このプログラムはスタンフォード大学によって運営されています。 stanford.eduをご覧ください。 ヘネシー学長、ありがとうございます。 理事、教授陣のみなさま ご父兄および祖父母のみなさま スタンフォード大学の卒業生のみなさん この素晴らしい日に私をお招きいただきありがとうございます。 まずちょっとした秘密から始めさせてください。 その秘密とはカービィ・バンパスです。 彼女は、スタンフォードの08年の卒業生で、私の教女です。 ヘンリー学長からこの卒業式の講演の依頼をいただいたとき 私はとても興奮しました。 カービーが大学に通い始めてから初めて このキャンパスにくることを許してもらえたからです。 カービーはとても優秀な娘です。 周りに人には、彼女自身の言葉で彼女を理解してもらいたい、といいます。 彼女が知っている誰かの言葉ではなく。 だから初めて会う人には、私が彼女を知っていること、 彼女が私を知っていること、を知られたくないのです。 彼女がオリエンテーションのために、 初めて母親とスタンフォードに来たとき、 みんなにとても歓迎されたと聞きました。 ある人がカービーのところに来て言いました。 「うそ!ゲイル・キングだ!」 多くの人がゲイル・キングは私の永遠の友だと知っているので、 他の人もやってきて、 「マジかよ。あれがゲイル・キング?」と聞きました。 カービーは「そうよ、私のお母さんよ。」と返します。 そしたらその子が、今度はこう聞きます。 「すごい!ってことは、オプラ・ウィンフリーも知ってるの?」 カービーは「まあちょっとは」と答え、私は「ちょっとは?ちょっと知ってるだけ?」って感じでした。 証拠写真があります。 みなさんにEメールで送ることができる写真もあります。 私が四つんばいになって彼女が馬乗りしている写真です。 そう、私は、カービィ・バンパスを「ちょっと」以上知っています。 私はここにいることができて本当に幸せです。 4年の後にとうとう彼女の部屋をみることができるからです。 他に私が行くべきところなんてありません。 今日、二つの学位と共に卒業するカービーを本当に誇りに思います。 学位は、人間生物学と心理学です。 愛してるわ、カービー・ケイクス!そう、私は彼女を良く知っているのです。 ケイクスと呼べるくらいに。 そして、彼女の両親、兄であるウィルを誇りに思います。 彼女をここまで育て上げたことに。 彼女がスタンフォードを卒業したことに私は何も関与していません。 でもここ数週間、私が何をしているのか 尋ねてきた人には、 「スタンフォードに行く準備をしているの」と言っていました。 こうやって「スタンフォード」っていうの大好きだわ。 本当は 私は学位なんて取れないとわかっていました。 「スタンフォードに」に通ったことはないからです。 私はテネシー州立大学に通いました。 でも学位を取得したことはありませんでした。 私は1975年に卒業するはずでした。 でも卒業には1単位足りていなかったのです。 私はそのことを忘れることに決めました。 同級生と一緒に卒業式で行進することはないとわかっていましたから そのころにはもう私はテレビに出ていました。 19歳で大学2年生だった頃からテレビに出ていた私は、 10時のニュース番組をやっていて、 唯一11時の門限を持っているテレビ司会者でした。 私の父は本気で、 「そのニュース番組は10:30に終わる。11時までに帰ってきなさい」と言っていました。 でも生活費を稼いでいた私には、そんなことは関係ありませんでした。 わが道を進んでいた私は、卒業までたった1単位足りなかった 大学のことは忘れようと思いました。 でも父は、そのときから、何年経ってもずっと 私が卒業しなかったことを気にしていました。 父は私に、「オプラ・ゲイル、」私のミドルネームです。 「学位なしにどうするつもりだ」と問いかけます。 私は、「私は自分のテレビ番組を持っているわ」と返します。 すると父は、 「学位なしにどうするつもりなのか理解できない」と。 私「でも、お父さん、私はトーク番組のホストなのよ」 父は言います。「学位なしにどうやって、 次の仕事を得るつもりなんだ」と。 1987年に、テネシー州立大学は 私に卒業講演を依頼してきました。 そのときには私は、全国放送されているテレビ番組を持っていて、 映画も作ったし、オスカーにもノミネートされて、 さらにはHarpoという会社も創業していました。 私は言いました。 「あと1単位取らせてもらえなければ、大学に行って講演することはできない」と。 なぜなら父がずっと言っていたからです。 「大学の学位なしにはどこにもたどり着けない。」 こうして私は課題をやり、 卒業論文を提出して学位を手にしました。 父はそのことを本当に誇りに思っていました。 私にはわかっていました。 何かあったときには、その1単位が私を救ってくれると。 父がなぜそんなにも学位を強調していたのかもわかっていました。 B.B.Kingが言っていたからです。 「学びの素晴らしいことは、 誰にも奪われることがない、ということだ」