こんにちは
ありがとうございます
[講演者の聴覚過敏につき
現地会場では音を立てない
アメリカ手話式拍手をお願いました]
これは 5年前の私の姿です
私はハーバードの博士課程にいて
旅が大好きでした
そして 最愛の人と
婚約したばかりでした
当時28歳の私は
体が元気な人は皆そうですが
自分は無敵だと思っていました
そんなある日
40℃を超える熱を出しました
医者にかかるべきだったのでしょうが
それまで大きな病気も
したことがなかった私は
どうせ風邪だろうと思い
家で休んで
チキンスープを作って
数日経てば
すっかり治るはずと見ていました
しかし この時は違いました
熱が下がり始めてから
3週間の間 意識がもうろうとして
外に出られませんでした
ドアを通るときには ぶつかるし
トイレに行くのに 壁を伝って
歩かなければなりませんでした
同じ年の春 何度も何度も
感染症にかかり
医者に診てもらうたびに
何も悪いところはないと言われました
どんなに検査をしても
異常は見つかりません
判断材料は実際の症状しかなくて
自分では説明できるのですが
他人の目には分からないのです
変な話かもしれませんが
こういう時 人は何らかの
理由を見つけないと気が済まないもので
老化なのかな と思いました
25歳を過ぎるって
こういうことなのかもしれない と
(笑)
やがて神経症状が現れ始めました
円を描こうとしても
半分しか描けないことがあったり
話ができなかったり
体が動かないこともありました
あらゆる専門医に診てもらい
感染症科 皮膚科 内分泌科
心臓内科などを
渡り歩きました
精神科にさえかかりました
精神科医に言われました
「明らかに ひどく体調を崩されていますが
でも 精神疾患は見当たりません
他の科で原因が
突き止められればいいですね」
次の日 神経科医に
転換性障害と診断されました
今までの症状すべて—
熱や喉の痛み 副鼻腔炎
胃腸に 神経に
心臓に現れた症状のすべてが
自分では憶えていない
幼少期のトラウマに
よるものだと言われました
症状は現実に起きているが
どれも生物学的由来では
ないとのことでした
私は社会科学者の卵でした
統計や確率論を学び
数理モデルや実験計画も
勉強してきました
だから 神経科医の診断をむやみに
拒絶してはいけないと思いました
直感的におかしいとは思いましたが
真実とは しばしば直感では
間違っているように思えるもので
願望が目を曇らせるからだと
学んで知っていたので
診断が正しいという可能性も
考慮しなきゃと思いました
その日 ちょっとした実験として
神経科医院から自宅までの
3キロメートル余りを歩いて帰りました
電気が走るような妙な痛みで
足がパンパンになりました
この痛みについて 考えをめぐらせ
こんな症状がすべて自分の心から
派生するなんてありえるのかと悩みました
家に着いて玄関を入った途端に
私は床に倒れ込みました
脳も脊髄も焼けるように痛くて
首がカチコチに凝っていて
アゴが胸に付かないほどでした
そして どんなに小さな音でも—
シーツがカサカサ擦れる音や
夫が隣の部屋を裸足で
ペタペタ歩く音さえ
激痛の元になったりもしました
それから3年間 ほとんど
ベッドを出られませんでした
一体どうして
こんな誤診をされたのだろうか
きっと 過去に例のない
奇病なのだろう と思いました
でも ネットで調べたら
世界中で 何千人もの人たちが
私と同じ症状を抱え
同じように
社会から取り残され
周りに信じてもらえずにいます
働く元気のある人でも
帰宅後も週末も
ただ寝たきりで過ごし
それでやっと月曜に
出社できるそうです
極端にひどいケースでは
あまりにも重症で
真っ暗な部屋で暮らすしかなく
誰かの声を聞くことも
愛する人に触られることも
耐え難い苦しみとなります
私は筋痛性脳脊髄炎(ME)
と診断されました
「慢性疲労症候群」として
ご存知の人もいるでしょう
何十年もの間 この呼び名で
この画像のようなイメージが
浸透してきた疾患ですが
中には この写真くらい
深刻なものもあります
患者すべてに共通する主症状は
それが何であっても
体か頭のどちらかでも使うと
ひどい消耗を伴うということです
夫がランニングすれば
何日か筋肉痛になる程度ですが
私の場合 数十メートル歩くだけで
1週間 寝たきりになります
自分専用にあつらえられた
牢獄のようなものです
知り合いの患者には
踊ることのできないバレエダンサーや
計算ができない会計士や
医師になれなかった医学生がいます
それまでの経歴が何だったとしても
復帰が不可能になります
発病から4年経ちましたが
あの日 神経科医院を出てから
それ以前の健康状態に
戻れたことはありません
世界中では推定で
1500万から3000万人が
同じ病気を患っています
私の国 アメリカには
約100万人の患者がいます
多発性硬化症の
ほぼ2倍に あたる人数です
ME患者は何十年もの間
うっ血性心不全患者並みに
身体機能が弱った状態が続きます
ME患者の25%が
家にこもりきりか寝たきりになり
75%から85%は
短時間の労働さえも不可能となります
それなのに 治療は受けられず
研究もほとんどされません
こんなにも ありふれていて
こんなにも全てを台無しにする病気を
なぜ医学は見捨てているのでしょうか?
あの時 私を転換性障害だと
診断した医者には
2500年以上にわたり続いてきた
女性の体に関する—
一連の考え方が
受け継がれていました
古代ローマの医師ガレノスは
ひときわ強い性欲を持つ女性が
欲求不満に陥ることで
ヒステリーが起こるのだと考えました
古代ギリシャでは
子宮が文字通り干からびると
潤いを求めて
体中を移動し
内臓を圧迫すると考えていたため—
そうです—
症状として激しい感情の噴出や
めまいや麻痺を起こすと
されていました
治療法は結婚し母になることだと
言われていました
このような考え方は何千年もの間
ほとんど変わらずでしたが
1880年代になると 神経学で
ヒステリー理論の再構築が試みられました
ジークムント・フロイトは
患者の無意識が身体的症状を
生み出すものであり
意識に上ると苦痛過ぎるような
記憶や感情を
扱うときに現れるのだという
結論に至りました
そういう感情が無意識の中で
身体的症状に転換するというものです
これで男性にも起こりうるとは
分かったものの
もちろん女性のほうがずっと
かかりやすいとされました
自分が持つ病気の歴史を
調べ始めた私は
こういった考え方が未だに
根深く残っていることに驚愕しました
1934年に
ロスアンジェルス郡立総合病院で
医師 看護師 スタッフの198名が
深刻な病に倒れ
筋力低下 首や背中のこわばり
熱などといった症状を示しました
私が受けた最初の診断のときの
症状と全く同じもので
当時の医者は新型のポリオだと
思ったそうです
今までに 世界中で
70件以上の集団発生が
記録されており
どれも感染症後に発症し
症状も酷似しています
全ての事例において
圧倒的に女性が多く
その間ずっと 医者たちは
たった一つの病因を見つけられず
集団ヒステリーだろうと
結論付けました
この考え方が なぜここまで
しぶとく残っているのでしょうか
女性差別のせいだろうとは
思いますが
医者も基本的には患者を
助けようとしているはずです
答えを知りたいがゆえに
ヒステリーと分類することで
治療が不可能な病気を治療し
説明のつかない病に
説明をつけているわけです
問題は このような姿勢が
恐ろしい弊害をもたらすことです
1950年代に
エリオット・スレイターという精神科医が
ヒステリーと診断された
85名の患者グループを調べました
9年後 12人が死亡しており
30人は身体に障害をきたしていました
多くの患者は
診断未確定ではあるものの
多発性硬化症 てんかん 脳腫瘍の
病状が見られました
1980年 米国でのヒステリーの正式病名が
「転換性障害」になりました
2012年 私に対して
この診断を下した神経科医は
フロイトの言葉を
そっくりそのまま使っていました
今でさえ
女性がこの病名で診断される率は
男性の2倍から10倍です
ヒステリーや心因性の疾患に
関する理論の問題点は
証明するのが不可能なことです
心因性という言葉そのものが
証拠不在を意味しています
MEの場合は
心理学的な説明が邪魔して
生物学的な研究が進まないのです
世界中のどこを見ても
MEに使われる予算は最低の部類です
アメリカで患者一人あたりの
国の年間支出を概算すると
エイズは2500ドル
多発性硬化症は250ドル
MEは たった5ドルです
落雷に当たったようなものだとか
ただ運が悪かったでは済みません
この病気を取り囲む無知は
選択によるものでした
私たちを守ってくれるはずの
制度が行った選択です
MEには多くの謎があります
遺伝する場合があるのはなぜか
エンテロウイルスからQ熱
EBウイルスに至るまで
ほぼ 全ての感染症にかかった後に
発症しうるのはなぜか
女性の罹患率が男性の
2〜3倍なのはなぜか などです
私の病気だけの話ではなく
ずっと大きな問題なのです
私が最初に倒れたとき
昔の友達が連絡してきました
まもなく ボロボロの体に苦しむ
20代後半の女性が
他にもたくさんいることを
知りました
周りの理解を得るのに
誰もが非常に苦労していると知って
衝撃を受けました
自己免疫性結合組織疾患の1つ
強皮症にかかった女性は
自己免疫性結合組織疾患の1つ
強皮症にかかった女性は
何年もの間 全部気のせいだと
言われ続けたそうです
症状が現れて始めてから
診断を受けるまでの間に
食道が徹底的に傷ついてしまい
口から食事をとれることは
もう一生ありません
卵巣癌の女性もいました
単なる早期閉経だと
何年も言われ続けたそうです
大学からの友達は
何年もの間 脳腫瘍を不安障害だと
誤診されていました
このような現状に不安を覚えます
というのも 1950年代以降
自己免疫疾患の発現率は
2〜3倍にも増えています
初めは心気症だと言われていた
患者のうち45%が
結局は 既によく知られている—
自己免疫疾患だと診断されています
古来からのヒステリー同様に
これは完全に ジェンダーや
世の中が誰を信じるかで決まります
自己免疫疾患の患者のうち
75%が女性で
病気によっては
女性が90%も占めています
罹患率は圧倒的に
女性のほうが多いとはいえ
女性特有の病気ではありません
MEは子供でも発症しますし
男性患者も何百万人といます
ある患者が言うには
良くなったり 悪くなったりで
女性であれば 症状を大げさに
訴えていると言われ
男性であれば 強くなれとか
我慢しろと言われます
そして 男性が診断を受けるまでには
女性より苦労するかもしれないのです
私の脳は 昔とは変わってしまいました
でも悪いことばかりではありません
こんな状況でも
希望は捨てていません
あまりにも多くの病気が
かつては心因性と言われたのち
科学により生物学的なメカニズムが
解明されました
てんかん患者は
力ずくで施設に入れられていたのが
脳波検査によって 脳の異常な
電気活動を測定できるようになりました
ヒステリー性の麻痺として
誤診されることもあった多発性硬化症は
CATスキャンとMRIによって
脳の病変であると分かりました
そして ごく最近まで
単にストレス由来だと
考えられてきた胃潰瘍は
真犯人はピロリ菌であることが
発見されました
このように他の病気が受けてきた
科学の恩恵に
MEはまだ あずかっていませんが
変化は始まっています
ドイツの研究機関では この病気が
自己免疫異常である証拠が
日本では脳の炎症である証拠が
発見されました
アメリカでは スタンフォード大で
正常な値に比べて
標準偏差16も離れた—
エネルギー代謝異常が
発見されています
ノルウェーでは 患者によっては
癌が完全寛解に至る抗がん剤の
第Ⅲ相臨床試験が行われています
もう1つの希望の源は
患者たちの踏ん張りです
ネット上で私たちは団結し
体験談を共有し合いました
どんな研究であれ
貪欲に食いつきました
自ら実験台にもなりました
自ら科学者になり
自らの医者になりました
そうせざるを得なかったからです
そうして私は徐々に あっちで5%
こっちで5%と回復して
そしてついに
元気な日であれば
外に出られるようになりました
それでもまだ
バカげた二者択一を迫られました
庭に15分座ろうか
髪を洗おうか とか
でも 治療法はあるかもしれないという
希望が生まれました
私の肉体は病んでいる
ただそれだけだったのです
適切な助けが得られれば
いつか元気になれるかもしれない
私は世界中の患者たちと団結して
闘い始めました
それまでは無であった場所を
美しい何かで埋めてきましたが
まだ不十分です
未だに私には先が見えません
いつか再び走れるようになったり
距離の制限なく
歩けるようになり
今や夢の中でしか実現しない
体を使った活動ができる日が来るかどうか
でも ここまで到達できたことに
本当に感謝しています
回復は遅いし
良くなったと思えば
悪くなったりですが
少しずつ良くなってきています
寝室に こもりきりだった頃のこと
何ヶ月も日の光を見なかった日々を
今でも憶えています
部屋に閉じこもったまま
死ぬのだろうと思いました
でも私は今 ここに居ます
皆さんと一緒に
これは奇跡だと思います
これほど運が良くなかったら
私はどうなっていたことか
インターネット以前に発病していたら?
仲間たちと出会えていなかったら?
多分 自ら命を
絶っていただろうと思います
そんな人たちが
たくさんいたのです
数十年前 正しく診断できていたとしたら
どれだけの命が救えたでしょうか?
今 本気で取り組み始めたなら
どれだけの命が救えるでしょうか?
この病気の真の原因が
突き止められたとしても
社会制度や文化を変えなければ
他の病気でも
同じことを繰り返してしまいます
病を抱えて生きるという経験から
科学も医学も根本的に
人間の為す試みなのだと学びました
医者も 科学者も 政策決定者も
誰もがそうであるように
先入観の影響を
避けられないのです
女性の健康というものを
もっと細部に配慮して考えるべきです
女性の体全体がそうであるように
免疫機能も 平等を求めて
戦っているのです
患者の話に耳を傾けてください
「わからない」と
自ら進んで言ってください
「わからない」という言葉は
美しいものです
「わからない」という言葉から
発見が生まれるのです
それができたら—
果てしなく広がる未知の世界に
挑んでいけたら
不確かなものに対し
恐れではなく
感嘆の念を以って接することが
できるかもしれません
ありがとうございました
ありがとうございます