医者からの知らせの中には 全くもって誰も 聞く準備が できていないものがあります 間違いなく私は できていませんでした 3年前に勤務先に電話がありました 検査の結果を伝えるものです 私は35歳で ようやく 望み通りの人生を歩み始めていました 高校時代からの彼と結婚し 長い不妊の後 ようやく妊娠したところでした そして突然ザックに恵まれました 完璧な1歳の男の子― ないしは恐竜です ザックのご機嫌次第です そしてザックの存在は 私に完璧に合ったのです 初めて応募した研究職にも 就くことができました 幾千もの破れた夢が 散乱する場所です こうして私は 夢の仕事を得て 愛しい我が子と カナダから輸入した男性と 暮らしていました (笑) しかし その数か月前から 腹痛を感じ始めていたのです いろんな専門医に 診てもらいましたが 誰にも診断できません そんな中 突然 病院から仕事中に電話があり ステージIVのがんが見つかったので 病院にすぐ来るようにと言われました その時 私の 口をついたのは 「でも 子供がいるんです 終わりになんてできない この世界をお終いにはできない まだ始まったばかりなのに」 という言葉でした 夫に電話をすると 急いで駆けつけてくれました 私は自分が真実と知る 全てを伝えました 「あなたがずっと好きでした ずっと昔から ごめんね本当に どうかあの子のことをお願い」と そして病院まで歩いている間に 初めてこんな考えが頭をよぎりました 「なんて皮肉なんだろう 『祝福されし者』という本を 書いたばかりなのに」と (笑) 私は歴史家で 「良い人には良いことが起きる」という 考え方を扱っていて 「繁栄の福音」と呼ばれる キリスト教の一派の研究をしています 「神はあなたの繁栄を望んでいる」という 大胆な約束をする教派です 私は自分を「繁栄の福音」信者だと 考えたことはなく 単なる観察者でした 「繁栄の福音」では 正しい信仰をしていれば 神は それに報いることを望む と信じられています 良い行いをし 信心深ければ 神は 健康と富と 限りない幸福を与える という考えです 人生はブーメランのようで 良い行いをすれば 良い出来事が常に 返ってくるのだと ポジティブに考え ポジティブに発言し 信じれば不可能なことなんてない 私が最初に このとても アメリカ的な教義に関心を持ったのは 18歳の頃でした そして25歳の頃には 国中を旅して 「繁栄の福音」界の有名人を取材していました 私は10年にわたり 神聖なお金で霊的な保証をする テレビ伝道師に話を聞きました 目を見張る髪型をした 数えきれないないほどのメガ・チャーチの牧師を取材し 最高の人生をどう生きているのか 聞きました 病院の待合室や ピカピカな診察室にいる 人々を訪ねました 完治を祈る車いすの人の 手を握りました 家族旅行のぶち壊し屋という 異名を得ました 街中で一番豪華なメガ・チャーチで 車から降ろしてと常に主張するからです 聖堂の中を川が流れたり 鷹が講堂を自由に飛んだり 回転する巨大な黄金の地球儀があれば 私はそこに行きました 私がこの研究を始めた時は 「祝福された」という言葉は 現在とは異なるものでした 今見られるような 「#祝福された」印の家庭用品は 存在しませんでした 「#祝福された」と書かれたナンバープレートや Tシャツや ネオンの壁飾りで 溢れてはいませんでした 「祝福される」ことが最も日常的な文化の 一部になるとは想像もできませんでした インスタグラムで最も使われる ハッシュタグになり 極小ビキニの自撮り写真にまで 付けられるとは― まるで「私はなんて祝福されているのかしら イエス様 この体をありがとう」と言うように (笑) 私は理解しきれていませんでした 「繁栄の福音」がいかに 大きな市民宗教となり アメリカン・ドリームの核心をなす 人知を超えた説明になっているかを 「繁栄の福音」は アメリカの礎をではなく アメリカ人を崇拝しました ハングリー精神や 努力 倫理的な素質を 神格化し 儀式化しました アメリカ人は 楽観主義の福音を信じていて アメリカ人自身を その証拠としています 自分では 思っていました 「繁栄の福音は研究対象であって 信じてはいない」と しかし がんの告知を受けたとき 突如 理解したのです 自分がいかに深く アメリカン・ドリームを信じていたかを アメリカ文化の中で暮らしている場合 信仰心があろうがなかろうが 良い行いと成功は共にあると 思い込む罠を回避するのは 極めて難しいのです がんの告知を直視すればするほど 善人には良いことが起きるという 自分なりの ささやかな考えがあることに 気づかされました 自分は善人じゃないの? 自分は特別ではないの? これまで誰も殺さずに きたっていうのに! (笑) (拍手) なぜ 私にこんなことが 起きるんだろう? 私は 善人となれるよう そしてその過程で信仰に対して 少しばかりご褒美をいただけるよう祈りました まあ 多いに越したことは ないんですけど (笑) 困難というのは すごく長いはずの人生における 回り道に過ぎないと 考えていました 多くの人同様 この考え方で とても上手くいっていました 成功の福音により 達成に向けてやる気を出し 大きな夢を持ち 怖れを捨てました この考え方は 好都合だったんです 不都合になるまでは 逃げられない事態に 直面する時までは あの電話に対して 「でも 私には子供がいるんです」 としか 答えられなかった時までは 一番受け入れるのが 難しかった時でした あの電話があり 病院への道で 私自身の繁栄の福音に 見捨てられたのだと 気付いたのです 自分の良いと思っていたことの何も 救いにならなかったんです 努力も 人格も ユーモアも 考え方も 自分の人生は紙の壁でできている事実に 向き合う必要がありました 他のみんなと同じように かけがえのないものを破壊し 人生をひっくり返すような問題と 隣り合わせだという考えは 受け入れがたいものです 皆 人生にはビフォー・アフターが あることを知っています 前には絶対戻らない そこから多くを学んだと そう言うことを いつも求められますが 私は 「いいえ」と言います 「前の方が良かった」と 具合が悪くなった数か月後 このことを執筆し ニューヨーク・タイムズの 編集者に送りました 今考えてみれば 自分が人生で 最も弱っている瞬間を取って 寄稿記事にするというのは 強さを取り戻す方法としては イマイチでした (笑) 何千通もの手紙やメールが届きました 今でも毎日届きます 私が投げかけた質問のせいだと思います 起きた悪いことに 十分な理由がない時に どう生きればいいのかを 問いました 人がいろんな目に遭うのは なぜかという 無慈悲な決まりなどない世界で 生きるほうが良いのではと問いました すると 可笑しくも 酷いことが起きました 悪いことが起きた時に 説明を求める気持ちを静めるように 私は頼んだつもりだったんですが 実際に何千という読者が 書いてきたのは 私に起こったことには 理由があるはずだということで 私はその理由を理解するよう 求められていました 皆 私のがんは「計画」の一部であると 安心させて欲しかったのです 私ががんになったのは それについて書くことで 人助けをするようにとの 神の計画だという人までいました これは私の人格に対する 試練だとか 私のひどい行いの証拠だと 確信していて この表面的には混沌とした状況にも 隠れた論理があることを 私に理解させたいのです 私の入院中に 主人に言いさえします すべてには理由があると でも 彼が「妻が死んでいく理由を どうか聞かせてほしい」と言うと たじろぐのです 理解はできます みんな理由が欲しいのです 予測のできる定式が欲しいのです 努力は実るのか 愛や支えが常に パートナーを幸せにし 子供達からの愛を 勝ち得るのか 努力や 痛みや 最も深い願いが わずかたりとも無駄にならない世界を 望んでいるのです 何も失われることのない 世界で暮らしたいのです しかし ステージIVのがんと 共に生きて学んだのは 努力と人生の長さの間には 単純な相関関係など ないことでした 過去3年間で経験した 痛みと傷は 以前だったら 耐えられない程でした 腹部手術を何度も受けたせいで 今のおへそは5番目だと この間気づいたんですが 最新版が一番嫌いです (笑) 同時に愛を経験もしました たくさんの愛です 説明するのが難しい愛です 先日 私は 臨死体験研究財団の調査報告を 読んでいたんですが― ええ そんなものがあるんです ありとあらゆる状況で 死にそうになった人の証言が 掲載されていました 自動車事故 出産 自殺 そして多くの人が 同じ奇妙なことを報告していました 愛 です 自分に似たような経験がなければ 目も止めなかったと思います 人に言うのが ためらわれた経験です 死ぬと確信したときに 怒りを感じず 愛されていると感じたんです 今まで経験した中で 最も現実離れしたことでした 神に見放されたと感じるべき時に 燃え尽きるのでなく 漂っているような感覚がしました 働きバチのように 私の周りを飛び交い 手紙や 靴下や 花束や 励ましの言葉を刺しゅうした キルトをくれた人々の 愛と祈りの上を 漂っているように感じたんです でも 彼らが私の隣に座り 手を繋いだ時には 私の困難が他者の困難を 見えるようにしたように 感じました 自分と似たような人々の世界に 入り込んだように― 当然叶うと信じていた夢や 気付かぬうちに 練っていた計画の瓦礫の中を 人々がさまよう世界です 他者とのより強い繋がりを 共通の経験を通じて感じました その感覚は数か月にわたり 私と共にありました 実際 それに慣れきってしまい その感覚を失うことを 恐れるようになりました そこで親しい友人 神学者 歴史家 修道女に尋ねました 「この愛の気持ちがなくなった時に どうすればいいの?」と 彼らは私の言っていることを 完全に理解しました なぜなら彼ら自身その経験があるか キリスト教神学の優れた作品で 読んだことがあったからです そしてこう言いました 「そうだね なくなるよ その感覚は いつかなくなる それを取り戻す 確かな方法はないんだ」と しかし 彼らはちょっとした 元気づけもくれ 私はそれにすがりました 彼らは言いました 「その感覚が潮のように引いても 跡は残るんだ」と 確かに跡は残るのです 何の証明でもなく 自慢にもなりません ただの授かりものなのです というわけで 数千通のメールに返信して 聖なる健康への5ステップや 不思議な漂う感覚について お伝えすることはできません 素晴らしかったり ひどかったり 美しかったり 悲劇的だったりする出来事で 世界は揺すぶられ続けます この矛盾を解消することは できませんが これらの相反する出来事は 相殺はされないと 思うようになりました 人生は素晴らしく 同時に とても厳しいものです 今は まあまあ元気にやっています 免疫療法の薬が効いているようです そして検査の結果を待っています 私は長生きがしたいです 長生きして 息子を恥ずかしがらせてやりたい 主人があの美しい髪を 失うのを見てやりたい 長生きするかもとも 思います でも今は 代価について考えず 何も失われないという 理由も保証もない中で 生きること 愛することを 学んでいる最中です 人生は心を傷つけます そして あなたの持つものや 望むものを 全て奪うかもしれません でも私が信じる 「繁栄の福音」があります たとえ暗闇の中でも そこにさえ 美しさと 愛はあるのだと そして時々 それで十分だって感じるのです ありがとうございました (拍手)