私はハイリー・センシティブ・パーソン (感受性の強い人)です こう言われたら 皆さんは 最初に何を思い浮かべますか? 「恥ずかしがりやで 内向的に違いない」とか 「感情的になりやすいだろう」とか 「すごく気を遣わなくちゃ」 と思うかもしれませんね 感受性の強い人に対する 一般的なイメージは どことなく弱々しく はかなげな生き物で 遺伝的な意味で人生のハズレくじを 引いた人というものです 「敏感」という語を検索すれば 実際の様子がわかります 出てくる画像は 歯痛や肌の炎症 (笑) しおれたタンポポや 泣いている人々という具合です 感受性のイメージ戦略には 明らかに問題があります (笑) そこを変えたくて 私は今日この場にいます 「感受性が強いって どういうこと?」 と思っているかもしれませんね すべての感覚が過敏になっている状態で 生きることを想像してみてください 内面に広がる世界は実に色鮮やかで 感情は いちいち大げさに湧き上がります 悲しみは底知れぬほど深く 喜びは恍惚の境地です そして尋常じゃないほど 周りを気にかけ 他者の気持ちが どこまでも理解できます 身の周りにあるもの全部を 常に吸収する感じだと思ってください 感受性の強い人は よくこんなことを言われます 「気にしすぎだよ」 「いちいち重く受け止めるのは やめなさい」 私のお気に入りは これです 「もっと強くならなきゃダメ」 根底にあるメッセージは明白です 感受性が強いということは 重大な欠陥があるということです 私も そう思っていました 警告か免責の標識でも ぶら下げて歩いた方がいいと いつも思っていました 「注意! 感受性強し」ってね とはいえ 実は 感受性が強いことには それなりに特権があります その1つが とんでもなく活動的すぎる頭です つまり 頭をオフにすることは不可能で 不眠症とは大の仲良し というわけです ご想像のとおり この特権は とりわけ TEDに登壇する前夜などに便利です (笑) また 怖い映画や暴力的な映画を 観ることができません 映像が脳裏に焼きついて 離れなくなるからです 子どもの頃に『ジョーズ』という映画を 観たのを覚えています ひどいトラウマになって それから数年の間 海はもちろん プールにも 近づけなくなってしまいました また これは恥ずかしいのですが 『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』 という子どもの頃のあだ名が 旅先でホテルのベッドの話となると 今もぴったりです マットレスは硬すぎず柔らかすぎず ちょうど良くなくてはいけません 父には冗談まじりに 「自分のベッドと 枕を抱えて旅に出たら」と 勧められたことがあります 旅先での面倒が 一切なくなるからです (笑) よく「こんな風でいることに 何のメリットがあるのか」と思っていました でも 感受性に恵まれている良さは じわじわと わかってきました 自分が他の人と すぐに深い人間関係を結べることや 正確なGPSのごとく自分を導く鋭い直感の 持ち主であることを愛せるようになりました そして25歳の時にやっと ある本に巡りあって 私の人生は変わりました エレイン・アーロン著『ささいなことにも すぐに「動揺」してしまうあなたへ』 私はとうとう自分の人生の 圧倒されるほど色鮮やかな体験に 名前を付けることができました 似たような人が他にもいる ということに希望を感じました 本の中でアーロン博士は ハイリー・ センシティブ・パーソン 略して「HSP」とは 遺伝的な特性として 感覚処理感受性を 持つ人のことだと述べています 舌を噛みそうですね そして驚くべきことに 人口の15~20%はHSPなのです 博士はHSPの主要な特徴を「DOES」 という頭文字で 見事にまとめています 「D」は処理の深さ (Depth) です HSPには何から何まで深く分析する 驚異的な能力があります 私のお気に入りの例は 「中華料理店シンドローム」と呼ぶもので (笑) 要は40ページあるメニューを隅々まで 1時間かけて読んでいられることです 結局は いつもと同じ料理を 頼むことになるんですけどね (笑) 「O」は過剰な刺激 (Overstimulation)です 自分を取り囲む世界に すぐ圧倒されてしまいます 私はバイエルン出身で 地元のオクトーバーフェストが大好きですが 1時間もいたら退散しなくては なりません あのローストチキンの匂いに 綿菓子の混ざった雰囲気や 雑然と鳴り響く音楽 大勢の人の波に 完全に呑まれてしまうからです 感覚が一杯いっぱいに なってしまいます 「E」は共感 (Empathy) HSPは他者の気持ちを感じ取ります 古代ヘブライ語に こんな ことわざがあります 「泣く者の傍らに 涙の味を感ずる者あり」 最後の「S」は 些細なこと (Subtleties) への気づきです HSPは いわば研ぎ澄まされたセンサーです 微小な物事も残らずキャッチできます ということは あいにくHSPは 午前3時に あなたを起こして こう訴える人でも あるわけです 「蛇口から 水がポタポタ落ちる音がする」 「2階下のキッチンだわ」 このようにHSPというのは 感情的反応の域をはるかに越えています HSPに対する固定観念にまつわる ある2つの重大な 触れにくい問題に 触れてみたいと思います 1つめは「HSPとは世を忍ぶ内向型人間に 違いない」という思い込みです 「呼び方がおしゃれになっただけだ」と (笑) 実際のところ HSPのうち30%は外向型です つまり そう簡単に 「物静かな壁の花タイプ」と 決めつけることはできません HSPが内向的か外交的か 一概には言えないのです 2つめは HSPの特徴に 女っぽいイメージがあるため HSPは女性だと思い込んでいる人が 多いことです 驚かれるかもしれませんが 実際は HSPのうち50%が男性です 私たちの社会では 男性といえば がさつで 押しが強くて負けず嫌いと 決まっています 残念ながら 男性が敏感さと強さを 兼ね備えているという概念は 一般的な考えから かけ離れている状況です さて ここで申し上げておきますが 私はHSPが他の人より優れているとも 劣っているとも思っていません 他の人とは違うというだけの話です あわせて言っておきますが 俗説に反して HSPは「自意識過剰な “構ってちゃん”同盟」の一員ではないですし HSPが集まる秘密結社もありません (笑) HSPは他の人と同じです ただ違うのは 彼らの体験が より鮮明だということです そしてHSPが全員そっくりかというと それも違います 2人と同じHSPは いません HSPの敏感さには それぞれ独自の特徴があります それも アイデンティティーの指標となる ジェンダー、民族性、文化的背景、 経歴などに違いがある上にです 注意していただきたいのは HSPは病気でもなければ なろうと思ってなるものでもない点です HSPは遺伝的な特性です 私たちHSPは 基本的に 生まれつき温和です HSPに向かって 「敏感すぎる」と言うのは 青い目の人に向かって 「目が青すぎる」と言うようなものです おそらく 何度 そう言ったところで あなたを見つめ返す目は 変わらず青いままでしょう 社会全体が 感受性を 欠点と考えるようになってきました 感受性が強いことは不運であり 情にもろいという弱点であって 社会をこれまで以上に最適化、客観化、 自動化していく力を鈍らせるというのです 私たちは理想主義者や夢想家 ものを創り出す人を すぐけなします しかし 昔からこうだったわけでは ありません 前世紀までは 慈善家、哲学者、詩人、 芸術家、画家は皆 その感受性を生かした社会貢献によって 尊敬されていました ダ・ヴィンチやモーツァルトがいなければ 私たちはどうなっていたでしょう? アナイス・ニンや バルザックや マザー・テレサや ガンディーが存在していなかったら この世は今より確実に 暗いものになっていたでしょう HSPがもれなく世界を変える天才だと 言っているのではありません でも 概してHSPには関係性や意味を 創り出そうという真摯な思いがあります なぜなら彼らは他者の痛みに触れては 自分の痛みとして感じ 忘れ去られた者の存在を高めたい 不運な人々を救いたいと思うからです HSPが自らの敏感さを隠して 大衆に紛れようとすれば 私たち皆にとっての損失です だって 思わず胸が高鳴るような 繊細な創造物のない社会なんて― 想像力や直感、思いやりの価値を認めない 社会なんて つまらなくないですか? 絶対つまらないでしょう だから私は 早急に 感受性を理解し その価値を認め始める必要があると 考えます 何かと熱くなりがちな世界の 温度を調節する効果があるからです 程度や感じ方は違っても 私たちは皆 敏感なのだと思います HSPは ちょっと極端だ というだけの話です だから感受性について どう考え 議論するかは私たち皆にとって大事なのです 社会全体で取り組む必要があります 感受性にまつわる否定的な風潮の 物語を書き換えて 肯定的な物語にしていきましょう 感受性から弱みのイメージを 取り払って ようやく感受性がもたらす多くの強みを 生かすのです 私たちがそうすることで HSPに限らず 誰でも安心して 繊細な一面を見せられる環境が できてくるでしょう 感受性に対して より肯定的な認識や 受容を生み出す雰囲気を どうしたら取り戻せるでしょうか? 公的なレベルでは 学校や職場で すぐにでも起こすべき 変化が2つあると思います 学校では教師向けにトレーニングを 改善する必要があります 感受性の強い子たちに 教師が気づき 理解するためです そして親も教師も よかれと思って 敏感な子に たくましさを求め 厳しい世間を渡り歩けるように させるのは もう やめましょう 羊に無理やりオオカミの毛皮を 着せようとしてはいけません 企業レベルでは 他者を肘で押しのける人に 有利に働くシステムがあります 感受性の強い人は 概して穏やかな話し方で 協調性があり 競争を好みませんから 出世の階段では後れをとりがちです これを変えるため ごく一部の選ばれた人だけでなく どんな性格の人でも活躍できる環境を つくる必要があります この理由から 私は 感受性の高い人々を起用することは 企業にとって 最善の道だと信じています なぜなら敏感な人たち抜きでは 革新も整合性も 究極的には人間性も 欠くおそれが出てくるからです 個人レベルでは 誰にでも できることがあります 身近にいる敏感な人たちが持つ 繊細な個性に 意見するのを控えるだけです 今度 誰かに 「敏感すぎる」と言いたくなったら ちょっと立ち止まってほしいのです 意見する代わりに 理解しようとしてください ちょっとした受け入れをするだけで お互いの気分が良くなることに気づきますよ HSPの仲間たちへ 元気を出して 臆せず自分らしさを発揮しましょう 強くなろうとしたり 隠れたりしないで あなたはそのままで素晴らしいのです 変だと思ってはいけません おかしいことがあるとすれば それは あなたではなく 腐敗、暴力、強欲が普通という 世界の方なのですから クリシュナムルティの言葉です 「ひどく病んだ社会に うまく適応したところで それは健康とは言えない」 私は子どもの頃 庭で蝶々を追いかけるのが大好きで その繊細な美しさに見惚れていました 「蝶々を守らなくちゃ」と強く感じ 草や花を敷き詰めた小さなガラス瓶の中に 蝶々を閉じ込めました 部屋の中で私と一緒にいれば 安全だからです すぐに わかりました 蝶々は捕らわれの身を好みません おかげで理解できました 蝶々を救う必要はないのです 自然生態系の中で 色とりどりの姿をしていることこそが 蝶々の存在意義だったのです 同様に HSPも世の中の苦痛から逃れて 温室の中に身を隠していては いけません 一歩を踏み出し 自らの感受性という才能を 皆と分かち合うことが HSPの役目です 人間である以上 私たちは皆 感受性や思いやりの経験によって 結ばれていると信じています また HSPでなくても 他者を気遣い 世の中を良くすることはできます こんにち 私たちは 政治、文化、環境において 深刻な問題に直面しています これまで以上に 今こそ 来たる困難の時代に向けて 道を拓くべく 敏感な心を社会に生かすことが 求められています 自分と 自らが生まれながらに授かった感受性とを もっと自由に つなげられるようになれば 私たちも 私たちが住むこの星も もっと癒されるでしょう ジョン・レノンという 感受性を讃える歌として おそらく 史上最も代表的な歌を書いた人がいます 彼の『イマジン』をモチーフに この言葉で締めくくります どうか私を 夢想家と思わないでください 感受性が強いのは 私1人じゃないと 知っているからです 信じて 私に協力してください この世界を もっと優しいものにするために (拍手) ありがとうございました (拍手)