「私は頭の中で葬式を感じた
会葬者たちがあちこちと
歩き回り、歩き回って とうとう
意識がぼやけてしまった
会葬者たちが席に着くと
太鼓の音のような弔いが
うち響き、うち響いて とうとう
心が凍ってしまった
その時 棺が持ち上げられ
私の魂を横切って いつもの
鉛の靴が音をたてて通り過ぎた
すると あたりで鐘が鳴りだした
まるで天国がひとつの鐘になって
存在が耳と化したような感じ
私と沈黙はここでは
打ちひしがれたよそ者なのだ
その時 理性の板が壊れ
私は下へ下へと落ちて行った
そして落ちるたびに別の世界にぶつかり
とうとう何もわからなくなった」
私たちは鬱というものを
隠喩を通して理解しています
エミリー・ディキンソンは
詩という形で言葉にし
ゴヤは絵画で表現しました
芸術における大半の目的とは
こんな象徴的なものを
描き出すことではないでしょうか
私の場合
常に自分はタフな人間だと思ってきました
強制収容所なんかに送られても
絶対に生き延びるタイプだろうと
1991年から私が経験したことは
母の死に始まります
恋人と別れ
この時 数年の海外生活を経て
アメリカに帰国しました
そして なんとか乗り越えることができました
しかし3年後の1994年のことです
自分が ほぼ何もかも
興味を失っていることに気づきました
以前やりたいと思っていたことが
何一つやりたくなくなり
その理由さえ分かりませんでした
鬱の反対は幸福ではなく
活力です
そして活力こそが
当時の私から
消え去っていったもののように思います
目の前のやるべきことが
全て大仕事のように思えました
自宅に戻ると
留守番電話の赤いライトが
点滅しています
友達からのメッセージに
心躍らせる代わりに
私はこう考えました
「なんて多くの人たちに
返事をしなくちゃいけないんだ」
またある時は ランチをとろうとするものの
それには食べ物を取り出して
お皿に盛りつけて
ナイフで切って 噛み砕いて
飲み込まなくてはいけないと考えるのです
すると それが十字架ほどの重圧に感じました
鬱に関する議論を行う際に
上手くいかない理由の一つは
当人が馬鹿馬鹿しいと
認識していることです
実際に なんて愚かだと分かっているんです
普通の人たちは
留守電のメッセージを聞いて
ランチをとって
シャワーを浴びて
玄関から出かける
それが当たり前のことだと分かっています
玄関から出かける
それが当たり前のことだと分かっています
それでも鬱と決別できません
そして どうあがいても
解決できなくなります
こんな調子で 私はやることが
だんだん減ってきて
思考も鈍くなり
感情も失っていきました
無に近づいていたように思います
そこに不安が襲います
もし来月中は
ずっと うつ状態でいてくれと
言われたら こう返答するでしょう
「11月に終わるのであれば できますよ」と
(10月に撮影)
でも もし
「来月はずっと極度の不安を
抱えていてくれ」と言われれば
やり遂げる前に 手首を切ってしまうでしょう
いつも感じていたのは
歩いたら 滑ったり
つまづいたりして
地面が迫ってくる感覚で
この感覚が一瞬ではなく
半年も続いているように感じるのです
常に不安を抱えているというのは
異常ですが
不安の対象が何であるのかすら
分からないのです
この時 私が思い始めたのは
生きることは ただ辛すぎるということ
自殺をしなかった 唯一の理由とは
周りの人を悲しませたくなかったからです
ある日 目を覚ました私は
脳卒中を起こしたかもしれないと
思いました
ベッドに横たわる身体は
凍り付いていたからです
電話を遠目に こう考えます
「何かがおかしい 助けを呼ばなくては」
でも腕を伸ばして
受話器を取って
ダイアルすることができません
横たわりながら電話を見つめること
4時間
ついに電話が鳴りました
なんとか受話器を上げると
父からでした
私は「深刻な問題を抱えている
助けが必要だ」と話しました
翌日から 投薬とセラピー治療が
始まりました
そして ゾッとするような
こんな自問も始めたのです
もし自分が強制収容所で
生き延びられるような
タフな人間でなければ
この私は誰だ?
もし この薬を飲めば
もっと自分らしくなるのだろうか?
それとも別人になってしまうのだろうか?
もし違う人間にしてしまうのなら
私は どうなるんだろう?
この戦いを始めるにあたり
私には2つの強みがありました
まずは客観的に見ても
私はよい人生を送っていました
そして回復さえすれば
その先には 生きがいがある
生活が待っていると分かっていました
もう1つは 良い治療への
アクセスがあったことです
それにもかかわらず
症状はぶり返し
あらわれては ぶり返し
あらわれては ぶり返しました
ついに悟ったのは
投薬とセラピー治療に
一生頼らなければいけない
ということでした
そこで考えたのは
「これは化学的問題か
それとも心理的問題なのか?
化学療法と心理療法の
どちらが有用なのだろうか?」と
結局どちらが効果的なのか
分かりませんでした
そこで理解したことは
実は どちらの専門領域でも
この病気を十分に解明できないのだと
でも化学療法と心理療法は
どちらも担うべき
役割があります
また私が気づいたのは
鬱とは
私たちの 深部に編みこまれたもので
個性や性格と
不可分であるということでした
現代の鬱の治療法とは
酷い状況です
効果的でないし
とても高額です
数え切れない副作用も伴います
本当に最悪です
それでも現代に生きることができて
感謝しています
50年前だったら
ほとんど 手の施しようが無い
症状だったろうと思うからです
ですから50年後の人たちが
私が受けている治療法を聞いて
そんな原始的な科学に耐えていたのかと
驚愕してくれることを願います
鬱とは愛の欠陥です
結婚している男性が
「もし奥さんが死んだら
他を探そう」と思うなら
私たちが信ずる愛とは程遠いです
失うことが決してない愛など
ありえないし
絶望への不安は
愛情をより深くさせる
原動力にもなります
皆さんが混同しがちなことが
3つあります
鬱、苦悩、悲しみです
苦悩とは明らかに呼応するものです
皆さんが誰かを失って
極度に不幸だと感じているとします
でも半年後に
深い悲しみは残っても
少しずつ元の生活に戻れるようなら
それは苦悩でしょう
この場合
何らかの形で
自ずと癒されるはずです
もし皆さんが悲劇的な形で
誰かを失って
極度に落ち込んで
半年後に日常生活も
ままならないようなら
悲劇的な状況下によって
誘発された
鬱である可能性が高いです
どのような軌跡を辿るかが
大いに関係しているのです
多くの人が うつ病とは
ただ悲しみに暮れることだと考えています
ですが実際は想像以上に深い悲しみで
大きすぎる苦悩なのです
そして遠巻きに見ると
小さすぎる原因に端を発したものです
私は鬱を理解するため
その経験を持つ人たちに
インタビューを始めました
それで分かったことは
表面的には比較的
軽度のうつ病を患っている人も
この病気によって
大きな支障を被っているということです
その一方で
本人の説明によれば
重度のうつ病を
患っているように聞こえても
暗いエピソードの隙間から
よい生活を送っている様子を
垣間見ることがあります
そこで次に調べたのは
ある人たちが
他の人たちに比べて
より回復力がある要因です
人々を生き延びさせるような
メカニズムは何だろうか?と
これを解明するため
鬱に苦しんでいる
あらゆる人たちに
インタビューを行いました
最初にインタビューの対象になった人は
うつ病を
ゆっくり死を迎える病気だと
表現していました
これを早い段階で
聞けて良かったです
というのも
ゆっくり死に向かうということは
実際に死に導かれているということで
重大な問題です
これが世界規模で まん延し
毎日 多くの人たちが命を絶っているのです
私が話を伺った方の1人で
理解しようと努めた人は
大好きな友達で
旧知の友でした
彼女は大学1年の時
精神病エピソードという
一過性の精神障害をきたしたことで
酷いうつ状態に陥りました
双極性障害でした
当時は躁鬱病として
知られていました
長年に渡るリチウム投与の後
回復の兆しが見えたので
ついに
リチウムを断って
どんな具合か見てみると
別の精神病にかかってしまい
私がこれまで見た中でも
最悪のうつ病に
冒されてしまいます
彼女は両親のアパートに座って
強硬症患者のように
来る日も来る日も
じっとしているのです
数年後に
彼女に当時のことを聞いてみると
― 彼女はマギー・ロビンズという
詩人兼 心理療法士です ―
私がインタビューすると
こんな話をしました
「心を落ち着かせるために
『花はどこへ行った』を
頭の中で歌い続けていた
本当は心の中の声を
消し去りたかった
その声は「お前は価値がない
誰も必要としない
生きる価値すらない」と
その時から本気で自殺を
考えるようになったんです」と
うつ病とは
灰色のベールで覆われて
嫌な気分で
世界を見るわけではありません
嫌な気分で
世界を見るわけではありません
ベールをはがされた気分になるんです
それも幸せという名のベールを
そして目に映るものを
正直に受け止めてしまいます
統合失調症患者の治療の方が
ずっと簡単です
彼らは妄想などの障害を抱えているので
それを追い払えばいいのです
でも うつ病患者は違います
なぜなら 目に映るものを
真実だと受け止めるから
でも真実でさえ欺くことがあります
私は この考えが
引っかかるようになります
「でも真実でさえ欺く」
うつ病患者との対話で
見出したことは
彼らには多くの妄想知覚が
あるということです
「自分は誰からも愛されていない」と言う人には
「私は あなたが大好きだ
奥さんも あなたを愛しているし
あなたの お母さんもだ」と言ってください
ほとんどの人にとって
これは即座に返せる言葉です
でも 鬱を患っている人たちは
こうも言います
「自分たちが何をしようと
結局 皆死んでいくだけだよ」
あるいは「2人の人間の間で
真実のやり取りなんて存在しない
それぞれの精神は
体の外に出ることはないのだから」
そんな時は こう返してください
「確かに その通りだね
でも今考えるべき問題は
朝食に何を食べるかだよ」
(笑)
多くの場合
彼らが伝えたいのは
病的なことでなく物事の本質で
本当に驚くべきことに
私たちの多くが
このような実存的な問いについて
知っていますが
あまり気にしません
私が特に気に入っている研究があります
鬱を患う人たちと
そうでない人たちをグループ分けして
1時間 テレビゲームをするよう依頼します
1時間後
自分たちが小さなモンスターを
何体くらい倒したと思うか
聞いてみます
鬱を患う人たちのグループは
大抵 この数が正確で
その誤差は1割です
もう片方のグループはというと
15から20倍も多く見積もって
小さなモンスターを (笑)
倒したと言うのです
私が自身の鬱体験について
本を書いていると言うと
多くの人から この告白によって
周囲に知られるのは
さぞ大変だろうと言われました
「周りの人の話し方は変わった?」
と聞かれました
私の答えは
「もちろん変わりました
周りの人は
自分たちの体験を語りはじめたんです
あるいは彼らの姉妹の体験
彼らの友達の時もある
鬱とは誰もが持ちうる
家族の秘密だと分かってから
世界が変わりました」と
数年前になりますが
ある会議に参加しました
3日間の会議の
初日にあたる金曜日
1人の参加者が私のもとに来て
こう話しました
「私は鬱を患っているんだけど
自分でも少し恥ずかしいの
でも 投薬治療を続けていて
あなたの意見を伺いたいの」
私は できる限り
彼女に助言しました
すると彼女は「私の夫は
この病気について
全然理解がないんです
鬱なんて理解できないというタイプ
だから この話は秘密にしてね」と
私は「分かりました そうします」と答えました
会議の最終日にあたる
日曜日のことです
彼女の旦那さんが私のもとに来て
こう話すのです「私の妻が
これを知ったら失望すると思うんだが
私は鬱に悩まされていて
投薬治療を受けているんだ
そこで あなたの意見を伺いたい」と
この夫婦は
同じベッドルームの
違う場所に
同じ薬を隠していました
この時 伝えたのは
夫婦間のコミュニケーションに
問題があるかもしれませんねと
(笑)
同時に私が驚いたのは
相互に秘密を持つことの
やっかいな性質です
鬱とは本当に骨が折れます
時間も奪われるし
エネルギーを消耗します
それでいて 誰にも話せないのです
これなら鬱が悪化しても
おかしくないでしょう
そこで私は
こんな彼らの心理状態を
改善する方法について考え始めました
まずは医学重視の立場から
考えてみました
私は ある種のセラピーは効果的だと
思っていました
効果が顕著なのは
投薬に
特定の心理療法
電気ショック療法も
その可能性がありますが
その他の治療は
効果は無いだろうと
でも私が気付いたのは
脳腫瘍患者に
毎朝 20分間
逆立ちをすると 気分が良くなりますよと
伝えると
気分が良くなることがあるようです
もちろん脳腫瘍は消えませんし
脳腫瘍が原因で死に至るでしょう
でも鬱に悩んでいる人に
毎日 20分間
逆立ちをしたら
気分が良くなりますよと言えば
本当に効果があるんです
鬱とは感情の病だからです
もし気分が良くなれば
もう落ち込むことはないのです
ですから私は代替治療の
無数の選択肢に
心を開くようになりました
そして何百通もの手紙を
受け取りました
どんな方法で効果があったのか
教えてもらったのです
今日は講演前の舞台袖で
瞑想の効果について聞かれました
私が気に入っている手紙の1つは
ある女性から送られたもので
その内容は
これまでセラピーや投薬など
ありとあらゆるものを試してみて
やっと解決策を見出し
私から皆さんに紹介して欲しいそうで
それは編糸で小物を
作ることだそうです
(笑)
実物も いくつか送ってくれました (笑)
ちなみに今は身に付けていません
彼女には『精神失調の診断と統計の手引き』の
強迫性障害の項目を調べることを
すすめました
私が代替治療について調べた時
他の治療についても
知見を得ることができました
例えばセネガルの部族の
悪魔祓いは
羊の血を用います
ここで詳細は避けますが
数年後にルワンダで
別のプロジェクトに
従事していたとき
セネガルでの経験を
たまたま別の人に話すと
こんな風に返ってきました
「それは西アフリカのやり方
東アフリカの私たちは
儀式の方法も
全く違う
でもね 共通する儀式もあって
さっきの悪魔祓いは似ている」と
私が「へぇ」と感心すると
彼は続けて
「西欧人のメンタルヘルスワーカーと
色々問題があってね
特にルワンダの大虐殺直後に
来た人たちなんだけど」
私が「どんな問題なんですか?」と聞くと
彼は「実はね
彼らは奇妙なことをするんだ
気持ち良くなるはずの
太陽のもとに
出て行かないんだ
仲間を高揚させるために
ドラムも音楽も使わない
コミュニティ全体で何もしないし
侵襲する霊気であるはずの
鬱も追い出そうとしないんだ
その代わりに 皆を一斉に
薄汚い窮屈な部屋に連れて行って
自分たちの
悲惨な経験について
1時間も話し合うんだ」
(笑)(拍手)
「彼らには帰国してもらった」と
言っていました
(笑)
別の極端な代替治療法を
見ていきましょう
フランク・ルサコフについてお話します
フランク・ルサコフは
私が知っている中で
最悪の鬱を患っていました
彼は常に うつ状態だったのです
私が彼と面会していた時期は
毎月 電気ショック療法を受けていました
治療後1週間は支離滅裂で
その1週間後は正気に戻るのです
すると翌週には症状が悪化します
それで また電気ショック療法を受けるのです
私と面会した時は
「毎週こんな風に過ごすのは
耐えられない
とても続けられない
このまま回復しなければ
これを終わらせるための
準備もできている
でも その前に
マサチューセッツ総合病院で
脳外科手術で帯状回切除という治療を
やっていると聞いたので
これを試してみたいと思う」と言いました
これを聞いた私は
感心したのを覚えています
様々な治療で
幾度となく不快な体験をしてきた
彼のような人が
心の片隅で 別の治療を受けてみようと
奮い立った
前向きな心にです
彼は帯状回切除を受けて
手術は大成功でした
今や彼は私の友人の1人です
可愛い奥さんがいて
2人の素敵な子供も授かりました
術後のクリスマスに
彼から手紙を受け取りました
その内容とは
「今年は父から2つの贈り物をもらったよ
まずはシャーパーイメージが出している
電動CDケース
あまり必要なかったんだけど
私が独立して
気に入った仕事をしている
お祝いにくれたものだから
嬉しいよ
もう1つは
自殺してしまった
祖母の写真だった
包みを開けながら 泣き出してしまったよ
すると母が近寄ってきて
『会ったこともない親戚がいて
泣いているの?』と聞かれたから
私は『お祖母さんは自分と同じ病気を
患っていたからだよ』と
君に手紙を書いている最中でさえ
涙が止まりません
でも悲しいからではなく
胸が一杯なんだ
自分は自殺していたかもしれないから
でも支えてくれた両親や
お医者さんのお陰で
手術を受けて
生き延びることができて
感謝の気持ちで一杯だ
私たちは良い時代に生きている
たとえ そう思えなくてもね」
私は鬱が現代西洋社会の
ミドルクラスが抱えるものだと
広く認識されていることに気付きました
そこで その他の環境下で
どのように扱われているか調べました
その中でも特に興味を引かれたのは
貧困層の鬱です
そこで 貧しい人々が
うつ病と
どのように関わっているのか
調べてみることにしました
そこで明らかになったのは
貧しい人々は
その大半が うつ病の治療を受けていないことです
うつ病は遺伝的傾向の結果なので
その人口比は環境に関わらず
均等に分布されているはずです
また 鬱の引き金となる状況も
貧困に陥った人々の方が
厳しいはずです
しかし ここで明らかになったのは
本当に快適な生活を送っている人が
いつも惨めな気持ちだったら
「何でこんな気分になるんだろう?
鬱を患ってしまったに違いない」と思うのです
そして治療法を探し求めるのです
でも完璧なほど悲惨な生活で
いつも惨めな気分を味わっていても
それが妥当だと思う人は
「この哀れな気持ちを治さなければ」
などと思わないでしょう
ここアメリカにおいて
まん延しているものとは
貧しい人々の間にある
うつ病が
気づかれもせずに 治療が施されず
問題視すらされていないことで
これは大きな悲劇だと考えます
そこで私はワシントンD.C.のスラム街で
研究プロジェクトを行っていた
研究者に出会いました
彼女は他の健康問題で受診に来た
女性患者たちに
うつ病を発見した場合
半年間の治療実験を行っていました
患者の1人でローリーという女性がいて
受診に訪れた際に こんな話をしました
ところでローリーは7人もの
子供を抱える お母さんなんです
「以前は仕事があったけど
辞めてしまいました
外出できなくなってしまったから
それに子供達に掛ける言葉が
見つからないんです
朝になると 皆が出かけた後に
ベッドに戻って布団をかぶるのを
心待ちにしている
3時になると子供達が戻って来て
早すぎだと思うんです」
彼女は続けて
「タイレノールを沢山飲んでいるけど
もっと眠れるなら 何だって飲みますよ
私の夫は 私が間抜けで
醜いと言うんです
この苦痛から逃れたい」
彼女は治療実験の対象となり
半年後に私がインタビューに訪れると
児童保育の仕事を始めていました
アメリカ海軍に親を持つ子供達のためで
虐待癖のある夫とは別れていました
彼女は私に
「私の子供達は本当に幸せそう」と話しました
「新しい自宅には
男の子と女の子用の部屋を
作ったんだけど
夜になると 皆私のベッドで寝るの
宿題から何から
色んなことを一緒にやるんです
子供達の1人は将来 牧師になりたくて
もう1人は消防士
女の子の1人は
弁護士になりたいみたい
子供達は前みたいに泣かないし
以前のように喧嘩もしません
私に今必要なのは彼らだけ
色んなことが改善しました
服装や感情
行動もです
もう不安に思いながら
外出することもないし
悪い感情も 戻ってこないと思う
ミランダ先生がいなかったら
今でも布団をかぶって
家に こもっていたし
もしかして生きていないかもしれない
神様に天使を遣わすよう
お願いしたから
願い事を聞いてくれたみたい」
彼女の体験に心から感動した私は
これを書いてみたいと考えました
当時 執筆していた本だけでなく
ニューヨーク・タイムズ・マガジンから
依頼された記事にも書こうと決めました
テーマは貧困層の鬱についてです
出来上がった記事を持っていくと
編集者に呼び出されました
「記事にできない」と言うのです
私が「どうしてですか?」と聞くと
「この話は にわかに信じ難いよ
社会の最底辺にいるような人たちが
数ヶ月の治療を受けて
モルガン・スタンレーで働けそうだなんて
あり得ないよ
こんな話これまで聞いたことがない」と
そこで私は「君ですら聞いたことが無いから
ニュースとしての価値があるんじゃないかな」
(笑)(拍手)
「君はニュース雑誌をやってるわけだし」と
交渉を重ねて ようやく掲載が
決まりました
でも この過程でよく耳にしたのは
鬱を治療するというアイデアを
嫌悪するような
発言でした
貧困地域の多くの人を
治療するということは
悪い意味で彼らを利用している
彼らの生活を変えてしまうからだと
私たちの周りには
鬱の治療や
投薬治療などは まやかしであり
自然の摂理に反するという
間違った道徳的責務があります
私にはとても見当違いのように思います
歯が抜けることは
自然の摂理ですが
それを歯磨き粉のせいにする人は
いないでしょう
少なくとも私の周りにはいません
こんなことを言うと
「うつ病とは人々が
経験すべきものじゃないのか?
進化の過程で
鬱を患うようになったのでは?
鬱も個性じゃないか?」という
声が聞こえます
対する私の答えは
「気分は順応性がある」です
私たちが感じる
悲しみ 恐怖
喜び 楽しみなど
すべての感情は
大変価値あるものです
問題になるような鬱とは
バランスが崩れたときに起こります
正しく適応できなくなるのです
私のもとに来る人たちは
「もしあと1年我慢すれば
乗り越えられる気がするんです」と言いますが
私は こう答えます
「そうかもしれません
でも二度と37才には戻れませんよ
人生は短いのに
1年も無駄にするつもりですか
よく考えてください」と
英語に限らず
多くの言語でも同じだと思いますが
「鬱」という言葉に
表現の乏しさを感じます
子供が自分の誕生日に
雨が降っていて悲しむときにも
誰かが自殺を目前に
苦しむときにも使うのですから
こんなことを聞かれます
「鬱とは普段の悲しみの延長線にあるのでしょうか?」
私の回答はこうです
「ある意味 普段の悲しみの延長線上です
ある程度の継続性があります
この継続性を例えれば
家の外の鉄柵の間に
小さなサビが付いたら
ヤスリで削り落として
ペンキを塗る必要がありますが
100年も手入れをしなかったら
家はどうなりますか?
瓦礫や赤サビだけが
残りますよね
この赤サビこそが
問題で
私たちが取り組むべき問題なのです
周りの人たちは
「抗鬱剤を飲んで幸せですか?」と
聞くかもしれません
薬で幸せは感じません
でもランチをとることに悲しまないし
自宅の留守電を聞いても悲しくない
シャワーを浴びることも悲しくないですが
実は より豊かに悲しみを感じています
価値あるものに悲しみを感じるようになりました
今 私が心を痛めるのは
専門的な分野で落胆するとき
例えば人間関係の問題
地球温暖化などです
これらが私が心を痛めている対象です
ここで自問するのは
では結論は何だ?
重い鬱に悩みながらも
良い日々を過ごしている人たちは
どう対処しているのだろうか?
これに打ち勝つメカニズムは?
などです
時間をかけて分かったことは
自己の過去を否定する人
例えば「自分が鬱を患ったのは大昔で
そのことについては考えたくないし
思い出したくもない
これからの人生に集中するんだ」という人
皮肉にも こんな人たちが
鬱の奴隷になってしまうのです
鬱を締め出すことが それを助長します
隠すことで 肥大します
一方で上手にやっている人とは
うつ病を患っているという事実に
背を向けない人たちです
自分の鬱を受け入れる人たちは
回復力が備わっています
フランク・ルサコフは
「こんな経験を
繰り返したくはないが
でも不思議なことに 自分が得た経験に
感謝の気持ちで一杯だ
40回も入院した経験に感謝している
愛について そして両親
お医者さんとの関係について
多くを学んだ
この大切な宝は生涯忘れない」と言いました
そしてマギー・ロビンズは
「エイズ診療所でボランティアをしていた時は
私だけが一方的に長々と話して
患者は全く無反応で
フレンドリーではないし
全然歩み寄ってくれないと感じました
でも気付いたのです
彼らは 最初の数分の
ちょっした挨拶しかできないのだと
それ以上 話せば
私は非エイズ患者で
彼らのように死を目前にしておらず
彼らがエイズ患者で
死を目前にしている事実が
明るみになるから
私たちが必要としていることには
素晴らしい価値がある
だから私が必要とする
全てのものを与えることにした」と
鬱に価値を置くことで
再発を防ぐことはできません
でも再発の兆候を見つけたり
再発しても
受け入れ易くなるかもしれません
大切なことは患ってきた鬱の
素晴らしい意義を見出し
良い経験だったと満足するのではなく
大切なのは その意味を探り
思考を深めて 再発した時には
「これから地獄を経験するだろう
でも何かを学んでみる」という
心構えを持つことです
私も自分の うつ病から
感情がどれだけ肥大できるか
妄想が真実を押しつぶすことが
できるかを学びました
そして この体験こそが
より力強く より的を絞った形で
前向きな感情を経験させてくれました
うつ症状の反対は
幸せではありません
活力です
近年 私の生活は生き生きとしています
悲しい日さえもです
私は頭の中で あの葬式を感じた
世界の果てにある
十字架の横に座ると
自分の中の
何かに気付いた
自分の魂を呼び覚ましたのだ
20年前の あの日
地獄が突然訪れなければ
できなかったことだ
私は鬱が大嫌いで
二度と再発して欲しくない反面
鬱を慈しむ方法を見出しました
鬱を愛する理由とは
喜びを見つける方法を
教えてくれたから
そして 時に勇敢に
時に ためらいを翻して
生きがいを貫いていく
日々 そんな決断を迫られるからです
これは この上ない喜びだと思います
ありがとうございました
(拍手)