心と体を 微調整するわけですから ある程度、経験を積んだ人でないと 身に付けることが困難な技術であるといいます。 では、どうやって身に付ければいいのか、というと とにかく、場数をこなし 日々、鍛錬を積むしかない。 それが、ここでの回答となります。 非常に地味で、遠回りのようですが これが自然体をマスターするための王道なのです。 これを体得することによって 人は高い集中状態に入ることができ 結果として、高いパフォーマンスを 発揮することができると言うわけです。 因みに、宮本武蔵は 心の中に一切の雑念が無い状態を 『無念無想』と呼び この状態に自分をもって言ったうえで 強烈な一撃を 相手に放つそうです。 まるで、全集中の呼吸みたいな話ですが 何かしらで高いパフォーマンスを発揮されたい方は ご参考にされてみてはいかがでしょうか? はい!それでは次 [火の巻]について見ていきます。 まず、戦いにおいて重要なのは 先手を取る、ということだ。 この先手の取り方は 3種類ある。 まず1つが、自分から仕掛けに行き 先手を取る。 2つ目が、相手が攻めて来た時に 先手を取る。 最期3つ目が、自分と相手が 同じタイミングでぶつかった時に 先手を取る、ということだ。 どんな戦いだろうが 先手の取り方は、これ以外にない。 常に自分から仕掛けることだけが 先手ではないが 出来ることならば、自分から仕掛け 相手を翻弄し 優位に立ちたいものだ。 また、戦いの世界においては 何処で戦うのかも 非常に重要になって来る。 自分にとって有利な場所。 相手にとって不利な場所とは 何処だろうか? そういったことを考え 徹底的にリサーチを済ませた上で 本番に臨むことだ。 そして、自分自身の身を 相手の立場に置き換えて 向こうは一体 どんな手を使ってくるのか 想像力を働かせながら シュミレーションを行っておくことだ。 また、勝負ごとの世界での チャンスの掴み方についても コツを伝えておこう。 結論から言えば ”崩れ” によく注目するのだ。 どのような物事においても 必ずどこかで 崩れが生じる瞬間がある。 例えば、家が崩れ、荷が持崩れ 相手陣営が 崩れる。 チャンスとは、正に こういった崩れの瞬間にこそ 訪れるモノなのだ。 それを捉え、行動をし イケると思ったら 一気に畳みかけ勝利を掴むと良い。 はい!ここで止めましょう。 この[火の巻]では 敵と戦うの際の具体的な戦術 駆け引きなどについて 説いている章になります。 簡単にまとめますと、先手を取り 自分の有利な環境で戦い 更に崩れたタイミングを狙いましょう というお話でした。 要するに、スポーツマンシップに乗っ取って フェアーに戦うのではなく 自分の土俵に乗っかって 自分にとって有利に戦いましょう、と言うわけです。 例えば、宮本武蔵の場合 太陽を抜き、視点の高さ、足場の高さなど 自分が有利で、相手が不利な環境を事前に現場調査をし そこに相手を誘導した上で 敵を叩きのめしていたと言います。 つまり、仕事でも何でも成功を納める為には そのための環境をまずもって 作る必要があると言うわけです。 因みに、以前紹介した [銃・病原菌・鉄]でも 似たような話がありましたが 覚えていますでしょうか? 簡単に言いますと 西洋諸国は、多くの国々を植民地化し 歴史的勝者とはなったが それは、彼らが優れた人種だったからではなくて ただ単に、有利な環境が そうさせただけだ、と主張している作品です。 つまり、どんな勝負ごとに臨む時でも 自分が今、居る環境が そもそも勝てる土俵なのか、を 客観的に見つめることが 重要だと言えそうです。 はい!それでは次 [風の巻]について見ていきましょう。 我が流派は、勝つことを第一とする 『二天一流』である。 しかし私は、ただ自分の流派だけを知っていればいいとは思わない。 他の流派の考え、やり方を知り その違いを知ることもまた 自分の道を究める上で 大切なことなのだ。 例えば、長い刀であるほ どリーチが長い分、有利だと説く流派がある。 これについては、一理あるが 明らかに兵法の原理原則を理解していない、と言える。 まず、人との手段を全体的なものと 信じ込んでしまっている時点で その人物の自信のなさ 心の弱さが伺える。 そもそも、何が起こるか分からない 真剣勝負の世界において この道具を使えば間違いない、なんてはずはない。 そういった、偏った発想は 命取りになるだろう。 また、刀は強く振るべきである、だとか 早く振るべきである、だとか こういった、型に嵌まった考え方もよくない。 そもそも、命の取り合いをしている最中に 弱く切るとか、強く切るとか 力の入れ具合を 呑気に調整している暇など ないのだ。 本当に考えるべきことは 今...自分の目の前にいる 敵をなぎ倒す!という ただ、その目的だけだろう。 また、我が二天一流は 構えがあって、構えが無いことを極意とする。 構えとは本来、自分の身を守るうえで 最も大切な基本の型だ。 ただ、なんでもかんでも 構えに縛られ過ぎて 本来の目的を果たせないようでは 本末転倒だ。 目の前の敵が構える暇もないうちに 先手を打ち 相手の構やリズムを崩してやった方が よっぽど効果的な場面など 幾らでもある。 何のための基本動作なのか。 何のための道具なのか。 その目的、その本質を 忘れてしまってはいけない。 また、剣術には 様々なテクニックが存在するが 何事においても、ただ 小手先ばかりに捕らわれるのは あまり、いい傾向とは言えない。 本来の目的とは外れた 些末なことに気を取られている間に 敵から先に、一本 取られてしまうのがオチだ。 まずは、何をするにしても 基本となる土台を しっかりと学ぶといいだろう。 はい!いかがでしょうか? [風の巻]では 他者と比較することで 自分の道を広く、客観的に見つめる 大切さを説いています。 整理しますと [偏った考えや、思い込みを捨てる]こと。 [本来の目的を忘れない]こと。 [ノウハウやテクニックばかりに捕らわれず 基本を磨くこと] といったお話でした。 江戸時代には 宮本武蔵の二天一流以外に 柳生新陰流とか、一刀流とか 様々な流派があったことで知られています。 ただ、どの流派も 華やかな技法を凝らすことで 商売にしていたこともあり 武蔵としては、本来の道から外れているのではないかと 批判的な気持ちもあったようです。 あと、長い刀に関する言及がありましたが 武蔵のライバルとして、よく描かれる 佐々木小次郎は 長い刀を使う剣豪として知られています。 江戸時代の一般的な刀の長さが 約70センチであったのに対し 小次郎の刀は、約94センチと非常に長く それを扱うのには、相当な技術が 必要であったと、言われています。 彼の刀は『備前長船長光 (びぜんおさふねながみつ)』という 名刀なんですが そのあまりの長さから ”物干し竿” という名前で呼ばれ 恐れられていたそうです。 そして、小次郎自慢の物干し竿に対し 武蔵は、どういった手段で 対抗したか、と言いますと、なんと彼は... 「俺のはもっと長いぞ!」と言って 1メートル39センチの木刀を用意して 戦いに挑んだと言います。 つまり彼は、事前に対戦相手の情報をリサーチし 真っ先に、その強みを消しに行ったわけです。 では、次最後です。 [空の巻]を見ていきましょう。 我が二天一流の究極の断りについて この[空の巻]に書き表すことにする。 武士たるものは 兵法の道を身に付け 更に、その他の文芸についても よく稽古を続けるべきだ。 それによって、人は心を磨き 一点の曇りもない 晴れ渡った境地に至る。 それこそが、空の教えなのだ。 はい!だいぶ短いですが 空の巻は、コレでお終いです。 この書は、極めて短い エピローグ的なところでして 宮本武蔵が武士としての人生から導きだした 『哲学』が特徴になります。 因みにここは 空の巻よりも前に見て来た 他の4巻を全て 体得することによって 初めて到達できる領域である、と 言われています。 すごく、簡単に言いますと 宮本武蔵が剣の道を追求したように 自分の道を ひたすら突き進んだ先に 真の自由が待っている。 それが空と呼ばれる 最終境地なのだ、というお話です。 実際は、もっと遥かに奥深い所なので ご興味のある方は、是非手に取っていただければと思います。 というわけで、5つの巻物に関しては ここでお終いです。 仕事や日々の生活など 色んなことに当て嵌めて 取り入れられそうなものを 見つけていただけましたでしょうか? この、変化の激しい時代において ひとつの道をまっすぐ進んで行くことは 決して簡単なことではありません。 もしかしたら、この道は 行き止まりかもしれない... 進んでいる途中で、閉ざされてしまうかもしれない。 そういった不安や恐怖が 常に付き纏っています。 しかし、一つの道を究めることは あらゆる可能性の扉を開く カギになるのだ、と 宮本武蔵はその生き方によって 示してくれました。 もし、今やりたいことがあるのに 躊躇しているのであれば 彼の言葉と自分を信じて、とにかく 無心になって、我が道を進んでみてはいかがでしょうか? その道の先には、真の自由が あなたを待っているかもしれません。 はい!というわけで 宮本武蔵[五輪書] 以上でございます。 いかがでしたでしょうか? 日本の古典は主に人間同士の絡みや その中で生まれる 心の繊細な動きに注目した作品が多いのですが [五輪書]のように、ただ勝つことのみを追求した 一人の人間の生き方、考え方が解かれた古典は 極めて珍しく、貴重な作品だ、と言われています。 ご興味を持たれた方は、是非チェックしてみてください、 また、途中で紹介しました [銃・病原菌・鉄]については 動画概要欄に貼っておきます。 是非、こちらも併せてごらんいただければと思います。 面白かった、参考になったという方は 高評価・コメントなどいただけますと嬉しいです。 また、チャンネル登録も鎧くお願い致します。 それではまた、次の動画でお会いしましょう。 ありがとうございました。