1 00:00:04,229 --> 00:00:04,939 2 00:00:30,058 --> 00:00:37,530 人はなぜ悩むのでしょうか? そのことについてずっと考え続けてきました 3 00:00:37,708 --> 00:00:43,253 いま僕の結論としては 人は「か」だから悩む 4 00:00:43,543 --> 00:00:49,273 「か」ではなくて「と」の世界になったら その悩みは消えていく 5 00:00:49,363 --> 00:00:53,433 そういうような経験を 皆さんに共有したいと思います 6 00:00:55,053 --> 00:01:00,213 僕は両親が台湾出身で 京都で生まれ育ちました 7 00:01:00,403 --> 00:01:05,742 何不自由なく 何の疑問もなく 日本人として育ってきたんですけども 8 00:01:05,832 --> 00:01:09,773 あるとき 小3くらいのときですね 9 00:01:11,113 --> 00:01:16,998 正月休みが明けたときに クラスのみんなが集まって話をしている 10 00:01:17,162 --> 00:01:23,092 そのとき おじいちゃまやおばあちゃまの家に行って お雑煮を食べておもちがまるかったの とか 11 00:01:23,172 --> 00:01:26,532 いやうちは四角だったよとか言うんですね 12 00:01:26,922 --> 00:01:31,942 ちょっと待てよ  いや うちお雑煮って食べたことないんやけど… 13 00:01:32,092 --> 00:01:35,532 おもちって何?お雑煮に入ってるもんなん? 14 00:01:35,916 --> 00:01:42,966 あれ 僕ずっと日本人だと思って過ごしてきたけども 日本人じゃないのかな? 15 00:01:43,856 --> 00:01:50,276 でも 例えば台湾に行って 両親の親戚や家族 友だちに会って 16 00:01:50,396 --> 00:01:55,106 台湾語を喋れるわけでもない  中国語を喋れるわけでもない中で 17 00:01:55,306 --> 00:01:58,937 あれ、自分は台湾人でもないのかな? 18 00:01:59,496 --> 00:02:05,766 自分は日本人なのか 台湾人なのかという「か」に すごく苦しめられてきました 19 00:02:07,036 --> 00:02:12,716 いま日本で仕事をして そしてそれを台湾でも仕事をするようになると 20 00:02:13,156 --> 00:02:19,436 自分は日本人でもあり 台湾人でもあるということに すごく大きな価値があるということに気づきました 21 00:02:19,716 --> 00:02:22,876 僕は台湾で講演をするときに必ず 22 00:02:23,116 --> 00:02:28,516 (台湾語の自己紹介) 23 00:02:28,546 --> 00:02:30,436 というふうに言うんですけども これは 24 00:02:30,526 --> 00:02:35,131 「私のお父さんお母さんは台湾人です  台湾語をちょっと喋れます」 25 00:02:35,236 --> 00:02:36,846 「でも日本で生まれました」 26 00:02:36,876 --> 00:02:42,696 これを一言いうだけで みなさんすごく笑ってくれて やりやすくなるんですね 27 00:02:42,836 --> 00:02:50,716 日本人であり 台湾人であるという「と」の価値が 自分にはあるんだということにすごく救われました 28 00:02:51,069 --> 00:02:56,019 日本人なのか 台湾人なのかという「か」で悩み苦しみ 29 00:02:56,199 --> 00:03:00,909 そして日本人と台湾人とという 「と」の世界に救われたんですね 30 00:03:02,179 --> 00:03:06,879 僕は2年前まで医学生として 医学を勉強していたんですけども 31 00:03:07,389 --> 00:03:12,319 初めて病院に医学生として勉強を始めたときに 32 00:03:12,529 --> 00:03:15,429 自分は患者さんの立場で見たらいいのか 33 00:03:15,609 --> 00:03:19,449 それとも医師の立場で見ればいいのか その「か」に悩みました 34 00:03:20,159 --> 00:03:24,819 医師の立場として見るには あまりにも経験や知識が足りない 35 00:03:25,000 --> 00:03:28,080 でも 患者さんの立場で見るにも 36 00:03:28,170 --> 00:03:32,380 別にその病気を自分が経験しているわけでもないし その家族でもない 37 00:03:32,530 --> 00:03:36,380 どこに自分の価値があるんかな ということに迷いました 38 00:03:37,630 --> 00:03:40,560 それが あ ちょっと待てよと 39 00:03:40,650 --> 00:03:44,090 患者さんの立場も持っているし 医師の立場も持っている 40 00:03:44,210 --> 00:03:49,040 その視点をどちらも持っているということの価値が 医学生にはあるということに気づいたんですね 41 00:03:49,320 --> 00:03:53,230 例えば患者さんには 医師には言えないけども 42 00:03:53,320 --> 00:03:57,320 回ってくる医学生 学生さんぐらいには 言えるってことがあるんです 43 00:03:57,520 --> 00:04:02,570 逆もまたしかりで 医師の方も患者さんには 直接的過ぎて言えないけども 44 00:04:02,810 --> 00:04:05,840 医学生には教えられるみたいなことがあります 45 00:04:05,873 --> 00:04:12,553 その両方の立場と視点と考えを持ちうることが 医学生の大きな価値なんだと気づきました 46 00:04:12,913 --> 00:04:16,703 患者と医師とどちらの視点を 持てばいいのかということから 47 00:04:17,003 --> 00:04:22,393 患者と医師とどちらの視点も持てるという 医学生の価値に気づいたんです 48 00:04:23,413 --> 00:04:28,903 また今 僕は名古屋のある病院で 医師として働いていますけれども 49 00:04:29,183 --> 00:04:33,413 どういう医療をやるか それをどうやるかということに関して 50 00:04:33,533 --> 00:04:35,533 どう決めていくものなのでしょうか? 51 00:04:35,693 --> 00:04:39,393 医療の意思決定とはどういうふうに されていくものなのでしょうか? 52 00:04:39,833 --> 00:04:46,195 患者さんが決めるのか 医師が決めるのか というようなシーンがいっぱいあります 53 00:04:46,765 --> 00:04:54,895 例えば 乳がんの若いお母さん  10歳くらいの子どもがいる人の場合で言うと 54 00:04:55,895 --> 00:05:01,545 医師がこの人に対して手術をするか 薬をするかということに対しては 55 00:05:02,205 --> 00:05:07,665 例えばこのがんがどれくらい進行しているか 転移はあるか 他の症状はないか 56 00:05:07,865 --> 00:05:11,583 そういった客観的なことをベースに考えるんですね 57 00:05:11,985 --> 00:05:14,595 でも一方で患者さんに聞いてみると 58 00:05:14,975 --> 00:05:18,525 そういった客観的なものではなくて むしろ主観的なもの 59 00:05:18,885 --> 00:05:22,405 自分がもし手術を受けておっぱいがなくなったら 60 00:05:23,347 --> 00:05:26,967 初めて自分の子どもを 息子をお風呂に入れるときに 61 00:05:27,067 --> 00:05:30,287 自分のないおっぱいについて どう説明したらいいですか? 62 00:05:30,437 --> 00:05:32,727 ここから入るんです 63 00:05:33,087 --> 00:05:37,157 医師は客観的なものから考えるかもしれません 64 00:05:37,267 --> 00:05:42,037 でも 主観的なものを患者さんは より大事にするっていう中で 65 00:05:42,187 --> 00:05:46,487 患者さんが決めるのか 医師が決めるのかということが すごく問題になります 66 00:05:47,147 --> 00:05:51,697 そこを 患者さんと医師とが どう一緒に決めることができるのか 67 00:05:51,837 --> 00:05:54,817 ということを僕らは考えないといけないと思います 68 00:05:55,037 --> 00:05:58,637 それは 何をやるか 何をやらないかではなくて 69 00:05:58,839 --> 00:06:01,889 それをなぜやるか そしてなぜやらないかということを 70 00:06:02,169 --> 00:06:05,499 お互いに共有しながら 話し合って決めていくことです 71 00:06:05,629 --> 00:06:10,699 その結論が手術になるか 薬になるかが大事なことではありません 72 00:06:10,889 --> 00:06:16,559 その決めていく過程を患者さんと医師が 一緒に共有していく 73 00:06:16,789 --> 00:06:19,009 そのことに意味があるんです 74 00:06:19,129 --> 00:06:21,299 だから 患者さんか医師かではなくて 75 00:06:21,429 --> 00:06:26,429 患者さんと医師とが医療 どういう医療を 受けるかっていうのを決めていく 76 00:06:26,489 --> 00:06:29,203 そういう必要が僕はあると思います 77 00:06:29,829 --> 00:06:37,159 また これからの世代を生きる僕たちは どんな仕事に就いていっても 78 00:06:37,248 --> 00:06:40,898 AIというものについて 無関係ではいられないと思います 79 00:06:41,308 --> 00:06:48,218 いろんな新聞やニュース記事を紐解けば AIが人の仕事を奪う 80 00:06:48,428 --> 00:06:51,278 人はAIによって置き換わる  医師もそうです 81 00:06:51,308 --> 00:06:56,238 AIは医師の仕事を奪っていくだろう  医師はAIに代替される 82 00:06:56,378 --> 00:07:02,538 そういう話ばっかりです  いわゆる AIか医師かの話がいっぱいあると思います 83 00:07:03,818 --> 00:07:08,338 ディープラーニングの父と呼ばれる ジェフェリー・イーヒントン教授はですね 84 00:07:08,568 --> 00:07:12,348 2016年 ニューヨーカーという雑誌のコラムに 85 00:07:12,438 --> 00:07:21,658 画像をベースにして判断する放射線科医という医師は その育成をやめるべきだと書いているんですね 86 00:07:21,910 --> 00:07:26,190 なぜなら AIがすべてを代替できるからというように言っています 87 00:07:26,400 --> 00:07:33,770 まさに彼も AIか医師かというような 世界観で生きていたのだと思います 88 00:07:34,390 --> 00:07:39,250 ただ実はその1年後に ジェフェリー・イーヒントン教授は 89 00:07:39,310 --> 00:07:42,480 同じニューヨーカーの雑誌にコラムを寄せています 90 00:07:43,370 --> 00:07:45,920 医師の役割は進化するんだ 91 00:07:46,090 --> 00:07:51,630 単なる画像を見る人からそれ以上のものに 進化していくというふうに 92 00:07:52,400 --> 00:07:57,630 僕たちが考えないといけないのは AIか医師か AIか人か ではなくて 93 00:07:57,758 --> 00:08:00,888 AIと医師と どういうふうに繋いでいくことができるか 94 00:08:01,008 --> 00:08:04,158 AIと人とをどうやって繋いで 新たな価値を生んでいくか 95 00:08:04,218 --> 00:08:07,823 それを僕たちは考えないといけない というふうに思います 96 00:08:09,398 --> 00:08:16,648 また 新しいお札の肖像画になる 渋沢栄一さんという人がですね 97 00:08:16,738 --> 00:08:25,688 数百社自分の会社を作るその支援をする中で 会社経営とは何かというような本を書いています 98 00:08:25,838 --> 00:08:30,548 そのタイトルが『論語か算盤』ではなくて 『論語と算盤』なんですけども 99 00:08:30,797 --> 00:08:36,397 会社経営とは算盤をはじきながら 利益を追求していかないといけない 100 00:08:36,527 --> 00:08:40,607 なぜなら 利益を追求していかないと 会社はつぶれてしまうから 101 00:08:40,947 --> 00:08:48,337 一方で 論語のような哲学や道徳や価値観に 基づいたものをベースに 102 00:08:48,607 --> 00:08:54,907 この会社がどういう社会的な価値を生み出すのか どういう役割を担うかということを考えないと 103 00:08:55,077 --> 00:08:57,907 存在する意義がないということです 104 00:08:58,107 --> 00:09:03,347 『論語か算盤』ではなくて 『論語と算盤』であるということが大事です 105 00:09:04,237 --> 00:09:07,867 僕もある医療系のキャンペーンですね 106 00:09:07,985 --> 00:09:11,565 クラウドファンディングという いろんな人からお金を集めて 107 00:09:11,685 --> 00:09:14,705 何か啓発キャンペーンをやるといったことを やったんですけども 108 00:09:14,815 --> 00:09:20,235 医学系のキャンペーンでお金を集めるとは何事や  お前はお金のためにやってんのか 109 00:09:20,355 --> 00:09:22,645 と言われたことがあります 110 00:09:22,975 --> 00:09:28,285 それって僕としては もしかしたら お金のためか 人のためか 社会のためか って 111 00:09:28,405 --> 00:09:33,715 どれかしか実現できないと 思ってるんじゃないでしょうか? 112 00:09:34,385 --> 00:09:40,275 生きていくためにはお金が必要です  でも一方で それを何のために使うかも同時に考える 113 00:09:40,875 --> 00:09:44,796 『論語か算盤』ではなくて 『論語と算盤』ということを 114 00:09:44,881 --> 00:09:48,331 僕たちは実践していかないと いけないじゃないかと思います 115 00:09:51,416 --> 00:10:02,886 ここ数年 僕は今26歳なんですけども 同世代の何人かが自ら命を絶ちました 116 00:10:03,856 --> 00:10:12,761 彼らのことを思うと 「生きるか死ぬか」という「か」にすごく苛まれて 117 00:10:13,021 --> 00:10:17,426 追い詰められて 追い立てられたんじゃないかと思います 118 00:10:18,216 --> 00:10:21,445 シェイクスピアの有名な言葉でも 119 00:10:21,645 --> 00:10:26,109 「生きるか死ぬか それが問題だ」 という言葉がありますが 120 00:10:26,279 --> 00:10:30,629 生きるか死ぬか それが本当に問題なのでしょうか? 121 00:10:31,559 --> 00:10:38,879 僕は「生きるということ」と「死ぬということ」が 共にあるあり方が あるんじゃないかと思います 122 00:10:39,789 --> 00:10:44,389 生きづらさを抱えて あるところでは生きていけない  苦しい つらい 死にたい 123 00:10:44,489 --> 00:10:47,119 消えてしまいたいと思うことがあるでしょう 124 00:10:47,449 --> 00:10:52,819 ただ それでも そこの自分が死んだとしても 他で生きている 125 00:10:53,029 --> 00:10:57,057 名前を変えてもいいし 今までのすべてを捨ててもいいし 126 00:10:57,187 --> 00:11:00,089 でも そこでも どこかでは生きている 127 00:11:00,219 --> 00:11:04,150 そういった「生きるということ」と 「死ぬということ」が 128 00:11:04,359 --> 00:11:06,940 どちらかではなくて どちらともある 129 00:11:07,100 --> 00:11:11,916 そういうあり方が僕はあるんじゃないかな というふうに思います 130 00:11:13,459 --> 00:11:19,079 なぜ「か」が「と」になることで 新たな価値が生まれるのでしょうか? 131 00:11:19,289 --> 00:11:27,739 それは「か」という世界の中では交わらず 分断され どちらかしか選べなかったものが 132 00:11:27,989 --> 00:11:34,770 「と」の中では お互いが繋がり そしてどちらの性質も持ち 133 00:11:34,930 --> 00:11:36,899 そして重なり合ったところに 134 00:11:37,019 --> 00:11:42,849 新たな価値が 新たな分野が 新たな概念が 生まれるからだと思います 135 00:11:43,034 --> 00:11:50,394 そうした「と」には間をつないで その間から新しいものを生み出していく 136 00:11:50,567 --> 00:11:53,514 そんな力があるんだと思います 137 00:11:54,274 --> 00:12:01,134 この「間」という字 僕たちにはすでに備わっている 言葉じゃないかなと思います 138 00:12:01,494 --> 00:12:08,384 僕たちは人間です  人でもありますけども 人間でもあります 139 00:12:08,604 --> 00:12:11,377 人は1人かもしれないし 140 00:12:11,527 --> 00:12:14,864 1人で生きていかないといけない ときもあるかもしれないけれども 141 00:12:15,054 --> 00:12:19,414 何かと何かの間に立って それを繋いでいく 142 00:12:19,537 --> 00:12:22,800 そういった存在であるということが この人間という言葉に 143 00:12:22,937 --> 00:12:27,257 含まれているのじゃないかと 僕はそれを見出したいと思います 144 00:12:27,897 --> 00:12:35,090 そんな何かと何かとも間を繋いで 「か」の世界ではなくて「と」の世界を 145 00:12:35,220 --> 00:12:38,817 ともに同じ人間としてともに作っていく 146 00:12:38,877 --> 00:12:43,037 そんな仲間になってください  ありがとうございました