映画の本質はのぞきだとよく言われる
他人の人生を見せる窓であるからだ
人は画面を見ながら楽しみを味わう
しかし楽しくないものもある
不快で 犯罪的なものも
そしてこのような場面を通して
同意の役割の重要性が理解できる
この場所から始めよう
普通の寝室で
普通の少年が
普通の少年的行為をする
となりの少女の部屋をのぞくのだ
映画はこのようなシーンであふれている
通常 男性キャラが
通常 女性キャラをのぞく
気づかれず 同意もなしに
ここでは話を 個人によってなされる
性的場面ののぞきに限ろう
のぞきは個人のプライバシーの侵害だ
多くの映画やドラマにおいて
のぞきをするのは悪役ではない
むしろいい人物だ
"ゆっくり頼む"
まともそうに見える男性や
ほとんど無害そうな男性だ
このパターンに名前をつけたいと思う
"のぞき魔か"
「無害なのぞき魔」だ
"僕の家からドナの家が見えるよ"
"マジか"
70年代の男性は普通にのぞきに参加する
"何も着ないのかよ"
"誰か変な声出した?"
フェズは典型的な無害なのぞき魔の例だ
"まずい! フェズよ!"
"いいお尻"
フェズはのぞきのギャグとして使われた
"全部見てたの?"
"暗くて見えなかった"
そこでの行動は
ただの悪ふざけとして扱われた
"これで服が透けて見える"
"じゃあ見るよ"
フェズは最終的にのぞいた女性と結ばれ
ゴールデンタイムに放送された
少年が少女をのぞくシーンは
昔の青年向けコメディでよく使われた
しかしそこで描かれたのは
動物小屋のキモいオタクたちではない
ヒッチコックは盗撮好きで知られ
多くの映画で のぞきのシーンがある
無害なのぞき魔はどのジャンルにもいる
アクション映画にホラー映画
恋愛ドラマにSFアドベンチャー
のぞきができるゲームもあった
"見ろよ 女が裸だ"
"どこ?"
"角の上から2番目の窓"
コメディでは中心的ですらあった
"レイチェルの裸だ"
よくギャグとして使われた
"僕だから開けた?"
"いえテディベアにカメラが入ってて"
のぞきは隠れてやるものと思いがちだが
実際はいろんな形がある
"始まってる?"
"神様ありがとう 最高です"
スパイと言えば男の仕事である
張り込む刑事とか
しかしここにも多くののぞき魔がいる
"保護しないとな"
"ホホホ この仕事は最高だ"
スパイ映画では 男はハイテク装置を使う
"モードは9つ"
"全少年の夢"
"透視モードも"
超能力ヒーロー物では男性が
力を女性の体を見るために使う
"いいもの見れた"
スーパーマンは男らしさの見本だが
それでも何度となくのぞきをする
のぞき魔はヒーロー以外にもいるが
悪役というわけでもない
"私は仕事の域を超えて見ていた"
主人公がモラル的に疑問なこと
犯罪的行為をしていても
それがキャラを損なうものとはならない
むしろ性格の一部として理解される
"何?"
珍しくないのは プライバシー侵害が
遊びとされることだ
"すみません"
"いないかと"
"見ないで"
または片思いからの衝動だと
のぞきが行き過ぎている時でさえ
"事故だ"
"最低"
行為は大抵 すぐに許され 忘れられる
ここでのより深い問題は
のぞいてはいない場面で現れる
"何で見たの?"
"ヒーローは常に目を光らせてないと"
よくあるのは女性が服を着替える時に
男性がいる場面だ
"お構いなく"
女性は後ろを向くか目を閉じるよう言う
"向こう向いて"
"何で?"
"向こう向いて"
"ちょっと向こう見てて"
"向こうの滝を見てて お願い"
"のぞかないで"
だが主人公はもちろん従わない
"見るな"
"目はあっちだって"
多くの場合 結局のぞく
"向こう向いて"
"ほら"
"向こう向いて"
だがそれで信頼関係が壊れることは稀だ
むしろ関係が進展することの方が多い
はっきり見るなと言わない場合もある
暗黙の了解で見ないというだけ
その状況でのぞかない男性は稀だ
"見ないで"
恋愛映画でのその行為は
女性に魅了されているサインを表す
"マジかよ"
現実で男性が女性の権利を無視するのは
大変危険な行為だ
"くたばれ クズ野郎"
のぞきは軽い犯罪と考えられているが
被害者にとっては軽いことではない
"誰か?"
心に傷を負うこともある
"誰かいる?"
"全部見える"
のぞきが友好的である場合もある
"見えてる"
はっきり見えているものもある
実際この動画の制作で
多くの編集技術を使うことになった
youtubeに適合するために
"裸が映ってるわ"
あなたの信念がどうであれ
問題は性的なものが見えることではない
問題は 性がどのように描かれるかだ
"いいでしょう"
のぞきの真の問題は
人物間や物語内の同意の欠如である
重く受け止められていない
"私の着替え見た?"
"顔が変"
盗み見るのが盗撮だというのは誤解だ
正しくない
盗撮は合意的になされうる
シーンがのぞき的であることもある
キャラ同士が親しく見つめ合うとか
"スティーブ"
しかし映画で 同意あるのぞきは
同意のないシーンほどはない
ここまでキャラの視点で論じてきたが
他にも考えるべき論点がある
カメラの視点だ
普通の少年の寝室に戻ろう
だがそれは普通の寝室ではない
映画のセットだ
また普通の少年でもなく 役者だ
脚本の中の
すべて製作者が選んだものだ
女性も監督が選んでいる
主人公がその体に夢中になるように
そして同じく 視聴者も興奮するように
"帰っていい?"
"おう"
視聴者も共犯になるのだ
私たちはのぞきに参加させられる
"これぞ007"
キャラがのぞきをするときは
隠れてこっそりやる
また映画理論上の概念として重要なのは
「男性のまなざし」だ
カメラが女性の体を性的に捉える
主人公の視線とは関係なく
しかし今はキャラ視点だけを論じよう
もちろん映画視聴者の性別は様々だ
だがいつも男性の視点が共有され
そこからキャラの興奮を知る
大抵 女性は見られていることを知らず
ゆえに同意はない
よくはないが まさに許可がないからこそ
視聴者はそこで興奮することになる
"見ちゃいけないものだな"
"ちょっと☓☓してきた"
もちろん役者はこれが映画として
人に見られることに同意している
しかし表現上は 同意してないかのようだ
"こんにちは"
指摘できるのは 特定のタイプの女優が
製作者によって選ばれている事実だ
通常若く 白人で わかりやすく魅力的だ
これはハリウッドの定型であり
犠牲者がそれとは異なる時はいつも
"来た"
不愉快なオチとなる
"来たのね"
またはオカマ的ジョークに
"女みたいだ"
"わお あの窓見てよ"
少年が女性をこっそりのぞくシーンは
青春小説ではありふれている
そこではのぞきは通過儀礼とされる
"これはヤバい"
思春期の性的目覚めとして
少年は最初 女性絡みでシャイだが
のぞき行為を通して 自信を身に付けていく
映画の視覚言語によれば
のぞきは少年の成長体験なのだ
それゆえに精神的重要性も持っている
少年が男性に変わる過程は
女性の体への侵害によって築かれるのだ
"悩んでいたのか 時々無防備だった"
"それで黄金の地まで見ることができた"
少年は一人で悩むこともあるが
別の時には のぞきは社会的活動となる
"脱ぎだしたぞ"
女性は対象化され
少年たちの結束を強めるものになる
その経験はまた 男性優位性を強化する
"目に焼き付けろ"
"伏せろ!"
性的好奇心は普通のことだ
しかし 同意なき行動は
健全な関係と混同されるべきではない
常にプライバシーが考慮されるべきだ
"着替え中"
"ごめん"
1972年の番組の中でバーガーは
見る行為は受動ではなく能動だと言った
男性は女性を夢見る
女性は夢見られたいと思う
男性は女性を見る
女性は見られる自分を見る
性にとって見ることは重要です
しかし見るのと見られるのでは違います
体が画面に置かれる
バーガーは油絵について話していたが
その考察は映画にも当てはまる
男性キャラは能動的であり
女性キャラは受動的で
見られていることを知らず無防備だ
ここで生じる権力関係は男性優位となる
これらが女性に伝えるメッセージは
見られることは いいということだ
"見てたのね"
"いつから? 今日だけ?"
"1週間? 引っ越してから?"
男性からの性的関心は評価となる
お互いの感情とは関係なく
"最高にキモい"
"でも今までで最高にかわいいかも"
作家のフィボスはこう書いている
"これらの作品は男性に対し
ストーキングやのぞきが求愛の
許される形であると信じるよう奨励している
恋愛成就を解決するかのように"
"また女性には そのような行為の
対象になりたいと望むよう指図している"
"カーテン閉めよう 誰かが君を見る"
"やめて 閉めずに見せつけるの"
ここまで論じてきた映画でも
女性が のぞかれることを密かに
喜んでいると示されるのは珍しくない
その意味合いは明白だ
男性に望まれることが
女性に価値を与える
"警察を呼ぼう"
"だめ 全部台無しになる"
"いい人そうなんだから"
この危険なメッセージは
次の概念と絡み合っている
性欲が絡むと 男は自己制御を失う
男は自然の見えない力によって
女性の体に惹かれるようだ
もちろん真実ではない
男性は自分をコントロールできる
"やめろ"
それでもメディアはその神話を語り
男性の行為を免責している
そこでは無害なのぞき魔は
女性の魅惑的罠にかかった犠牲者なのだ
再びフィボスを引用しよう
"それはまた男性を免罪する物語だ
女性は常に見せつけているという話の説得力を強め
見ることへの抗議の正当性を弱める"
"わざと脱いでるんだよ"
"わざと窓で 見られてるとわかってる"
男性の違法なのぞきで
女性を責めるのはバカげている
しかし映画は観客に
女性が悪いという印象を残そうとする
自分の家の中であっても
"見たの?"
"僕を誘惑してたんだろ?"
"違う!"
"私があなたとセックスしたいとでも?"
ここまでの議論は
男性優位性の巨大な文化の一部だ
多くの男性がこの社会で教わる
女性の体はいつでも使っていいと
評価し 審査し 比較し
個人的空想の燃料として使っていい
"今夜はあの子のことを考えよう"
"俺もついて来るぞ"
見られることを選んだ女性はいないし
男性には見る権利などない
"別の部屋に行くな"
結局 無害なのぞき魔は無害ではない
それは男性優位の感覚を強める
いい男であれば
女性の体を見ていいと語ることによって
"あの装置でのぞきした?"
"そしたらヒーローじゃない"
"少しぐらいいいのに"
"あなたなら資格がある"
それゆえ許可は必要ない
"私の部屋が見える"
"裸は見てない"
"残念"
"私すごいのに"
"向こう向け ほら"
"男でしょ みんなと同じ"
近年では 性別が逆の場合が増えた
それでものぞきの権力関係はあるし
性別を変えただけでは 同意に関しては
問題を解決しない
見方を強めているからだ
誰かの望みが自分の体より重要だと
古い言葉通り
間違いを重ねても正しくはならない
見ることの同意について知るのは重要だ
"大変だ"
ソーシャルメディアでは現実に
許可なき画像共有が問題化している
"いいの?"
"うん あなたのよ"
"私の体を見てほしい唯一の人だから"
現代のデジタル世界では 女性の画像が
男性間の社会的通貨となっている
"百聞は一見にしかず"
男性に仲間内の地位を与えている
"すげぇな"
女性を自分に服従させた証拠として
"見せたの?"
"僕がセックスしたと信じてなくて"
女性の体を許可なく晒すことが
男性同士の結束を強め
男性優位感の共有をもたらす
"こいつはどうだ"
最近のいくつかのドラマは
この画像共有の問題を描いている
しかし 脚本家は話をひねりたがった
犯人は女だと
無論現実でよく見られるのは
犯人が恋人か元恋人である場合だ
"ジョセフがあなたの写真見せてたよ"
"え?"
"自撮りのやつ みんなに見せてる"
"街中ね"
"市長も見てる"
「ノーマル・ピープル」では
男が彼女の写真を見せるシーンがあり
主人公はよくないとは言わずこう言った
"もっとましなことできないのか?"
このシーンは2つの理由で重要だ
1つは このように男性が
他の男性をたしなめる例は珍しい
2つに 製作者は画像を映さなかった
画像共有が悪いと描いていても
製作者は問題の画像を観客に見せがちだ
それらのシーンは不要であり
視聴者を同意なき行為に巻き込んでいる
のぞきで のぞかれる側が悪くないように
画像共有も 許可なくされた側は悪くない
責任は完全に
同意なく見て 共有した側にある
"送るべきじゃない"
"シェアすべきじゃない"
女性のプライバシーを尊重する
男性キャラは珍しい
さらに珍しいのは男性キャラが
のぞきを阻止することだ
しかしこの態度こそ必要なものだ
"閉めるよ"
同意を重視する文化を作りたいなら
見ることの倫理を理解することが重要だ