WEBVTT 00:00:51.410 --> 00:00:56.700 古代から現代まで、世界の偉大な精神的指導者 00:00:56.700 --> 00:01:01.620 らは、私たちの存在の最も深い真実は1つの宗教 00:01:01.620 --> 00:01:06.780 や精神的伝統が所有するのではなく、各人の心の 00:01:06.780 --> 00:01:11.020 内にあるという見解を共有してきました。 00:01:20.510 --> 00:01:28.880 詩人ルミ曰く、「昇りも沈みもしない月はどこか。 00:01:28.880 --> 00:01:36.580 我々と共にいていない魂はどこか。ここやあそこと 00:01:36.580 --> 00:01:45.879 言うなかれ。万物は見える目以外のそれである。」 00:02:50.156 --> 00:02:56.440 バベルの塔の話では人類が無数の言語、信仰、文化、 00:02:56.440 --> 00:03:04.250 関心に分裂しました。バベルは「神の門」を意味し、 00:03:04.250 --> 00:03:12.947 門は私たちの考える精神、条件付けされた構造です。 00:03:14.590 --> 00:03:22.110 名前や形を超えた本質、真我に目覚めた者は 00:03:22.110 --> 00:03:28.400 門の向こう側の偉大な神秘に足を踏み入れます。 00:03:37.100 --> 00:03:43.080 象を使った古代の寓話は、様々な伝統が同一の 00:03:43.080 --> 00:03:49.410 偉大な真実を差すのを説明するのに使われます。 00:03:49.410 --> 00:03:56.280 盲人のグループがそれぞれ象の一部分に触れて、 00:03:56.280 --> 00:04:06.270 その印象を受けます。足元に立つ人は象は木のようだ 00:04:06.270 --> 00:04:14.060 と言い、尻尾に立つ人はロープのようだと言います。 00:04:14.060 --> 00:04:20.488 牙の前に立つ人は槍のようだと言い、耳に触れた人 00:04:20.488 --> 00:04:26.900 は扇子のようだと言います。お腹に触れる人は 00:04:26.900 --> 00:04:34.090 壁のようだと言い張ります。私たちが象の一部に 00:04:34.090 --> 00:04:39.980 触れ、自分の経験が唯一の真実だと信じることが 00:04:39.980 --> 00:04:47.510 問題です。各人の経験が同じ動物の異なる側面で 00:04:47.510 --> 00:04:53.920 あることを認めたり、それを尊重したりしません。 00:05:17.750 --> 00:05:23.960 永遠の哲学とは、すべての精神的や宗教的な 00:05:23.960 --> 00:05:29.000 伝統が、知識や教義の元となっている神秘的 00:05:29.000 --> 00:05:34.610 または超越的な1つの普遍な真実を共有している 00:05:34.610 --> 00:05:38.769 という理解です。 00:05:46.550 --> 00:05:52.400 スワミ・ヴィヴェカナンダは、「全宗教の目的は神に 00:05:52.400 --> 00:05:59.870 目覚めること。それが普遍的な宗教だ」と、永遠の教えを 00:05:59.870 --> 00:06:08.300 まとめました。この映画で「神」は超越したもの、限られた 00:06:08.300 --> 00:06:16.160 自我を越えた偉大な神秘を指します。真我や内在の自己 00:06:16.160 --> 00:06:23.870 に気付くのは己の神聖さに気付くことです。全ての魂 00:06:23.870 --> 00:06:31.310 に、高次の意識を顕現し、自分を眠りや形と同一視 00:06:31.310 --> 00:06:37.530 することから目覚める可能性があります。 00:07:04.930 --> 00:07:11.061 「すばらしい新世界」の作家で先見の明あるオルダス・ 00:07:11.061 --> 00:07:16.390 ハクスリーは、「永遠の哲学」と題した本で、歴史上 00:07:16.390 --> 00:07:22.270 多数の文化に組み込まれ何度も繰り返されてきた1つ 00:07:22.270 --> 00:07:31.560 の教えについて、「永遠の哲学はサンスクリット語 00:07:31.560 --> 00:07:36.400 の『Tat Tvam Asi(汝はそれなり)』に最も簡潔に 00:07:36.400 --> 00:07:41.330 表現されている」と書いています。内在する永遠の 00:07:41.330 --> 00:07:49.180 自己アートマンが、全存在の絶対原理ブラフマンと 00:07:49.180 --> 00:07:54.860 一体で、全人類の最終目的はその真実を発見する 00:07:54.860 --> 00:08:01.380 こと、自分が誰かを知ることです。 00:08:07.289 --> 00:08:13.122 各伝統は同じ真実の独自の視点を反響し、互いに 00:08:13.122 --> 00:08:20.688 照らし合う宝石の面のようです。言語や概念的枠組み 00:08:20.688 --> 00:08:28.119 を問わず、永遠の教えを反映する全宗教には、自分より 00:08:28.119 --> 00:08:35.099 も偉大で超越したものと結合する概念があります。 00:09:09.800 --> 00:09:15.230 1つや複数の情報源から学び、それらと自己を 00:09:15.230 --> 00:09:21.090 同一視せずに統合することが可能です。真の霊的 00:09:21.090 --> 00:09:28.940 教えはすべて超越的な真実を指すと言われています。 00:09:28.940 --> 00:09:34.930 教義や教えに安らぎを求めて固執すれば、霊的進化 00:09:34.930 --> 00:09:41.400 は妨げられます。すべての概念を超えた真実を知る 00:09:41.400 --> 00:09:50.270 のは依存心、執着、宗教的概念を手放すことです。 00:09:54.010 --> 00:09:59.860 自我の観点からすると、サマーディを指す指は 00:09:59.860 --> 00:10:04.470 奈落の底を指しています。 00:10:05.630 --> 00:10:11.660 十字架の聖ヨハネ曰く、「確実な道を歩むには、 00:10:11.660 --> 00:10:17.650 目を閉じて暗闇を歩く必要がある。」 00:10:51.120 --> 00:10:55.940 サマーディは未知への飛躍に始まります。 00:11:08.820 --> 00:11:14.269 古代の伝統で、サマーディを悟るには意識を全ての 00:11:14.269 --> 00:11:20.449 既知の対象、つまり現象、条件付けされた思考や感覚 00:11:20.449 --> 00:11:27.519 から切断し、意識自体・内なる源・存在の心や本質 00:11:27.519 --> 00:11:36.280 に向けるべきだと言われてきました。この映画で 00:11:36.280 --> 00:11:42.290 サマーディは超越的なものを指し、最高とされる 00:11:42.290 --> 00:11:47.939 ニルヴィカルパ・サマーディを意味します。 00:11:53.010 --> 00:12:02.350 ここでは自己活動、全探求、全行動が停止します。 00:12:02.350 --> 00:12:08.419 語れるのは近づくと消え去るものと、戻ると再び 00:12:08.419 --> 00:12:15.499 現れるものだけです。知覚も非知覚もなく、「物」も 00:12:15.499 --> 00:12:23.890 「無物」もなく、意識も無意識もなく、絶対的で、 00:12:23.890 --> 00:12:30.429 計り知れず、精神には不可解です。 00:12:34.739 --> 00:12:39.920 自己が行動に戻れば未知の状態になります。一種の 00:12:39.920 --> 00:12:46.220 再生で、すべてが新しくなり、神聖な香りが残り、 00:12:46.220 --> 00:12:51.969 進歩するにつれて香りがより長持ちします。 00:13:02.907 --> 00:13:07.480 古代の伝統では多数のサマーディが説明されており、 00:13:07.480 --> 00:13:13.570 言葉が長年、多くの混乱を引き起こしてきました。 00:13:13.570 --> 00:13:18.190 ここでは超越的な結合を指すのにサマーディという 00:13:18.190 --> 00:13:22.920 単語を使いますが、他の伝統からの言葉も使えました。 00:13:22.920 --> 00:13:27.901 サマーディはインドのヴェーダ、ヨガ、サーンキヤ 00:13:27.901 --> 00:13:33.240 の伝統に共通する古代梵語の単語で、他の伝統にも 00:13:33.240 --> 00:13:40.920 浸透しています。パタンジャリ・ヨガの8番目の 00:13:40.920 --> 00:13:48.120 支則で、ブッダの八正道の8番目です。ブッダは 00:13:48.120 --> 00:13:56.460 自己活動の停止を「涅槃」と呼びました。パタンジャリ 00:13:56.460 --> 00:14:03.410 はヨガやサマーディを梵語で「チッタ・ヴリッティ 00:14:03.410 --> 00:14:14.359 ・ニローダ」(精神の渦や螺旋の停止)と説きました。 NOTE Paragraph 00:14:14.359 --> 00:14:22.804 意識を精神の基盤や創造主から放すという意味です。 00:14:50.600 --> 00:14:54.449 サマーディに概念はありません。 00:14:54.449 --> 00:14:59.550 概念的な精神を捨てることで実現するからです。 00:15:02.580 --> 00:15:07.879 さまざまな宗教が神との結合を意味する単語を 00:15:07.879 --> 00:15:16.800 使ってきました。英語のreligionはラテン語の"religare" 00:15:16.800 --> 00:15:24.430 (再接続する) から来ています。ヨガの「くびきを 00:15:24.430 --> 00:15:30.780 掛ける(世のものと超越的なものを結ぶ)」という 00:15:30.780 --> 00:15:38.199 意味に似ています。イスラム教のイスラムという 00:15:38.199 --> 00:15:44.343 言葉自体、古代アラビア語で神への服従、つまり 00:15:44.343 --> 00:15:51.544 自己構造の完全な降伏を意味します。 00:15:53.150 --> 00:16:03.120 アッシジの聖フランチェスコ、アビラの聖テレサ、 00:16:03.120 --> 00:16:10.149 十字架の聖ヨハネなどキリスト教神秘主義者は、神と 00:16:10.149 --> 00:16:16.904 の神聖な結合、内なる神の王国を描きます。 トマスの 00:16:16.904 --> 00:16:22.129 福音書でキリストは「父の王国はここにもそこにも 00:16:22.129 --> 00:16:28.411 なく地上に広がるが、人々にはそれが見えない」と言 00:16:28.411 --> 00:16:34.377 いました。 ギリシャの哲学者プラトン、プロティノス、 00:16:34.377 --> 00:16:41.160 パルメニデス、ヘラクレイトスの作品を永遠の教えの 00:16:41.160 --> 00:16:47.789 観点から見ると同じ知恵を指します。プロティノスは 00:16:47.789 --> 00:16:58.597 人間の最大の努めは魂の完成と結合だと教えました。 00:17:03.820 --> 00:17:08.939 ラコタ族の呪医・聖者ブラックエルクは言いました。 00:17:08.939 --> 00:17:15.900 「最初の平和で最も重要な平和は、人間が宇宙やその 00:17:15.900 --> 00:17:21.900 力との関連性・一体性に気付き、宇宙の中心に大霊 00:17:21.900 --> 00:17:27.869 が存在し、それが私たち一人一人の中を含め、至る 00:17:27.869 --> 00:17:36.170 所に存在するのを認識するときに生じる平和です。 00:17:59.710 --> 00:18:04.300 悟りへの道には、サマーディに達していない限り、 00:18:04.300 --> 00:18:11.880 常に2つの極性、2つの入り口、2つの次元があります。 00:18:11.880 --> 00:18:19.650 1つは純粋意識、もう1つは現象の世界です。上昇流は 00:18:19.650 --> 00:18:25.680 真理へ、下降流はマーヤと目に見える・見えないものも 00:18:25.680 --> 00:18:31.700 含め、顕現する万物への扉です。相対的なものと絶対的な 00:18:31.700 --> 00:18:37.660 ものの関係は、シュリ・ニサルガダッタ・マハラジの 00:18:37.660 --> 00:18:43.810 次の言葉で表現できます。「知恵は私が無だと知ること、 00:18:43.810 --> 00:18:50.210 愛は私がすべてだと知ることで、私の人生はこの2つ 00:18:50.210 --> 00:18:59.980 の間に動きます。」この結合から神意識が生まれます。 00:18:59.980 --> 00:19:05.032 これらの二極性の結婚・結合や二元性の崩壊で何か 00:19:05.032 --> 00:19:14.328 が生まれますが、それは物でもなく生まれたことも 00:19:14.328 --> 00:19:23.108 ありません。意識が花を咲かせ、新しいものを創造し、 00:19:23.108 --> 00:19:29.100 永遠の三位一体と呼べるものを創造します。 00:19:29.100 --> 00:19:35.230 超越的で、不可知で、不変な父なる神は変化するもの 00:19:35.230 --> 00:19:43.540 全ての神聖な女性性と一体化することで、錬金術的な 00:19:43.540 --> 00:19:49.740 変化、つまり一種の死と再生をもたらします。 00:19:51.610 --> 00:19:57.690 ヴェーダでは、神の結合はシヴァとシャクティの2つ 00:19:57.690 --> 00:20:06.110 の基本力で表現します。さまざまな神の名前や顔は 00:20:06.110 --> 00:20:11.880 時代とともに変わりますが、基本的属性は変わりません。 00:20:11.880 --> 00:20:21.680 この結合から新しい神意識や存在方法が生まれます。 00:20:21.680 --> 00:20:28.990 切り離すことのできない、1つの二極性。中心や制限が 00:20:28.990 --> 00:20:35.090 ない純愛なる普遍的エネルギー・・・空であると同時 00:20:35.090 --> 00:20:41.340 に充満しているため、得るものも失うものもありません。 00:20:51.400 --> 00:20:57.429 メソポタミアの神秘学派、バビロニアとアッシリアの 00:20:57.429 --> 00:21:02.460 精神的伝統、古代エジプトの宗教、古代アフリカの 00:21:02.460 --> 00:21:09.750 ヌビアとケメット文化、世界中のシャーマニズムと土着 00:21:09.750 --> 00:21:16.080 の伝統、古代ギリシャの神秘主義、グノーシス派、 00:21:16.080 --> 00:21:27.250 二元論者、仏教徒、道教徒、ユダヤ教徒、ゾロアスター 00:21:27.250 --> 00:21:34.361 教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒の共通点 00:21:34.361 --> 00:21:42.159 は、最高の精神的洞察でサマーディを実現できることです。 00:21:45.800 --> 00:21:52.420 サマーディは、万物との同一性・一体性を実現すると 00:21:52.420 --> 00:21:59.920 いう意味です。統合です。自分自身のすべての側面を 00:21:59.920 --> 00:22:07.870 統合することです。ただし知的な理解をサマーディの 00:22:07.870 --> 00:22:14.361 実現と誤解しないでください。あなたの静寂さや 00:22:14.361 --> 00:22:20.452 空虚さが、生命の螺旋の全レベルを統合します。 00:22:55.090 --> 00:23:00.250 人類は古代のサマーディの教えを通して、すべて 00:23:00.250 --> 00:23:05.380 の宗教の源を理解し始め、生命の螺旋、つまり 00:23:05.380 --> 00:23:12.810 大霊、ダルマや道と再び調和することができます。 00:23:13.860 --> 00:23:23.380 この螺旋は、小宇宙から大宇宙まで、あなたのDNA 00:23:23.380 --> 00:23:29.210 からチャクラを通して広がるエネルギーの内的 00:23:29.210 --> 00:23:36.100 蓮華まで、天の川銀河の腕まで伸びる橋です。 00:23:36.100 --> 00:23:43.399 魂の各段階は、生きて探検しながら進化を続ける枝 00:23:43.399 --> 00:23:49.400 として螺旋状に表現されます。真のサマーディは 00:23:49.400 --> 00:23:55.450 各段階の自分、魂のすべての鞘の空虚さを悟ること 00:23:55.450 --> 00:24:05.188 です。螺旋は二元性と生死サイクルの無限の遊びです。 00:24:08.821 --> 00:24:13.975 時に私たちは源とのつながりを忘れます。 00:24:20.570 --> 00:24:25.543 私たちが世を見るレンズは非常に小さく、 00:24:25.543 --> 00:24:31.279 自分を地球上を這う限られた生物と自覚し、 NOTE Paragraph 00:24:31.279 --> 00:24:37.600 そのうちに再び旅を終えて、その源、 00:24:37.600 --> 00:24:42.829 あらゆる場所にある中心へと戻ります。 00:24:48.010 --> 00:24:55.060 荘子は「これとあれの間に分離がなくなるとき、 00:24:55.060 --> 00:25:02.040 それは道の静止点で、螺旋の中心の静止点から 00:25:02.040 --> 00:25:08.225 万物に無限を見ることができる」と言いました。 00:25:14.135 --> 00:25:19.197 古代のマントラ「オーム・マニ・パドメ・フム」には、 00:25:19.197 --> 00:25:27.506 詩的な意味があります。蓮の花の宝に目覚めるのは、 00:25:27.506 --> 00:25:35.979 魂の本質や、世界の中の世界に目覚めることです。 00:25:50.511 --> 00:25:57.190 「上の如く、下も然り。下の如く、上も然り。」と 00:25:57.190 --> 00:26:02.553 いうヘルメスの原理に基づき、精神と静寂、相対と 00:26:02.553 --> 00:26:08.339 絶対の関係を、類推を使い理解することができます。 00:26:13.170 --> 00:26:18.740 サマーディの非概念的な性質を把握するために、 00:26:18.740 --> 00:26:25.279 ブラックホールの類推を使います。 00:26:25.279 --> 00:26:30.609 ブラックホールは伝統的に、光も物質も逃れられない 00:26:30.609 --> 00:26:37.059 ほど強力な重力を持つ空間領域とされてきました。 00:26:37.059 --> 00:26:42.809 新理論では、極小の微粒子から銀河のような大宇宙 00:26:42.809 --> 00:26:48.749 の形成物まで、全物体の中心にブラックホールや 00:26:48.749 --> 00:26:55.479 神秘的な特異点があると仮定しており、この類推では 00:26:55.479 --> 00:27:01.589 「あらゆるところにある中心」という定義を使います。 00:27:06.980 --> 00:27:13.590 禅には、門のない門と直面するための詩や公案が多数 00:27:13.590 --> 00:27:23.300 あります。サマーディに達するには、門のない門を 00:27:23.300 --> 00:27:29.889 通過する必要があります。事象の地平線とは時空の 00:27:29.889 --> 00:27:36.070 境界で、それを超えると事象は外部の観察者に影響が 00:27:36.070 --> 00:27:43.210 ないため、その向こうで何が起きても認知できません。 00:27:43.210 --> 00:27:50.470 ブラックホールの事象の地平線は、門のない門に 00:27:50.470 --> 00:27:57.050 似ており、自己と無自己の境界です。ここを通過 00:27:57.050 --> 00:28:05.240 する「私」はいません。ブラックホールの中心には 00:28:05.240 --> 00:28:13.580 想像を絶するほど小さな空間に数十億個の太陽の 00:28:13.580 --> 00:28:19.600 質量を含む、 実質的には無限の質量の、1 次元の 00:28:19.600 --> 00:28:27.110 特異点があります。砂粒よりも極小の宇宙です。 00:28:27.110 --> 00:28:34.759 時間や空間を超えた計り知れないもので、物理学 00:28:34.759 --> 00:28:40.650 によれば活動も、物の存在もあり得ません。それが 00:28:40.650 --> 00:28:46.140 何であれ、知覚の世界には属しませんが、ただの 00:28:46.140 --> 00:28:51.890 静止とも呼べません。静止や動きを超越しています。 00:28:51.890 --> 00:28:58.109 どこにもありどこにもない中心を認識すれば 00:28:58.109 --> 00:29:05.820 二元性が崩壊します。形式と空虚。時間と永久。 00:29:05.820 --> 00:29:13.390 それを暗闇の中心にある躍動的な静寂や含蓄ある 00:29:13.390 --> 00:29:22.080 空虚とも言えます。道教の師、老子は「暗闇の中の 00:29:22.080 --> 00:29:29.540 暗闇は完全な理解への入り口だ」と言いました。 00:29:39.470 --> 00:29:45.330 作家で比較神話学者のジョゼフ・キャンベルは、 00:29:45.330 --> 00:29:52.400 「世界軸」と名付けた永遠の哲学の一部で繰り返し 00:29:52.400 --> 00:29:57.770 現れるシンボルを、中心点や最も高い山と呼び、 00:29:57.770 --> 00:30:03.300 この極の周りをすべてが回転すると説明します。 00:30:03.300 --> 00:30:10.010 静寂と動きが共存する点で、そこから力強い花咲く 00:30:10.010 --> 00:30:16.930 木が現われます。全世界を結ぶ菩提樹です。 00:30:20.630 --> 00:30:27.540 太陽がブラックホールに吸い込まれるように、偉大な現実 00:30:27.540 --> 00:30:35.030 に近づくと人生がその周りを回転し自分は消え始めます。 00:30:39.653 --> 00:30:46.210 内在の自分に近づくのを、自己構造が恐ろしく感じる 00:30:46.210 --> 00:30:53.980 ことがあります。門番は、旅人らを試すためにいます。 00:30:53.980 --> 00:30:59.460 最大の恐怖に立ち向かう勇気と、自分本来の能力を 00:30:59.460 --> 00:31:07.950 認める必要があります。無意識の恐怖と内的美を明るみ 00:31:07.950 --> 00:31:19.650 に出します。精神が動かず自我が反応しなければ、 00:31:19.650 --> 00:31:26.400 無意識から来た全現象は、生じては消えます。 00:31:26.400 --> 00:31:33.330 これが精神の旅で最も信念が必要となる地点です。信念 00:31:33.330 --> 00:31:42.360 とは何でしょうか。信仰とは違います。信仰は、安心感や 00:31:42.360 --> 00:31:49.170 確信を得るために精神レベルで物事を受け入れることで、 00:31:49.170 --> 00:31:57.390 経験を分類・制御します。信念はその反対で、知らない状態 00:31:57.390 --> 00:32:03.360 に留まり、無意識から生じるものをありのままに受け入れる 00:32:03.360 --> 00:32:10.260 ことです。信念は、門のない門を通過するために特異性の 00:32:10.260 --> 00:32:19.509 引力や、自己の溶解・解体に降伏することです。 00:32:29.160 --> 00:32:34.830 銀河の進化と構造がそのブラックホールの規模と密接に 00:32:34.830 --> 00:32:40.380 関連しているように、あなたの進化も真我である内在の 00:32:40.380 --> 00:32:47.370 自己の存在と関連しています。ブラックホールは 00:32:47.370 --> 00:32:53.990 見えませんが、周りの物体の動きや物理的現実に与える 00:32:53.990 --> 00:33:02.340 影響から認識できます。同様に、真我は見えません。 00:33:02.340 --> 00:33:08.720 内在の自己は物体ではありませんが、覚醒した行動は 00:33:08.720 --> 00:33:16.790 観察できます。鈴木禅師は「厳密に言えば、悟りを 00:33:16.790 --> 00:33:25.109 開いた人はいない。あるのは悟った行動だけだ」と 00:33:25.109 --> 00:33:32.100 言いました。目に目が見えないように、それ自体は 00:33:32.100 --> 00:33:38.960 見えません。それ自体が見る能力を提供するからです。 00:33:38.960 --> 00:33:46.370 サマーディはブラックホールと同様、無でも物でもなく、 00:33:46.370 --> 00:33:57.389 物や無の二元性の崩壊です。偉大な真実への門はなくても 00:33:57.389 --> 00:34:04.759 道は無限にあります。道・ダルマは始まりも終わりも 00:34:04.759 --> 00:34:12.320 ない無限の螺旋です。誰も門のない門を通過できません。 00:34:12.320 --> 00:34:18.220 誰の精神もその謎を解いたことも、解くこともありません。 00:34:18.220 --> 00:34:26.370 誰も通過できないから、「誰」でなくなるしかないのです。 00:34:44.533 --> 00:34:52.270 サマーディは道のない道、黄金の鍵です。内的・外的世界 00:34:52.270 --> 00:35:02.230 を分ける自己構造を自分だと認識することの終わりです。 00:35:15.510 --> 00:35:21.820 自己構造の層やレベルを説明する発達モデルは数多く 00:35:21.820 --> 00:35:28.380 あります。非常に古い例を使います。ウパニシャッド 00:35:28.380 --> 00:35:36.030 ではアートマン(魂)を覆う鞘をコーシャと呼びます。 00:35:36.030 --> 00:35:44.040 各コーシャは鏡のような自己構造の層で、それを自分 00:35:44.040 --> 00:35:50.650 だと思うことが真我の認識を妨ぐ、マーヤのベール 00:35:50.650 --> 00:35:57.940 またはレベルです。大抵の人が映っているものを自分 00:35:57.940 --> 00:36:05.730 だと信じます。1つの鏡は動物の層、肉体を映します。 00:36:05.730 --> 00:36:13.610 次の鏡は精神つまり思考、本能、知覚を映します。 00:36:13.610 --> 00:36:20.180 別の鏡は、内面的に観察できるエネルギーまたは 00:36:20.180 --> 00:36:26.490 プラーナを映し、別の鏡は想像レベルつまり高次の 00:36:26.490 --> 00:36:32.720 精神・知恵の層を映します。そしてサマーディ直前 00:36:32.720 --> 00:36:37.900 に経験する超越的・非二元的な至福の層があります。 00:36:37.900 --> 00:36:43.940 分別できる鏡や自己の側面は無数に存在するかも 00:36:43.940 --> 00:36:48.550 知れず、それらは常に変化しています。 00:36:51.010 --> 00:36:56.220 大抵の人はプラーナ、高次の精神、非二元的な至福 00:36:56.220 --> 00:37:01.900 の層をまだ発見しておらず、その存在さえ知りません。 00:37:01.900 --> 00:37:08.129 人生に影響を与えていても、見ることができません。 00:37:08.129 --> 00:37:14.740 隠された鏡は、見える鏡より影響を与えています。 00:37:14.740 --> 00:37:20.539 意識に完全に照らされていないため、大抵の人に 00:37:20.549 --> 00:37:28.680 は見えません。インドラの宝石の網のように、鏡は 00:37:28.680 --> 00:37:35.370 反射し合い、反射が無限に他の反射を反射します。 00:37:35.370 --> 00:37:41.690 1 つの層の変化は、すべての層に同時に影響します。 00:37:43.090 --> 00:37:48.670 光を照らしてくれる有能なガイドに恵まれない限り 00:37:48.670 --> 00:37:55.120 鏡のいくつかが影に残される可能性があります。自分は 00:37:55.120 --> 00:38:01.970 何を知らないのか知らないのが現実です。ここで鏡を 00:38:01.970 --> 00:38:09.510 全部割り、自分自身を反射するものがなくなれば、自分 00:38:09.510 --> 00:38:20.429 はどこですか? 精神が静まれば鏡は反射しなくなります。 00:38:22.349 --> 00:38:32.324 主体と客体はなくなりますが、原初の状態を無や忘却と 00:38:32.324 --> 00:38:41.387 誤解しないでください。内在の自己は物でも無でもありません。 00:38:48.547 --> 00:38:55.161 源は物ではなく、空虚または静寂そのものです。 00:38:57.601 --> 00:39:05.720 万物の源である空虚です。形はまさに空虚として、空虚は 00:39:05.720 --> 00:39:16.880 まさに形として実現されます。この源は創造の大子宮で、 00:39:16.880 --> 00:39:23.320 いかなる可能性も含みます。 00:39:41.336 --> 00:39:47.710 サマーディは非個人的意識の目覚めです。夢から覚めたとき 00:39:47.710 --> 00:39:55.959 に、その夢が全部頭の中で起きたことを知るのと同じです。 00:39:55.959 --> 00:40:01.630 サマーディを悟ると、世のすべてはエネルギーや意識の 00:40:01.630 --> 00:40:09.040 階層の中で起きているのを認識します。すべては鏡の中 00:40:09.040 --> 00:40:15.970 の鏡で、夢の中の夢です。あなたが自分だと思い込んでいる 00:40:15.970 --> 00:40:22.070 あなたは、夢でもあり、夢見る人でもあります。 00:40:34.099 --> 00:40:40.820 この映画が語ることはすべて手放し、精神で捉えないで 00:40:40.820 --> 00:40:49.550 ください。魂はあなたという夢を見ています。夢は変化 00:40:49.550 --> 00:40:58.710 するものすべてですが、不変のものも認識可能です。 00:41:08.570 --> 00:41:15.622 これは限られた個人的精神には理解できません。 00:41:22.722 --> 00:41:26.980 ニルヴィカルパ・サマーディから戻ると、鏡は 00:41:26.980 --> 00:41:34.160 再び反射を始め、今生きているように見える世界が 00:41:34.160 --> 00:41:40.340 自分だと認知します。一時的な反射だけの限られた 00:41:40.340 --> 00:41:49.250 自分ではなく、全存在の源としての本来の自分に 00:41:49.250 --> 00:41:57.520 気付きます。高次の知恵の覚醒、胚、般若や 00:41:57.520 --> 00:42:03.400 グノーシスはサマーディから生じます。 00:42:03.400 --> 00:42:11.140 ヨブ記によると、ホークマー(知恵)は無から生じ、 00:42:11.140 --> 00:42:16.550 無限に小さな一点でありながらも存在全体を包含 00:42:16.550 --> 00:42:23.130 していますが、鏡の宮殿で形や形態を与えられるまで 00:42:23.130 --> 00:42:29.450 認識できません。鏡の宮殿はビナーと呼ばれ、神霊 00:42:29.450 --> 00:42:35.670 の胚に形を与える、高次の知恵が作成した子宮です。 00:42:35.670 --> 00:42:42.380 [音楽]「Abwoon d'bashmaya」Indiajiva作 00:43:08.064 --> 00:43:14.650 鏡や精神の存在が問題なのではなく、それを自分だと 00:43:14.650 --> 00:43:26.220 思い込む、人間の知覚が問題なのです。私たちが 00:43:26.220 --> 00:43:32.620 限られた自己であるという幻影がマーヤです。ヨガ 00:43:32.620 --> 00:43:39.740 でサマーディを悟るには、瞑想の対象物が消えるか、 00:43:39.740 --> 00:43:46.500 自分がその中に消えるか、それが自分の中に消える 00:43:46.500 --> 00:43:53.860 まで観察するように教えています。さまざまな伝統 00:43:53.860 --> 00:44:00.850 で使う言葉は違っても、自我認識や自己中心的な活動 00:44:00.850 --> 00:44:07.540 を停止するように教えます。仏陀は否定的な教え方を 00:44:07.540 --> 00:44:13.260 し、自己構造の働きを直接調査するように教えました。 00:44:13.260 --> 00:44:20.180 サマーディに関しては、苦の終わりだとだけ言いました。 00:44:20.180 --> 00:44:25.440 ヴェーダンタの「ネティネティ」は「あれでも、これ 00:44:25.440 --> 00:44:31.680 でもない」という意味で、自己実現を試みる者は、自分が 00:44:31.680 --> 00:44:41.299 何でないかを知ることで真我・ブラフマン性を探求します。 00:44:43.200 --> 00:44:49.180 同様にキリスト教ではアビラの聖テレサが、否定的 00:44:49.180 --> 00:44:56.620 な道に基づく祈りについて説明しました。「静寂、降伏、 00:44:56.620 --> 00:45:02.760 そして統合の祈りは、神に近づく唯一の方法だ」と。 00:45:03.820 --> 00:45:09.009 この段階的な剥ぎ取りプロセスを通じて、永続的で 00:45:09.009 --> 00:45:16.234 ないもの、変化するものをすべて捨て去ります。精神も、 00:45:16.234 --> 00:45:22.890 自我構造も、隠れた自己の層を含むすべての現象も。 00:45:22.890 --> 00:45:29.259 無意識は、唯一の源を反映するには透明になる必要が 00:45:29.259 --> 00:45:35.519 あります。無意識内に深い知識や自己が働けば、生命 00:45:35.519 --> 00:45:40.779 は未発見の自己を構成する隠れたパターンの迷路に 00:45:40.779 --> 00:45:48.763 閉じ込められたままになります。自己の全層が空である 00:45:48.763 --> 00:45:59.383 のが明白になると、自己や概念から解放されます。 00:46:06.083 --> 00:46:11.160 進化の転換点は、自分が誰だかわからないことに 00:46:11.160 --> 00:46:22.240 気付いたときです。呼吸をするのは誰?味わう 00:46:22.240 --> 00:46:34.110 のは誰?詠唱や儀式や、踊りや山を体験するのは誰? 00:46:34.110 --> 00:46:40.670 観察者を観察し、目撃者を目撃してください。 00:46:40.670 --> 00:46:46.890 観察者を観察するとき、最初は偽りの自己しか 00:46:46.890 --> 00:46:52.300 見えませんが、粘り強く続ければ消えます。 00:46:54.530 --> 00:47:00.140 誰の体験・何の体験かを直接調査してください。 00:47:00.140 --> 00:47:10.040 瞬きせず、鋭く、染みるように全存在を使って。 00:47:11.484 --> 00:47:17.040 [音楽] 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(意味:行った、 00:47:17.040 --> 00:47:31.566 行った、向こう岸まで行った。最後まで行った。解脱だ、万歳。) 00:47:48.258 --> 00:47:56.684 目覚める自己はおらず、目覚める「あなた」もいません。 00:47:56.684 --> 00:48:02.330 目覚めるのは、分離した自己の幻想や限られた自分の 00:48:02.330 --> 00:48:08.887 夢からであり、言葉にしても無意味です。その認識は 00:48:08.887 --> 00:48:21.150 実際の自己の停止を要し、言葉では表現できません。 00:48:22.430 --> 00:48:27.820 言葉にしようとした瞬間、精神に戻ってしまいます。 00:48:27.820 --> 00:48:31.500 私はすでに言いすぎました。 00:48:40.620 --> 00:48:48.100 普通、目覚め・夢・深い眠りの 3 つの意識状態があります。 00:48:48.100 --> 00:48:53.380 サマーディは意識の基底状態、第 4 の意識と呼ばれる 00:48:53.380 --> 00:49:00.460 ことがあります。この原始的な覚醒状態は、他の意識 00:49:00.460 --> 00:49:07.372 状態と並行して持続的に存在できます。ヴェーダーンタ 00:49:07.372 --> 00:49:13.650 ではトゥリヤと呼ばれ、キリスト意識、クリシュナ意識、 00:49:13.650 --> 00:49:23.380 仏性、またはサハジャ・ サマーディとも呼ばれます。 00:49:23.380 --> 00:49:29.496 サハジャ・ サマーディでは、内在の自己が人間の 00:49:29.496 --> 00:49:35.080 全機能を使い存在し続けます。変化する現象の螺旋 00:49:35.080 --> 00:49:40.270 の中心で静寂さが動かずに存在します。思考、感情、 00:49:40.270 --> 00:49:46.410 感覚、エネルギーはその周囲を回りますが、静止度や 00:49:46.410 --> 00:49:58.010 「私は在る」感覚は、活動中も瞑想と同様に残ります。 00:49:58.010 --> 00:50:05.050 深い眠りでも内在の自己は存在し続けるかも知れず、 00:50:05.050 --> 00:50:14.030 意識状態が変化しても「私は在る」感覚は変化しません。 00:50:21.030 --> 00:50:25.450 これがヨガの睡眠です。 00:50:25.450 --> 00:50:29.970 ヘブライ聖書(旧約聖書)の雅歌(ソロモンの歌) 00:50:29.970 --> 00:50:37.350 には「私は眠るが、心は目覚めている」とあります。 00:50:37.350 --> 00:50:47.040 永遠の非人格的意識は、キリストの言葉「アブラハム 00:50:47.040 --> 00:50:54.360 がいた前から、私はいる」に反映されます。 00:50:56.989 --> 00:51:03.180 無数の顔、無数の形を通して輝く1 つの意識。 00:51:16.860 --> 00:51:22.640 最初は両極性から生まれる弱い炎のようです。 00:51:22.640 --> 00:51:29.160 女性的エネルギーを開放するために男性性が意識 00:51:29.160 --> 00:51:35.759 を浸透する。繊細で簡単に失われるため、成熟する 00:51:35.759 --> 00:51:41.469 まで守り、生かし続けるのに細心の注意が必要です。 00:51:43.800 --> 00:51:49.760 サマーディは、時を超えた意識状態であると同時に 00:51:49.760 --> 00:51:57.973 成長過程の一段階で、有機的に時間をかけて養われます。 00:52:05.675 --> 00:52:14.584 サマーディに・今に・時を超えた現実に長くいれば 00:52:14.584 --> 00:52:22.122 いるほど、心・魂・アートマンからの指示が増え、 00:52:22.122 --> 00:52:28.810 条件付けされた構造からの指示は減ります。こうして 00:52:28.810 --> 00:52:36.750 人は低次の精神や病的な思考から解放されます。 00:52:39.250 --> 00:52:45.109 内部配線が変わります。エネルギーはもはや無意識 00:52:45.109 --> 00:52:51.859 に古い条件付けされた構造に流れません。つまり、 00:52:51.859 --> 00:52:59.089 自己構造や外界の形態と同一視されなくなります。 00:53:11.270 --> 00:53:17.309 サマーディを実現するには、自身の完全な降伏となる 00:53:17.309 --> 00:53:30.490 偉大な努力と、自身の全存在やエネルギーの包括的 00:53:30.490 --> 00:53:37.648 な降伏が必要です。努力と降伏のバランス、陰と陽です。 00:53:37.648 --> 00:53:42.569 一種の努力のない努力です。 00:53:48.222 --> 00:53:54.380 インドの神秘家でヨガ行者のパラマハンサ・ラマクリ 00:53:54.380 --> 00:54:00.680 シュナ曰く「髪に火の付いた人が池を求める如く覚醒を 00:54:00.680 --> 00:54:07.020 求めないのなら、求めるな。」全存在で求めるのです。 00:54:07.020 --> 00:54:12.840 自我を超越する修行中は、胎児を生存させるために、 00:54:12.840 --> 00:54:21.850 世のパターンに戻らないために、勇気、警戒、忍耐 00:54:21.850 --> 00:54:28.120 が必要です。流れやマトリックスの容赦ない圧迫や 00:54:28.120 --> 00:54:35.590 輪廻の歯車に逆らって進む意志が必要です。全呼吸、 00:54:35.590 --> 00:54:43.000 全思考、全行動が源を悟るためにあるべきです。 00:54:43.000 --> 00:54:50.970 サマーディは努力によっても、努力なしでも実現できません。 00:54:50.970 --> 00:54:56.250 努力も無努力も捨ててください。精神の中にだけ存在する 00:54:56.250 --> 00:55:02.640 二元性です。サマーディの実際の実現はあまりにも 00:55:02.640 --> 00:55:09.480 単純で曖昧なため、二元論的な言葉で常に誤解されます。 00:55:09.480 --> 00:55:15.430 世に目覚める原始意識は1つだけですが、それが多数の 00:55:15.430 --> 00:55:23.224 の精神層に隠されています。雲の裏に隠れた太陽のように 00:55:23.224 --> 00:55:30.900 層を1枚ずつ削るごとに、真我が明かされていきます。 00:55:33.704 --> 00:55:39.480 精神層が落ちるごとに、違う名のサマーディで呼ばれます。 00:55:39.480 --> 00:55:45.260 異なる経験や現象に名前を付けます。 00:55:55.530 --> 00:56:00.290 サマーディは非常に簡単なので、何でありどう実現する 00:56:00.290 --> 00:56:05.170 か教わったとしても、精神は必ずそれを見逃します。 00:56:05.170 --> 00:56:12.920 サマーディは実際、簡単でも難しくもなく、精神がそう 00:56:12.920 --> 00:56:19.850 するだけです。実現するために精神を止めるので、精神 00:56:19.850 --> 00:56:28.203 がない限り問題ありません。出来事とは全く違います。 00:56:37.325 --> 00:56:43.260 サマーディの最も簡潔な教えは、この句にあるかも 00:56:43.260 --> 00:56:48.570 しれません。「静かになって、知りなさい。」 00:56:59.618 --> 00:57:05.490 言葉や画像でどう静けさを、音を立てながらどう沈黙を 00:57:05.490 --> 00:57:12.129 表現するのでしょうか。この映画はサマーディを概念的 00:57:12.129 --> 00:57:18.573 に説明するものではなく、不活動への革命的な呼びかけ 00:57:18.573 --> 00:57:28.710 です。瞑想・内的沈黙・祈りへの呼びかけと・・・ 00:57:28.710 --> 00:57:32.770 やめなさい! 00:57:39.050 --> 00:57:49.700 病的な精神の行動をやめ、静かになり知ってください。 00:57:55.220 --> 00:58:00.365 静寂から何が生まれるかは誰も言えません。 00:58:00.365 --> 00:58:06.265 霊的な心から行動せよという呼びかけです。 00:58:22.656 --> 00:58:28.770 それは古代を思い出すようなもので、魂が目覚めて 00:58:28.770 --> 00:58:35.030 自分を思い出します。それまでずっと眠っていた乗客 00:58:35.030 --> 00:58:41.109 でしたが、空虚が目覚め、自分は万物だと気付きます。 00:58:44.820 --> 00:58:50.869 盲人に色を説明できないように、限られた自我の精神 00:58:50.869 --> 00:58:57.500 にサマーディは想像できません。精神はそれを知ること 00:58:57.500 --> 00:59:03.709 も作ることもできません。サマーディを悟るのは見方を 00:59:03.709 --> 00:59:12.579 変えることで、物を見るのでなく見る者を認識します。 00:59:15.870 --> 00:59:21.240 アッシジの聖フランチェスコは「探している物は、探して 00:59:21.240 --> 00:59:27.866 いる者だ」と言いました。一度月を見れば、その反射 00:59:27.866 --> 00:59:36.890 を認識できます。真我は万物に常在しますが、あなたは 00:59:36.890 --> 00:59:43.950 それに気付きません。精神や感覚を超えて真我を認識し 00:59:43.950 --> 00:59:57.620 それに留まれば、平凡さにも畏敬の念を抱きます。 00:59:58.520 --> 01:00:02.900 自分自身が畏敬の対象になります。 01:00:09.175 --> 01:00:17.580 欲を捨てたいと思うのも欲。捨てようとしないでください。 01:00:17.580 --> 01:00:24.980 静かになる努力自体が行動なので、頑張っても無駄です。 01:00:26.430 --> 01:00:36.989 既存の静寂さに気付き、「静かになって、知りなさい。」 01:00:39.189 --> 01:00:45.140 すべての好みを捨てれば源が明確になりますが、源に 01:00:45.140 --> 01:00:49.520 さえ執着しないでください。偉大な真実、道は1つでも 01:00:49.520 --> 01:00:55.600 2つでもありません。ラマナ・マハルシは言いました。 01:00:55.600 --> 01:01:04.640 「自己は1つで、制限されていれば自我で、無制限なら 01:01:04.640 --> 01:01:11.418 それは無限で偉大な真実です。」 01:01:15.810 --> 01:01:24.637 この説明を信じても、信じなくても見逃しました。どちら 01:01:24.637 --> 01:01:31.790 も同じ精神レベルで作用するからです。知識は必要です 01:01:31.790 --> 01:01:38.570 が、自己探求を始め、自分の存在のあらゆる側面を調べ、 01:01:38.570 --> 01:01:45.700 誰が調査しているかを発見し、自己でなくより高い意志 01:01:45.700 --> 01:01:52.340 に従って生きれば、知識を超えて旅する意志があるなら、 01:01:52.340 --> 01:02:00.050 私が指摘することに気付くかもしれません。そして 01:02:00.050 --> 01:02:06.225 初めて、存在の深遠な神秘と美を味わえます。 01:02:08.740 --> 01:02:16.070 人生には別の可能性があります。概念や教義、条件 01:02:16.070 --> 01:02:22.570 付けされた活動や好みを超えた、自身の存在の奥深い 01:02:22.570 --> 01:02:30.286 静寂の中に、神聖で計り知れない何かを発見できます。 01:02:33.296 --> 01:02:41.900 技術や儀式や実践からは得られません。それを得る方法 01:02:41.900 --> 01:02:46.990 やシステムもありません。道への道はありません。 01:02:53.060 --> 01:02:58.556 禅で言われているように、生まれる前の本来の顔を 01:02:58.556 --> 01:03:04.760 発見することです。自分にさらに何かを加える 01:03:04.760 --> 01:03:12.373 ことではありません。幻想を払拭する自分自身の 01:03:12.373 --> 01:03:24.710 光になることです。名前や形を超えた神秘に留まるまで、 01:03:24.710 --> 01:03:32.650 生命は常に満たされず、心が落ち着くことはありません。 01:04:05.039 --> 01:04:10.489 「音楽」オーム・シュリーム・ラクシミ