このプログラムはスタンフォード大学により 提供されています。 当大学のウェブサイトwww.stanford.eduを どうぞご覧ください。 こんにちは ああ。。。皆さんありがとう ’08年! ヘネシー学長、職員の皆様、ご家族の皆様、 そして卒業生の皆さん、ありがとう。 この素晴らしい日をあなた方と共に過ごせる事に 感謝します。 まず、皆さんに一つ秘密を明かします。 ’08年度スタンフォード卒業生の一人、 カービー・バンパスは、 実は私のゴッド・ドーターです。 (訳注:宗教上、娘同様という事です) ですから、ヘネシー学長から卒業式のスピーチを 頼まれた時、とても嬉しかったのです。 私がキャンパスを訪れる事が許されたのは、 カービーが入学してから、これが初めてだからです。 カービーは、とても頭のいい女の子だから。 彼女は「誰と知り合いか」に関係なく、自分で 交友関係を築きたいと言っていました。 だから、彼女が誰かと初めて会う時は、 彼女と私の関係は秘密にしているんです。 彼女が母親と一緒にスタンフォード大学を 新入生として初めて訪れた時 到着したら皆さんが歓迎してくれたそうですが 誰かがカービーの所に来て、 「あっ!ゲイル・キングだ!」と言ったそうです。 ゲイル・キングが私の親友だという事を、 たくさんの人が知っているからです。 だから、誰かがカービーの所に来て、 「この人、ゲイル・キング?」と聞いたので、 カービーは「うん。私の母です。」と答えました。 そうしたら、「と、言う事は、あなたは オプラ・ウィンフリーと知り合い?」と言われて カービーは「それとなく」と言ったんだそうです。 私は「それとなく?あなたは私を『それとなく』しか 知らないの?」って言いました。 私、証拠写真を持っているんです。 四足で、カービーが私とお馬さんごっこをしている 写真、皆さんにメールで送れます。 だから、私は「それとなく」以上に カービー・バンパスの事をよく知っています。 だから、私はここに来れて本当に嬉しいのです。 四年が経ち、やっと彼女の部屋を 見る事が出来るからです。 他に行きたい場所などありません。 カービーの事を本当に誇りに思っています。 彼女は今日二つの学位を取得して卒業します。 一つが人類生物学、もう一つが心理学です。 カービーケーキ、愛しているよ! それ位、私は彼女をよく知っているんです。 彼女を「ケーキ」と呼べるんです。 それから、在学中彼女を支えたご両親、 そして彼女の兄弟のウィルを誇りに思います。 彼女がスタンフォード大学から卒業することと私は 実際には無関係だったのですが ここ二週間の間、誰かに 「あなたは何をやっているの?」と聞かれる度に 私は「スタンフォード大学へ 行く準備をしているのよ」と言ったんです。 「スタンフォード」って言うのが嬉しくて。 本当の事を言うと、私自身は大学の学位を 取得できないはずだったんです。 スタンフォード大学の学生ではなかったから。 私はテネシー州立大学へ行ったんです。 しかし卒業証書はもらえない予定でした。 1975年に卒業する予定だったのですが、 一つ単位が足らなかったんです。 一つ単位が足らなかったんです。 それで、私は「もういいや、忘れよう」 と思いました。 どうせ、同級生と同時に卒業は出来なかったからです。 当時、既に私がテレビに出ていたからです。 私は19歳、大学二年生の頃から テレビに出演していたんです。 もちろん、夜10時のニュースに出演して 夜11時の門限があるアンカーなんて私だけでした。 真面目な話、私の父は「ニュースは10時半には 終わるだろう。11時には帰宅しなさい」と言いました。 でも、私はそれでも良かったんです。 収入があり、自分の人生を歩んでいましたから。 だから、「大学はもういい。」と考えました。 足らなかったのは一単位だけでした。 しかし、その後何年もの間、卒業しなかった私に 父はいつもこう言ったのです。 「オプラ・ゲイル、学位なしでお前はどうするのか」と。 ゲイルは私のミドル・ネームです。 私は「でも、お父さん!私は自分のテレビ番組を 持っているのよ」と言うんですが 父は「それでも、学位なしでお前がどうするのか 分からないね」と言うんです。 それで私は、「でもお父さん、私は今トークショーの ホストをやっているのよ。」と言うのですが 父は「学位なしで、お前がどうやって次の仕事を 見つけるのか分からないね」と言うんです。 だから、1987年にテネシー州立大学から 卒業式でのスピーチを頼まれた時 その頃には、私は自分の番組を持っていて、 全国ネットで放送されていて 映画も作ったし、オスカー賞の候補にもなったし、 ハーポという自分の会社も設立したのですが 私はこう言ったんです。「もう一単位取るまで スピーチをする訳にはいきません。 父が未だに『学位なしではお前はどうにもならん』 と言っているからです。」 だから、私はクラスを取り、卒論を提出し、 学位を取得する事ができました。 父は、私をとても誇りに思ってくれました。 そして、私は分かっているんです。 もし何か悪い事が起こっても あの一単位が私を救ってくれると。 でも、父がなぜ卒業証書にこだわったか、 私は分かっているんです。 B.B.キングさんが言ったように、 「学びの素晴らしさは、学んだ知識を 誰もあなたから奪う事が出来ないという事」だからです。 そして私が今日皆さんにお話ししたい事は、 広い意味での「学び」についてです。 なぜなら、皆さんの教育は ここで終わる訳ではないからです。 いろんな意味で、皆さんの教育は 始まったばかりなのです。 この世界は、皆さんに多くのレッスンを教えます。 私はこの世界、この地球を学校のようだと、 そして人生は教室のようだと考えています。 そしてこの地球という学校では時々 レッスンが回り道や障害の姿をして現れるのです。 時には大きな危機として現れる事もあります。 そして前に進む為の秘訣として私が学んだのは それらのレッスンを受け入れること。 宇宙そのもの、壮大な宇宙からのレッスンです。 それは、己の向上や自分を成長させるものに対して 意欲を持ちオープンに人生を歩むことを意味します。 なぜなら、人間として成長する事が 私達が存在する理由だからです。 より自分らしくなる事、より高いレベルの理解や 思いやり、成長へと常に進むこと。 私が言われて一番嬉しかった ほめ言葉の一つを思い出します。 私がシカゴで仕事に就いたばかりの頃 インタビューで知り合ったレポーターに 何年も後に再会した時に言われたんです。 彼女はこう言いました。 「知ってる?あなた、本当は変わってないのよ。 ただ、よりあなたらしくなっただけなの。」 私達みんながやろうとしているのは、実は そういう事なんです。もっと自分らしくなること。 そして私は、あなたが取る行動や経験の一つ一つに レッスンが含まれていると考えています。 レッスンを学ぶ事であなたは前進して行くのです。 そうやってあなたは精神を豊かにしていくのです。 心の中の英知の方が金銭的な豊かさよりも 大切であることを私は知っています。 その英知を使えば使うほど、 あなたは多くを得るのです。 ですから、今日、私は皆さんと幾つかの レッスンをしたいのです。三つのレッスンです。 私の今までの人生で学んだレッスンです。 皆さん、ありがたいと思いませんか? 誰かが「いくつかレッスンをします」と言って 10レッスンあったりすると嫌ですよね? 皆さんも「ちょっと、これは私達の 卒業式なのよ」って思うでしょう? 「あなたが主役じゃないのよ」って。 だから、三つだけにします。 私の人生に一番大きな影響を与えた三つのレッスンは、 感情、失敗、そして幸せを見つける事に関してです。 私が大学を退学して一年後、バルティモア市で6時の ニュースの共同アンカーを務める機会を頂きました。 当時メディアにおける目標について私が考えていたのは より大きな市場へ移動する事だったからです。 バルティモア市は、ナッシュビル市よりも ずっと大きな市場でした。 だから、22歳で6時のニュースの共同アンカーを 務めるのは、私にとってとても大きな出来事だったんです。 当時、まるで世界で一番すごい 出来事であるかのように感じました。 私はとても誇りに感じました。やっと、バーバラ・ ウォルターさんの様になれるチャンスが来たと。 私は、テレビの仕事を始めた頃から 彼女のようになりたいと思っていたからです。 私は22歳で、年間22,000ドル稼いでいました。 そこで私は親友のゲイルに出会ったんです。 彼女は同じテレビ局でインターンをしていました。 友達になってから、私達はこう話したんです。 「信じられない!あなたはまだ22歳なのに 年間22,000ドル稼いでいるなんて。」 「40歳になった時、40,000ドル 稼いでいる姿を想像してみて!」 私が40歳になった時、その話が現実にならなくて 本当に良かったと思いました。 そうやって22歳で22,000ドル稼いでいた 私ですが、なんとなく違和感を感じたんです。 違和感を感じたんです。 ヘネシー学長がおっしゃったように、最初の兆しは 会社が私の名前を変えようとした時でした。 ニュース・ディレクターが言ったんです。 「誰も、オプラなんて覚えない。」 「だから、君の名前を変えたい。人が覚えやすくて 気に入ってくれそうな名前を考えたんだ。」 「親しみやすい名前だ。スージーだよ。」 こんにちは、スージー。とてもフレンドリーですね。 スージーに怒ったりできないですよね。 スージーを覚えていてください。 しかし、私の名前はスージーでは なかったですし 子供のころ、私は自分の名前が あまり好きではなかったんですが なぜって、名前付きのお弁当箱や車のプレートの札には オプラと言う名前はなかったからです。 だから、自分の名前が好きではなかったのですが、 いざ名前を変えて欲しいと言われると 「でも、これが私の名前だし、第一、 私がスージーに見える?」って思ったんです。 だから、「いや、違う気がする。」と考えたんです。 「私の名前は変えない。人が覚えてくれなくてもいい。」 そうしたら、今度は会社から、 私の見た目が気に入らないと言われたんです。 当時は1976年、上司が部下を呼んで 「君の見た目が気に入らない」と言えた時代です。 今なら訴訟問題になりますが、当時会社側は 「君の見た目が気に入らない」と言えたんです。 後ろの座席の方は見えないかも知れませんが 私の見た目はバーバラ・ウォルターさんとは 似ても似つかないものです。 だから、私はサロンに送られて パーマを掛けられたのですが 数日後、髪の毛が全部抜けてしまい、 頭を剃る事になりました。 そしたら、私の見た目が 更に気に入らなくなったようです。 黒人で、頭がハゲで、テレビに出ていたのですから。 あまり綺麗な絵ではありません。 しかし、ハゲでいる事よりもさらに嫌だったのは 日々の業務の一貫として人の不幸を報道する為に 現場へ送られる事が本当に嫌だったのです。 観察する事だけを期待されていると分かっていても 私の本能が「助けを差し伸べるべきだ」と言うからです。 だから、ヘネシー学長がおっしゃったように、 私は火事を報道した後戻って行って 被災者に毛布を渡したりしたんです。 そしてその日に報道した多くの事件を思うと 夜眠れなくなるのです。 私はバーバラさんのように優雅に座って バーバラさんのように話そうとしました。 それで、考えたんです。 「私は間抜けなバーバラにはなれるけど、 どうやったら自分らしくなれるか考えたら、 なかなか良いオプラになれるんじゃないか」と。 私はバーバラさんのように エレガントに話そうとしていたんです。 時々、私は原稿を読まずに話しました。 私の中の何かが、 「自然にするべきだ」と言ったからです。 だから、私はテレビでニュースを提供している最中に ニュースを入手したかったんです。 原稿を読まないで話すものだから、時々、 「高速道路40号で6名が衝突? それは大変ですね」などとコメントしました。 自然にしたかったから、時々原稿を読まないで 知らない単語に出くわして、発音を間違えたんです。 ある日、原稿を読んでいたらカナダを カナーダと呼んだ事もありました。 そんな事があったんです。 放送中、自分で笑ってしまいました。 そして、私は「バーバラさんの真似は 上手く行ってないな」と感じたんです。 自分らしくあろうと思いました。 でも同時に、父が言ったんです。 「オプラ・ゲイル、これは人生の大きなチャンスだぞ。」 「あの仕事、辞めるなよ。」と。 そして私の上司はこう言っていました。 「これは夜のニュースなんだ。 君はアンカーなんだ。社会福祉士じゃないぞ。 業務だけをやりなさい。」 私はこれらの期待のメッセージや義務に 応えようとしたのですが 本当に惨めな思いでした。 夜、家に帰ると、日記を書きまくりました。 私は、15歳の時から日記を書いていたんです。 だから、今は何冊もの日記があります。 夜、帰宅後、私がどれだけ惨めでストレスを 感じているか日記に書きまくったんです。 そして、不安を呑み込みました。 その癖は、その時に生まれたんです。 8か月後、その仕事をクビになりました。 「君は感情的すぎる」と言われたんです。 「君は大変すぎる」と。 しかし、会社側も違約金を払いたくなかった為 バルティモア市のトークショーで採用してくれました。 そして、その番組に座ったその瞬間、私は まるで故郷に帰って来たかのように感じたんです。 私は、テレビが遊び場だけではなく、 貢献の舞台に成り得る事に気づいたのです。 他者の人生を持ち上げる支えの場です。 そのトークショーで私が座ったその瞬間、 まるで呼吸をするかのように感じました。 「正しい」と感じたのです。 それがその後の人生の始まりでした。 そして私はレッスンを学んだのです。 貴方がやるべき仕事に就いた時、 それは「正しい」と感じます。 そして給料に関係なく、 毎日がボーナスのように感じます。 本当ですよ。 では、どうやったら正しい事をやっていると分かるのか? 「正しい」と感じるんです。 私が今分かる事は、感情が あなたの人生のGPSだと言う事です。 何か貴方がやるべき事や やってはならない事があった時 貴方の感情案内システムが教えてくれます。 ヒントとしては、エゴを玄関で預けて 代わりに心の声(勘)に耳を傾けること。 私が下した決断で正しかったものは全て 私が今まで下した決断で正しかったものは全て 私の心の声(勘)から来たものです。 そして私が下した決断で間違ったものは全て 自分の中の「より大きな声」に 耳を貸さなかった結果なのです。 もし違和感があるのなら、 その行動を取ってはなりません。 それがレッスン(教訓)です。 そしてその教訓だけでも、皆さんは 多くの苦悩を避ける事が出来るでしょう。 ただ疑問を感じている時でさえも、 「やってはならない」と言う意味なんです。 これは私自身が学んだ事ですが どうしたらいいか分からない状況が 訪れる事は多々あります。 どうしたらいいか分からない時は 何もせずにじっとしてください。 どうしたらいいか分かるまで ずっとじっとしていてください。 じっとして、心の中の意欲に操縦を任せれば あなたの私生活がより良くなるだけでなく 仕事の世界で競争力を得る事にもつながります。 ダニエル・ピンクさんがベストセラーの本 「新しい心」に書いていたように、 私達は今新しい時代に入ろうとしているのです。 「考え方の時代」と彼は呼んでいます。 この時代に人を引き立たせるのは 頭脳だけでなく 私達の心、つまり右脳からくる気質です。 論理的で直線的なルール・ベースの考え方だけが 大切な時代ではなくなるのだと彼は言います。 思いやりや喜び、目標など、時空を超えて価値を持つ 内面の気質も大切になるのです。 これらの資質は、私達が本当に好きなことを やっている時に開花します。 私達が自分達の全てを使って仕事に取り組むとき、 自分達の専門技能と感情の両方を使う時です。 だから、私は皆さんに言います。 「人を追い越す事など忘れなさい」と。 「本当に空を駆け抜けたいなら あなたが情熱を感じるものに  あなたの力を使いなさい」と。 あなたの使命(天職)を尊重してください。 みんな一人一人使命があるからです。 あなたの心を信じてください。 成功はあなたのもとへやってきます。 では、成功をどう定義するか? お金はなかなかいいものです。 ここで、「お金は関係ない」などとは言いません。 お金はとてもいいものだからです。 私はお金が好きです。 買い物をするのに便利です。 しかし、お金を沢山持っていても、 あなたが自動的に「成功者」になる訳ではありません。 あなたが目指すべきものは 「お金」と「意義」の両方です。 あなたの仕事は意義のあるものであるべきです。 なぜなら、あなたの人生を 真に豊かにするものは意義だからです。 あなたが本当に望むものは、 あなたが信頼し、大切にする人達や あなたの事を大切にする人達に 囲まれていることです。 そうなった時、 あなたは本当に豊かになったのです。 だから、最初のレッスンは あなたの気持ちに従うこと。 「正しい」と感じるなら、前に進むこと。 違和感があるなら、やらないこと。 次は「失敗」に関して 少し話をしたいと思います。 人生がずっと完璧で スムーズに行く人なんていないからです。 私達は皆つまずく時があります。 挫折する時もあります。 必ず、上手く行かない時や 行き詰まる時が来ます。 そんな時は、人生が「方向転換の時期だよ」と 教えてくれているだけなのです。 これは、私が失敗した時や、危機に面した時、 そして困難に陥った時にする事なのですが 「これは、私に何を教えようとしているのか?」と 自問自答します。 そしてレッスンを学んだら、 次へと進めるのです。 本当にレッスンを学んだら合格で、 そのクラスを繰り返す必要はありません。 あなたがレッスンを 理解できなかったら 同じレッスンが別のズボンや スカートをはいてあなたの前に現れます。 補習授業を提供する為です。 私が気づいたのは 困難な状況は人生のささやきに 注意を払わない時にやって来るという事です。 人生は必ず最初はささやくからです。 そして貴方がそのささやきを無視していると いずれは叫び声を聞くこととなります。 貴方が拒むものは続くのです。 しかし、あなたが正しく自問自答したならーー 「なぜ、こんな事が起こるのか?」ではなく 「これは私に何を教えようとしているのか?」 と自問自答したならーー あなたが必要としているレッスンを学ぶための 場所と空間へあなたを連れて行ってくれます。 私の友人のエッカート・トーレさんは 「新しい地球」という素晴らしい本を書いたのですが その本は、あなたが誰であるかの認識を あなたの行動への刺激にするという内容です。 彼はこう言っています。 「悪い状況に対して反応するのではなく その状況と融合すること。」解決策は そのチャレンジから生まれると。 身を任せることは諦めることではありません。 責任を持って行動を取るという意味なのです。 多くの皆さんもご存知ですが ヘネシー学長がおっしゃったように 私はアフリカで学校を設立しました。 私は学校を設立して 南アフリカの女の子達に あなた方スタンフォード大学のような未来を 作るチャンスを与えたかったのです。 私は5年間を掛け、その学校が生徒達と 同じ位美しくなるようにしました。 私は女の子一人一人に彼女の価値が 環境に反映されていると感じて欲しかったのです。 だから、私は全ての設計図をチェックしたし、 枕も全て私が選びました。 レンガとレンガの間の グラウト剤も見ました。 ベッドシーツの布地の きめ細かさも全て知っていました。 九つの州にある村から来る女の子 一人一人を私は自分で選びました。 それでも、昨年秋、 予測もしなかった危機が訪れたのです。 寮母の一人が性的虐待を 行った疑いがあると言われたのです。 ご想像の通り、 それは衝撃的な知らせでした。 最初、私は号泣しました。 30分程の間です。 その後、私はこう言いました。 「対処しに行こう。泣けるのは30分だけ。」 「『今』に集中しないといけない。 今、何をしなければならないか。」 私は児童トラウマ専門家に連絡し、 調査チームを形成しました。 女の子達が、カウンセリングやサポートを 受けられるようにしました。 そしてゲイルと私は飛行機に乗り 南アフリカへ向かいました。 その間ずっと、私はあの質問を自問自答したのです。 「これは、私に何を教えようとしているのか?」 あの経験は本当につらいものでしたが 私は多くのレッスンを学びました。 自分が犯した過ちを今は理解しています。 私は、間違ったものにばかり注意を向けていたのです。 私は外から中へと、あの学校を建てました。 本当に大切な事は、中から外へと向かっていたのです。 これは、私達の人生全体について言える事です。 本当に大切なものは、私達の中にあるものです。 本当に大切なのは、誠実さ、良質さ、 そして美しさです。 私はそのレッスンを学びました。 そして私は、女の子達も 何かを得たことを知っています。 この経験から、彼女達は自分達の声に 力がある事を知り、強くなったのです。 そして彼女達の強さと元気が 私が与えるよりも多くのものを私に与えてくれました。 そして、それが最終レッスンへの入り口です。 「幸せを見つけること」に関するレッスン。 一日中話せる話題ですが、今日皆さんは きっと他に楽しい予定が入っているでしょう。 「幸せを見つけること」、これは決して 小さな話題ではありません。 しかし、ある意味それは 一番シンプルな話題だと思うのです。 グウェンドリン・ブルックスさんが 子供の為に書いた詩があります。 「若い人たちへのスピーチ、 前へと向かう進歩へのスピーチ」と呼ばれています。 その詩の終わりで彼女はこう言います。 「戦いの勝利の為に生きてはならない。」 「歌の終わりの為に生きてはならない。」 「その過程に生きなさい」と。 彼女が言いたいのは、エッカート・トーレさんと同様、 「今の為に生きなければならない」と言うことです。 その瞬間を生きなければならないのです。 あなたの過去に起こった出来事は、 この瞬間に対し何の力も持ちません。 人生は、「今」だからです。 しかし、私は彼女がこうも言っている気がします。 「何かの一部になりなさい」と。 自分自身の為だけに生きてはならないと。 私が分かっているのは、こういう事です。 真に幸せになるには 自分よりも大きなものの為に立ち それと共に生きなければならないと。 人生は、相互交換だからです。 前へ進む為には、社会へ「恩返し」を しなければならないのです。 私にとって、それが人生最大のレッスンです。 幸せになる為には、社会へ何か 「恩返し」をしなくてはならないのです。 皆さんは既にご存知のことでしょう。 この大学そのものに織り込まれたレッスンだからです。 スタンフォード夫妻が学んだレッスンであり、 皆さんに遺産として残されたレッスンです。 この素晴らしい大学がどうやって誕生したか その物語を皆さんもご存じでしょう。 スタンフォード夫妻のただ一人の子供が 15歳の時腸チフスで亡くなり 夫妻は世界に背を向ける権利も 理由もあったはずなのに 夫妻はその悲しみと痛みを思いやりの行動へ 向ける事にしたのです。 息子の死から一年以内に 夫妻は この素晴らしい大学の設立資金を寄付しました。 自分達の息子にしてあげられなかった事を 他の人達の子供達にしてあげる事を約束したのです。 ここでのレッスンは明らかです。 あなたが傷ついているなら、あなたは 他の人の痛みを和らげなければなりません。 あなたが苦しんでいるなら、 他の人の苦しみを和らげてください。 あなたがメチャクチャな状態にあるのなら 他の人をメチャクチャな状態から救う事で あなた自身も救われるのです。 その過程であなたは一番素晴らしい仲間、 思いやりと貢献の一員になれるのです。 親として一番耐え難い事が スタンフォード夫妻に起きてしまいましたが 夫妻は他者を助ける事が自分を助ける事だと 理解していたのです。 そしてこの英知は科学的にも社会学的にも 裏付けがされてきています。 ただの対人関係スキルの話ではなくなっています。 実際に、人を助ける事で精神的に 気持ちが高まるのです。 だから、いい気分になりたければ、 人助けをすればいいのです。 しかし、人助けをする時は「いい気分」 以上のものを求めて欲しいと思います。 善行はあなた自身を 良くするものでもあるからです。 あなたがどんな分野を選ぼうとも 貢献のパラダイムから活動している限り あなたの人生はより多くの価値を持ち あなたは幸せになると私は分かっています。 私は、自分のトークショーをやっていて いつも幸せだったのですが その幸せが説明する事も測る事も出来ない深さの 充実感と喜びに至ったのは ただテレビに出て、テレビを仕事として捉えるのではなく テレビを使おうと決めた時、 自分が使われるのではなく、 自分がテレビを使おうと決めた時、 視聴者へ貢献する舞台としてテレビを使おうと 決めた時だったのです。 それだけで私の成功の軌道が変わりました。 私が分かっているのは、こういう事です。 あなたが役者であるなら、あなたの才能を 芸術のインスピレーションの為に使ってください。 あなたが解剖学者なら、あなたの才能を 癒しの為の知識と貢献だと考えてください。 今日皆さんは博士号やその他の学位を取得されますが 皆さんの天職がビジネス、法律、工学、 人文科学、科学、医療かにかかわらず あなたが自分の技能や才能を 貢献の為に使うことを選んだなら、 あなたが「貢献」と言うパラダイムを選び そのパラダイムから人生を眺めたなら、 あなたがやる事は全て「仕事」ではなく 「贈り物」へと変わるのです。 皆さんがスタンフォード大学で時を過ごしたのも ただ仕事が欲しいからではないでしょう。 皆さんは、数えきれない位 多くの意味で豊かになりました。 この世界に影響を与え、その豊かさを他者と共有する これ以上良い方法はありません。 私は自分自身の為にいつもこう祈っています。 「世の中への貢献の為に使われたい」と。 私が大好きなキング牧師の言葉で 締めくくりたいと思います。 キング牧師は言いました。 「全ての人が有名になれる訳ではない」と。 最近は、誰もかれも有名に なりたがっているように見えますが 名声は幻ですよ。 トイレに行く時、後をついて来る人がいたり おしっこをしている時に聴かれたりしますよ。 ちょっとね。 静かにおしっこをしようとしても 関係なくて 出てきたら「信じられない!あなたね! あなた、おしっこしたのね!」なんて言われます。 それが名声という幻です。 そういう名声、あなたは欲しいでしょうか? だから、キング牧師は言いました。 「全ての人が有名になれる訳ではない。 しかし、全ての人が偉大になれる。なぜなら、 偉大かどうかは、貢献によって決まるからだ。」と。 歴史学者の方々は残りの言葉をご存じかも知れません。 キング牧師はこう言いました。 「貢献をするのに、大学の学位は必要ない。 主語と動詞を文法的に合わせる必要もない。 プラトンやアリストテレスを知る必要もない。 アインシュタインの相対性理論を知る必要もない。 物理の熱力学第二法則を知る必要もない。 必要なのは、優しさに満ちた心と 愛によって生まれた魂だけだ。」 あと少しで、皆さんは正式に スタンフォード大学’08年卒業生となります。 (’08年!) 皆さんは、ハートも頭脳も持っています。 だから、皆さん次第なんです。 皆さんの持つ才能を、皆さんはどこで使うのか? 卒業証書はもらいましたね。 外の世界へ出てレッスンを学んでください。 素晴らしい事が起こると私は分かっているからです。 私は以前から何でも共有した方が 良くなると信じていたので 終わりに、卒業祝いのプレゼントを 皆さんに贈りたいと思います。 皆さんが座っている椅子の下に 私のお気に入りの二冊の本があります。 エッカート・トーレの「新しい地球」は、 私の読書クラブで現在選ばれているものです。 その本と一緒に、私達の「新しい地球」ウェブキャストは 三千万回ダウンロードされています。 ダニエル・ピンクの本 「新しい心:なぜ右脳人間が未来を支配するのか」は 私が正しい方向へ進んでいると 自信を与えてくれました。 本当は、皆さんにカードを贈りたかったんです。 でも、それは無理があったので。 ’08年度卒業生、おめでとうございます! ’08年! ’08年! ありがとう スタンフォード大学卒業式 2008年6月15日