みなさん こんにちは
矢倉大夢と申します
僕は中学1年の時に
プログラミングに出会って
そこからプログラマーとして
活動しておりまして
例えば第2セッションの
篠田さんの話に出てきた
デフコンの大会などにも
参加したりしてるんですけれども
こういったことをやっていると
よく聞かれる質問が1つありまして
「好きな教科は何ですか?」という
まぁベタな質問なんですけれども
「どうせ数学が好きなんでしょ?」
とよく言われますが
実は僕 社会の「倫理・政経」
という科目が好きなんですね
この「倫理・政経」特に「倫理」
と言われてパッとイメージできる方は
あまりいらっしゃらない
かもしれないんですけれども
一言で言うと「思想史」をやってます
「思想史」というのは
「人間とは何か?」であったり
「世界はどのようにできているのか?」
そういった問いかけに対する
人類の考えてきた歴史を学ぶ
というもので
人間や世界に関する法則を
見つけ出していく —
人間や世界を相対化していく
試みを学んでいく —
そういうものになってるんですね
古代ギリシャのタレスは
「万物の始原は 水である」
つまり 世界は水からできている
という風に言いました
他にも同じくギリシャの
ヘラクレイトスは
「万物は流転する」であったり
世界はどうとか 人間はどうとか
色んな人が色んなことを
考えてきたんですね
こういった歴史を学んできたんですが
その中で 僕は
1人の考えに惹かれました
それはヘーゲルという
ドイツの思想家で
人間の精神であったり
国家 あるいは歴史や美学まで
様々な分野に渡る
色んな思想を
残してきているんですけれども
彼の色んなモノを
体系的にモデル化するという
そういう部分に僕は惹かれました
このモデル化っていうものは
様々な事柄を
論理的に一貫性を持つように
まとめ上げることなんですけれども
例えば ニュートンは地球の上で
モノを離すと落ちる
という現象や
太陽の周りを地球は回っているという
そういった現象について
「万有引力の法則」というものを
導き出すことによって
一貫的に説明出来る
そういうモデルを作り上げました
このモデル化という作業は
実はプログラミングにも
かなり共通する部分がありまして
「カーナビ」ありますよね?
多分 みなさんのお家の車にも
ついていると思うんですけれども
このカーナビ すごく簡単に
いい経路を見つけてくれますが
これも現実の世界の道や混雑状況を
モデル化してやって
数学的な仕組みの中で
扱えるようにすることによって
コンピューターがうまく経路を
見つけ出してくれるという
そういう仕組みになっています
モデル化する上で
ヘーゲルが用いた手法が
「弁証法」と呼ばれるもので
非常に簡単に説明しますと
「何か」とそれに反する
「何か」があった時に
どちらか片方を信じ込んで
それに反するものを批判するのではなくて
その矛盾点を見つめ直して
それさえもカバーするような
より本質的でメタな部分を
取り出していくという
そういう考え方になります
このヘーゲルの思想を学ぶ時に
僕は1つ頭に浮かんだことがありました
それは彼の考えを
今の 現代の時代に
適用するとどうなるのだろうかと
つまりコンピューターが
人間に取って代わる時代において
これからどうなっていくんだろうと
そういう部分です
例えばこれは ある大学入試の過去問の
計算問題なんですけれども
これを手で解くと こうやって
ばーっていっぱい書いて
やっと答えが出る みたいな
そういう問題なんですけれども
これ「wolframalpha.com」
というウェブサイトに行って
1行 式を入力してやるだけで
こうやって答えはすぐ出て
グラフまでご丁寧に描いてくれると
こんなの 出ちゃうと あまり宿題を
やる気が起きなくなりますよね
別の例で言いますと 例えば
グーグルCEOのラリー・ペイジは
「人工知能の急速な発展によって
ロボットやコンピューターが
人間の仕事を奪っていくだろう」と
そういう風に言っています
実際に オックスフォード大学から
出た論文では
今後20年の間に
アメリカの雇用者の内 47%が
ロボットに取って代わられるだろうと
そういう予測をしています
例えばデータの入力作業であれば
99%の確率で
あと スポーツの審判は98%
保険の審査も同じく98%の確率で
ロボットがやるように
なるんじゃないかと
そういう風に予測されています
これを さっきの話に
立ち戻って考えてみますと
人工知能や機械学習
あるいはロボット工学の発展によって
技術ができることが
格段に広がっていると
そういった中で 我々人間は
どうすればいいのだろうかと
完全に人間の存在意義は
無くなると悲観的になるのか
それとも 人間は
仕事なんてやることは無くなって
自由に生きていけるんだと
そう楽観的に考えるのか
そのどちらでもない考え方として
僕は別の新しい考え方を
提示したいと思っています
それは コンピューターを通して
人間を相対化していく
そういったものになります
これは ヒューマノイドロボットの研究の
第一人者の 石黒浩教授が造られた
ご自身そっくりの
アンドロイドなんですけれども
こういったアンドロイドを
造る意義として 石黒教授は
「リアルなアンドロイドと共に過ごすことで
『人間とは何か』を考察できる」
そういう風に述べられています
別の例で言いますと
「仮想の音楽家」という
思考実験があります
これは 「コンピューターが
自動作曲した曲に対して
我々は感動できるのか」
という話なんですけれど
みなさんどう思われますか?
自動作曲ということを知っていた上で
我々が感動できるのであれば
それは 曲のコンテンツ自体に
感動していると言えるでしょう
でも自動作曲だということを
知ってしまったら
全く感動できなくなって
しまうかもしれない
そういった場合は
我々は作曲の裏にある
人間の存在について
感動しているのではないかと言えると思います
つまり 例えばオリンピックで
ウサイン・ボルトが世界記録を出すと
我々は感動するんですけれども
同じ速度で車が走っても
感動しませんよね?
それと同じようなことだと
言えるかもしれません
でも その上で
自動作曲を実現する上での
涙ぐましい努力や 苦労の話を聞くと
感動できるかもしれません
そういった場合は 作曲や
自動作曲の裏にある物語 —
つまりコンテキストに感動している
ということが言えるでしょう
コンピューターを通して人間を相対化
していくというのはどういうことかと言うと
つまり「人間の心にコンピューターで
実験的に迫る」ということだと思っています
実際に 僕がこれまで取り組んできたことの
1つを紹介したいと思います
それは 音楽の「サビ」を
検知するプログラムなんですが
「サビ」って何か
みなさん知ってますか?
一言で言うと 音楽の1番
盛り上がっている所を指す言葉でして
一般的に 今出てる曲の大部分は
こうやって「Aメロ」「Bメロ」「サビ」
みたいな組み合わせが繰り返して
作られてることが多い
という風に言われています
これをプログラムで検知する時に
どうやっていたかと言いますと
つまり繰り返しを見つけてやれば
いいんじゃないか?と
曲があった時に「こことここが一緒」
みたいなのを見つけてやって
更にさっきの法則に則って
「ここがAメロ Bメロ サビ
なんじゃないか?」と
そういう風に探して
これまでのプログラムはやっていました
でもこの手法には限界点がありました
その一因は「ボーカロイド」
つまりコンピューター上で
曲を作ることのできる
ソフトウェアの登場です
これによりプロの作曲家でなくても
アマチュアの作曲家でも
より気軽に 自由に作曲することが
できるようになりました
その結果 より個性的で多様な曲が
生まれるようになって
さっきの法則に則っていないような曲も
たくさん作られるようになりました
更にその曲の大部分は
「ニコニコ動画」と呼ばれる
動画投稿サイトに
投稿されていました
つまり 曲の長さにも
制限が無くなって
すごく短い曲から
10分を超えるような大曲まで
ほんとに色んな曲が
作られるようになったんですね
そうなると さっきの手法では
太刀打ちできません
そこで僕が開発した手法では
ニコニコ動画の
特徴的な機能の1つである
「コメント」というものを
組み合わせることによって
新たに精度を高く検知する
手法を作りました
簡単に言うと コメントの特徴的な要素を
独自の手法で取り出して
似てる部分やサビらしい部分を
見つけるという
そういう手法なんですけれども
これに関して高校生向けの
科学技術の大会に出しまして
そこで
「科学技術政策担当大臣賞」という
ちょっと ややもすれば
噛んでしまいそうな名前の賞を頂きまして
そこから日本代表として参加した
インテルの国際大会では
「ブルーノ・ケスラー財団賞」
という賞を頂きました
技術というかテクノロジーの話で言うと
ここで終わりなんですけれども
こういった取り組みの中で1つ
僕が感じたことがありました
それは 人間にできることと
コンピューターにできることの
境界線です
コメントを組み合わせるということは
言わば人間の存在を
組み合わせることによって
検知できるようになっていると
更にコメントを組み合わせてやっても
繰り返しがはっきりしないような曲だと
たまに 検知できないことがありました
それでも人間は共通的に
サビを見つけることができるんです
そういった部分に
人間の「人間らしさ」という部分が
あるんじゃないかという風に考えました
これからの時代 技術がどんどん
発展していくと言われる時代ですが
技術が発展したからこそ 迫っていける —
人間にしかできないような
部分というのがあると思います
人間と技術の境界線 そこにこそ
これからの時代を生き抜く答えがある
という風に思っています
ある思想家は言いました
「労働からの疎外が
人間の 人間からの疎外を生む」
つまり 人間の「人間」たる所以は
「働くこと」こそに
あるんじゃないかと
でも僕はこう思います
人間の人間たる所以は
クリエイティビティ つまり
創造にこそあるんじゃないかと
ありがとうございました
(拍手)