明日の朝6時までしか 生きられないとしたら あなたは何をしますか? 私が演出した 『THE WINDS OF GOD』という舞台で 特攻隊員を演じた若い日本の役者たちには このような質問を投げかけました すると役者たちは 心の中を見つめ 何が大切かを考え 選択をし 行動を起こすよう迫られます 私が役者に求めるのは このようなことです 役者は 時に― 暗く傷つくかもしれない場所に 行かねばなりません 私たちのような一般人は 行くのを躊躇することもあるでしょう だから役者に代わりに行ってもらい 表現したくてもできないことを 代わりに表現してもらうのです だからたぶん役者は高い対価を得るのでしょう このようなことが 私のやってきた仕事です 先ほどの作品では 役者さんたちと 色々なところに行きました オーストラリアやニュージーランド ツアーで ロンドンにも行き アクターズ・スタジオや 国連にも招待されました 公演のあと 一人の女性が 私に話しかけてきました 「父に日本人は敵視するよう 教えられてきましたが この作品を拝見して 特攻隊員が 我が子のように思えました」 心に響く感想でした この仕事に携わることに 大きな意義を感じました 今日 私がお話しするのは 芝居への愛と この仕事― つまりアーティストたちとともに 人を感動させ 生きる糧となる瞬間を ほんの僅かでも生み出すために 働くことについてお話しします また 私がキャスティングに関わる きっかけとなった 国際的な仕事についても お話ししたいと思います これもまた 皆さんにお伝えしたい とても素晴らしい仕事です なぜなら 配役を考えるときは 脚本と その中の台詞 それしか持ち合わせていません もちろん監督のビジョンも 自分の考えもあります それと同時に脚本もある中で 役に合う実際の役者を 見つけなければならないのです それと同時に想像力を働かせて 役者の可能性を見抜かなければなりません これらのピースを組み合わせると 時々素晴らしいことが起こります まるで魔法です 役がカリスマ性を放ち 役者もさらにカリスマ的になります これらは私が携わった映画の例です 是非お見せしたかったのは 先ほどお話しした特攻隊の作品 私の手がけた作品です 『ラスト・サムライ』には まるまる2年関わりました とても素晴らしい経験でした 渡辺謙は 実際にオーディションを受け 他にも400人近い 日本の役者さんたちがいました 『SAYURI』 さゆりを演じた少女は 写真を見た瞬間― 「この子だわ」と思いました 私は ほとんど写真だけで選んだのです 『バベル』の菊地凛子は 張り詰めた感じが 他の役者さんから際立っていました 他にも現在いくつか手がけていますが 『Unbroken』は まだ日本で公開されていません この作品には素晴らしいパフォーマー Miyaviが登場します これは『終戦のエンペラー』で ゲイリーと 私の息子である野村祐人と 共同製作した作品です この作品を製作するのには 大きな意味があり できるだけ多くの人に 見てほしいと思っています キャスティングを除けば 私の仕事は 指導 演出 コーチング そしてキャスティングなどですが 芝居の要素は 次の3つの事柄― いわば3本の柱に 尽きるのではと思います これらは役者の内に 私が見出そうとし 演技をより良くするための 拠り所となるものです 1つ目の柱は 自分に向き合うこと これはそう簡単ではありません 私たちはみな 人には良く思われたいですし 欠点を見られたくありません でも 役者は自分の全てを 使わなければ 観客に訴える力強さが伴いません だから役者は 隠しておきたいような欠点も含めて 自分の全てを受け入れなければならないのです これはアップルパイのようなものです パイのある一部分を捨て去ろうしても 無理なのです だってそれはあなたの一部なのだから だからまず自分自身の全てを 受け入れる努力をします 一度やると 少しずつ楽になっていきます 正直になることであり 真実に近づくことですから これは私がとても大切に思っていることです 特に現在の日本の若い人には 私はこう言います 「あなたと同じDNAを持つ人も 同じ指紋を持つ人もいない あなたは唯一の存在なの あなたはそのままで完璧なのよ」 役者にとって 自分を他人と比べて 相手の方が役者として 優れているなどと考えるよりも 自分が持っている全てを出し切って 役を演じたほうがいいのです ジェームス・ディーンの作品を監督し 役者の教典ともいうべきものを著した 伝説的な映画監督エリア・カザンの言葉を 引用したいと思います 「心をひらく 傷つく覚悟で 私が最も欲しているのは ただひとつ 自分自身であること」 これはとても大切です そして2本目の柱は 目的ある行動というべきものです 例えば 芝居を見ているときに 惹きつけられるのは 様々な障害に立ち向かい 求めるものを手に入れようとする人です これこそが 芝居の全てです つまり ある素晴らしい目的や心 願望 欲望があり 役者はそこに到達するために 様々な困難を乗り越えます そして役者が自分の中に 見つけなければならないのは 自身の欲求・目的なのです そのためには本当に努力が必要で 何度か失敗したとしても それは問題ありません 目的に到達したいという情熱と 目的意識があるのですから 例えば 私の場合 どうしても スティーヴィー・ワンダーに作曲して欲しいと思いました 私は作詞をするのですが ちょうど作詞していたミュージカル用に 曲をつけてほしいと思ったのです もちろん それは難しくて 5年かかりました 詐欺師みたいな人もいますし 問題は山積していました でも途中でオノヨーコに出会い それも良かったのですが 5年後 スティーヴィー・ワンダーが ホテルの部屋から出てきて 弟さんにピアノへと導かれ 私の隣に座ったのです 彼は曲を演奏し始めました 私はとても心打たれ 思わず涙がこぼれました 音を立てずに流した涙でしたが 彼には私の涙が聞こえたのです 彼は途中で演奏をやめ その大きな手で私の涙をぬぐいました そう 信じ 求めれば 手に入れることができるのです だから 目的を 大切にしたいのです まず 目的は前向きでなければなりません ネガティブなものに対して 行動は起こせません 「逃げ出したい」のを目的に据えるのは 少し難しくても 代わりに「あそこに行きたい」と言えば それが行動の源となるのです また前向きであると同時に 自分がやりたいことに信念をもつことが とても大切です 私のように スティーヴィーに曲を作ってほしいとか 映画を作りたいとか 何でもいいのです 次に引用するのは トニー賞を受賞した劇作家― サイモン・スティーヴンズの言葉です とても感銘を受けました 「劇作家の仕事とは 思考と感情の宇宙を 行為を通じて解き放つことだ」 例えば「OK」というたった一語が 劇中で最も面白い言葉だとも 言っています つまり言葉単独で面白いのではなく ふるまいや行為によって面白くなるのです さて3本目の柱についてですが これは言うのはとても簡単ですが 実行するのはとても難しいものです それは心から語り 聞くことです 心から耳を傾けられるのは 特殊な技能だと思います 私たちは 何かを伝達しているつもりで 話していながらも 他のことが気になっていたり 相手が別のことを考えていることがあります そういう場合は 真に完全で生き生きとした 今を感じられる瞬間とは言えません 幸運なことに私はこのような瞬間を 数多く目にしてきました それこそ 私が作中で 生みだそうとしている瞬間なのです ここでお見せするのは 私の教え子たちが真に話し 耳を傾けている瞬間を 捉えたものです ちょっといいかしら パトリック 来てる? ちょっとだけ来てもらえるかしら (男性の声) 本当?えっ わかったわ (パトリック)もちろん (奈良橋)時間 押してる? (パトリック)いや 大丈夫 (奈良橋)そう? わかったわ 私が彼に頼もうとしているのは― (パトリック)どんな役をやるんだい? (奈良橋)次の映画 大作よ (パトリック)OK 分かった いつでもいいよ (奈良橋)何でもいいわ 言ってみて (パトリック)Flow (流れ) (奈良橋)フロー 分かったわ 言ってみて (パトリック)フロー (奈良橋)わかったわ 何か想いがあるわよね? 今は言葉を投げ合っているだけですが 今度は 私を見て 私はどんな状況にいるか 私がどんな所にいるかを見て その単語を使って 私に何かを伝えてみてくれる? その言葉で私に 想起してもらいたいことがある? (パトリック)フロー (奈良橋)わぁ (笑) フロー 素敵ね ありがとう (拍手) とても素敵でした ありがとう (パトリック)「愛」を伝えたかったんですよ (奈良橋)あら まぁ! 言葉の裏で 「愛」を伝えようとしたそうです 確かに感じたわ どうもありがとう 私の仕事はこんな感じです 最後にご紹介したいのは― あ! ここにそういう瞬間の もうひとつの例があります キリンとダチョウです 最後にもう1つ引用をして 終わりたいと思います というのもこの方よりも 上手い表現ができないからです 常に平和を望んでいた スペインのチェロ奏者です お芝居のどんな仕事をしているときでも これが私の想いを最もよく表しています 「そうだ 君は奇跡なのだ だから大人になったとき  君と同じように奇跡である他人を 傷つけることができるだろうか 君たちは―われわれも皆― この世界を 子供たちが 住むにふさわしい場所にするために 働かねばならないのだ」 (吉田秀和訳『パブロ・カザルス 喜びと悲しみ』) パブロ・カザルスの言葉です ありがとうございました (拍手)